Long story
佰拾玖くーーーカウント、
どうしようもなかった。
秋生にはもう良狐を大きくして乗せてもらう力はない。同じように叫んでいる様子から、琉生にも結界でどうこうする力はないのだろう。
このまま地面にぶつかって死ぬのか。そもそも地獄で死んだ場合、死んだと見なされるのか…もしかしてワンチャンあるんじゃあ?
あまりに長い滞空時間の中でアドレナリンが出まくっているせいか、秋生の頭の中では無駄にポジティブな思考が巡る。
けれど喉から自動的に飛び出してる叫び声は、全く止まらなかった。
「その手を離すなよ」
え?
赤色が目の前を通り、無意識に叫んでいた声が止まる。それが髪の色だと認識した時、琉生の体を掴むその姿が視界に入った。
誰かがそこにいる。
「ま…ゆ……ッ!?」
琉生が目を見開いた。かと思うと、ぐんっと重力に従って逆さまになっていた体が反転するのが見えた。そうすると、その腕を握っている自分の体も自ずとぐるんと反転する。
すると、琉生の身体を誰かが支えていて、それと同じように自分の身体を琉生が支えているのだと分かった。頭から落下していた状態から、足から落下している状態へと変化している。
「華蓮!」
誰かが呼んだ名に反応し、秋生は思わず下を見た。
相変わらず凄まじい速度で急降下している中ーー地面に、誰か姿が見える。ほぼ点のような状態であったが、それが華蓮であることはすぐに分かった。華蓮はこちらを見上げ、その名を呼んだ誰かに向かって頷いた…ような気がした。
「……うわ!?」
ぼんっと、突然足に衝撃を感じて跳ねた。
急降下の状態から、再び上へと向かう。しかし速度はそこまでの速さではなく、それはトランポリンを跳んだ時のものに似ていた。
一定まで上がり、そしてまた落下する。その速度もさっきまでとは比べ物にならない程にゆるやかで…そしてまた、先ほどよりも下の位置で跳ねる。
これは…トランポリンの階段とでも言えばいいだろうか。何度も繰り返し、確実に地面へと近付いて行く。自分一人ならば確実にどこかでバランスを崩していたが、琉生に身体を支えられていた為に一度も足を踏み外すことはなかった。そうして最後までスムーズに跳ね……地面に着地することが出来た。
「今度こそ一生分動いた」
どさっと、一番に地面に腰を下ろしたのはーー国会議員秘書の真柚だった。
どうしてその隣に当たり前のように亞希がいるのか。秋生はそれが不思議で仕方がなかった。
「……真柚?どうなってんだ?」
「どうって…突然2人が空に現れたから、この子?人?に私を使ってもらって捕まえて、華蓮に道を作ってもらったんだ」
真柚はそう言いながら一度亞希を指差し、そして華蓮を差した。
それに対して亞希が「名前で呼べ」と返している様がなんとも親しげで、秋生は更に不思議に思う。琉生の言うとおり、どうなっているのだ?という気持ちだ。
「いや…うん。それは分かってんだけど……何で一緒にいんだよ?」
「そんなことは琉佳さんに聞け。お前達だって意図して一緒になった訳じゃないだろう?」
「……うん、だから。そうなんだけど、そうじゃなくて……」
もしも地獄に来る前に同じ状況に遭遇していたら、秋生はここまで困惑しなかったかもしれない。しかし、先ほど過去の記憶を見たばかりでーーだから、秋生には琉生が困惑している気持ちが良く分かった。
真柚にとって華蓮が今、どういう存在であるのかは分からない。ただ少なくとも華蓮にとって真柚は、一度あっただけの他人のような存在……であった筈だ。
「別に何も変化はない。ただ、たまたま飛ばされた場所が同じだったから一緒に行動していたというだけだ」
戸惑っている琉生の心情を察したのだろう。真柚は至って澄ました様子で、華蓮と一緒にいたことについてそう簡単に説明した。
何も変化はない。
その言葉が、妙に寂しく感じてしまう。それは琉生も同じだったようで、少しだけ複雑そうな顔をしていた。
「……何か気になることでもあるのか?」
「えっ…いえ、何も。全然何も」
秋生はこの少し寂しく感じる気持ちを華蓮に話すことは出来ない。だから華蓮の問いかけに大きく首を振ったが、それが逆に不振に思われたことは華蓮の表情を見れば明らかだった。
真柚と話していた琉生が明らかに呆れたような顔をしたのが、横目でちらと見えた。それ程、秋生の態度が不振だったということだ。
