Long story
佰捌━━━夢の外で
目の前に現れたのは、比較的最近の記憶だ。
ソファに座り、食いつくようにテレビを見ている自分。隣には華蓮がいた。
いつもは春人と桜生、そして睡蓮と一緒に見るドラマだったが。この日は実家に帰っていたり、「そうだ、京都に行こう」のノリで京都て弾丸旅行に行っていたり、眠いからと寝てしまったりで他の面々がいなかった。そのため秋生も録画をして後から見ようと思っていたが、ゲームをしようとやってきた華蓮が一緒に見てくれるということでリアルタイムで見ることになったのだ。
これは第5話辺りだろうか。
料理をしている女性の背後にぬっと、髪の長い女が現れる。顔はよく見えない…かと思うと、突如女がグワッと口を開いて女性の首にガブリと噛みついた。
「うぉおおお!」
紐が絡まる。
映画鑑賞の如く実に危機感なく記憶を見つつ、カレンが服の胸ポケットから出してきた毛糸のわっかであやとりを始めてから数十分。永遠と続くのではないかと思われる程にスムーズに進んでいた2人あやとりは、悪霊が悪霊に驚かされやむなく終わりを遂げた。
あやとりといえば、幼い頃に家で誰かとしていた記憶しかないが…意外と覚えているものだ。しかし不思議なことに、一体誰とやっていたのかはよく思い出せなかった。おおよそ、その辺の害のない霊や妖怪だったのだろう。
「いや何でお前が驚くんだよ。同類だろ」
秋生は絡まったあやとりをほどき、カレンへと手渡す。どうしてこんなものをポケットに常備しているのかは不明だが、何だがますます悪霊感に欠けるなと思えて仕方がない。
そればかりか、悪霊が悪霊に縮み上がる姿など、もう色々と突っ込み所が満載だ。
「こっ…こんなのと一緒にしないでよ!僕こういう、おぞましいもの苦手なんだからっ!」
「いやお前も相当おぞましいで有名だからな!?」
ぐちゃぐちゃと首を噛み散らかすその様は確かに相当おぞましく、初見の秋生も悲鳴に似た声をあげて華蓮にしがみついていた。
しかしながら、画面の中の女と同じ悪霊であるカレンが秋生と同じように驚くのはいかがなものだろうか。そもそも、今でこそ人間のようなカレンだが。最初の頃は相当気色悪いとか、おどろおどろしいとか…そういう印象が強かったように思う。
「何でこんなもの好き好んで見るかな!」
「ヘッド様が歌ってるからに決まってんだろ。ほらもうすぐ流れるぞ、ちゃんと聞いてろ」
「聞かなくても知ってるよ。うちにもCDあるし…そういえば、あのCDに写ってるの君でしょ?」
「………何の話かな?」
自分でも何と無理があるしらばっくれ方だろうと思った。案の定「酷いはぐらかし方だね」と少し呆れ気味に言われてしまった。
「華蓮は普段の自分とヘッド様の時とを同一視出来ないように結界を張ってるけど、あんなので騙せるのはせいぜい人間と上級霊程度だよ」
「……お前は上級悪霊じゃないのか?」
「僕は最上級Sクラス悪霊。上級は…そうだね。この前君たちを双子が襲いに行ったでしょ?あれくらいかな」
あれは、秋生が初めて尻尾を出した時のことだ。その時のことはよく覚えている。
しかし秋生はその他の悪霊と直接対峙したことがないため、それが上級と言われてもいまいちピンとはこなかった。
「…つーか、何でCDなんて買ってんだよ」
「お母さんが好きだから」
「は?」
「すっごく癪だけど…まぁ、僕も歌は嫌いじゃないし。勉強のBGMには丁度いいからね」
果たしてshoehornの曲に勉強のBGMになるような曲があったかと秋生は考える。少し考えて答えは出なかったのは、それは保留にすることにした。
それよりも、どうして癪なのにそのままにしておくのかということの方が気になった。
「……そういうの、お前のマインドコントロール的なので自由に操れるんじゃないのかよ」
「確かに出来るけど…好みや人格まで変えちゃったら、それはもう違う人間でしょ。僕が華蓮から奪いたいのは華蓮の知っているままの存在だから。別人になったら意味がないよ」
カレンは常々「華蓮から奪う」ということに尋常ではない程の執着を示している。その中ではきっと、そこも譲れない拘りなのだろう。
秋生には、その信念とも取れる程の執着が全く理解出来ない。
「あ」
