午後は理数系科目の解説だった。全部が終わったのが、予定通り午後六時半。蓮の家はここから三駅先の住宅街、僕の家とは逆方向だった。今日もこれから、彼はその距離を、自転車を漕いで帰るのだろう。
「じゃ、また明日な」
「うん」
 真っ直ぐ家に帰ると、もう母と妹が食卓で待っていた。僕のリクエスト通り、メインディッシュには母のお手製ハンバーグがあった。死ぬまでに一度、食べておきたかったものの、食事制限で叶わなかった、おふくろの味だ。
 そのことを思い出したのは、実際にできたハンバーグを見てからだったものの、今朝、母に「ハンバーグはどう?」と聞かれて、迷わず承諾したのには、その心があったからかもなのだろう。
「いただきます」
「いただきます」
 僕の家では、夕食時にテレビを点けるようなことはしていなかった。左利きの妹の右隣、ハンバーグを一口大に箸で切り分けて、まずはそれだけで、一口目を口に運ぶ。
――美味しい。
 柔らかすぎず固すぎない、ちょうどいい加減の肉と、その溢れんばかりの肉汁に、母オリジナルらしいデミグラスソース。学生の時のみならず、社会人になって一人暮らしを始めても、実家に帰るとよく作ってくれたので、その味が当たり前だと思っていたが、こんな状況になって味わう今は、それがいかに貴重なものだったかが、それを味わえる機会も奇跡的だったというのがよく分かる。
 そしてそれは、雑穀御飯にもよく合った。二口目は、ハンバーグを口に入れてから、炊きたての御飯を口に運ぶ。
――そうだ、こんな幸せな子供時代が、僕にも確かにあったんだ。
 感慨深くなって、僕は泣きたくなったが、相手は恐らく、中身が三十年後の僕だと知らないはずだ、そこはぐっと堪えた。

 食後、明日も今日と同じ時間に起きなければいけない僕が、一番に入浴を済ませた。九時のテレビニュースを少し見てから、タイガースの試合情報を携帯電話で確認しようとしたが、そういえば今日は月曜日で、野球は休みだということを思い出してやめた。
 そして、野球繋がりで、どうしても蓮の顔が浮かぶのだった。
――今度、東京での試合、チケットを取って見に行くか。
 当初は、この後、今日の塾でやったことの復習をしようと思っていたが、自室の机に向かって、問題集を広げてみても、どうにも彼のことが思い浮かんでしまうので、今日はやめてベッドに転がることにした。
 だが、午後十時、いつも十一時半から十二時の間に寝る僕にとっては早すぎる時間、眠気はまだほとんどなかった。その代わり、僕はこれからどうするべきかを考えることにした。
 与えられた時間は、一年。今日が二〇××年の四月一日だから、大学受験が終わった後、来年の三月三十一日まで。ただし、目的が達成されてしまえば、来年の三月三十一日になっていなくても、その時点でこの意識は消滅してしまうらしい。
 けれども、僕が蓮に対して後悔している大きな事柄は、一つではなく、二つある。一つはもちろん、『真実』を伝えられなかったことだが、もう一つ、変えてしまいたい未来がある。たとえ、この命を犠牲にしてしまっても。
――というか、未来を変えてしまって、大丈夫なのだろうか。
 再び、この時間軸に来てしまった事に関連する疑問が過ぎる。僕はこれまで、宗教や神や仏はもちろん、オカルトにも興味がなかったが、オカルト好きだった蓮が言ったことは、ぼんやりとだが覚えていた。
『なんでタイムトラベルしちゃいけないか知ってるか? 「過去」に行って、それをいじられたら、「現在」が変わってしまいかねないからさ。逆に、「未来」に行くのもよくねえ。それもまた、「現在」の改変に繋がりかねねえからだ』
 たぶん、そんな感じのことだった。
 しかし、僕はまた脳内で、その疑問をすぐに振り払った。それについて考えることは、やはり時間の無駄だ。僕が今考えるべきなのは、与えられた時間の中で、いかに最高の結果を残すかだ。
 後悔していることの二つ目、そのイベントは、来年の三月三十一日に起きたし、僕がそのイベントの結果に対する後悔をその理由の一つにして戻ってきているのだから、再び起こるのだろう。だから、死神は、その日を期限の最終日として設定したのかもしれない。
 問題は、一つ目だ。『真実』を伝えるタイミングだ。一年という長い期間を僕に与えてくれたのは、自分で言うタイミングを考えて言え、ということなのかもしれない。それは前回は発生しなかった、発生することがありえなかったイベントだし、いつそれが起こるか、死神らは言及しなかった。
――でもまあ、急ぐことはないか。
 今は受験に向けての準備が忙しいし、運動部に入っている蓮は、最後の大会も控えている。それらが落ち着いてからでも、遅くはないだろう。
 僕はそう決めて、ベッドから起き上がった。目覚まし時計は、まだ十時半を指している。机の上に、教材はまだ広げたままだ。やはり少し勉強してから、眠ることにした。


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