「まぁ、俺も同じだからな。問い詰めるのはやめておくか」
「え…先輩、俺に何か隠してるですか?」
「ああ」
「何でそれ、わざわざ言うんです?俺なんて、言われなきゃ絶対に気付かないのに」
そして隠し事があると言われてしまうと、それがとても気になる。
そもそも隠しているからこそ隠し事なのに、隠していると言ってしまっては隠し事といえるのか。まぁ、内容を教えて貰えなければどのみち隠されていることに変わりはないが…何だか腑に落ちない。
「気になって仕方ないだろ?お互い様だ」
「な、なんて性格の悪い…!」
「知ってる。ちなみにお前はカマでもかければポロっと言いそうだが、俺は墓場まで持って行くから一生お前が知ることはない」
「うわぁっ、天性の性悪っ!!」
分かっていたが、叫ばずにはいられなかった。
そして、ここで自分も絶対に口を割らないと言いきることが出来ればいいのだが。カマをかければ言ってしまいそうなことを否定できない自分が憎い。
だがやはりーーこればっかりは、どんなことがあっても言うことは出来ない。だから、自分も絶対に墓場まで持っていく。
そもそも、墓場に持っていかずともこの地獄を乗り切れば、ここに置いていくことになるのかもしれないが。ならばなおの事、隠し通さなければならない。
「まぁいいです。一緒に死んで次に地獄に来た時に思い出したら、再度問い詰めることにします」
「天国に行くという選択肢は……まぁ、ないか」
「でしょ。俺は先輩と一緒ならどこでもいいですので、地獄でも全然オッケーです」
「一緒に死んだとしても、地獄で一緒になるとは限らないけどな」
「例え別々になっても自慢のストーカー力を駆使して速攻で見つけますので。安心して下さい、逃がしませんよ」
「……本当にどうしてお前は、そういうことは恥ずかしげもなく言えるんだ?」
「え?」
秋生は自分の言葉に恥ずかしさを感じる節があったとは微塵も思っていない。だから、華蓮がどうして少し不思議そうな、それでいて呆れたような顔をしているのかよく分からなかった。
そして先ほど横目で見た時に呆れたような顔をしていた琉生が、今度はすさまじく嫌そうな顔をしている。その理由も、秋生には全く分からなかった。
「何で俺がこいつらのいちゃついてる様を見せられないといけねぇんだよ。他所でやれ」
「いちゃついてる会話にしては色々とぶっ飛んでいるような、いないような…」
「会話の内容なんてどうでもいいんだよ。ったく、俺の可愛い弟に…」
「その可愛い弟を盾にしてたくせに、何言ってんだ」
秋生は忘れてはいない。
スライム状の水に呑み込まれる直前、琉生が自分を盾にしてスライムから隠れようとしたことを。
「そうなのか?」
「だ…だって仕方ねぇだろ。どろどろした赤いスライムが襲って来たんだからよ」
そう言われると。そのスライムを全身で被った割りに、身体はびしょ濡れながらもどろどろはしていないなと秋生は気付がついた。
そして、溢れだした筈のそれも今はもう周りにはいなくなってーー池に貯まっている。それもひとつだけではなく、そこら中にある無数の池に貯まっているようだった。
「……赤いスライム?」
「そうだよ。下に変な祭壇?みてぇなのがあって、それに触ろうとしたら急に天井から降ってきたんだ」
琉生がそう説明した。
途端に、真柚が複雑そうな顔をする。華蓮を見ると、同じように複雑そうな顔をしている。
「それって、ちょっと小汚ない青色の結晶が置いてある…?」
「何で知ってんだ?もしかして、真柚も同じもん見たのか?」
「………番号が彫ってたりしたか?」
「ああ。@って」
真柚の問いに琉生が答える。
またしても途端に、真柚と。それから華蓮。2人はどうしてか、罰の悪そうな顔になった。
「どうかしたんですか…?」
不思議に思い、秋生が問いかける。
すると真柚と華蓮は一度目を合わせて、明らかに変な顔をした。
「いいや、何でも」
声が揃う。
先程の秋生以上に、嘘を吐くのが下手くそだった。
真柚はどうか分からない。けれど、こんな華蓮は至極珍しい。
「その顔は何……まさか、Aって彫ってあったのに触ったんじゃねぇだろうな?」
「…………」
さっと、真柚の目が左に。華蓮の目が右に逸れる。2人とも何も答えなかったが、それは無言の肯定に等しかった。
「……で?」
どうなったのか?
