Long story
漆拾伍―――ご令嬢にはご注意を
眠れない。
床についてからもう何度目になるかという程に寝返りを打ちながら、秋生は溜め息を吐いた。
いつものように隣に桜生がいて、他愛もない話をしていればきっとすぐに寝付けただろう。しかし、李月とゲームをするので先に寝ていいと言われてからもう随分と経つが、桜生がやって来る気配がない。きっと、そのまま一緒に寝てしまったに違いない。
「外にも誰もいないし…」
こんな日に限って、いつもは馬鹿騒ぎをしている妖怪たちも嘘のように静かだ。先ほどちらと縁側を見てみたが、金木犀が寂しそうに満開の花を咲かせているだけで誰の姿もなかった。
思わず呟いて溜め息を吐く。そして再び目を閉じるのだが、そうすると脳裏にあの公園での良狐の顔が浮かんできてしまうのだ。
愕然としたあの表情が、頭から離れない。
あの後、良狐はすぐにその姿を消してしまった。そして、良狐が神と呼んだ人物が再び森の中を横切ることもなかった。
秋生は心の中で探しに行くかと聞いてみたが、良狐は奥底に隠れてしまったらしく、返事をしないばかりか何の感情も感じなかった。
それからしばらくもしないうちに雨が止み、良狐が出てくる気配もなかったのでそのまま帰路についたという次第だ。
「追った方がよかったんだろうか……」
その答えは分からない。
そのせいでずっと寝られずそのことを考え続けているのだから、もしかすると追っていた方がよかったのかもしれない。
しかし、追いかけてどうするのいうのだ。秋生の口から、良狐を捨てたのかと聞けるわけもない。
亞希は良狐に話すと言っていたが、良狐が話を聞いていたのかも分からない。もしも聞いていなかったのなら、その状態で神と会い真実を目の当たりにするのは危険だ。もしも話を聞いてきたとしても、会うかどうかを決めるのは秋生ではない。良狐自身なのだ。
だからやはり、そのまま帰るという判断は間違っていなかったはずだ。
そう何度も思い、その度に寝ようと試みるのだが、正しいかどうかはっきりと分からないばかりに、結局また同じことを繰り返し考えてしまう。
「秋生、起きておるのじゃろう?」
縁側から聞こえてきた声に、秋生は再び寝返りを打った。
先程まで真っ白だった金木犀が、鮮やかな朱色に染まっている。綺麗でもあり、どこか物々しくもある色だ。
「……いつの間に出てきてたんだ」
秋生は布団から起き上がると、縁側に腰を据えている良狐の隣りに位置を変えた。
ここに住むようになってから、こうして2人だけでここに座るのは初めてだ。
「余所事を考えておるから、気づかぬのじゃ」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「……すまぬの」
思いの外素直に謝られて、秋生は呆気にとられてしまった。
柄にもなくそんな態度をとる良狐のことが心配になる。人の姿で尻尾を揺らしている良狐はいつも通りに見えるが、決してそうではないと分かってしまう。
「大丈夫なのか?」
「亞希から話は聞いておったからの。いつか会うこともあるじゃろうとは思うておった」
それはつまり、覚悟はしていたということだろうか。
しかし、良狐は秋生の問いにイエスとは言わなかった。
「しかし、まさか…こんなに早くお見かけするとは。善は急げというやつかのう」
「一体何を急ぐんだよ?」
「真実は時を置いても変わらぬ。早う知れと、天からのお告げじゃろうか」
変わらない真実ならば、それこそ急ごうが後回しにしようが同じだ。
もしかすると、後に回せば回すほど考える時間も長くなるし、知っときの感じ方は変わってくるのかもしれない。けれど、どちらの感じ方が正しいのかなんて誰にも分からない。
「そんなに急いて知ることもないだろ。急がば回れって言葉もあるしな」
「…秋生のくせに、上手いことを言うではないか」
「俺だってことわざの1つや2つ知ってるつの。失礼な奴だな」
秋生がしかめつらを向けると、良狐はくすくすと笑った。
それから、金木犀の方に視線を向ける。
「じゃが、長く待つのはもう疲れてしもうた」
ずっと待っていたのだ。
あの、崩れてしまいそうな社で。
たった独りで、ずっと。待ち続けていたのだ。
それがどれほど辛く、苦しいことだったか秋生には想像もつかない。
目の前にいる良狐が、初めて会った時よりも消えてしまいそうに見えた。
不安になり思わず手を伸ばすと、それに答えるように一本の尻尾がその上に優しく乗った。そして「亞希にはもう言うたが」と、前置きをしてから秋生に視線が向けられる。
「一緒に行ってくれるか?」
聞いたこともないほどか細い声だった。しかし、その目は真っ直ぐと秋生を見ている。
そんなこと、聞かなくても分かってるだろうに。秋生は良狐を真っ直ぐ見つめ返し、力強く頷いた。
あの社から良狐を連れ出したあの日から、一緒でなかったことなどない。
最近は華蓮の頭の上に腰を据えていることもあるが、それでも良狐の居場所は変わらない。
「俺たちはずっと一緒だろ」
秋生がそう言うと、良狐は少しだけ驚いたような表情をし、そして笑った。
「やはりわらわの目に狂いはないのう」
金木犀の花が舞い、朱色の花びらが闇を彩る。
美しい景色の中で笑う狐の妖怪は、負けず劣らずとても美しく見えた。
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mokuji
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