Long story


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「さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか」
「え?」

 蓮の視線が桜生から逸れた。
 先程、記憶が消えた場所で何かが揺れている。煙のようなものがゆらゆら、ゆらゆら。それが段々、何かの形を成してきた。
 少しずつ、足…胴体、体……人の形を成していく。

「あ…」

 自分にそっくりだった。
 けれどそれは、自分ではない。

「久しぶりだね、蓮くん」

 母……柚生は、笑顔で手を振った。
 ここにある筈のないもの…きっとあれが、琉佳の魂。その記憶から成されたもの。
 まるで、本物のようだった。

「さいっっっあくだ」

 蓮はその姿を目にした瞬間、頭を抱える。
 世月に会ったときの李月のようだと思った。…それはつまり、世月に会った華蓮のよううなものだ。

「あっ、人を見て開口一番に何て暴言!これは睡華先輩に報告案件ですね」

 柚生がピッと指差すと、蓮はビクッと肩を鳴らした。
 まるで、怯えた子猫のようだ。

「……大丈夫ですか?」
「そんなこと出来ないって分かっているのに、動悸が凄い…」
「でも、今からあの母さん…の、偽物?倒さないといけないんですよね?」

 この間見た映像では、柚生はかなり強者のようだった。蓮と瀬高を相手取り、まったく物怖じすることなく戦っていたのだ。
 あれを目にした上でこのヘタ…少し弱気な面を見てしまうと、とても心配になってしまう。

「あっはっはっ。蓮くんが私を倒す?そんなのムリムリ!笑っちゃうっ!」
「………」
「母さん……容赦なさ過ぎ…」

 前に見た映像の中でも、柚生は蓮に対し遠慮の欠片も見せない様子で言葉を放っていた。そんな所まで忠実に再現しなくてもいいのに、と桜生は思う。

「だってそうでしょ?蓮くんはどこに出しても恥ずかしくない程のヘタレさんだもんね」
「……」
「いつも弱腰でいるから私にだって勝てないし、睡華先輩の尻に敷かれてるし、真柚にもいいように言いくるめられて…一家の大黒柱としての威厳なんて微塵もないね」
「……」
「挙げ句の果てには、折角和解した息子ともろくに連絡も取らないで。拒まれる筈なんてないのに、何が怖いんだか」
「……」

 あまりに酷い言い様だと思った。けれど、怒濤の勢いで罵倒の限りと尽くすので、桜生は割っている隙を見いだせなかった。
 蓮は少しだけ俯いて、柚生の言葉に何一つ返さない。柚生から浴びせられる罵倒を受け入れているのか。それとも拒んでいるのかも分からない。


「でも」

 柚生はそう区切り、溜め息を吐いた。
 まるでどこか、呆れているように。


「……それでも、お父さんでしょ」


 蓮の顔が上がる。


「救わなきゃいけない人、いるんでしょ」


 それはさっきまでと別人のように。


「だったら、ほら」


 いつも、自分達に語りかけてくれていたように。


「私なんかの為に、うじうじしてる場合じゃないでしょう?」



 とても優しい声だった。



「……ああ、そうだな」

 蓮はそう答え、すうっと息を吐いた。
 そしてその視線が、桜生に向く。

「出来れば手伝って欲しいんだけど…やっぱり、お母さんと喧嘩するのは嫌?」
「平気です。こんなところで油売って、早く父さんに会いに行けって説教してあげないと」

 これはただの、琉佳の魂からなる記憶の産物。本物ではないことは分かっている。
 けれど、例え偽物の母に向かってでも心からそう叫べば。どこかにいつはずの本当の母にも、きっと伝わる。
 どうしてか、そんな気がした。

「じゃあ…」

 と、蓮は桜生に耳打ちをした。

「……そんなことでいいんですか?」
「ああ。問題ない」
「分かりました」

 桜生は頷きながら柚生に向くその横顔を見て。
 今までのどの瞬間よりも、華蓮にそっくりだと思った。出来ないという選択肢はないという…そんな華蓮に、そっくりだと思った。

「おっ、やる気になったかな?」

 柚生がクスリと笑う。
 余裕綽々というような表情だ。

「そんなに悠長に構えていていいのか」

 一瞬。

「ッ!!」

 ーーー疾い。

「俺がやる気を出したら、追い付けないことくらい知ってるだろう?」

 一体いつ、手にバットが握られていただろう?一体いつ、柚生の真横に移動したのだろう?一体いつ、そのバットを振り下ろしたのだろう?
 桜生には全く何も見えなかった。
 けれど柚生は、その一撃を間一髪…いいや、どうやら頬を掠めたようだ。血こそ出てないが、頬からうっすらと煙のようなものが立ち上っている。 

「いいね、格好いいよ。琉佳くんの次の次の次の………」

 今度は柚生がバットと、それから刀を手にしていた。
 映像でも見た、真っ黒く禍々しい…なんだか凄そうな代物だ。確か隼人が琉生に、使おうとするなと言っていたことを思い出す。
 そして、夢魔との騒動の時には…隼人がそれを、手にしていた。

「…やっぱり、それ程でもないかな!」

 刀とバットを同時に振りながら回転する。ぶわっと、柚生の周りに風が巻き起こった。風の壁が出来上がる。
 そしてその壁が、蓮に向かって刃を突き立てた。それはまるで、凶器を剥き出しにした竜巻だ。それがたったの一瞬で……一旦距離を取った蓮の背後に迫っていた。
 どちらも疾い。とても、桜生の目には止まらないくらいに。

