Long story
伍拾――言葉にすること
屋上に行くと、見たことのある霊がまるで黄昏するようにフェンスに凭れて校庭を見下ろしていた。まるで青春ドラマの風景のようだ。しかし、その霊を見た途端、華蓮の形相が変わり、青春ドラマが一瞬で戦闘漫画に変わった。何せ、華蓮の体からは赤黒い煙みたいなものが巻き起こっている。
「貴様…よくもぬけぬけと戻って来たな」
「ああん?……ああ、この間のカップルじゃないか…」
そう、屋上にいた霊は、一週間前に華蓮と秋生に変な呪い(多分)をかけた女の霊そのものだ。女は振り返ると、まるで興味がなさそうに呟いた。その女の態度が気に食わなかったのか、華蓮はバッドを手にづかづかと歩み寄っていく。肩に乗っていた良狐も危険を感じたのか、いつの間にか秋生の肩に移動していた。
「ああ、じゃねぇんだよ。くそ忌々しいことしやがって」
荒々しい口調。これは相当頭に来ているようだ。
「忌々しいのはお前たちだ。もう一週間も経ったというのに、どうして未だに一緒にいるんだ?」
女はすこぶる嫌そうな顔をする。
それは愛の力だ。ここで秋生がそんなことを叫ぶと、問答無用でバットが飛んで来そうだったので自重しておいた。
「知ったことか!」
女の質問に答える気もない華蓮は、普段なら成仏したいか消されたいかと問うところ。それを聞くのも忘れて、手にしていた思いきりバットを振り上げた。
終わった。そう思った瞬間、突風が吹いた。
「!?」
華蓮は思わずバットを引っ込め、後退りをする。女が、風の中に消えた。
秋生はその光景から目を離すまいとしたが、風のあまりの強さに目を閉じてしまった。
「お前…!」
華蓮の声を聞いて目を開けると、風のなくなったその場所には驚きの光景が広がっていた。女の隣に、もう一人増えている。
秋生は目の前に広がっている光景が信じられなくて、目を疑った。これは、夢だろうか。
「お前、もうここには来るなと言っただろ」
「あたしゃ結末を見なけりゃ気が済まない質なんでね」
夢じゃない。声を聞いた瞬間、これが現実だということを理解する。
しかしどうして。
どうして琉生がここにいるのだ。どうして、その女と親しげに話しているのだ。
秋生の中で色々な思いが駆け巡り、声を掛けたいのに掛けることが出来ない。
「あっそう。なら、もう用事は済んだな」
まるで生気のない目。
カレンと共に消えた、あの時の目だった。
「え――――…」
すぱんと、女が真二つに割れた。
まるで包丁で野菜を切るような、そんな光景を見ているようだった。
目の前にいるのは、本当に琉生だろうか。
「お前…琉生、なのか?」
華蓮も同じことを思ったらしい。
更に一歩後退りをしながら、怪訝そうな表情を浮かべていた。
「他に誰に見えるんだ?…久しぶりだな」
そう言って笑う琉生は、紛れもなく琉生だった。
一体何がどうなっているのか。何が嘘で何が本当なのか。秋生にはもう分からない。
「久しぶり…じゃねぇだろ。突然いなくなって…、秋生と桜生がどれだけ心配してると思てるんだ」
「だから、それはお前らに任せただろ。泣かせてないだろうな?」
琉生のその問いに華蓮の言葉は詰まる。
すると、琉生の表情が思いきり顰められた。
「泣かせてんのか!」
「あいつらの涙腺の脆さをなめるな!」
「そういう問題か!やっぱりお前にも李月にも秋生と桜生はやらん!断じてやらん!」
「勝手にいなくなった奴が勝手なこと言うんじゃねぇよ」
華蓮がそう言うと、琉生は押し黙った。言い返せないのだろう。
当たり前だ。一体どの面下げて兄貴ぶっているのだ。
秋生の頭の中にはいくつもの悪態が浮かぶのに、それが声になることはない。
「まぁいい。あまり長居は出来ねーんだ。無駄口叩いてる場合じゃない」
「秋生と桜生の話は無駄口か」
「揚げ足取ってんじゃねぇよ。いいか華蓮、よく聞け」
「断る。お前みたいなろくでなしの話を聞く義理はない」
「いいから聞け」
琉生が凄むと、再び突風が舞った。
秋生は再び目を閉じる。
「カレンは前たちで遊ぶために、何体か僕を放つ気だ」
「しも…べ?」
「そう。さっきの女がその一番手だった」
秋生はそこで目を開けた。
琉生が真剣な表情で華蓮を見ている。それに対して、華蓮の表情は怪訝そうだ。
「そんなことをして…何になる?」
