Long story
陸拾捌ーーその先に
最初に発熱してからもうどれくらい経ったか。かなり長い時間が経ったような気がするが、華蓮の熱は一向に引く気配を見せなかった。体の大きさも相変わらず小さいままで、苦しそうに体全体で息をしている姿は見ている方も苦しくなってきそうなほどだ。
こんな状態で自室に一人で寝かせるわけにはいかないと、嫌がる華蓮を無理矢理寝かせた場所は秋生と桜生が寝床にしている縁側のある部屋。桜生は李月の部屋で寝るということで、華蓮の世話は秋生が請け負うことになった。
いつもは誰がいようとお構いなしで騒いでいる妖怪たちも今日は静かだ。良狐と亞希がそれぞれ金木犀の枝に大人しく座って、部屋の様子を覗き込んでいる。
「秋生」
名前を呼ばれて顔を近づけると、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上げられた。
「先輩?どうしたんですか?」
「…別に」
華蓮がそう言うと、再び目を閉じた。
さきほどからこのやりとりを何度か繰り返しているが、華蓮は秋生の名前を呼ぶばっかりで、何も要求をしてくることはない。
普段なら用事がなければまず名を呼ばれることはないし、用事があるなら遠慮など知らずの如く申し付けてくるのに、一体どうしたのだろうかと不安になってしまう。
「君が傍にいることを確かめているだけだよ」
「え…?」
「亞希…黙れ」
金木犀に座っていた亞希がいつの間にかすぐそばまでやって来ていて、華蓮の顔を覗き込んでいた。
再び瞼を持ち上げた華蓮は、睨むように亞希を見る。しかし、今の華蓮ではいくら睨んでも秋生を怯ませることすらできないだろう。
「俺がいても……何の役にも立てませんけど…」
「……秋生……こっち、来い」
布団から手を出した華蓮が秋生の腕を引く。
それはつまり、一緒に布団に入れということだろうか。
「さっさと来い」
「は、はいっ」
ぐいっと腕を引かれた秋生は、慌てて布団の中に体を入れる。
すると、小さい華蓮が布団の中でうずくまっていた。その体を無性に抱きしめたい衝動に駆られた秋生は、華蓮に許可も取らずにその背中に腕を回した。
「おい…」
いつもよりも小さい背中に腕を回してすぐ、華蓮の瞳が秋生を捕えた。
「だ…、だめですか」
「いや」
華蓮はそう言って、秋生の胸に顔を埋めた。
その仕草が愛おし過ぎて、ついつい抱きしめる力を強めそうになった秋生だが。さきほどから何度も注意されていることが頭を過って、どうにか思いとどまった。
「誰かに…こんな風にされるのは凄く久々だ」
「こんな風…?」
秋生が問うと、華蓮は秋生の背中に腕を回してぎゅっと力を込める。
それが秋生の問いへの答えだった。
「小さい頃は…母さんにところ構わずされてたのに…ずっと、忘れていた」
「ところ構わず…抱きしめられてたんですか?」
「ああ。俺がちょっと何かするとすぐに可愛い可愛いって…うっとうしかった。……でも、嬉しかった」
そう言う華蓮の表情は見えない。
けれどその声は穏やかで、きっとその時の光景を思い出しているのだろうと思った。その声色から、華蓮が母からどれくらい大事にされていたのかを垣間見ることが出来た。
きっと華蓮の母は、その愛情を言葉で、そして態度で目一杯表現していたのだろう。そして華蓮もそれを、一身に受け取っていたに違いない。
「羨ましいです」
「何が?」
「先輩のお母さんの大好きが、今でも思い出せるくらいに伝わってて…羨ましいです」
秋生の華蓮への思いは、どれくらい伝わっているのか分からない。秋生は自分が誰よりも華蓮が好きだという自信がある。華蓮の母がどれくらい華蓮のことを好きなのか、それは秋生の想像の産物でしかないが。しかしそれが例え秋生の想像をどれだけ超えていようとも、華蓮への思いは自分が一番だと、それだけは言い切れる。
