Long story
捌拾捌―――時の中に潜む偽り
夏休みも残り5日。佳境と言っていいだろう。
そもそも休暇というのは早く感じるものだが、それにしても早いような気がするのは…元より2週間程度しかないせいだ。
それなのに宿題は普通の夏休みばりにあるのだから堪ったものではない。
「特に数学。この量はちょっと鬼畜過ぎやしませんかね」
ドサッと、秋生が机の上に分厚い課題を撒き散らす。
自作のプリント100枚に始まり、1学期に習った教科書の範囲にある応用問題を全て復習。それとは別に問題集のページが30ページ分とは…とてもじゃないが、2週間で終わる量じゃない。
秋生が鬼畜と表したその言葉に、春人は何の意義もなかった。
「大体、兄さんが失踪なんかするから!全く何で失踪なんて…ああ、僕のせいだ」
「あはは!桜ちゃん、今のはちょっと笑っていいのか困っちゃうよ」
「いやそれ、思いきり笑ってから言うことじゃなくね?」
なんてバカみたいな会話をしながも、誰も動く手を緩めることはない。桜生は一番簡単な教科書担当。秋生はプリント担当。春とは問題集担当だ。
とはいえ、うるさい先輩連中が起きてこない朝うちは一日の中で最も宿題が捗る貴重な時間帯なので、ジョークもほどほどに目の前の課題に集中しなければならない。
「…お前らさ、毎日そんなブラックジョークかましながら宿題してんの?」
ふと背後から声がして振り替えると、休みの朝には…少なくとも、午前7時という時間帯には似つかわしくない人物が立っていた。
足で扉を閉めながら、口にシュシュを加えて長い髪をまとめる仕草は実に手慣れていて…しかめ面でさえなければそれなりに絵になる光景だ。
「双月先輩…部屋に隕石でも落ちてきたんですか?」
「いや、朝一番の挨拶が意味不明すぎ」
「だって、休みの日にこんな朝早くから自分で起きてくるなんて…あ、もしかして世月さんが乗り移ってます?」
というよりも双月に見せかけた世月なんじゃないかと考えていると、隣から「私はここにいるわ」と声がすると共に、いつもの世月が顔を出した。
しかし、それならば尚のこと隕石が部屋に落ちた説が有力となってくる。
「乗り移ってねぇよ。今日は用事があるから、目覚ましかけて自分で起きたの」
「用事?」
「そこの、どでかいテレビを手にした代償を支払いに行くんですよ」
双月がテレビを指差すと、秋生が「え」とどこか気まずそうな声を出した。
元々秋生が欲しがったそのテレビは、ミスコンの参加者へのランダム景品。今年はどうにかして出場を回避するつもりだった双月だが、秋生があまりに欲しそうにしているので少しでも確率を上げるべく出場し…そして優勝した次第だ。
「どういう意味です?」
「今年も大鳥高校の顔となった私、大鳥世月は…他校との交流行事に赴きお披露目されなければならないわけですよ」
「あー…すいません。俺のせいですね」
秋生の気まずそうな顔が申し訳なさそうな顔になった。
しかし、出場すると決めたのは双月の意思なので秋生が気負いすることはないし…結果的にランダム参加賞に双月が当たったことは、本当に単なる偶然だ。
「いーのいーの。俺が勝手に出て勝手に優勝して勝手にランダム当てただから」
双月はまるで気にしていないように、軽く首を振ってから冷蔵庫に向かう。
宿題をしている秋生に気を遣って、作り起きをチンして食べるつもりのようだ。
「まぁ、他のいたいけな生徒が傷物にならなくて済みますしね〜」
「いや、別に俺も傷物になんてなりませんけどね?」
「そうですね。いざとなったら助けてあげますよ〜」
「それは頼もしいことで」
春人のゆるい口調が冗談らしく聞こえるのか、双月は作りおきのオムライスを口にしながら適当な返事を返す。
しかし、さっきの桜生のブラックジョークとは違い、春人は至って本気だ。
「馬鹿にしてますけどね。幽霊相手は役立たずですが、人間相手は容赦しませんよ」
「だから麒麟に嫌われるのよ、春くんは」
「世月さん、しゃらっぷ!」
出てきたっきり隣に座っているだけだった世月が声を出す。
春人と桜生にしか見えない世月の言葉を、桜生が秋生と双月に伝えると2人とも苦笑いを浮かべていた。
「一人で行く気なのかしら?誰も護衛は付けないの?」
「…世月さんが、護衛は付けないのかって言ってますけど……」
「侑がいる」
「侑だけ?それで大丈夫なの?」
「……侑先輩だけかって」
「今回の顔合わせはうちの学校の体育館だから。知らない場所で変なところに連れ込まれることもないだろうし、大丈夫だよ」
つまり、いつもは知らない場所で変な所に連れ込まれているのか。