「だから遊んでるんだよ。カレンの力が完全になるまでの余興だ。僕を放ち、お前らを弄んで高みの見物、そしていらなくなった僕は俺を使って消す」
下衆の極みだ。聞いているだけで腹が立ってくる。
「胸糞悪い。そんなもの、片端から消し去ってくれる」
「悪霊相手にはそうすればいい。だが…あいつが操っているのは悪霊だけじゃない。生きた人間も操って、けしかけようとしてる」
「人間…?」
「そうだ。お前はよく知ってるだろ。カレンに操られた人間が、どんな風になるか」
それは多分、華蓮の両親のことを言っているのだろう。
両親はカレンに操られ華蓮も睡蓮も捨て、そしてカレンの両親となった。
「気をつけろ。あいつはお前たちを外からも内からも壊そうとしている。手の上でいたぶり尽くして、そして止めを刺そうとしてるんだ。一体どこから、どんな手を使ってくるか分からない」
琉生はそう言うと、一瞬でフェンスの上に移動した。
「また…いなくなるのか。あいつらを置いて」
「嫌な言い方するなよ。俺はカレンの最後の忠実な僕だ、今このことを伝えに来るためにどれだけ労力を使ったと思ってんだ」
秋生からしてみれば、そんなことは知ったことではない。
「ならせめて…説明くらいしてやったらどうだ」
「それはできない。これ以上、あいつらの心配ごとは増やしたくないからな。…俺が来たこと、秋生と桜生には言うなよ」
何を言っているのだろう、この男は。
「お前の目は節穴か?」
「は?―――げっ、秋生!」
華蓮に指摘され、琉生はようやく秋生の存在に気が付いた。
視線が合う。
今度こそ、沢山文句を言ってやろう。
「さっさと行けよ」
何で勝手にいなくなったんだとか。
どうして戻ってきてすぐに自分を見つけないんだとか。
カレンのところで一体何をしているんだとか。
あの時のパンチは死ぬほど痛かったとか。
言いたいことは沢山あった。
「え……」
「もういいよ、兄貴の勝手には慣れた」
沢山あったはずなのに、どうしてこんなことを言っているのだろう。
…分かっている。本当は、自分が何を言いたのか。
「秋生……」
琉生がどこか困ったような視線を送ってくる。
聞きたいことは、ひとつだけだ。
「ちゃんと…帰ってくるんだろ?」
たったひとつ、これだけ。
そう聞くと、困ったようだった視線が、強い視線に変わった。
「ああ、帰ってくる」
その返事が聞けたのなら、それ以上は望まない。
「じゃあいい。もう心配しないって、桜生と決めたんだ」
「……強くなったな」
そんなことはない。
ただ、桜生と決めたのだ。2人で、決めたのだ。
「2度も置き去りにされれば、さすがにな」
秋生がそう言うと、琉生はどこか困ったように笑った。
「じゃあ、そろそろ行くけど…華蓮、次に秋生を泣かせたら本当に殺すからな。李月にもよく言っとけ」
「だから、無理に決まって――…ッ!!」
華蓮の言葉が終わる前に突風が吹いて、琉生は姿を消した。
嵐のように過ぎて行くとは、正にこのことだと思った。
あまりにも一瞬のことだったので、まるで夢を見ているようだった。
「酔狂な奴じゃのう」
良狐が華蓮の肩に戻っていく。
良狐を肩に乗せながら振り返った華蓮が、秋生の方に歩いて来た。
「どうしようもない奴ですね……」
近寄ってきた華蓮に苦笑いを浮かべながら、なるべく平静を装ってそう言った。
しかし、華蓮には秋生の気持ちを完全に見透かされている。
「そうだな」
少し困ったように笑ってそう言った華蓮は、静かに秋生を引き寄せた。
引き寄せられた秋生は、まるで吸い込まれるように華蓮の腕の中に体を埋めた。
「……っ…」
もう心配しないと決めた。桜生と決めたんだ。
「よく頑張ったな」
華蓮はそう言って、秋生を抱きしめる。
まるで秋生を締め付けていた鎖を溶かしていくような、優しい体温だった。
「う…っ、ひっく…」
心配しない。何も聞かない。自分は大丈夫だ。
華蓮の腕の中では、そんな強がりは全て溶けてなくなってしまう。
溶けてなくなってしまった強がりをどんなに言い聞かせても、溢れる涙を止めることはできなかった。
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mokuji
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