Clap
「遊びに連れてって!!」 幼い声がリビングに響く。そこには、仁王立ちをした影が2つ。
突然の申し出に、キッチンで調理中の俺とダイニングで朝食中の先輩は一度目を合わせてから、再び2つの影――睡蓮と加奈子の方に視線を向けた。
「ねぇ!遊びに連れてって!!」
最初の段階ではまだ顔だけでの反応だったが、2度目ともなると流石にそうもいかず。俺は手にしていた包丁を置き、朝食を食べていた先輩も箸を置く。
すると、それを待ってましたと言わんばかりに2人はそれぞれ口を開き始めた。
「秋は最近、わたしと全然遊んでくれないでしょ!私が成仏するまで面倒見てくれるんじゃなかったの?」
「いや、それは先輩が勝手に……」
「シャラップ!」
「そもそも加奈が全然家にいな……」
「シャーーラップ!!」
強い口調で加奈子が叫ぶと、先輩が食べていた朝食の食器がグラグラと揺れた。
ひっくり返ってしまってはいけいと思い、仕方なく口をつぐむ。
「華蓮も全然僕と遊んでくれないよね!毎日遊んでくれるって約束忘れちゃったの!?」
「そんな約束してな…」
「シャラップ!」
「大体、お前毎日他の連中と散々遊ん…」
「シャーーラップ!!」
またしても食器が揺れ、先輩も仕方なさそうに口を閉じた。
「つべこべ言わずに、僕たちを遊びに連れてって!」
「そう!私たちを遊園地に連れてって!」
俺の記憶の中では、睡蓮と加奈子といえば喧嘩ばかりしていたような気がするが。
少し見ない間に随分と仲良く――そして息の合うようになったものだ。
「……だ、そうですけど」
意見を仰ぐように視線を向ける。
先輩は少しの間を置いてから、面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「面倒臭ぇな」
そして、その表情のままを口に出す。
察するに、どうやら睡蓮と加奈子のゴリ押し勝ちのようだ。
「だって、よかったな」
「えっ!?今のオッケーなの!?」
「本当に連れてってくれるの!?」
どうやら睡蓮と加奈子は先輩の言葉から答えを察することができなかったらしい。
俺の言葉を聞いても信じられないというように、凄い勢いで先輩に詰め寄っていく。
「だからそう言ってるだろ」
いや、はっきりとそうは言ってないですよ。
とはいえ、睡蓮と加奈子にとってはそんな細かいことはどうでもようで。
「やった――!!」
遊園地に行けると分かった2人は飛び上がらんばかりに…実際に飛び上がってハイタッチをする姿は、なんとも微笑ましいものだった。
遊びに連れていって! 遊園地なんていつぶりだろう。
なんて考える暇があったのは、現地に辿り着いて入園ゲートをくぐるまでの間だだった。
「……も、もう歩けない……杖が欲しい…っ」
「年寄りかお前は」
とかなんとか言って、先輩だってちゃっかりベンチに座ってるじゃないですか。
涼しい顔に見せかけてますけど、しばらく動きませんって思ってるのバレてますからね。
「2人とも、はーやーくー!」
「次あれ!あれ乗るの!」
子供ってマジ凄い。
「幽霊の加奈はともかく、睡蓮はどうしてあんなに元気なんすか……」
「あの年頃は体力が底無しだからな」
底無し、正にそれだ。
幸か不幸か、この遊園地(というより、多分これは大規模テーマパークだ)が大鳥グループ経営であるために双月先輩より優待パスなるものを頂きアトラクションが乗り放題。
そのため、列に並ぶことなく数々の乗り物系を巡り、更には新感覚登山アトラクションなるものに挑戦し(これに体力を使う根こそぎ持っていかれたといっても他言ではない)、そして不定期で開催されているパレードに観覧。
入園から3時間、休むことなく動きっぱなし。とにかく動きっぱなし。
それなのに全く疲れを見せないなんて。
底無しどころか、体のどこからか体力が溢れてきてるじゃないかと思えてくる。
「もー!2人とも休んでないで早くってば!」
視線の先の睡蓮と加奈子は、仲良くお揃いのアイラブヘッド様Tシャツを着こなして、俺たちに向かって苛立ち混じりに手招きをしている。
加奈子はいつの間に服まで自由に変えられるようになったのかと思ったら、亞希さんが気を利かせてくれたとのことだった。例によって俺も勝手に服装を変えられたわけだが、その点はもう考えないようにしている。
加奈子はああやって普段と違う格好をしていると、きっと余計にテンションが高くなってしまうのだろう。睡蓮は格好そのものはいつも通りだが、加奈子とお揃いというところがテンションアップのポイントなのかもしれない。
「そうだよ!そんなんじゃ全部回れないでしょ!」
え、ちょっと待って。
気のせいだよな?