ゆらりと、記憶が揺れる。
女の霊が人の首に食らいつく様がぐにゃぐにゃと揺れる様は、また一段と気持ち悪く見えた。
何もなくなった場所から歩き始めると、また違う記憶が見えてくる。そうして何度も、アルバムを捲るように記憶を見ている。
「さて、次はどんな記憶が出るかな」
「何楽しんでんだよ」
「まぁ、君の間抜けな姿を見るのは悪くないからね」
確かに、間抜けであることに違いはない。
だが、これまで見てきた記憶の中では、それ程に間抜けな様子を晒していたものはなかったんはずだ。幼い頃に1人でいた時のものか、家で料理を作っているようなものばかりだった。
「間抜けな所なんてなかっただろ」
「でも間抜けでしょ?そうに決まってる」
「何でそんな確信めいてんだよ!」
「そりゃあだって、君はお…」
どうっ。
と、背中から生暖かい風が吹き付けた来た。
「!!」
咄嗟に振り返る。
しかし、そこには何もない。
「随分と遠くまで、逃げてきよったなぁ」
背中から生ぬるい声がした。
ゾクッと、背筋にうすら寒さを感じる。
「きっ…気持ち悪っ」
「お、お前にもこういう気持ち悪さがあんだぞ!」
「冗談でしょ!僕はこんな…うわっ!?」
ずるっと、地面から手が伸びてきた。カレンはそれを華麗に避ける。しかしすぐさま、地面から頭が、そして体が這い出して来た。
その姿を見たカレンはゾッとしたような顔をして、一目散に走り出す。
「うぁあっ。気持ち悪いぃいッ!」
「だからお前!人のこと言えねぇから!!」
これまで自分が生んできたものたちをまともに目にしたことがないのだろうか。それとも、自分が産み出したものはどれ程醜くとも親の贔屓目的に可愛く見えるのだろうか。
なんてことを考えている場合ではない。秋生はカレンの手を取って走り出した。
「もう逃がさへんよ」
「っ!…うっ、わっ!?」
「ちょっ…!?」
こんな時にも。
耳元で声がした瞬間、何もない場所に躓いた。しまった、と思った時にはもう遅い。
秋生が前に倒れ込んでしまうと、手を引いているカレンまでもが道連れになる。ドサッと、思い切り地面に転がったのは久々な気がした。
「いってぇ…」
「ちょっと、しっかりし…痛っ」
転がった拍子に足を挫いたのか、カレンは顔をしかめながら自分の足首を触っていた。これはどう考えても秋生のせいだ。
どうやらかなり痛むようで、立ち上がろうとしたカレンは苦痛そうな表情を浮かべている。先に立ち上がった秋生が手を差しのべると、すんなりとその手を取った。
「ごめん。立てるか?」
「ありがとう。これくらい平気」
まさか、この悪霊相手に謝ることがあるとも思っていなかった。ましてや、こんなに素直に礼を言われることがあるなんてもっての他だ。
しかし今は、そのことについてあれこれ考えている暇はない。いち早くこの場から逃げ出さなければ。
「今度こそ、捕まえた」
立ち上がったばかりのカレンの背後に、ぬるっと夢魔が顔を出した。
「しまっ━━」
あ、と。
声を出すよりも更にその背後の動きは速かった。
ひと振り。目では追えない。
「!!?」
容赦のない一撃が、カレンの背後に出てきた夢魔の頭にぶち当たる。ゴリッと、削るようなえぐい音が耳に響いた。
「な…」
「先輩……!」
吹き飛んだ夢魔が消えたことで、その姿がよりハッキリと見えた。カレンが目を見開き、秋生は思わず声をあげる。
華蓮はバットに付いた邪気を払うように軽くもうひと振りすると、飛んでいった夢魔からこちらへと視線を移した。
「大丈夫か?」
「はい、俺は何ともないです」
「俺は?」
「え?…あっ、あ!」
自分で意識していたわけではないが、頭の片隅にカレンを転ばしてしまったことが残っていたのかもしれない。無意識の言い回しを華蓮に否定されて、その時気が付いた━━思い出したと言った方が正しいかもしれない。
自分が一緒にいる相手が誰か。それが、華蓮にとってどういう存在か。
ハッとして、思わずカレンの腕を引き自分の背中に隠すようにした。突然のことに「痛っ」と苦悶の声が聞こえる。
「ちょっと…足痛いんだけど」
「ああ、ごめんつい…じゃない。色々とじゃない!」
そもそも一緒にいる所を見られた時点で何かと気まずい。普通に会話をしている所も。そればかりか、咄嗟に庇うような行動を取ってしまったとこは自分でも意外だった。
