Long story


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陸拾弌ーー赤く迫る

 能力社会だなんだと言う割に、日本では未だにこんな定期的に行われる紙切れへの回答記入という単純作業で人の価値を決めているのだから随分と遅れている。成績が悪い生徒には補習だといって特別プログラムが設けられるくせに、成績がいい生徒には海外でいうところの飛び級などそれに見合った特別な何かが設けられるわけでもない。そんなどうしようもない世の中でこんな紙切れに向かっていくら労力を叩いたところで、無駄でしかないと――華蓮はつくづく思っていた。
 とはいえ、現実問題として日本社会は紙切れに人間の価値を見出しているのだから、それに従わないわけにはいかない。そうしない者はいくら能力を持っていても社会から排除され、どうしよもない生活を送るしかないのだ。


「随分と浮かない顔だな」

 すべてのテストがようやく終わりを告げ、帰りのホームルームまでの待機時間。
 前の席にいる李月が欠伸をしながら振り返ってきた。

「どうしてこんな意味のないことに無駄に労力を使わなければならないのかについて割と真剣に考えていたからな」
「毎回そんなこと考えながらテストを受けているのか」

 李月の表情が少し引いたようなものになる。

「他に考えることもないだろ」
「いやあるだろ。P≠NP予想について考えるとか」
「お前…、頭おかしいだろ」

 P≠NP予想といえば、ついこの間数学の担当教師が与太話程度に出してきたミレニアム懸賞問題だ。何でも、これを解決すると100万ドルもらえるという数学上未解決な問題らしい。教師の話では、これが解決できたら数学界のノーベル賞といわれる「フィールズ賞」を授与される可能性が高く、ノーベル賞の可能性もなくはないくらいの難問だと言っていた。
 数学者が研究材料にして考えるならともかく、少なくとも小学校に行くことも途中で放棄し、中学校も通わず高校もついこの間から通い始めたような人間が、テスト中に考えることではない。華蓮の考えていることが可愛く見えるくらいに、引くようなことを考えていると自覚した方がいい。

「お前みたいに答えが出ても何ら意味のないことを考えるよりはマシだ」

 そう言われると、返す言葉はない。
 だからもう、この話題はおしまいだ。

「そんなことを考えている暇があったってことは、テストは問題ないってことか?」
「小学校の時にやっていたテストよりも簡単だった」

 李月の頭がいいことを華蓮は小学生の時から知っている。人生初の定期テストで余った時間にミレニアム懸賞問題に取り組むぐらいだ。普通の高校生とは出来が違うということは証明された。きっと海外で育っていたら10歳でハーバード大学を卒業しているだろうと真面目に思っている。
 成績は自分よりも上だろうと確信しているために、何を言われても華蓮が腹を立てることはない。だが、ホームルーム待ちで静かな教室内では、少なからず李月の発言を耳に入れている生徒がいる。どこからか睨み付けられるような視線をいくつか感じたのは気のせいではないだろう。
 華蓮はいち早くホームルームが始まればいいと思った。




「取り込んでおるとこ悪いが」

 ふと、華蓮の肩に狐の姿をした良狐が姿を現した。
 ずっとその場にいて姿を消していたのか、それとも今やってきたのか。どちらでもいいが、その声はどこか切羽詰まっているように感じた。

「どうした?」
「あの忌まわしい気配がすぐそこまで来ておる」

 良狐はそう言って、華蓮の机の上に飛び移った。
 くるりと360度体を回して、尻尾を揺らした。毛で覆われているので定かではないが、その体はどこか震えているように見えた。

「どの辺にいる?」
「分からぬ。さきほどははっきり感じたが気配が少し揺らいだ。誰かに気付かれることを警戒して…どこかで結界でもはったのやもしれん」



「もしくは、この学校の瘴気に掻き消されたか」



 李月の言葉を耳にして、華蓮は勢いよく席を立った。
 ぞわりと、嫌な予感が背筋を駆け抜ける。

「秋生の教室に―――あいつ、何組だ?」
「それくらい把握しておけ、2組だ。桜生もいるから俺も行く」

 李月も同じように立ち上がり、教師が入ってくるのと入れ違いで教室を出た。
 教室を出てすぐまた華蓮の肩に飛び乗った良狐は、やはり少しだけ震えていた。

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