Long story
伍拾弌――始まりの合図
落ち込んだり喜んだり忙しいな、と桜生は思った。
朝からずっと部屋の隅で体育座り状態だった秋生は、侑からジャケット出演代を聞いてから打って変わって今にも飛んでいきそうなくらいに有頂天だ。脳内お花畑とは正にこのことだと思う。
「いくらだったの?その、出演料ってやつ」
「言っちゃダメだよ☆って侑先輩に言われた」
何が言っちゃダメだよ☆だろうか。テンションの上がり具合が気持ち悪い。どうしてこんな日に限って自習になんてなるんだと、桜生はため息を吐いた。
5限の授業が予定より早く終わったのは10分前のことだ。授業の初めに小テストを行った。それ自体はいつも通りだったのだが「さぁ今日も元気よく授業を始めましょう!」と普段とは違い無駄なハイテンションで言い放った瞬間に教師が倒れてしまった。そのまま教師は病院に搬送され、そのため授業は自習。運悪く日直だった春人が付き添いで病院に付いて行くことになった(なぜか双月も一緒だったことを考えると一概に運が悪いとは言えない)。そんなわけで現在、教室にいる意味もなくなった秋生と桜生は心霊部の部室に身を置いている。
「夏川先輩が靡くぐらいだから、きっとよほどの額だったんだろうね」
「もんのすげ――…って、何してんの?」
逆に今まで気が付かなかったのか。本当に脳内お花畑だ。
「職権乱用リスト」
「職権乱用リスト…?」
秋生は桜生の言葉を復唱して首を傾げた。自分とそっくりな顔だが、同じ女の格好をすれば秋生の方が絶対に可愛い。それなのに、こんな格好をしているなんて勿体ないこと極まりない。
「秋生、言ってたでしょ?秋生が夏川先輩に甘えたり我儘言えるのは恋人の特権だって。だから僕もいつくんに我儘言ったら、それは職権乱用だって言われたの」
「ふーん…職権乱用なぁ。…って、え。恋人?」
秋生はきょとんとした表情を浮かべて桜生を見た。
「あ、そうだ。秋生には言ってなかったね。僕、晴れていつくんと恋人同士になりましたー」
「なりましたーって、え?」
「春君はもう知ってるんだよ。本当は一緒に言おうと思ったんだけど。秋生、夏川先輩に触れなくて参ってたでしょ?だから言わないでおいたの」
それからずっと、言い忘れていたのだが。
「そっか…よかったじゃん!おめでと!」
「はーい、ありがとう!」
何故かハイタッチをした。手が触れたからだろうか。桜生は秋生のテンションの高さが移ったみたいに気分がよくなった。今なら空も飛べそうな気がする。
「で、職権乱用リストって何?」
「まぁてっとり早く言うと、いつくんへの我儘リストだよ」
「お前、何でもかんでもリストにすんのな」
秋生はそう言いながら、桜生の書いているリストを覗き込んだ。
桜生がこれ以前にリストにしたのは“体が戻ったらやりたいことリスト”だけだ。なんでもかんでもと言うのは、言い過ぎだ。だが、今はそれに文句をいう気もないくらい、桜生は気分がよかった。
「僕は〜職権乱用の〜支配者さ〜」
「何歌ってんだよ」
秋生の表情が顰められる。
桜生は別に歌っているつもりはなかったが、勝手にそうなっていたようだ。
「秋生のテンションが移っちゃったみたい」
「ふーん。でも桜生、歌下手だな。引くほどに」
そういった秋生の顔はいつになく真剣で、そして桜生を見る視線はどこか哀れむようだった。
「しっ…失礼な!」
「いや、本当に下手だったぞ。あとどうせ歌うなら、俺は〜職権乱用の支配者だ〜ってメロディーの方がよくないか?」
「しゅっ…秋生のくせにうまい…!」
桜生は悔しがるように机を叩く。机がバン、と音を立てて揺れた。
それを見て秋生が苦笑いを浮かべるものだから、余計に悔しくなった。
「ていうか、勝手に中身まで変えないでよ!」
「俺が僕って、変だろ」
「そういう問題?…今日の俺は〜容赦ないぜ〜」
「まだ続けるのかよ!しかも俺になってるし!」
「秋生が文句言うからじゃーん。俺にしかない職権を使って〜好き勝手〜やってやる〜」
桜生とは引くほど下手だと言われてまで歌いたくない。そのはずなのに、いつの間にか歌ってしまう。変に気分がいいせいなのだろうか。
「だから下手だって」
「もーっ。じゃあ僕が歌った後から変えていって!」
「そういうパターン?」
「いえっす」
桜生には自分の歌の何が下手なのかさっぱり分からない。つまり最初から直して歌うのは不可能だ。しかし、今桜生は歌いたい気分だ。歌うなと言われても勝手に口が動く。つまり、桜生のことを下手と言うならば秋生が勝手に変えればいい。
「手始めに〜何からいこうか〜」
「手始めに〜何からいこうか〜」
今何か変わった?
桜生にはさっぱり分からない。だが。
「楽しいね、秋生」
「ああ、よく分かんねーけど、超楽しい」
どうやら、秋生も桜生と同じ気分らしい。
今は座って歌っているだけだが、そのうち踊りだしそうだ。
「俺が職権を乱用すれば〜何でも思いのままさ〜」
「思いのままさ〜」
桜生は歌った後から勝手にメロディーを変えろと言ったのに、なぜかコーラスになっている。とはいえ、桜生はそのことを秋生に指摘するつもりはなかった。この楽しい気持ちを壊したくなかったからだ。
「酷いな。超音波でも出しているのか」
「おい…人が我慢している横でそういうことを平気で言うな」
外野が楽しい気分をぶち壊しにした。
振り返ると、真顔の李月と苦笑いを浮かべた華蓮が立っていた。その肩には今日も良狐が腰を据えている。超音波と表すだけあって、李月は手で耳を塞いでいた。
「いつくん、超失礼」
「いや、お前本当に酷かったぞ。聞くに堪えないくらい」
本当に恋人なのか疑いたくなるくらい容赦のない言葉だ。真顔なのが尚悪い。
しかし、今の気分ならそれも許せそうだ。
「先輩たち…授業は?」
「担当教員が倒れたから自習になった」
華蓮はそう言ってため息を吐いた。
桜生たちのクラスと同じだ。桜生が不思議に思って顔を顰めると、秋生もほぼ同時に顔を顰めた。
「え、先輩たちのクラスも…?」
「も…?お前らのクラスも自習になったのか?」
「はい。だからここで桜生と暇を潰してたんです」
秋生の言葉を聞いた華蓮が、顔を顰めて一瞬良狐に目配せをした。すると、良狐はその視線から逃げるようにするりと華蓮の肩から李月の肩に移動した。
「暇を潰すのに歌っていたのか?」
「別に歌いたかったわけじゃないんだけど。なんか妙に楽しくって、つい」
「妙に楽しくて…つい」
李月はどうしてか桜生の言葉のその部分だけを復唱して、顔を顰めた。華蓮といい李月といい、まるで何かを警戒しているようだった。だが、桜生には華蓮や李月が何を警戒しているのか全く分からなかった。
「酔狂じゃのう…」
李月の肩に乗っていた良狐が、まるでどうでもよさそうに声を出した。それから、桜生の肩を踏み台にして華蓮の肩に飛び乗った。一瞬触れた尻尾がさらさらしていて気持ちよく、楽しい気持ちは続いていた。
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