Long story
佰ーー□□□
「華蓮、華蓮」
声がした。誰かが自分の体を揺すっている。それよりもっと遠くで、ビー!っと叫ぶような音が聞こえるような気がしないでもない。
しかしそんなことはどうでいい。今は、目覚めかけた脳を再び眠りに誘う方が優先だ。
「かーれーんー!」
今度は耳元で叫ぶような声がするが、華蓮は目を開けることなく手探りで布団を探して頭まで被った。
その時に、ビー!っと叫ぶような音は、目覚まし時計がトチ狂った音だと気が付く。しかし、それをどうこうしようとは思わない。
今ならまだ、夢の中に戻れる。
「起きろ、華蓮っ」
うるさい。
「華蓮!」
ああ、うるさい。
すぐそこに夢があるのに、今なら寝られるのに。
「か、れ、ん!!」
――――ああ、もう。
「うるさいっ」
「!」
振り上げた拳がバシッと受け止められた。ギリッと握られ、腕に痛みが走る。
まだ夢現。ぼうっとする頭で見上げると、人の眠りを妨げようとする敵が立っていた。倒す他ないと、本能が言っている。
「ぶっつぶす」
そして寝る。
「また部屋を壊す気か?」
「うるさい」
ぐっと力を入れて腕を握る手をほどこうとするが、びくともしなかった。
華蓮は布団を退けてベッドの上に立ち上がる。見上げていた視線を見下ろす形になると、その相手は少しだけ呆れたように溜め息を吐いた。
「まぁいいか。どうせ直ぐに直るしな」
パッと、手が離れる。
目の前の敵と、その背後でトチ狂っている目覚め時計と。邪魔な存在をどちらも叩きのめす。
ちょっともう頭が覚醒し始めている気がしないでもないが、けれどまだ間に合う。今ならまだ、目を閉じれば夢の中に行ける。
絶対に二度寝する。
そう心に誓い、華蓮は勢いよく飛びかかろうとベッドを蹴りあげた。
夢とは儚いものだ。
首根っこを掴まれ廊下をずるずると引きずられながら、そんなことを思う。華蓮の頭はもうすっかり冴え渡ってしまっていた。
「別に学校があるわけでもないのに、何で早起きしなきゃいけないんだよ」
「放っておくと昼まで寝ているからだ。いずれは学校に行くんだから、今のうちから慣れておかないとな」
「その頃にはすっと起きれるようになってる」
「そりゃ立派だな。それが口だけじゃないと約束できるか?」
華蓮はその問いが聞こえなかったフリをした。それからすぐに「ほらみろ」と呟かれた言葉も同じように、聞こえなかったフリをした。
廊下を引きずられていると、通りがかった幽霊たちが「またか」「やれやれ」と口々に呆れたような声を出しているのが聞こえる。全くもって、こんな寝覚めの悪い朝はない。
「華蓮、おはよう。今日はちゃんと起きたのね」
「…おはよう」
引きずられいるのを前にして「ちゃんと起きた」というのは如何なものかと思わなくもないが。この時間に起きてくる際、こうでなかった試しがないので睡華にとってはこれで合格点なのだろう。
リビングに入りようやく首根っこを離されて自由になった華蓮は、そのままダイニングテーブルへと移動した。ダイニングテーブルに狸の置物が腰を据えているのは、この家では当たり前のことだ。
「今日はどれくらい壊した?」
「部屋が半分失くなった。直してくれるか?」
「いいよ、手伝って」
「分かった」
狸の置物が人の姿に変化し、揃ってリビングを出ていった。
華蓮にはまだ、自分で自分の部屋を直す程の力はない。だからいつも早起きをさせられて壊した部屋は、我が家の守り狸の鈴々と、他の誰かが直してくれる。
「貴方は本当にやんちゃね。全く、誰に似たのかしら?」
「……母さんは、寝起きが悪くてあれこれ壊しまくるからいっつも外で寝てたって聞いたけど」
つまり、誰に似たのかと聞かれれば…間違いなく母、睡華だ。
華蓮がそんなことを思いながら返すと、朝食を持ってキッチンから出てきた睡華はとても複雑な顔をしていた。味噌汁のいい匂いがする。
「誰から聞いたの?」
「それはしゅひぎむがあるから言えない」
しゅひぎむ、というのが何かその時の華蓮には分からなかったが。教えてもらった相手に「しゅひぎむがあるから、教えたことは言ったらだめ」と約束した。約束は破れない。
