Long story


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肆拾陸――この感情が示すもの

 普及した校舎は、以前よりも随分と綺麗になっていた。どうせ復旧するならと全体的にリフォームを施したらしい。破壊されたところだけではなく、後者全体が新設されたようにピカピカだ。それこそ、まるで違う学校に来たと勘違いしてしまいそうなくらいに。
 この学校に来るようになって間もない桜生ですらそう思うのだから、きっと他の生徒たちはもっとそう思っているに違いない。

「なんか落ち着かないねー。校舎だけじゃなくて、小物まで全部新しくなっちゃうと」
「だな。机が綺麗なのは嬉しいんだけど、落書きできないし」
「そうそう。久々の授業で教師たちは張り切ってるから、喋ってたら怒られるし。おかげで超暇」

 そもそも机は落書きをするものではない。そして授業中に会話をするのもルール違反だ。小学校に通っていない桜生でもそれくらい分かる。しかし、机に落書きをしたくなる心理も喋りたくなる心理も、数時間授業を受けただけでよく分かった。これまでは李月にくっついて学校にきても悪霊退治ばかりで授業なんて受けたことはなかったが、こんなに暇なものだとは思っていなかった。

「桜生はどう?授業聞いてて楽しいか?」
「ううん。どれもこれもちんぷんかんぷんだから、漢字覚えてる」
「漢字?」
「一番活用するのがこれかなと思って」

 漢字を書けないと、ノートを取っても読めないのだから元も子もない。だから、高校レベルの授業を真面目に聞く前に、小学校からの漢字を一から覚えることにしたのだ。数学でよく出て来る九九も検討したが、数字は嫌いなので後回しだ。

「なるほど…って、全然漢字じゃねぇじゃん」

 桜生の机の上を覗いた秋生が顔を顰める。
 目にしている紙には、漢字など微塵も書かれていない。

「あ…これは漢字に飽きた時の暇つぶしで、やりたいことリスト作ってたんだよ」
「やりたいことリスト?」
「うん。体が戻ったらやりたいなって思ってたことのリスト」

 桜生が紙を手渡すと、受け取った秋生とそれから春人もその紙に視線を落とした。

「学校に行く…部活に入る…この辺に斜線が入っているのは、クリアしてるからだな」
「うん。思い浮かんだのを適当に書いてるから、もう叶ってるものもあるんだ」
「叶ってないのは…プールか海に行く、遊園地に行く、パフェを食べる、…いつくんと買い物行く、いつくんと映画を見に行く、いつくんに膝枕してもらう……ちょっと、この辺から全部李月さん込みになってるんだけど」
「本当だ…この先全部李月さんくっついてんじゃん」

 春人と秋生が苦笑いを浮かべている。桜生は特に意識していなかったが、何かをするならば李月と一緒がいいと思っているのは確かだ。

「しかも膝枕だけえらくピンポイントだし」
「それはこの前、秋生が夏川先輩にしてもら…」
「桜生!」
「あ、これ言っちゃだめだった…」

 と言っても、多分もう遅い気がする。秋生に叫ばれ止めた言葉は終わる寸前だった。

「何それ、どういうこと?」
「あー、あの。…えっと、……隠しててごめん」

 逃げられないと悟った秋生は、観念したように春人に謝罪の言葉を述べた。

「付き合ってるの?」

 そう秋生に詰め寄る春人の新線は鋭く、秋生を射抜いてしまいそうだ。
 いくら空気の読めない桜生も、さすがに口を挟まない。

「…うん」
「いつから」
「えっと……、春人が初めて先輩の家に来た時くらい…?」
「すっげー前じゃん!!」
「わーごめん!ごめんなさい!!」

 ガタリと春人が立ちあがったので、何かしら暴行を受けることを覚悟した秋生が頭を覆った。しかし、春人は秋生に暴行を加えることなく、呆れたようにため息を吐いて席に座り直した。

「まぁ、俺も双月先輩とのこと言わなかったし。おあいこね」
「…ありがと」
「どういたしまして」

 どうやら意外とすんなりとことは片付いたようだ。
 原因を蒔いたのが自分だった桜生は、そのことに安堵して溜息を吐いた。

「で、桜生ちゃんの話に戻そ。確認だけど、桜生ちゃんって李月さんと付き合ってるんだよね?」
「え、違うよ」
「そっか、わかっ…ええ!?」

 せっかく椅子に座り直したのに、また勢いよく立ち上がった。すごい運動量だ。

「そうなるよな!やっぱりそうなるよな!」
「いや意味わかんないんだけどあれで付き合ってないとか意味わかんないんだけど!!」
「?」

 桜生には春人が何をそこまで驚いているのかが分からない。
 秋生もその意見に賛成のようで、春人の言葉に何度も頷いている。

「あーびっくりした。心臓止まるかと思った」

 そう言って深呼吸する姿に、桜生は最近の自分を重ねた。

「…僕も最近よく心臓が止まりそうになるんだ。病気かなぁ?」
「何それ、大丈夫?」
「今は大丈夫だよ。そうなるのはいつくんと一緒にいるときだけ」

 説明すると、心配そうだった春人の顔が途端に呆れたような表情になった。
 一体何が春人を一瞬で呆れさせたのか、桜生には全く分からない。

「ちょっと待って。李月さんといるときだけ心臓が止まりそう?」
「うん。胸が苦しくなって、息ができなくなる。でも、離れるのは嫌なんだ」

 その時のことを思い出すだけでも、少し胸が苦しくなる。
 そんな桜生の気持ちを余所に、話を聞いた春人は頭を抱えて机に突っ伏した。

「秋生より重症だ……」
「いやほら、ずっと霊体として限られた世界にいたわけだから」
「ああ…そうか。そういうことか」

 納得したように頷きながら顔を上げる。
 今の秋生の言葉から一体何が分かったと言うのだろう。桜生には、何一つわからないのに。

「……秋生と春君は、これが何だかわかるの?」
「うん」
「分かるよ」
「本当に!?…じゃあ教えて!」

 今度は桜生が席から立ち上がり、秋生と春人に詰め寄る。

「この話、李月さんにはしてないのか」
「したよ。でも、いつくんは教えてくれないって言った」

 李月は葛藤する桜生が可愛いから教えないと言った。
 心臓が爆発しそうになって耐えしのいでいる姿の何が可愛いと言うのだ。

「あー…そりゃだめだ」
「李月さんが教えないって言うなら、俺たちが教える訳にはいかないよ」

 秋生と春人が苦笑いを浮かべる。

「どうして?僕のことなんだからいつくんは関係ないでしょ」

 それこそ意味が分からない。
 どうして李月が教えないと教えてはいけないのだ。
 李月の心臓の話をしているのではない。桜生の心臓の話をしているのに。

「いや…とにかく、俺たちは教えられない」
「右に同じ」

 これ以上何を言っても無駄だ。

「もういいもんっ」

 春人と秋生は李月と同じように、何を言っても教えてはくれないだろう。
 ならばもう聞かない。
 桜生は頬を膨らませてそう言うと、2人背を向けた。

「おい桜生!どこ行くんだよ!」
「どこだって僕の勝手だよ!」
「いや、うろついたら危…」

 もう霊感が全くない桜生に、何も危ないことなどない。
 秋生の言葉を最後まで聞く前に、桜生は教室を後にした。教室を出てしばらくして授業の開始を告げるチャイムが鳴ったが、桜生はそんなこともおかまいなしに教室から足を遠ざけた。



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