「遅いな」
「だろうね、でも」

 風とは反対の場所に柚生がいる。
 竜巻のような風は囮。一瞬で蓮の間合いに入っていた柚生が、すかさず刀を振り翳した。

「でも、遅い」
「っ!?」

 ギインッと、金属のぶつかり合う音が耳に響く。今の今まで竜巻に向いていた蓮が、バットで刀を受け止めていた。そして、背後に迫っていた竜巻も消えさていた。
 一瞬という言葉よりも速いことを表す言葉が、桜生には見つからなかった。それでも例えるならば…光のような速さというべきだろうか。

「ゆかちゃん、どうすればいい?」

 目の前で繰り広げられる、見えもしない戦いに見入っている場合ではない。桜生は蓮に言われたことをすべく、縁へと声をかけた。
 するとたちまち、頭の上に狐が姿を表す。…地獄でもちゃんと出てきてくれてよかっと、内心でほっとした。

「上を見な」

 縁は蓮から耳打ちをされていたことを聞いていたようで、桜生がやりたいことを伝えるまでもなく指示を出してきた。
 桜生は言われた通り、上を見る。そこには地獄とは思えない程、快晴が広がっていた。

「あんたはこの手の類いは苦手だからね。いっとう集中してやるんだよ」
「分かってる」

 ここで自分が失敗するわけにはいかない。
 この間のような失敗は、もうしない。

「さぁ、雨乞いだ」

 頭上を見て、自分がどうするべきなのかは心の中に伝わってきた。とはいえ実際は、何か行動を起こすわけではない。
 ただ、集中して。
 そこに広がる平原の草花から、少量ずつ。漂う空気から、少しずつ。大地から、少しずつ。この地獄の端から端まで、ありとあらゆるものから少しずつ、少しずつ。
 そうしてそこに貯めるのだーーー水を。
 ありったけの、水を。

「ーーーありがとう」

 大地に向けお礼を言ったその時。
 上空に貯まった水が、一気に弾け散った。それはすぐに雨となって、また大地へと戻っていく。
 ザアザアと音を立てて、あっという間にずぶ濡れになってしまった。同時に、足元がぬかるんできた。

「雨?どうして?」
「さぁ、どうしてかな」
「っ!」

 ギンッっと、金属のぶつかり合う音。
 速い動きの中で僅かに見える柚生の顔は、今までになく引きつっていた。しかしその場に、もう蓮はいない。
 だが柚生は次の動きが分かっているかのように、先に体勢を次の方向へ向けていた。再びギンッと、金属のかち合う音。

「速くても、読まれてたら意味ないよ」
「…さぁ、どうかな?」
「?……うわ!?」

 あ、そうか。

「取った」

 蓮は華蓮のように、バットを突きつけるようなことはせず。雨によって悪くなった足場に爪先を引っかけた柚生が、転ばないようにその腕を引いた。
 分かっていたのだ。足場を悪くすれば、柚生が必ず足を引っかけると。
 だから桜生に、あんな耳打ちをしたのだ。
 辺りをずぶ濡れにして欲しい…と。

「………雨…」
「君は天性のドジっ子だからな。泥濘がなくてもいつかは転ぶだろうが、そう時間を掛けていると先に俺がやられる」
「………ならどうして、トドメを刺さずに転ぶのを助けたの?」
「勝敗はついた。だからもう、大人しく降参するだろう?」

 それは確信めいた口ぶりだった。その言葉に柚生はとても不服そうな顔をしたが、すぐにどこか諦めたように溜め息を吐いた。
 そしてどうしてか、桜生の方を向く。

「……これを、お父さんに」

 そう言ってポケットから出してきたのは、青色の宝石のようなものだった。遠目でも透き通っているのが分かり、とても綺麗だ。
 きっともう戦意はないのだろう。桜生は柚生に近寄り、手を差し出す。
 そしてその手が、自分に触れた。


 暖かい、母の手が。


「………かあ…さん?」


 記憶?魂?……本当に?


「大きくなったね、桜生」


 柚生はそう言って桜生の頭を撫でる。
 暖かい、母の手。
 桜生がよく知る、母の手。

 お葬式の日に触れた手は冷たくて。
 もう二度と、あの手には触れられないのだと…。桜生はその悲しみに、耐えられなかった。


 これは誰かの記憶?…その産物?


 いいや、違う。


「母さん!!」


 これは紛れもなく、母だ。


「うわっ…わわわっ!」
「うわぁっ」

 思わず抱きついてしまい、母がバランスを崩した。そしてそのまま桜生ごと、どたんっと、尻餅をついてしまった。
 先程水浸しにしたばかりなのに、地面はもうすっかり乾いていた。そういえば、雨は自分達もずぶ濡れにした筈なのに、全く濡れていない。

「ごめんね、桜生。ずっと、寂しい思いさせたね。苦しい思いさせたね」
「ううん、そんなことない…。だって僕、今は毎日が凄く楽しいんだよ」

 父にも伝えた。兄にも伝えた。
 ずっとそれを、母にも伝えたいと思っていた。

「そっか」
「そうだよ。…でも」

 もしかしたら、もう死ぬまで会えないのかもしれないと思った。もしかしたら、死んでからも会えないのかもしれないとも思っていた。
 普通はそれが当たり前で。
 父に会えたことだけでも奇跡のようなことだから。それも仕方がないことだと…そう思おうとしていた。
 でも、本当は。


「会いたかった、母さん」


 ずっとずっと、会いたかった。
 

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