Long story


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陸拾弐ーー赤い正体

 そこは随分と古びたビルだった。
 今は使われていないということは外から覗いただけでも一目瞭然だ。見上げると見える窓はいくつか割れており、外壁には野草がこれでもかと言わんばかりに弦を伸ばしていた。そんな場所は当たり前だがセキュリティも皆無だ。正面の元々自動扉であったものは少し力を入れると簡単に開くことが出来た。
 中に入ると目立ったのはスプレーの落書きと煙草の吸殻だった。ちょっと非行の道に逸れた学生が溜まり場にしていることを全面に表現しているとしか思えない。もしそうでなかったなら、華蓮は自分の中の日本社会を改めて見直さなければ行けないだろう。テストで考えることが増える。


「嫌な空気だ」

 ふっと隣に現れた亞希が顔を顰めた。
 それは微かに残っている煙草の臭いに対して言っているわけではないだろう。

「どこだ」
「一番上。13階」

 今度は華蓮が顔を顰める番だった。
 13階なんて普通、歩いて登るような階数ではない。しかし既に廃ビルとなっているこの場所に電気が通っているわけもなければ、エレベーターが稼働するわけもない。つまり本来ならば歩いて登るような階数ではない13階を歩いて登らなければいけないということだ。
 考えただけで嫌気がさしそうだった。


「あの子、置いて来てよかったのか?」


 最初の階段に足を踏み入れてすぐ、亞希が華蓮の前に顔を覗かせた。
 実体のない妖怪というのは便利でいい。労力を使わなくてもふわふわと階段を登るその姿は嫌味にしか見えない。

「連れて来ればよかったのか?」
「そうじゃない。よくあの状態で置いてきたなってこと」

 あの状態。
 亞希がどんな状態のことを言っているのか、理解するのに時間はかからなかった。
 あの時秋生に一言も声をかけずに出てきたことを、今は後悔している。

「お前も小さい男だな」
「黙れ」
「そもそも、あの子にあんな不安を抱かせたのは普段のお前の態度が原因だ」
「そんなことは分かってる」
「分かっていてあの態度か。最低だな」

 返す言葉はなかった。


「本当に腹立たしい」

 それは自分に向けた言葉だった。
 華蓮はついこの間、秋生に言ったばかりだった。

 甘えることが出来ない秋生に、甘やかすからと。
 だから桜生くらい甘えろと言ったのは、他でもない自分だった。

 それなのに華蓮は、秋生に何も言わずに出てきた。
 終始俯いていた秋生は、顔を上げて華蓮を見たというのに。その視線を無視して、華蓮はその場を後にした。

「あの子があの時、過去の記憶と起こった現実のフラッシュバックで混乱していたことは目に見えて分かっていた」

 亞希の言う通りだ。
 秋生はずっと混乱していた。

「お前の問いに答えられなかったのも、恐怖というあの男の支配があの子を縛っていたからだと分かっていただろう」
「それ以上言うな」

 華蓮はもう何も聞きたくなかった。
 しかし亞希はそんな華蓮に更に追い打ちをかけるように、言葉をやめはしなかった。

「あの場であの子はお前を呼んだ。それなのにお前は、そんなことも忘れて目先の感情の流された」

 目先の感情に流された。
 それがどんな感情だったのか、華蓮にはよく分からない。
 
 秋生は自分たちが惹かれあっているのは亞希と良狐に感化されているからだとあの男に言われた。それを信じているのかという華蓮の問いに答えなかった。
 恐怖の渦に呑みこまれそうな中でそんなことを言われれば、誰だって不安になっても仕方がない。それも、華蓮はこれまで秋生に至極冷たく当たって来たのだからなおのことだ。

 誰がどう言おうと、結局決めるのは本人だ。そう言ったのは華蓮であったのに。
 
 それは嫉妬という感情なのかもしれないが、少し違うかもしれない。華蓮は秋生が自分ではなく、その男の言葉に揺れ動いていることが嫌だった。
 けれど秋生が不安になることは当たり前のことで、それは決して華蓮が嫉妬する場面ではなかった。秋生をそんな風に不安にさせているのは、揺れ動かしているのは華蓮自身なのだ。その態度が原因なのだ。



「さっさと帰るぞ」

 帰って秋生を抱きしめなければと思った。
 それから何も言わずに出て行ったことを謝って、そして今度こそ甘やかそう。

 秋生の中に巣食う恐怖は簡単なものではない。
 あの男に植え付けられた恐怖と支配は簡単にはなくならないかもしれない。自分たちの感情が亞希や良狐に感化されているという思いも、そう簡単には消えてなくならないかもしれない。
 だからこそ、傍にいてそうではないと伝えなければならない。秋生がそうではないと信じられるまで、何度でも。


「出直すのか」
「俺はそこまで大人じゃない」

 そう言うと、亞希はどこか満足そうに笑った。
 良狐はこの妖怪を修羅のなりそこないですらなくなったと言っていたが、今の亞希の表情を見ればとてもじゃないがそんなことは言えないだろうと華蓮は思った。


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