Long story


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捌拾陸―――何度でも言おう、その言葉を

 平和だ。
 文化祭が終わり、同時に夏休みがやってきた。
 小学生で学校生活が止まっている李月にしてみれば、夏休みと言えばやれ夏休み帳だの、感想文だの感想画だの水やり当番だの…まるで休ませる気なんてないのではというほどの課題が付き物だった。おまけにせっかくの休みなのだから遊ばなければという謎の使命感から毎日のように日が沈むまで遊ぶこともまた、ある種の課題のようなものだった。
 それなのに、高校生の夏休みはなんということか。
 受験生という学年も項をなしたのか、まず宿題がない。各自が自分の志望校又は就職先に見合った学習をという完全自己責任体制だ。感想文等は出したい者だけ提出という神対応、もちろん水やり当番なんてものはない。更に精神的にも年を取れば、休みだから遊ばなければという謎の使命感もない。
 つまり、何もない。
 これを平和と言わずしてなんと言うのか。いや、他に言い表す言葉など…あるのかもしれないが、探す必要もない。
 平和だ。
 もう何度となくその事実を噛みしめつつ、優雅にコーヒーを啜っているが。
 しつこい程に何度でも言おう。


「ねぇ李月、これ書いて」

 まるでバカの一つ覚えのように、李月が頭の中で再び「平和だ」と唱えようとしたその時。睡蓮が目の前に一枚の紙切れを差し出してきた。
 時刻は午前10時。
 休みの有無が関係なく規則正しい生活をしている秋生と桜生、春人に睡蓮を除く連中がおおよそ10分前からぽつらぽつらと起き出し、ようやく華蓮以外の全員が揃ったところだった。
 ちなみに、どちらかといえば休みの日になると途端にだらけた生活を送る側の人間の李月が今日に限り既にこの場に座っていたのは、洗濯物当番であることから桜生により無理矢理起こされたからだ。


「キャンプで昔を体験?」

 紙切れに一番大きく書かれた見出しのようなものを読み上げると、睡蓮が頷いて返す。
 目を通すと、小学校中学年から高学年を対象に、屋外キャンプを通して昔の人々の暮らしを体験してみよう…という催しが開催されると書かれてあった。

「これに行くのか?」
「うん。明日の登校日が提出期限だから、保護者の名前書いて欲しくて」
「華蓮が起きたら書いてもらえばいいだろ」
「それは、そうなんだけど…」

 睡蓮はどこか気まずそうな顔をする。
 基本的に心配性の華蓮だが、睡蓮がやりたいということを止めることはない。子供たちだけでキャンプとなるとまた話は別だが、きちんとした行事だから問題はないだろうし、何がそんなに気がかりなのか。

「何がそんなに気になるんだ?」
「いや…僕って基本的にこういうの参加しないし…親のサインがいるものとか自分で勝手に書いてるんだよね。家庭訪問とか三者面談とかも華蓮に日にちだけ聞いてさ」
「……それで?」
「今回も行く気なかったんだけど、仲のいい友達に誘われて行くことにしたの。で、華蓮に聞いて許可は得てたから終業式の日にいつものように自分で書いて出したら、ちゃんと保護者に書いてもらいなさいって突き返されちゃって……」

 最近の教師は提出物の筆跡まで見るのか。もしかすると泊まりの行事だからなのかもしれないが、だとしても保護者が書かないと再提出とは何とも面倒なご時世だ。

「許可貰ってんなら、尚のこと書いてもらえばよくね?」

 李月も全く同じことを思ったけわけだが。睡蓮が話している間に向かいに座って朝食を待っていた深月の方が、余計な考え事を挟まなかった分反応が早かった。
 深月の隣に座った侑に至っては、人が淹れたコーヒーを我が物顔で自分のマグカップに注いでいる。

「そうなんだけど……苗字が…」

 睡蓮は言いにくそうに小声で呟く。
 その言葉を耳にして、ようやく何がそんなに気がかりなのかがハッキリした。

「睡蓮…もしかして、夏の苗字捏造してんの?」
「ね、捏造とは侵害な!」
「でもいつもは鬼神華蓮って書いてんだろ?だから夏に言いにくいんじゃねぇの?」
「…………返す言葉もありません」

 睡蓮はしゅんとして溜め息を吐くと、肩を竦めるようにして李月の隣に座り込んだ。

「だって、苗字が違うと絶対色々聞かれるでしょ?凄く面倒でしょ?戸籍見る訳じゃないんだから大丈夫だと思ってたのに。それがまさか、本人直筆でなんて言われるなんて予想外すぎたよ……」
「まぁ夏には言えないよな。世界一嫌いな名前を書いて下さいなんて、俺が言ったらまず間違いなく殺される」
「でしょ?多分、僕が言えば書いてくれるとは思うんだよ。だけど言うのも気が引けるっていうか…なんていうか……ついこの前自分の浅はかさを恨んだばかりなのに、また自分を恨まないといけないなんて!」