「教育がしっかりしてるからお父さんじゃないわね」
「……しゅひぎむ」
自分はちゃんと約束を守った。だから、これでバレたらそれは自分のせいではない。睡華の勘が良すぎるのが悪い。
華蓮はそう勝手に決めつけそ知らぬフリをすることにして、出てきた朝食に手を合わせる。さあ食べようと言うところで、リビングの大きな窓がガラリと開いた。しかめ面の父、蓮が外から顔を覗かせた。
「外が凄いことになってる…。おはよう華蓮。ちょっと来い」
「おはよ。でも今からご飯」
「それは後回し」
「えー、だって味噌汁が…」
「誰が部屋を壊したせいで家の結界が歪んだのかな?ん?」
「…すぐいきます」
早起きをさせられて唯一のいい点は、温かい朝食が食べられるということなのに。
背後から聞こえた「気をつけて」の声に「いってきます」と答え、華蓮は蓮が覗かせた窓から外に出た。ここにはいつも洗濯物を干すためのサンダルしかないのに、しっかりと華蓮の靴が用意してあった。
「…うへぁ」
外に出ると、まるで何かに吸い寄せられるように霊たちが寄ってきていた。家の中にいる無害なものたちとは違い、明らかに有害そうなものばかりだ。
この家が常に霊に寄り付かれるのは、すぐ近くにやばい学校があるということ。そしてこの家のすぐ隣にある鬼神家のお寺がこれまたやばいからだと教わった。一体何がどうやばいのかは、教えて貰えなかった。
「はいこれ持って」
「うん」
そのため、この家には常に強力な結界が張り巡らされている。それは全て蓮が施したものだ。それがないと、郵便もまともに届かない。必ずここにくるまでにある石階段で怪我をして、辿り着けないのだ。
蓮から謎の鉄パイプを受け取りながら、華蓮は改めてこの家の異質さを感じていた。しかし、決してこの家が嫌いなわけじゃない。
「そこ突き刺して」
「こう?」
「よし。そのまま持ってろよ」
「う…わ!?」
地面に突き刺した鉄パイプに向けて、蓮が別の鉄パイプを思いきり振り下ろした。蓮の言葉に「うん」と答えよとした華蓮は、突然のとこにびっくりして思わず声をあげ、目を閉じる。それでも、言われた通り握っていた鉄パイプは離さなかった。
キイインと、歯が疼きそうな音とともにゆらっと世界が揺れるような感覚がした。この鉄パイプを中心に、結界が流れていく振動だ。
「よし、いいぞ。次だ」
「まだ?」
今の一瞬で霊は殆ど追い払えたし、もう必要ないように思える。
何より、華蓮は早く戻って朝食を食べたい。
「外より中からの衝撃に耐えられるようにしないとな。誰かさんの寝起きにも対応出来るように」
「……文句ならそれを遺伝させた母さんに言うべき」
そもそも寝起きの悪さが遺伝するのかは定かではないが。だが、話を聞いた限りではそうとしか思えない。
不貞腐れたように華蓮が呟くと、蓮は少しだけびっくりしたような顔をした。
「母さんの寝起きが悪かったこと、誰から聞いたんだ?」
「だからそれはしゅひぎむ」
「…うん、大体分かった」
もし本当にバレていても、蓮の勘がよすぎたせいだ。華蓮のせいではない。
華蓮は再び、自分にそう言い聞かせた。
「父さんは、母さんをどうやって起こしてるんだ?」
「それは企業秘密」
「秘密ばっかりだな。でも、それで俺も起きるかもしれないじゃん」
破壊活動を懸念して外で寝ていたくらいだから、きっとよっぽど凄い寝起きだったに違いない。それを改善出来たのだから、華蓮なんて雑作もないはずだ。
もしそれが有効なら、起こされる度にこてんぱんにされなくて済む。今はまだ週に1、2回だからマシだが、これが毎日となったら絶対に体が持たない。
「それはないな。あれはお母さん専用」
「じゃあ俺専用の何かないの?」
「そりゃあ根気強く探せばあるだろうけど…それは父さんの役目じゃないしな」
「じゃあ誰の役目?母さん?鈴々?それとも…うわっ」
蓮が鉄パイプを地面に突き刺すと、地面からぶわっと真っ黒い煙のようなものが立ち上って華蓮は思わず身を引いた。煙はすぐに消えたが、薄気味悪い感覚が少しだけ残った。
ここは華蓮の部屋の真下に位置する。華蓮が部屋を壊したことで、土地そのものにも悪いものを呼び込んでしまったようだった。
