Long story
目の前に見える四つ足だけで、その迫力は満点だった。視線をあげれば辛うじて顔が見えるので、高層マンション程はないかもしれないが…。田舎のアパート程度なら、簡単に踏み潰してしまそうな大きさだった。
「こんなに巨大な麒麟などいやしない。あの人は妖怪の類いに興味がないから、忠実さが足りてないな」
「いや深月パパ!冷静に感想述べてる場合じゃないですって!!」
瀬高が腕を組んで少し不満げに言葉をこぼすと、素早く侑の突っ込みが入った。
李月は本来の麒麟の大きさを知らないので、これがどれほど現実離れしているのかは分からない。ただ、どれだけにしても相手にするのには少々厄介そうだということは分かっていた。
「そうは言うけど、麒麟っていうのはそもそも凄く神聖なものだからな。仮にもそれを扱おうと言うなら、それ相応の敬意を払って…」
「やだこの人深月みたい!」
順番的に言うと、瀬高が深月みたいなのではなくて深月が瀬高みたいに育ったと言うべきなのだろうが。今ここでそれを指摘しても仕方ないだろう。
李月は一度ため息を吐いてから「なんてことなの!」と言わんばかりの顔をこちらの向けている侑と、やはりまだ不満げな瀬高向かって口を開く。
「そんなことより、こんなものどうやって倒すんだ?」
「えっ?倒すの!?逃げるんじゃなくて!?」
「そりゃあ、どう考えてもこれが探していた魂だろうからな」
今までの状況と先程の瀬高の言葉からそうだと分かるし、そもそも麒麟なんて神聖なものが地獄に存在しているはずがない。だからこれは間違いなく探さないといけない魂で、それを捕まえる為には倒さなければならない……となるのは当たり前だ。
侑も馬鹿ではないから、普通に考えればそれくらい想像がつきそうだが。多分今は、色々とキャパオーバーで思考が追い付かないのだろう。
「……こんなのどうやって倒すの?」
「んなこと……父さん、でっかいだいだらぼっちとか出せるんじゃないのか?」
どうやって倒すのか、なんて自分に聞かれても困ると返そうと思った李月であったが。家で見ていた映像の中で瀬高が巨大なだいだらぼっちを出していたことを思い出した。
映像であったし周りが殺風景だったので正しい大きさは分からないが、かなりの大きさであったことは間違いはい。あのだいだらぼっちがいれば、簡単には踏み潰すことが出来そうだ。
「それは鈴々の力を借りてるんであって、自分の力じゃない……何でそんなこと知ってるんだ?」
「父さんと華蓮の父さんが桜生の母さんにボコボコにされてる映像で見た」
「何だその、父の威厳の欠片もない映像………いや、そんなもの元からないな。とにかく今は鈴々がいないから、それは出来ない」
「華蓮が亞希ちゃん呼ぶみたいに、呼べないんですか?」
「鈴々の本契約者は蓮だからな。俺は仮契約でおこぼれを貰っている程度だから、その場にいない限りはどうにもならない」
本契約者がいて、そのおまけの仮契約であの規模のだいだらぼっちを出せるのか…と、李月はそこに驚きを隠せなかったが。
どっちにしても、出せないのなら意味はない。
「……まぁ、動き出した所を縛り付けるくらいは出来るかもしれないが…それは君の方が得意だろう?」
瀬高がそう侑に問いかける。
侑は植物を自在に操ることが出来るので、きっとそれのことを言っているのだろう。そしてきっと…瀬高も、それが出来るのだ。天狗の血から得た力で。
「うーん、どうでしょう。ここは何だか植物が枯渇してますし…上手く出来るかどうか。………そもそもあれ、本当に動き出すんですか?」
「今は大人しくしているが、李月が攻撃を始めれば必ず動き出すはずだ。あの大きさじゃあ凪ぎ払われるだけでも骨折どころじゃ済まないからな」
確かに、あの大きさのものに凪ぎ払われればただでは済まない。そして、攻撃を開始すれば必ず動くと言うのも間違いはない……と、そこまで考えて李月はふと、首をかしげた。
「ちょっと待て。…俺が?」
瀬高は凄く当たり前のようそんなことを言っていたような気がするが、気のせいだっただろうか。
「他にいないだろう?あれとまともに渡り合えるのは」
「……侑はともかく、父さんはだいだらぼっち以外に何も出来ないのか?」
「俺は深月と違って妖怪とは一切本契約はしいないからな。自慢じゃないが、全て場合においてその場に本体がいないと何も出来ない」
「妖怪ならここにいるだろ、ここに!」
李月は侑を指差した。