けれど、いくらその自信があったとしても、それを華蓮の母のように素直に伝えることができない。だから華蓮に伝わる思いが、今の話に聞いた華蓮の母親には届かないような気がして…羨ましくも、そして少しだけ悔しくも感じた。
「母さんは、俺をストーカーするなんて言ったことないけどな」
「俺は…なんていうかちょっと、ずれてるじゃないですか」
「自分で言うか」
華蓮がくすくすと笑う。
秋生は華蓮の母のように、その愛情をストレートに口にして態度に示すことはあまり得意ではない。
そのストレートに表現できない愛情が、溜まりに溜まって変な方向に向いてしまうのだ。分かっているのならばその思いをストレートに向ければ、少しはその思いが華蓮に伝わるのかもしれないが。素直にそれが出来ていたら苦労はしない。
「で…でも、ストーカーくらいしないと俺の思いを伝えられない……」
「今そう口にしたのは、伝えてるのとは違うのか?」
「こんなんじゃ先輩のお母さんには勝てません」
「張り合うなよ」
「だって先輩…お母さんのこと、そんなに嬉しそうに…」
秋生が困ったように言うと、華蓮はまたクスクスと笑った。
「お前の気持ちは、もう十分伝わってる」
顔を上げた華蓮が、秋生の頬に触れる。
熱を帯びた手に触れられて、その熱が移ったかのように秋生の頬も熱くなった。
「俺は…母さんに、可愛い可愛いって抱きしめられるより、今こうしてお前に抱きしめられている方が嬉しい」
「っ…!」
「母さんに毎日好きって言われるよりも、お前に訳の分からないタイミングで大好きと言われる方が嬉しい」
「っっ……!!」
張り合うべきは、華蓮の母ではない。
秋生は自分の頬が沸騰してしまうのではないかというくらいに熱くなるのを感じながら、そう確信した。
「どうして…」
「え?」
「どうして、俺ばっかり…こんなに、先輩に…もらってばっかりで…」
秋生がどんなに華蓮に愛情を伝えても、華蓮はその倍の愛情を秋生に返してくる。
それがどうしようもなく幸せだということを、どうすれば華蓮に伝えることができるのか。
華蓮がくれる愛情を、さらに倍に返すにはどうすればいいのだろう。
「やっぱり…ストーカーしかない」
「……どうしてそうなる」
少し呆れたような華蓮の視線を、秋生はまっすぐと見つめ返した。
「俺は先輩のお母さんよりも先輩の事が好きです!」
「は?」
「それに、先輩が俺のことを好きって思ってくれているよりも、俺が先輩のこと好きって思ってる方が絶対に大きいです!!」
「おい、秋せ…」
「だって、抱きしめられるだけでどきどきして、心臓止まりそうだし、キスは溶けちゃいそうなくらい幸せだし」
「もう分かっ…」
「甘いし…優しくされるのもからかわれるのも、最近じゃあ、馬鹿か貴様はって言われてもきゅんってなって…何をされても何を言われても全部好きで…それから……!」
「人の話を聞け!」
「でもこの思いをどう伝えていいから分からないんです!だから、俺はきっとストーカーに………って、先輩?」
先ほどまで上を向いていた華蓮の顔が、再び秋生の胸に埋まっていた。
その表情は見受けられないが、耳が赤くなっている。もしかして、また熱が上がったのだろうか。
「あの…先輩……」
「もう分かったから、黙れ」
「え…?」
少し体を離して顔を覗き込むと、耳だけでなく顔まで真っ赤だった。
これは、熱のせいではない。華蓮と一緒にいるときの秋生にはお馴染みの現象だ。
「えーと…、少しは伝わりました…?」
「うるさい、黙れ」
華蓮はそう言って、くるりと背を向けた。
そんな華蓮を逃がすことなく背後から抱きしめて耳を澄ませると、触れている体から華蓮の心臓の鼓動が聞こえてきた。
秋生はその音をもっと聞きたくて、抱きしめる力を少しだけ強めた。
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mokuji
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