Long story
漆拾玖―――それは確かに神で在った
秋生の記憶の中に、目の前にある禍々しい人物が確かに存在していた。
その事実に驚きを隠せず呆然としている隣で、記憶を自由に見ることが出来る良狐も驚愕の表情を浮かべている。
「…そもそも、あの男が君に近づいたのは悪霊から力を得る前なのですよ。いくら霊力があるといっても、一人の人間を永久に縛り付けるほどの呪いをかけることはそう容易いことではないと…分からなかったのですか?」
「………しかし…わらわはあの時、確かにこやつの中にいた。貴方の存在に気付けぬはずは……」
そう、良狐はずっと見ていた。
だから、分からないはずはない。
「私はもう、お前の知る私ではない。死にかけのお前から姿を隠すことなど、赤子の手を捻るよりも簡単です」
その言い回しが、とても神のそれとは思えない。
本人が言っているように、もう良狐の知る神では……きっと、神ですらない。
「お前に記憶を封印するだけの力が残っていたことは少々誤算でしたが、その封印ももって十年足らず…大したことではなかった。それなのに、あの男は悪霊から力を授かり付け上がった。余計なとをしなければ……私の言うことさえ聞いていれば、あれほど無様な死に様を晒すこともなかったでしょう」
秋生はその時はじめて、かつて自分に恐怖を植え付けた男が既に死んでいるということを知った。
記憶を封印されていたため、知らなかったからずっと恐れていた訳ではないが。少なくともその事実には多少の驚きと、何よりそう述べる神の嘲笑うかの表情により一層嫌悪感を増した。
「……あれを…殺したのか」
華蓮が神に向けたのは、驚きと軽蔑の眼差しだった。
とても醜いものを見るような、そんな眼差しだ。
「だったら何だと言うのです?忌々しい人の子よ」
視線がこちらに向く。
睨み付けるようなその目に、華蓮はどうしてか哀れむような表情を浮かべた。
「それでいて尚……神を、名乗るのか」
華蓮の瞳が、赤いような黒いようなそれに代わる。
旧校舎であの男に会ったときに見た…吸い込まれそうなその色に。
「なんと、忌々しい」
神の表情が歪む。
「私はその眼の色が大嫌いなのです」
その嫌悪感が、瘴気なのか妖気なのか分からないものとなって漂ってくる。
吐き気がしそうなほどの気持ち悪い臭いと熱気に、秋生は眼を伏せる。ほぼ同時に、華蓮の抱き締める力が強くなった。
「私の物を裏切らせた、その眼の色が」
物…と。
そう、言ったのか。
それは……、何のことなのか。
否――――誰の、ことなのか。
「だからお前は穢れたのですよ」
………それは。
「―――――それは、どういう意味だ?」
神から発せられている気持ちの悪い熱気を振り払うように、風が吹いた。
赤く、それでいて黒く…吸い込まれそうな熱気が、辺り一面を覆い尽くす。
「…………ああ、まさか」
首に、爪が立っている。
「あれだけのことをしたというのに」
神はそんなこと気にする様子もなく。
しかし、これまでにないほどに苛立ちと嫌悪を表情にしていた。
かち合うだけで呪われてしまいしそうな視線が、真っ直ぐに爪を立てる人物に向かっている。
「尚も邪魔をするのですか、忌々しい修羅の鬼よ」
神の首に手をかける人物の姿を、秋生は一度だけ見た。
良狐の封印が解けかけた時に怒った様子で立っていた、媒体の姿ではない本来の姿をした亞希だ。
「そして尚も…私を裏切るのですね、良狐」
その視線が向く先にいる良狐は、何も答えない。
先ほどまで見えていた横顔も、揺れる尻尾が邪魔で見えなくなってしまっていた。
「仏の顔も三度までと言いますが…私は三度も赦しはしません。……修羅の鬼、質問に答えてあげましょう」
そして、絶望なさい。
神は静かに…そう、囁いた。
その囁きは、本来なら目の前にいる亞希にしか聞こえないほどにの声量のはずなのに。
はっきりと、秋生の耳まで届いた。
まるで…脳に直接話しかけられているような感覚だった。
「貴様…一体……何をした?」
そう問う亞希は、いつも華蓮の姿でいるときのような声ではない。
耳に届いた瞬間に威圧感を感じるほど低いが…それでいて、ひやりと肌を冷たくさせるような澄み渡る声だ。
「名が縛られたのは、鬼の不始末ではない」
そう亞希に述べる。
そしてその視線は、絡み付くように良狐を捕らえる。
「私が、名を売ったのですよ」
さぁ、絶望なさい。
そう囁く声が、頭の中に響き渡った。
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mokuji
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