思わず顔をしかめる春人だが、双月はそんな顔など視界に入っていないように淡々とオムライスを食べ進めている。
「いくら学校だからって…どこの馬鹿が何に感化されるとも分からないのよ?それでなくても、貴方は危険なのに」
「……危険なんじゃないかって」
「世月は心配性すぎだよ。侑もいるんだし、変なのに目ぇ付けられても学校には俺の逃げ場は腐るほどあるからへーきへーき」
そう軽い口調で言ってから、双月はさっさとオムライスを食べて支度をするからとリビングを後にした。
世月が心配性なのはそうだが、それにしても双月はちょっと軽く考えすぎだ。
「春君、心配だわ」
「…付いていったら?」
「私じゃダメよ。次に人間に危害を加えたら絶好って言われているの」
どうやら、以前李月を酷い目に合わせてこっぴどく叱られた日に約束させられたらしい。
双月のことが本当に好きな世月だ。例え見えなくて話も出来ないとしても、絶好だけはしたくないのだろう。
「…でも、宿題あるし」
心配という点では、春人も同じだ。
しかし、この多量の宿題を一人だけ投げ出すことに引け目を感じずにはいられない。
「大丈夫だよ。僕たち今からながーい休憩タイムだから」
「そうそう、新しいテレビでヘッド様検索しないと」
きっと、秋生は桜生から話をきいたのだろう。
これ見よがしに机の上の宿題を隅に寄せ、テレビのリモコンに手を伸ばした。
「夏川先輩にいい加減にしろって言われるくらい検索したでしょ」
「だからいない時にするんだよ」
バチンと、テレビの電源が入れられる。
「…2人とも、ありがと」
「いいえ、どういたしまして」
さすが、揃った声色もそっくりならその笑顔もそっくりだ。
2人に続いて宿題を隅に寄せると、春人は準備をするべく立ち上がった。
「この時間って、報道番組ばっかでつまんないね」
「まぁ、朝だからな。国会議員のインタビュー見とくしかないかな」
「国会議員なんて微塵も興味ないけど、イケメンだからよしとしましょう」
ヘッド様検索をすると言ったからには、せめて春人がいる間はその素振りを見せればいいと思わなくもないが。
2人は一通りチャンネルを回して国会議員のインタビュー映像などという、どうしようもないものを見ることにしたようだ。
「双月はきっと家に寄ってから行くでしょうから、一緒に付いていくわね」
「おっけー。じゃあ俺は一足先にお披露目会場に行って、隠れられそうな場所探しとくよ」
春人の言葉に世月は一度頷いてから、ふっとその場から姿を消した。
それから春人は急いで宿題を片付け、リビングを後にしようとした所でちらりとテレビに視線を向けた。そしてふと、あることを思い出す。
「ねぇ2人共、余談だけど」
「わっ…え?」
春人はソファに座る秋生と桜生の間に顔を出す。全く同じタイミングで驚きの声を上げた2人は、そのまま小首を傾げた。
そんな2人に挟まれた状態の春人は、テレビに向かって指を差す。しかし、その訝しげな表情は春人に向いたままだ。
「今テレビに映ってるの、俺の一番上の兄さん」
「えっ!?」
こちらを向いていた秋生と桜生が一瞬でテレビに向き直って目を見開き、そして今一度春人を見る。
しかし、驚くのはまだ早い。
「ついでに、先生の恋人だよ」
「ええッ!?」
ふと思い出したのは、実家から帰る時に琉生に会った時のことだ。
あの時、共有した他人に知られたくないことを互いに秘密にしようと大声で逃げたのに、春人はすぐにこの2人に話してしまった。話すつもりはなかったが、2人の顔を見たら話さずにはいられなかった。
そしてそれを聞いた2人は琉生に会いに行き…その結果、2人は琉生に伝えたかったことを伝えられたと言っていた。だから、バラしたことを後悔はしていない。
だがその一方で。春人が秘密を守らなかったということは、琉生も守る必要がないということだ。つまり次に春人が家に帰った時には、鉄拳制裁が待っているに違いない。
結果的に琉生だけが得する形で終わるのが癪だなと…たった今思い立った春人は、琉生が黙っていろと言っていた、また別の秘密を口にすることにした。
「じゃあ、楽しんで」
あんぐりと口を開けて呆然としている秋生と桜生にそう言い残し、春人は颯爽とリビングを後にする。
我ながら性格の悪さが秀でているなと思ったが、それはテレビ画面の向こうの兄譲りだ。文句ならあの人に言えと今このばにいない数学教師に向け心で囁きながら、春人は足早に外出のための支度を始めた。
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mokuji
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