加奈子ちゃん今、全部って言った気がしたけど。ここのアトラクション全部って、30種類以上あるんですけど。
気のせいだよな?
お願いだから、気のせいだって言ってくれ。
「……勘弁しろ」
あ、これ気のせいじゃないな。
先輩の顔が凄いもん。多分、俺も似たような顔してんだろうな。
「ダメだよ!絶対全部回るの!」
―――ぜったいぜんぶまわる!
加奈子の言葉を聞いて、頭の中にひとつの言葉が流れ込んできた。
それは、まだ言葉もおぼろげなほどに幼い頃のものだ。家族で――父さんと、母さんと、兄貴と、それから桜生と。みんなで、遊園地に行ったときの、その記憶だ。
みんなで遊園地に行って、俺は桜生と2人で凄く意気込んでたんだ。
でも、本当に小さかった俺たちは乗り物系はほとんど乗れなくて。だから、その他のまわれる所は絶対に全部回るんだって決心して……頭を過ったのは、その時の台詞だ。
――それで、どうなったんだっけ?
「秋生」
「…はいっ?」
名前を呼ばれて顔を上げると、ベンチに座っていた先輩が立ち上がって歩き出すところだった。
先輩はなんだかんだ言って、加奈子も睡蓮も甘やかしてしまうのだろう。まぁ、前方で手を振りながらぴょんぴょん跳ねてる姿は実に可愛いらしいから、それも仕方ないことだ。
「どうした?」
「いえ…大したことじゃないんですけど。前に家族で遊園地に来た時に…今の加奈みたいなことを言って……それで…その先が、よく思い出せなくて」
「気になるのか?」
「…少しだけ。でも、凄く小さい時の記憶だから今思い出したのも奇跡的な気がしますし…これ以上思い出せないなら、それはそれでいいんですけど」
普通、2歳かそこらの記憶なんてまず残っていない。
それを思い出したということは、もしかしたらそれが俺にとってよほど印象的なことだったのかもしれない。そう考えると、やっぱり少し気になる気もする。
けど、俺にとって家族との思い出なんて数えるほどしかないから、本当はもっと思い出したくなってもいいはずなのに。何故か、それほど思い出したいとは思わなかった。
「先は長いからな。そのうち思い出すだろ」
先輩は一度俺の頭に軽く手を置いてから、そのままその手を差し出してきた。
睡蓮よりも加奈子よりも、一度甘やかされてるのは俺なんだろうな。なんて。
浮かれ気分になりながら先輩の手に自分の手を重ねると、伝わってくる超絶体温に疲れなんてぶっ飛ぶくらいに更に気分は浮かれるばかりだ。
***
「……つ、疲れた…!」
この台詞はもう耳にタコが出来るほど吐いた。
それは自分でも分かってるけど、でも口を開けば出てくるんだから仕方ない。
「ほら」
「あ…ありがとうございます」
先輩の手を借り階段を上りきり、ようやくドーム型巨大迷路のゴールまでたどり着いた。
出口を出て睡蓮と加奈子が夕日に照らされながらパンフレットを広げている。
「あの2人…まだ行く気なんですか?」
「子供の体力は底無しだからな…」
流石の先輩でもかなり疲れがきているようだ。発せられる言葉にどことなく力がない。
あれから数々のアトラクションを回ったが、その殆どが体力を駆使するようなものばかり。向こう3年分くらいは運動したんじゃないかと思うほど歩いたり走ったりして、いよいよ限界が近い。
というか、こんなハードなアトラクションばっかで、孫と一緒にじいさんばあさんとか来たらどうすんだよ。絶対に最初の2つくらいでノックダウンだろ。もっと老若男女が全般的に楽しめる仕様にしとけ。
「まぁでも、いい加減帰らないとな」
先輩はポケットからスマホを取り出して時間を確認すると、そう言って睡蓮と加奈子の方に視線を向けた。
「やだ!まだ帰らないよ!!」
「全部回るって言ったでしょ!」
どうやら2人ともパンフレットに目を向けつつも、こっちの会話は聞いていたらしい。
先輩が目を向けるや否や、揃って顔をしかめて声をあげた。