仕方がなかったこととはいえ、しばらく一緒に行動して話をしたせいですっかり頭が混乱している。そんなことではいけないと分かってはいるのに。
「……別に殺しゃしないし、そっちだってここで僕を殺したら出られなくなることくらい分かってるよ」
カレンが自分のことを心底憎み、出会えば消されると分かってる存在を前にして冷静なのは、華蓮がそれをしない分かっているからだ。何とも思っていないように、普通に前に出てきた。
だからと言って、秋生がその相手と馴れ馴れしくしているのをよく思うわけもないだろう。どういう態度でいればいいのか、やはり混乱してしまう。
「確かにそれもその通りだが。もう少し塩らしく出来ないのか、お前」
「は?」
「え?」
「まぁ、何でもいい。あれが戻ってくる前にさっさと出るぞ」
きょとんとした顔をしたのは、秋生もカレンも同じだった。
まるで気にもしていないように、華蓮はポケットから紙切れを取り出している。そんな華蓮を前に、秋生とカレンは思わず顔を見合わせた。
「………何であんなに普通なの?」
「………分からない」
数年前に名を奪われ、家族を奪われたその日から。
華蓮はずっと、目の前にいるこの相手━━鬼神カレンを、葬ることを考えなかった日はないはずだ。一時、恨みに取り込まれそうになる程、憎んでいたはずだ。
月日が流れ、環境が変わり、心境の変化があったとしても。カレンを消し去り、家族を取り戻すということだけは揺るぎなく変わらずにあるはずだ。
ついこの間も。
秋生がかつて住んでいた家に、華蓮の家族がいたのを見たばかりだ。笑っている家族の中に、カレンがいるのを見て苦しんでいた。
そしてやはり、絶対に取り戻すと再度強く誓っていた。
「秋生」
「あ、はい」
「お前も、秋生の手を離すなよ」
「……分かった」
今ここで、カレンを倒すことは出来ないと分かっていたとしても。それ程までに憎んでいる相手に…果たして、こんなにも普通に接するとこが出来るだろうか。
これもまた…心境の変化、なのか。もしそうならば、一体何があったのだろう。
差し出された手を取りながら、秋生は少し不安になって華蓮を見上げた。明確に何がどうして不安になったかは分からないが、何となくとても不安になった。
「……別に何も変わりはしない」
「え?」
秋生の不安を悟ったように、華蓮はちらりとこちらを見てそう言った。
変わらないというのは、一体何を示しているのか。もう少し具体的に言ってもらわないと、秋生にはまだ分からない。
「お前を助けるためなら、塩くらい幾らだってくれてやる」
「は?え?……塩…?」
具体的に説明されたのかもしれないが、それでも秋生には分からなかった。
そんな秋生を他所に、華蓮はポケットから取り出した紙切れを勢いよく裂いた。ビリっと音が鳴るのと同時に、上から光が差し込んでくる。
「……君って本当に馬鹿だね」
「え」
頭上高くから光が差し込んでいるだけで、それ以外は特に何の変化もない。それなのにどうしてか、どこかへ吸い込まれているようなような感覚がする。
そんな中で、カレンがそんなことを口にする。視線を向けると、本当に呆れたと言わんばかりに溜め息を吐いていた。
「まぁでも、いいよね。……愛されてて」
それから、カレンは吐き捨てた。
誰に向かってでもなく囁くように小さい声で「羨ましい限りだよ」と。
「何言っ…」
ゆらりと、カレンの背後に影が写る。
「逃がさへんて、言うたやろ?」
「ッ!?」
「あ」と、秋生が声を出すよりも早く、ガシッと夢魔の両手がカレンに絡み付いた。その手は瞬く間に数本、十数本と増えていきカレンをがんじがらめにしていく。
カレンはその場から動けない。その手を掴んでいる秋生は、吸い込まれるような感覚から引っ張られるような感覚へと変わっていく。
自分達はまったく動いていないが、確かにどこかに行こうとしている。しかし、カレンが動けず、その手を秋生が握っていることでどこかに行こうとしている力に逆らってしまっているのだ。
「………やれやれ、悪事のツケが回ってきたかな」
カレンは苦しげな表情を浮かべながらも、どこか余裕を醸し出すような発言をする。
