Long story
玖拾弌―――偽りの先にあるもの
世月は朝からやきもきしていた。
再び誰にも見えなくなったことをいいことに、家の中であっちに行ったり、こっちに行ったり…誰かをすり抜けてみたりと、落ち着きがなくうろうろしていた。
「世月、大人しく座ってろ」
ソファに座って華蓮とゲームをしていた李月が、その視線を動かすことなく言葉を放った。
見えているはずがないのにどうして分かったのかと一瞬だけ疑問に思い、すぐさま李月の隣に座る可愛らしい顔に視線が向いた。
「……桜ちゃん、告げ口したわね」
「あ、あんまりそわそわしてたもので…すいません」
桜生はそう言ってから、手にしていたシュークリームを口にいれた。
この家の住人はプロ顔負けの料理人のおかげで、いつでも誰かが美味しいものを口にしている。近い将来、近所からメタボの館なんて呼ばれる日が来なければいいがと…心配せずにはいられない。
「だって…双月はどうなるか分からないって言うし。春くんなんて、殺されるかもしれないって言ってたのよ?」
「…春くんは殺されるって」
流石にその伝え方は、少し省きすぎではないだろうか。通訳をしてくれるのはありがたいが、もう少し…せめて意味が通じるようにして欲しい。
それを桜生に指摘しようとした世月だが、それよりも先に深月が「大丈夫だって」と口を開いたことで、世月の発言のタイミングがなくなった。
「あいつ、俺と初めて会った時にも銃ぶっ放してたし」
「は?」
思わず声をあげるが、それは通訳してもらうまでもなかった。通訳係の桜生はもちろん、キッチンで料理をしていた秋生も、深月の隣でロールケーキを食べようとしていた侑も、同じように素っ頓狂な声を上げたからだ。
「何それどういうこと?」
「どうもこうも…俺が顔も見ずに入部断ったら、耳元掠めてきたんだよ。やべえ奴が来たぞと思って…でも話したら意外と気があったからそのまま入部を許可した」
「何で入部届け出すのに銃持参なの?何でそこで気が合うの?理解できないとかいう範疇を越えてるよ!」
侑の嘆きにも似た叫びに、世月は全面的に同意だった。
きっと、他の全員もそうだったに違いない。
「まぁその辺は色々あったけど…とにかく。あん時もぶっ放して大丈夫だったんだから、今回も大丈夫だろ。ついでに双月も大丈夫だろ」
春人の件に関して説得力が欠けている上に、双月に関してはもう完全におまけ扱いだ。これほど信憑性のない「大丈夫」は聞いたことがない。
しかし、その信憑性のない言葉を信じざるを得ない今の状況が、とてつもなくもどかしく感じる。
「春くん、自分のこと普通の人間みたいに言ってたけど…全然普通じゃないよね」
シュークリームを頬張りながら、桜生がしみじみと呟いた。
確かに。いつだったか、この家の中にいる唯一普通の人間だと豪語していた時期があったが…よくもまぁそんな口から出任せが出てきたものだ。いや、きっと本人は本気でそう思っていたのだろうが。
「いつくん知ってた?春くんの一番上のお兄さん、国会議員なんだよ」
「は?」
入部に拳銃を持参したというとんでも発言にも動揺せずゲームを続けていた李月だが、流石にそれはスルーできなかったようだ。それには華蓮も驚いたようで、すぐさまゲームが停止が面になる。
もちろん世月も同じ顔で桜生を見ている。春人と一緒にいることも多い世月だが、そんなことは微塵も知らなかった。
「おまけにそのお兄さん、兄さんの恋人だっって」
「……ややこしいな」
そういう問題ではない。
いや確かにややこしいのだが。
やはり、そういう問題ではない。
「じゃあ、春人とは元々知り合いだったのか?」
「いえ、知ったのは兄さんが高校に赴任してからだって言ってました」
華蓮の問いに桜生が答える。
その言葉を聞きながら、世月は春人と一緒に行動していた時のことを思い出していた。まだ琉生が失踪する前、2人にどこか親しげな様子があったのは、そういう接点があったからなのか。
「僕たちと同じで、そのお兄さんと直接血は繋がってないらしいけど…」
「は?」
「一番上のお兄さんと二番目のお兄さんは養子なんだって」
「いやそっちじゃない。僕たちと同じで…?」
李月が顔をしかめると、桜生は「あれ?」と首を傾げた。それはまるで、知らなかったことに驚きを感じているような顔だった。