「全部回れるわけないだろ。あといくつ残ってると思ってるんだ」
「19つだよ!それくらい頑張ったら回れるでしょ、華蓮の根性なし!」
いやいや、無理だろ。
今の今まで頑張って半分もいってないのに、それを残り全部って。夜通し営業しているとでも思ってるのか。…仮にしてたとしても、朝まで頑張っても絶対無理だって。
「出来るわけないだろ」
「やーだー!まだいるもん!」
「お前ら…」
ああ、やばいぞ。
2人とも、この辺で引いとかないと納屋行き確定だぞ。
「言っとくけど、納屋なんて怖くないからね!」
「そうだよ!怖くないもん!」
そこまで想定済みでそれでも粘るのか。
2人して絶対にここを動きませんって顔をして、一体どうしてそこまで強情になるんだろうか。
「意地になるな。今日全部回らなくても、また来ればいいだろ」
膨れっ面の睡蓮と加奈子の方に歩み寄り。
先輩はどこか呆れたようにそう呟いた。
ーーまた来ればいいだろ。
頭の中に、また記憶が流れてくる。
ああ、そうだ。
あの時も結局、全部は回れなくて。
帰りたくないと駄々を捏ねた俺と桜生に、兄貴がそう言って。
「え?…それ本当?」
「…また、連れてきてくれるの?」
「ああ」
「嘘じゃないよね?」
「本当に本当?」
「だからそう言ってるだろ」
睡蓮と加奈子が、先輩に詰め寄っていく。
「じゃあ、指切りして!」
そう小指を差し出す加奈子の姿が、自分と重なった。
ーーゆびきり!
兄貴に指切りしてもらおうとして、小指を差し出した。
また絶対連れてきてくれるって、約束してもうらろうとしたんだ。
ーーしゅーせい、あれみて!
ーーえっ、なに?
でも。
「加奈!あれ見て!」
「え?…わぁ!すごーい!!」
睡蓮に呼ばれ、加奈子が差し出していた小指が先輩の前から消えた。
2人に釣られ視線を移すと、今まで回ってきたアトラクションの数々が光輝いているのが目に入った。これから夜にかけて、イルミネーションとして園内を明るく照らすのだろう。
「ああ…そうか……」
あの時と、同じだ。
桜生に呼び止められ、俺は兄貴に向かって差し出していた手を止めた。
そのまま結局、約束はできなくて。
それから、家族で遊園地に来ることはなかった。
「…何か思い出したのか?」
イルミネーションに夢中になっている2人の隣で、先輩が視線だけこちらに向けた。
「……指切り…しなかったから」
「指切り?」
近寄ってきた先輩の、手に視線が行く。
加奈子の差し出した指を取ることのなかった、その手に。
「兄貴がまた連れて来てくれるからって言ったとき、指切りしようとしたんです。でも、しなかった。…だから、来られなかったのかなって……」
もしもあの時指切りをしていれば、約束は果たされただろうか。
それは分からない。
ただ、指切りをしなかったことに少しだけ後悔があって、それがずっと頭の奥底にあって。
だから…思い出したくなかったのかもしれない。
「……加奈子も、指切りしなかったから」
それが、あの時の自分と重なって。
もしかしたら、もう来られないんじゃないかなんて思ってしまう。
きっと、そんなことはないんだろうけど。
あの時と同じようになってしまうんじゃないかと。
どうしようもなく、不安になる。
「秋生」
見上げた視線の先に、先輩が手を差し出していた。
「…してくれるんですか?」
あの日、俺が兄貴と出来なかった約束。
それはもう二度と、叶えることも…約束することすることさえ出来ないけど。
今、加奈子が先輩としなかった約束は。
俺にもまだ、することが出来る。
今度こそ、ちゃんと。
途中でやめてしまわないように。
同じように差しだした手に先輩の小指が絡み、そしてすぐにその指が切られた。
「約束だ」 そのまま抱き締められると、先程までの不安が嘘のように消えていくのを感じた。
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