「何悠長なこと言ってんだよ!」
「……さっさとその手を離しなよ」
「はぁ?」
「あくまで狙いの主体は僕、君は夢魔が拾ったおまけみたいなものだから……一度ここから出て華蓮にでも兄さんにでも守ってもらえば、君がこれ以上影響を受けることはない」
互いに握っていた手を、カレンはほどく。
しかし、秋生はそれを離さなかった。
「それじゃあお前、どうする気だよ!」
「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ?さっさと離して、出られなくなるよ」
この手を、離して。
……それは。
「嫌だ」
「はぁ?何馬鹿なこと言ってるの?」
「絶対に嫌だ!」
秋生の手を振りほどこうとするカレンの手を強く握る。
言葉通り、絶対に離すつもりはなかった。
「ちょっと、いい加減にしてよ!君、僕が何か忘れたの?今の僕がどう生まれ、何をして、どんな存在であるかを忘れたわけじゃないでしょ!?」
「それは…っ」
忘れた訳ではない、決して。
「ほら、分かったでしょ!僕が助けられる理由はないんだよ!」
確かに、そうかもしれない。
この手を離しても、何も悪いことなどない。そればかりか、ずっと縛られ続けていた枷から解放される。
しかし、本当にそうだろうか?
それでいいのだろうか?
どうしてそんな風に思うのか、その時の秋生には分からなかった。けれど、そんな疑問を抱いた時、その疑問は同時に答えだった。
「………うるさい。そんな理由なんて、知ったことか!」
やらぬ後悔よりやる後悔。それとは少し違うかもしれない。
けれど、今ここでこの手を離せばそれがどんなにいい結果を生んだとしても、どこかで絶対に後悔する。そんな確信があった。
もし仮にここで助けたとして、それが後に自分たち━━周囲への災難への先駆けとなってしまったら、その時は全力で謝る他ない。許してもらえなくても、きっと、後悔はしない…と、思う。
「何━━━お…ねぇ……ん…?」
色々と考えを巡らせ再び見た自分にそっくりな顔は、虚を付かれたような表情だった。囁かれた言葉が、なんと言っているか分からない。
しかしそんな表情も一瞬のこと。今度は、苦悶の表情に変わる。
「うっ、あ━━━━」
一体、
何がそんなに苦しいのか。
何にそんなに怯えているのか。
何がそんなに辛いのだろう。
「━━━━僕はいつだって愛されない。だから誰からも選ばれない」
「は?」
苦痛の表情を浮かべていたカレンが、急に静かに呟いた。それはどこか、自分の中で納得したような口振りだった。
秋生が顔をしかめる。改めて何かを確信したような顔、真っ直ぐに向けられた目とかち合う。
哀情?愁傷?悲歎?
それはどれも、怨み辛みとは違う感情のように思えた。今まで見てきたどんな霊からも感じたことのない、人としての感情。
「……結局そういう運命だったってこと。いいから、さっさと離して!」
再度、秋生の手を振りほどこうとする。
桜生の怪力がそのまま反映されているらしく、その力は凄かった。しかしそれでも、秋生は食らいつくようにその手を握っていた。
絶対に、離すわけにはいかない。
「…お前は間違ってない」
「え…?」
華蓮の声に、秋生は振り返る。
もう片方の互いに握っている手の中に、引き裂かれた紙を握らされた。
「そのまま、絶対に離すなよ」
華蓮の手が、自分の手から離れる。
「あ…っ」
先程と同じだ。
カレンの背後にいる夢魔へと、一撃が振り下ろされる。目で追えない速さで、風を切る音がした。
「…しゃあないなぁ、兄ちゃんで勘弁したろ」
先程とは違う。
今度は受け止められた。華蓮はそれが分かっていたようで、特に反応はしなかった。
同時に、ずるずるっと這うようにカレンに絡み付いていた手がほどけていく。
逆らっていた力がなくなり、あっという間にどこかにへと体が向かい始めた。
「なっ…!?」
「せ、先輩…ッ!」
手が、届かない。
体がどんどん、光へと吸い込まれていく。
今の今まで、そこにいたのに。
一瞬で、こんなにも遠く。
「華蓮先輩…!!」
遠く、やがて、見えなくなってしまった。
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