李月がもう一度「僕たちと同じで?」と問うと、桜生は頷く。
「兄さんはお父さんが高校生の時に引き取った養子なんだって。顔なんてお父さんに本当にそっくりだから、初めて聞いた時は冗談だと思ったけど……ね?」
「うん。何言ってんだこいつって思った」
桜生の問いかけに、秋生が頷きそう答える。
この様子だとどうやら同じタイミングで聞いたようだが、それは最近のことなのだろうか。それとも桜生がカレンに乗っ取られる前なのだろうか。
「……小さい頃から知ってたのか?」
「お父さんとお母さんが死ぬずっと前だよ。詳しいことは知らなかったんだけど…高校生の時に養子になったっていうのは秋生に聞いたの」
「俺はじいちゃんから聞きました。なんか、父さんが自分が育てるから引き取ってくれってじいちゃんに頼み込んだらしいです」
そう言いながら、秋生はシュークリームを手にソファへと移動し華蓮の隣に腰を下ろした。
以前、奥手過ぎる秋生にアドバイスをしてからあまり2人の姿をまじまじと見ることはなかったが、すんなりと隣に座る所を見るかなり進歩しているようだ。
「だから兄さんはお父さんが成人するまではおじいちゃんの養子だっけど…おじいちゃんは子育てには一切関与しなかったんだよね?」
「うん。額面的な援助はしたらしいけど、それも全部返したって言ってたし。子育てって点に関しては本当に、その当時から付き合ってた母さんとか…他の友達とかが協力してくれたから、じいちゃんは祖父としてしか振る舞ってないって言ってた」
中々壮絶な環境のように思わなくもないが、ある意味恵まれた環境とも思えなくもない。
そんな状況の中でどんな生活を送っていたのかは想像も付かない。ただ今の琉生を思い出して思うことは、少なくとも秋生と桜生の父が引き取ったことは間違いではなかったということだ。
「あ」
秋生がいなくなってからもまだキッチンに立っていた睡蓮が、唐突に何かを思い出したような顔をした。
そしてすぐに、どこか考え込む表情に変わり腕組みをする。
「……だからあの時…琉生がどうてかって言ってたんだ…。え?つまり協力した友達って…お母さん?」
俯いてぶつぶつと独り言を言い、何かを閃いたように顔を上げる。
その言葉の内容を理解した者はきっと誰もいない。
「え?何だよ睡蓮?どういうこと?」
秋生が問うと、睡蓮の視線がそちらに向く。
その問いかけに対して睡蓮は「あのプリンの日だよ」と言ってから、手に泡立て器を持ったまま秋生の方に駆け寄って行く。
「ほら、お母さんに会ったって話したでしょ?」
「母さんに会った?」
「あっ………いや、あの…色々あって…………たぬくん!たぬくん助けて!」
華蓮の言葉に「しまった」と今にも口に出しそうな表情をした睡蓮は、すぐに秋生の影に隠れるようにしてこの家の呼び鈴を呼びつけた。
すると、ソファに座る秋生の膝の上に狸のぬいぐるみが現れる。置物から昇格したのだろうか。可愛らしさが増している。
「……ごめんなさい」
「何が?」
「……睡蓮に、高校生の頃の睡華を見せたの。僕の力は…知ってるでしょ?」
「記憶の具現化か?」
「うん、そう。……でも僕、怒られても後悔はしてないよ」
そう言いながら秋生の服をぎゅっと掴む仕草は、仮に怒ったとしてもまず間違いなく納屋行きは免れる程度の可愛さを秘めていた。それ以前に華蓮がそれに対して怒りを感じることはないはずだから、そんな可愛さも必用はないだろう。
世月がそんなことを思って見ていると、華蓮は狸のぬいぐるみの頭を撫でながら「別に怒りはしない」と言ってから、睡蓮の方に視線を向けた。
「それで、それがどうしたんだ?」
「……その時一緒にいたのが、秋兄と桜お姉ちゃんのお母さんだったの。それで…2人の会話の中に、琉生の名前が出てたから…」
「今の話を聞いて納得したわけか」
「うん。あと…多分お父さんとかも同じ学校だったんだと思う…だよね?」
睡蓮が狸に同意を求めると、狸が小さく頷く。
「確かに蓮もいた。それから、君たちのご両親も。………君の実の母親も、あまり関わりはなかったけど…いた」
睡蓮にそう答えた後に向けられた視線は、深月と侑だった。
華蓮の父と自分達の父が旧友だったのは知っている。だから自分達も幼い頃からよく遊んでいた。
