今日は始業式と身だしなみ検査だけだ。授業もテストもないし、僕の入っていたはずの文芸部は不定期開催で、今日もその予定はない。机の中に何も入れずに、机に座って、いつも持ち歩いている本――今日は夏目漱石だ――を広げて読んでいると、まもなく朝読書の始まりを告げるチャイムが鳴る。二年生の三学期以降と三年生は、この時間に勉強をしてもいいことになっているが、僕は活字中毒なので、朝にミニテストがなければ必ず読書を選ぶ。しかし、左隣はまだ空席――。
『ガラガラガラ!!』
 皆が続々と着席する中、誰かが閉めていた入り口の引き戸が開いた。そこにいたのは、息を切らしている蓮だった。十分前行動のあいつが、遅刻ギリギリとは珍しい。
「レン、おっせーぞ!」
「ういっす」
 近くでまだ立っていた男子が、その肩を叩いた。彼は人気者だ、友人から軽く肩や背中を叩かれることはしばしばあるが、その度に僕は少し、もやっとした気分になっていたのを思い出す。そして現に、今も。
「どうしたんだよ」
「アラームつけ忘れて寝坊しちまったんだよ」
 黒板に貼られた座席表を確認してから、こちらを向いた。目が合った彼に、僕は隣の席を指した。彼は駆け足でやってきた。
「おはよ」
「おはよう」
 彼もまた、この時間は基本的に読書派だった。着席してから、水筒の中身をぐいっと飲み、肩掛け鞄から薄い本を出した。僕も興味がある、最近流行りの若手作家の本だった。
 このクラスの机と椅子は、すべて埋まっていた。欠席者ゼロのようだ。やはり読書をしている人よりも、英単語帳や何らかの問題集を開いている人の方が多い。
 次のチャイムが鳴った時には、僕はちょうど、きりのいいところまであと一段落、というところだった。まだ今年のこのクラス――三年一組の担任は発表されていないので、前の年と同じ担任が入ってくる(まあ、彼女が今年もこのクラスを受け持つのだが)、名残惜しく思いながらも、青い和紙でできた栞を挟んで本を閉じた。
「布田くん、とりあえずよろしく」
 ああ、そうか。二年生の後半の学級委員長は僕がやっていたのだっけか。これは「号令をやれ」という意味でいいだろう。
「起立、気をつけ、礼」
「おはようございます」
 旧二年一組の担任からは、出席確認と春休みの宿題の回収、保護者へのプリントの配布、そして今日の日程についての説明があった。もちろん、受験に向けての話も。
 それが終わると、掃除の時間だった。今年の前半の掃除場所がまだ決まっていないので、教室担当だった僕は、教室の後ろの用具入れから箒を出した。蓮は外掃除なので、解散の合図とともにさっさと机を後ろに運んでしまい、教室を飛び出していった。
――ああ、懐かしいな。
 箒で床を掃きながら、忘れかけていた、高校時代に感じていた感情を思い出す。大学受験に向けた引き締めの一環として、席替えのなかった一年間。窓側の一番後ろだった蓮は、昼休みにはいつも、窓際で黄昏れていた。その横にはいつも、僕がいた。
 窓から見えるのは、校門と、その先の僕の生まれ育った、そして最期まで出ることのなかった故郷の街。駅周辺は、僕が生きている間に再開発が進み、鉄道が地下化され、新しい駅ビルが並ぶようになったが、学校の周辺は、ずっと変わらない。
――それを彼と共有できた時間は、とても短かったのだけど。
 そして大人になった僕は、その三年間、そしてそのすぐ後にあった衝撃的な出来事を、複雑な感情を抱えたまま、ずっと引きずっていた。明らかに、その後の人生に影響していた。だから、結婚もせず、子供も持たず、ずっと一人でいた。
――呼び戻されるのだから、よほど酷かったってことなんだろう。
 死神の目にも涙。その慈悲を、今回は絶対に無駄にしてはいけない。結果がどうであろうと、僕はするべきだったことを、今度は確実に実行していく。
 窓から外掃除用の箒を持った彼が見える。僕は決意を新たにした。


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