かねてより見てきた通り、侑は深月の力を蓄えまくっている。その力を利用すればそれこそ、麒麟を縛り上げるばかりか締め上げるぐらい雑作もないことのはずだ。
「いや…流石にこの子はダメだろう?また深月が家出するなんて言い出したら、お前が全部代わりを勤めることになるぞ?」
「……それは絶対に嫌だ」
というより無理だ。
最近は身代わりの頻度も半々くらいになってきてはいる。しかし、それも深月が基盤を築いているからこそ出来ることだ。李月には何もない所から始めるようなことは出来ない。
というか、そんなことを何度も何度も積み重ねていくなんて御免だ。面倒臭すぎて絶対に途中で嫌になる。
……やっぱり出来ないのではなくて、嫌だという方が強いだろうか?その辺りのニュアンスは別に、どっちでもいいのかもしれないが。とにかく無理だ。
「そんな、ちょっと僕の力使ったくらいで家出なんて大袈裟な…」
「最初の家出だって君の為だろう?」
「えっ。そ…そんな別に、僕の為なんて…」
「照れてる場合ーーー、一都!」
口が開かれた。
「え?」
侑が指を傾げている間にも、李月は飛び上がりその顔に目掛けて刀を振り下ろしていた。
その動きが決して華蓮に追い付かないことは自分でも分かっていた。だが、どうにかその口が何かを発する前にその刀を叩きつけるのに間に合った。
「ッ!!」
ガギンッと、刀が悲鳴を上げる。早さばかりか、本来李月の専売特許である筈の重さですら遠く及ばない。
やはり、一都だけでは。だが。
光る。
たった一瞬、思考をしている間に。
放つ。
「かぁああッ!!!」
目が眩むような光。耳が張り裂けそうな爆音。
直後に漂う、焼けた臭い。
「…そ…んな……」
侑が口をあんぐり開けて見ていた。
最初にやって来た時に不気味さを感じた森…であった場所。そう、そこは確かに森だった。
今は、何も無い。
「麒麟が口から光線を吐くという話は聞いたことがないが…」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ。見ての通り俺らは点で役に立たねぇし」
李月の隣に出てきた一都は、不満そうな瀬高に向かってこれまた不満そうにそう漏らした。その不満の原因は自分の力が全くといって通用しなかったことだろう。
「……当面の仕事は覚悟するか…」
深月には侑の存在を認めさせるという目標がある。仮に家出したとしても、いつかは戻ってくるだろう。
李月が深月のふりをしてその目標を成し得る…ということも出来なくはないが。男のプライド的に、それは許さないと……言い出すと、思いたい。
そう思って、高を括るしかない。
「……しばらく口も利いて貰えなくなるだろうな…。それは避けたい所だが………」
「四の五の言ってる状況かよ。グズグズしてっとこのままは全滅しちまうぞ」
未だに悩んでいる瀬高を、一都が一層苛立った様子で足蹴りにした。げしっと蹴られてもまるで驚くこともない瀬高は、悩ましげに腕組みをしたまま一都を見下ろした。
「君は憎しみか。もう随分と本来の感情が薄れてしまっているようだな」
「だから俺の刃が通らなかったって言いてぇのか?……否定はしねぇよ」
「随分と物分かりがいい所を察するに、それを後悔している風でもないみたいだな」
目の前で麒麟が暴れ出そうとしているーーもう暴れ出したと言ってもいいかもしれない。今はそんな世間話をしている時間などないと言うのに。
そんな中で、どうして瀬高は一都にそんなことを問うのか。
李月は自分の刀を見つめる。
以前は出来ていたことが出来なくなる事程もどかしいことはない。だが、以前に戻りたいとも思わない。
理由は明白だ。
「愚問だな」
「…何でてめぇが答えてんだよ」
「後悔してるのか?」
「……チッ」
後悔などしている筈もない。
舌打ちから、李月は一都がそう言っていると受けとることにした。
「それなら確かに、四の五の言っている暇はないな」
ついに覚悟したのか。
そう思ったのだが、瀬高はどうしてかポケットからスマホを取り出して操作をし始めた。それからすぐにプルル…と、着信音のような音が聞こえる。李月たちにもよく聞こえるということは、スピーカーになっているようだ。
李月は侑と顔を見合わせ首を傾げた。一都は訝しげな様子でそれを見ていた。
ガチャッと、誰かが電話に出た。
『だ、か、ら!会長の面会に行きたければご自由に!せいぜい媚を売り倒して、破産することをお祈りしております!』
怒涛の叫び声。