と、そこまで聞かなくても答えろと言わんばかりの目で睨み付け。琉生が詰め寄る。
「池に貯まってた赤い水が…」
「全部抜け落ちていった…」
確信犯、ここに在り。
「まーゆーずー!!お前が一緒にいながら何やってんだよッ。そういうのアホなことすんのは幸人の役目だろ!?」
「華蓮先輩もっ。いっつも俺に得体の知れないものを安易に触るなとか怒るでしょ!何してんすか!?」
多分、というかほぼ確定として。秋生と琉生が謎のスライムに襲われたのは、華蓮と真柚がAの結晶に触ったか動かしたかしたせいだ。
もしも秋生と琉生が@に触れた後であったのなら状況はまた変わっていたかもしれないが…今さらそんなことを思っても後の祭り。秋生と琉生が酷い目に遭った事実は変わらない。
「そこにそれがあったから」
「そこに山があったからみたいに言うな!」
華蓮と真柚が真顔でそう言った言葉に、秋生と琉生が声を揃えて返す。
全く困った兄弟だな、とそれは口に出せないので胸に秘めたわけだが。きっと、琉生も同じ事を思ったに違いない。
「まぁ…結果としてそれがあったから合流できたと思えばいいんじゃないか?」
「いいわけあるか!あんっな、どろどろ……ああ…気持ち悪ぃ………」
琉生は何かを思い出してゾッとしながら両腕を抱えている。きっと宇宙人との一件というのがかなりのトラウマなのだろう。
そして真柚が苦笑いを浮かべながらその背中を擦っているの姿から、仲の良さが伺えた。
「別にどろどろなんてしてないけどな」
「せ、先輩…よく普通に触りますね」
華蓮はしゃがみこんで、まるで普通の水に触れるように池に手を突っ込んでいた。それを見て、秋生は思わず顔をひきつらせた。
秋生は琉生ほどスライムに抵抗があるわけではない。しかし、それでも襲われた後では自ら触れようとは微塵も思わない。
「触るも何も、最初に落ちたのもここだ」
「あ、そう言えば。先輩もずぶ濡れですね」
「お前はスライムに襲われたって割に、普通にずぶ濡れだな」
華蓮が秋生の髪に触れる。そう言われてみると、確かにスライム状のものに全身を覆われたのにただ濡れているぬめりがない。
そんなことを思っていると、髪に触れた華蓮の手が何気ない手付きで頬を撫でる。手から微かな体温を感じると、妙に安心した。
「だからそこ!いちゃつく……はぁ!!?」
「……兄貴?」
こちらに向かって琉生が荒々しく放った言葉は、途中で叫ぶような声に変わった。
そしてさあっと、顔を青くさせる。
「ふうん。あれは確かにスライムだな」
「は?」
血の気の引いた琉生とは一変して平静な真柚は、腕を組んで納得したように頷いた。その視線は、華蓮と秋生……ではなくその背後に向いているようだった。その視線の向いている方へ、2人は同時に振り返る。
「わぁぁっ!」
「なるほど…」
秋生は声を上げ思わず華蓮にしがみつく。華蓮は真柚と同じように、納得した表情を浮かべている。
その先にはーー池からボコボコと溢れ出している赤い水が、何かの形を成そうとしているのが目に入る。それは正に先程まで秋生と琉生が対峙していたスライムそのものだった。
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