「自分で起きようという努力をする気が微塵もない辺り、やっぱり遺伝だな」
「それなら俺の体が悲鳴を上げる前に、早いとこ俺専用の方法を探した方がいいと思います」
「お前は体もお母さん似で丈夫だから大丈夫。心配しなくても、そのうち見つけてくれる人が現れるよ。はいこれ持って」
「……そのうちって、いつ?」
蓮から鉄パイプを受け取りながら、首を傾げる華蓮。そう問いかける一方で、何となく蓮の返答が予想出来ていた。
こういう時、蓮の言う台詞は決まっている。
「それはあれだ。会うべくして会う」
予想通りの返答だった。
蓮はいつも、決まってこの台詞を言う。誰かの受け売りだそうだが、それが誰かは睡華も知らないと言っていた。
「言うと思った」
果たしてそれは、学校に通うようになるまでに見つかるのだろうか。そうでなくては困るのだが。
そもそも、家族以外に寝起きに遭遇するような相手なんて早々いない気がする。仮にいたとして、根気強く色々と試してもらわないといけなと考えると…見つけ出すことも含めて、至難の業のように思えてくる。
「それまではスパルタに耐えるしかないな。…よし、いいぞ」
「いいぞって、何が?」
「ここに結界を張る。さっきやって見せたろ?」
「……見たけど」
鉄パイプを突き刺して、その上から別の鉄パイプで思い切り叩いていた。やっていることそのものは、一見大したことがないように見えなくもない。
しかし、そんなに単純な話ではない。
「じゃあほら、同じようにやる」
「……いや、あんなの、やれって言われて出来るもんじゃないだろ!」
「でもやらなきゃ覚えられないだろ?」
「そりゃそうかもしんないけど…」
体で覚えろ、なんて台詞は漫画やアニメではお馴染みだ。
しかし、それを現実でやることはあまりないように思う。それも、なんの練習もなくいきなり実践でなんてもっての他だ。
「失敗しても多分大丈夫だから、平気平気」
「多分って言われると不安しかない!」
「それもそうだな。じゃあ、きっと大丈夫」
「似たようなもんだろ!」
多分とかきっととか、そんな言葉ばかり口にする。だからいつも睡華からも鈴々からも「はっきりしろ」と怒られるのだ。
華蓮が少し声を大きくすると、蓮はふと腕を組み何かを思い出すように天を仰いだ。
「父さんの知り合いに、平気な顔で無理難題を提示してくる人がいるんだ。それがまた無理難題にしても絶対に無理だろみたいなことばかりなんだが…いつも、やってみると案外出来る」
「……それは父さんだからだろ」
一体誰にどんなことを強いられているのか、華蓮には知る由もない。
しかし、蓮が人並み外れて凄いことは知っている。そして、自分が到底それに追い付けないことも。
「だから華蓮にも出来る。何といっても、華蓮は父さんと母さんの子供なんだから」
蓮は自信満々だった。
多分ともきっととも言わなかった。
「……どうなっても知らないからな」
華蓮は勢いよく、鉄パイプを振り上げる。地面に突き刺さったもう一方の鉄パイプに焦点を定めて、勢いを失くさないように振り下ろした。
ピンポーン。
ピタッと。鉄パイプ同士がぶつかるまでほんの数ミリのところで、手が止まる。華蓮はここからは見えない玄関の方に視線を向けていた。
この家に誰か来るといつも呼び鈴の狸が教えてくれる。しかし、その狸が出張中のため、前ぶれなく玄関チャイムが鳴ったのだ。
「華蓮、ちょっと出て来てくれない?」
「俺が?」
リビングの窓から睡華が顔を出した。どうやら手が離せないらしい。
しかし、どうして蓮ではなく自分に声をかけて来たのだろう。不思議に思いながら、華蓮は首を傾げた。
「大丈夫、取って食べられたりしないから」
「……分かった」
蓮に視線を向けると行ってこいと言わんばかりに頷いたので、やりかけた鉄パイプを渡して庭から玄関に向かう。
玄関に、女の人がたっているのが見えた。確かに、取って食べられそうではない。
「おはよう、華蓮くん。ここはいつ来ても賑やかだね」
女の人が華蓮に気付き、くるりとこちらに振り向いた。
とても、明るい笑顔の人だった。
[ 1/5 ]
prev |
next |
mokuji
[
しおりを挟む]