瀬高は思いきり顔をしかめてスマホから顔を背けた。李月と侑、それから一都も、その声量に思わず耳を塞いだ。
「……もしもし」
『……あれっ?…あら!?旦那様!?』
「随分と迷惑電話に苦労させられているみたいだな」
『あっ…いえ、あのっ。今しがたそのような電話があったもので、同じ人間かと…ええ、確かに随分と迷惑はしておりますが。とはいえ大鳥家のメイドとして、気品の欠片もなく叫び上げてしまい、申し訳ありません……』
しゅんとしたような姿が目に浮かぶのは、大鳥家にいるメイドのうちの一人だ。つまり、瀬高が電話をして先は大鳥家…李月の実家ということになる。
目の前で麒麟が暴れだしそうな状況下。何を思って悠長に実家に電話などしているのだろう。
「別に謝ることはない。私の取引相手がそこに電話にかけることはなし、何の問題もないからな。今後も存分に叫んで迷惑行為の撲滅に取り組んでくれ」
『………奥様!奥様!!旦那様からお墨付きを頂きました!ええ、そうです。じゃあ今後はもっと酷い言葉でなじっても?…やったあっ』
あの家には一人として会長の味方はいない。執事も、メイドも、料理人も。
皆が瀬高の味方…というよりも、葉月の味方とい言った方が正しいかもしれない。どうやら今も、すぐ近くにいるようだ。
「…近くに彼女がいるのか?丁度いい、都合が悪くなければ変わって貰ってくれ」
どうしてか。電話の向こうが沈黙した。
電波が悪くなったのかと、李月は一瞬考える。だがそもそも、地獄に電波が届くことが異質だった。
『…………奥様っ、旦那様が奥様とお話になりたいそうです!』
沈黙の後、メイドが一段と大きい声を上げた。
どうやら沈黙は、瀬高から自分の想像の範疇にない言葉が飛び出したことが理由らしい。
『はぁ?冗談キツいぜ。そりゃニセモンだろ!新手の詐欺だぜ、詐欺』
『馬鹿ね、私が旦那様を偽物と間違うわけないでしょ。このボンクラ料理長!』
夫が妻に電話する。
一見何の不思議もない当たり前のようなことだ。それなのに、方や隕石が落ちてきたレベルの驚きよう、方や詐欺扱い。
ただ、そう見えても仕方がないところはある。両親が夫婦らしくしている所はあまり見たことがないし、そもそも瀬高は殆ど家にはいないので一緒にいる場面を見かけることもなく、仲睦まじい姿なんてもっての他だ。
だからこそ、1週間も貫徹で一緒にゲームを作ったという話を聞いた時には深月と双月共々に心底驚いたのだ。ぶっちゃけ、未だに信じられなくもある。
『貴方達には私たち夫婦がどんな風に見えているのよ…』
『冷めたスープ?』
『枯れた花壇?』
『……代わって頂戴』
はぁ、と溜め息が聞こえた。
瀬高を見ると苦笑いを浮かべている。きっと電話の向こうの葉月も、似たような顔をしているのだろう。
「もしもし」
『もしもし、珍しいわ…』
『奥様、ニセモンじゃねぇなら操られてんですぜ。気ぃ付けて』
『そうです奥様、惑わされずにっ。気を付けて!』
受話器を離れた筈の聞こえた声は葉月よりも大きく、その言葉を遮った。これでは、電話を代わった意味が丸でない。
『……貴方達がいると気が散るわ。ちょっと席を外してくれるかしら?』
『ええー』
『ええじゃありません。ほら、行って』
声だけ聞いていると、子を嗜める親の描写にしか思えない。これが大の大人3人で繰り広げられているかと思うと、李月も苦笑いを浮かべずにはいられない。
葉月に言われた料理長とメイドは「ちぇ」と言いながら部屋を出ていったようだ。遠くの方でパタンと静かな音がした。
『……ええと、それで。そう、珍しいわね、貴方が家に電話をしてくるなんて…と言おうとしたの』
「流石に地獄は圏外らしくて、君のスマホとは繋げなくてな。紬が君と一緒で助かった」
『地獄?…今日は祝賀会と言ってなかったかしら?まぁ、そんなことはどうでもよくてね』
やっぱり地獄では電波がないのかとか。どうして紬が一緒だと家には繋がるのかとか。そもそも家は失くなってしまったんじゃないのかとか。
色々と疑問はある。
しかし、李月が何よりも一番に驚いたことは、夫が地獄にいる発言をどうでもいいの一言で片づけてしまう母のキャパシティの広さだった。
「それで、少し君に助言を頼みたいんだが…」
『助言?よく分からないけど、構わなくてよ。…ところで、その前に少し話をする時間はあるかしら?』
「………どうだろう。…それに今は李月も、それから天狗の子も一緒にいる」
瀬高は麒麟の方をちらりと見てそう答えた。麒麟は先ほど光線を吐いて以来、動きを見せる様子はない。