 睡蓮は頭を抱えて机に突っ伏した。
 前回の件はともかくとして、今回はそこまで思い悩む程のことではないと思う李月だったが。本人はこの世の終わりのように項垂れている。

「減るもんじゃねぇし、書いてやったら?」
「それでもいいが……華蓮は別に気にしないと思うけどな」

 この時李月は、文化祭前夜に交わした華蓮との会話を思い出していた。

「そりゃあ、僕の前じゃどんなに嫌なことでも顔にも出さないだろうけど……」
「そういう話じゃない。本当に嫌でも何でもないと思うってことだ」
「え、それって…」
「どういう意味だよ?」

 睡蓮の言葉を遮って、深月が前のめりに乗り出してきた。

「……この間、あいつは亞希を無条件で住まわせてやってると言っていた。つまり、元々の契約が完遂されたということだ」
「元々の契約って?」
「それは知らない。だが、あいつが亞希と契約するきっかけは復讐心で…特に名前を奪われてからはそれに拍車がかかったことは確かだろ?だから、それが完遂され解放されたというとは…」
「それを乗り越えたか…克服したか?」
「多分な」

 契約の内容を知らないので言い切ることは出来ない。
 しかし、見たところ亞希は最初から自分への見返りを求めて契約をしている風ではなかった。それはつまり何の情けか華蓮を助けるためだけに契約をしたということだ。
 それが成されたということは、きっと華蓮は何かから救われたのだろうと…李月はそう思っていた。

「それで名前への執着心も消えたから…鬼神華蓮って書くのも何とも思わないってことか……」

 だからといって好き好むことはないだろうし、名前を戻す気もないだろうが。
 きっと、以前のように耳にするのも嫌がるほどではないだろう。

「え……てことは、もう深月たちも華蓮を名前で呼んでも大丈夫ってこと……?」

 睡蓮がどこかハッとしたように深月に顔を向け、その後でまた李月を見た。すると、深月も驚きの表情を浮かべて李月を見る。

「え、マジで?」
「俺はそうだと思ってるが……秋はどう思う?」

 キッチンで深月たちの朝食を作っていた秋生に視線を向けると、まさか自分に矛先が向いてくるとは思っていなかったのか「えっ」と言葉を詰まらせた。
 華蓮が何かから救われたのならきっとそれには秋生が関わっているはずだし…何も知らないということはないはずだ。そう確信している李月が再度「どう思う?」と問うと、秋生は少し考えてから口を開いた。

「……大丈夫だと思います」

 少しだけ考えてからそう答えた秋生の言葉を聞くと、深月はガタリと音を立てて席を立った。
 そして、いつの間にか移動してソファでゲームを始めていた侑と、今まさにリビングから立ち去ろうとしている双月に向かって声を上げる。

「侑!双月!ちょっと来い!」
「え、何急に」
「俺今から二度寝…」
「いいから来い!一大事なんだよ、一大事!!」

 その勢いに侑と双月は顔を見合わせてから、仕方なさそうに深月の方へと向かう。
 それからしばらくもしないうちに「一大事だ!」と今度は侑と双月の声が揃った。


「突然また名前で呼んだら、華蓮…恥ずかしがって嫌がったりしないかな?」

 そう言う睡蓮は、どこか不安そうだった。しかし、李月はそんな不安など無用だと知っている。
 心配をしている睡蓮の頭を撫でながら「大丈夫だろ」と言うと、深月たちを捉えていたその視線がこちらに向いた。

「本当に?」
「俺もお前も琉生もずっと名前で呼んでたから、それほど違和感もないだろうし…多分な」

 ずっと誰からも呼ばれていなかったというのなら受け入れることに時間がかかるのも無理はないが、そういう訳でもない。
 それに一応多分とは言ったが、あの秋生の口ぶりからしてほぼ確実に大丈夫だろう。 

「…李月も同じなの?」
「何が?」
「みんな華蓮のこと名前で呼ばなくなっちゃったら……二度と華蓮が華蓮になれないんじゃないかって、心配だった?」

 学校に出す名前の捏造に気負いする睡蓮が、ずっと華蓮の拒んでいた名前を呼び続ける理由はそれだったのか。
 華蓮がいつかーーそれが今なのだろうが。
 自分の名前への確執を乗り越えた時、誰も名前を呼んでいなかったら。せっかく名前を取り戻しても、誰からも呼ばれないんじゃないかと…そう心配していたのだ。

「…俺はただ、あいつの都合に合わせるのが癪だっただけだ」

 李月のその答えに、睡蓮はどこか納得してないように「ふぅん」と言う。しかし李月はそんな不満気な睡蓮の表情は見なかったことにして視線を反らした。
 そして、一大事だと騒いでいた連中が何やらせからしくリビングを出ていくのを横目に、再びコーヒーを啜り始めるのだった。


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