しかし、侑の親に関しては全く知らないことだった。
「君にとっての家族はひの姉さんたちだろうから…どうでもいいことだろうけど」
「うむ。よく分かってるね、狸ちゃん」
立ち上がった侑が狸の側までやって来て、その頭を撫でる。
先ほどの華蓮の時もそうだが、あたまを撫でられる時に若干ぬいぐるみの頬が緩むのがまた可愛らしさを感じさせるものだ。今度自分もやってみようと、密かに思った。
「……他にも…というより、ほぼみんな同じ時期にあの高校にいたんだ。だから君たちの両親は皆知り合いだよ。…あの麒麟の子の両親も含めてね」
世月は母から話を聞いた時、春人の母にも会っている。
ジャーナリストということだったが、あの焼けた肌と生傷の多い体を見たところ…戦場カメラマンではないだろうかと想像している。戦場にはかなり栄えるであろう、美しい人だった。
「それとね、僕のお母さんと秋兄のお母さんがそっくりだったよ!華蓮と秋兄に!」
「は?」
秋生と華蓮が声を揃える。
珍しいハモりだと思うが、それも致し方ないほどに睡蓮の発言は唐突で謎めいていた。
「秋兄のお母さんが転びそうになったの助けて、僕の怒られてた」
「うわ、正に秋生と夏川先輩だ」
桜生がケラケラと笑うのを、秋生が睨み付ける。しかし桜生はそんなこと気にもせず、尚もケラケラと笑い続けた。
「あ、でも…お母さんと一緒に手長と戦うような格好よさは秋兄にはないか」
「いやどういう意味だよ」
秋生が不服そうにそう言った横で、華蓮が不審げな顔を見せた。
当たり前…というのも失礼かもしれないが、秋生が華蓮と同じレベルで戦えると擁護するわけではないようだ。百歩譲っても、華蓮と一緒に戦えるようには見えない。
「母さんと一緒に?」
「……ああ、そうだ。その事も気になったんだよね」
華蓮の問いに、睡蓮が頷きながら…なぜか不思議そうな表情を浮かべた。
「お母さんって…力がなかったから、一番に取り憑かれたんでしょ?でも、僕が見たお母さん、すっごく強そうだったよ」
「……物理的にってことじゃなくてか?」
「僕が見たときには物理的にしか戦ってなかったけど…。でも、なんかそんな感じじゃなかったよ」
睡蓮も漠然とそう思うという感じで、確かなことは分からないらしい。
あくまで過去の記憶を具現化したものを目にしただけで、本物を目にしたわけではない。そのため、見えるものの中の真実の全てを読み取るのは難しいことは明らかだ。
「あともうひとつ。お母さんね、お父さんのことを夏川くんって言ってたの」
「……どういうことだ?」
「やっぱり華蓮も知らなかったんだ。つまり…鬼神の性はお母さんの家系なんじゃないかって。そうだとするなら、やっぱりお母さんに力がないって変でしょ?」
確かに睡蓮の言うとおりだ。
世月は華蓮がどうやって名字を変えたのかその詳しい経緯は知らない。しかしてっきり、単純に父方の名字から母方の名字へと変えたのだと思い込んでいた。
口ぶりから察するに、華蓮自身もそう思い込んでいたのだろう。
「た―――…鈴々」
その名を呼ぶと、ぬいぐるみの狸が華蓮の前に立つ。そして、その姿を変えた。
「それはずるいよ…華蓮」
どこか困ったような表情を浮かべて、愛らしい子供が華蓮の前に立つ。
世月がこの姿を見るのは何年ぶりだろうか。華蓮の母の意向でツインテールにプリッツスカートといった可愛らしい服装の狸の妖怪。唯一以前見たときと違うのは、無地のロングTシャツがアイラブヘッド様Tシャツになっていることくらいか。
この姿の時だけ、狸は華蓮のことを名前で呼ぶ。だから、華蓮が名を失くしてから…狸がこの姿になったことは一度もなかった。
「お前は何か知ってるんだろ?」
「……僕から言えることはひとつだけ」
狸はそう言ってから一呼吸置く。
そして、目の前に華蓮の目をじっと見つめて再び口を開いた。
「僕はこの家…華蓮の呼び鈴である前に、蓮の使い魔だよ。それは今までも、そしてこれからもずっと変わらない」
その言葉の意味することが、世月にはさっぱり分からなかった。
しかし華蓮は、何かとても大事なことを察したのだろう。その言葉を聞いて一度目を見開き…そして「そうか」と一言呟いた。
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