しかし、そもそも先程の光線もこちらが何をするでもなく突然だった。もしかしたらまた突然、放ってくるかもしれない。
『それはまたどういった境遇でそんなことになったのかしら?とても気になるけれど…それはまた聞くことにしましょう』
「ああ。…それで、君の話は?」
『李月達がいるならまたの機会にするわ。大方、その助言とも言うのも李月と一緒にいるヤマタノオロチの件ね?』
「察しがよくて助かる」
そう言うと瀬高は李月にスマホを差し出してきた。そして同時に、なぜこんな状況で瀬高が葉月に電話を掛けたのかという答えも分かった。
四の五の言っている暇はない。
それは自分に向けての言葉でなく李月に向けての言葉だったのだ。
四の五の言わずに、母に電話をして自分達の身に起こっていることの解決策を聞け。と、そういう事だ。
「……もしもし…」
スピーカーになっているんだから手に取る必要はないのではないか。李月は瀬高から手渡されたスマホを手にしてから、そんなことを思った。
『貴方はあれからも時々帰って来ているようだけれど…。私が声を聞くのは久しぶりね、李月』
「……そりゃあ、まぁ、俺は深月よりも会えば怒られるようなことばかりしてるからな。逃げるに決まってる」
『あら、随分と開き直るのね。それならいっそ、自ら胸を張って叱られに来るくらいの度胸を見せなさい』
「……そこまでメンタル強くない」
『貴方は本当に…まぁいいわ。お父さんが態々電話してくるくらいだから、それなりに切羽詰まっているのでしょうね。本題に入りましょう』
葉月はそう言い、ふぅと息を吐いた。つられて、李月も息を吐く。
電話を代わってからまだ1分も話していないのというのに、既にどっと疲れたような気がする。電話の向こうから感じる圧力が凄い。
『貴方が今とてもバランスが悪いのは、貴方の中にいる元々1つの魂であったヤマタノオロチが分裂し、8つの魂が混在している状況なってしまっているからよ。それは分かってるわね?』
「ああ」
『それを正す方法はひとつ…ではないけれど、一番手っ取り早いのは貴方の中にある魂を1つにしてしまうこと』
「……分裂した魂を元に戻すってことか?それは出来ない」
いや正しくは、出来ないかどうか李月は知らない。だかやりたくない。そうする気もない。
先程も言った通り、それは愚問だ。
『いいえ、そうではないわ。貴方の中にある7人分の魂を他の場所に移動させるのよ』
「他の場所にって……」
「共有している魂を他に移して、生きてられんのか?…仮に出来たとしても、すぐに消滅しちまうだろ」
『あら、その声は恨みの子ね。…ええ、その通り。魂は肉体がない状態ではとても不安定で、どんなに強い力を持っていてもすぐに消滅してしまう』
李月は葉月の前で、一都は愚か誰の姿も見せたことはない。それなのにたった一言声を聞いただけで瞬時に当ててしまうなんて。李月はもちろん、一都も驚きの表情を浮かべていた。
「……魂が不安定なら、幽霊はどうして存在しているんですか?」
「想いが魂を取り巻いているからだ。例えば未練や後悔、恨みや憎しみ…願いや祈り。そういった強い想いが魂を守っているから、一度幽霊になると消滅することはない。けど、想いを遂げるまでは成仏も出来ない」
侑が問いかけ、瀬高がそれに答える。
その説明が本当なら、強い想いを持って李月の中から出ていけばいいということになる。そして葉月がそれを指摘しなかったということは、瀬高の説明に間違いはない。
李月の中にいるヤマタノオロチは元々、それぞれがひとつの感情を持って存在していた。その為、それぞれがその感情を高めれば強い想いを生み出すことは可能だろう。
だが、それでは8つの魂を1つに戻すのと同じだ。何の意味もない。
『李月も恨みの子も、そんなに困った顔をしなくても大丈夫。貴方達の誰も、得たものを失いはしないわ』
「……どっから見てんだ?」
「……さぁ…」
一都が顔をしかめて空を見上げ、李月も釣られて空を見る。当たり前のことだが、そこに葉月がいる筈もない。
『お父さんが言っていたように、魂を切り離しても消滅させない為には、魂を守ればいいの。それに感情を取り巻く必要なんてないわ、安全な家の中に籠っていればいいのだから』
「安全な家…?」
葉月はハッキリと言う時は言うが、わざと遠回しな言い方をする時がある。今回はその後者で、李月はスマホを前に首を傾げた。
「はぁ、なるほど。そういうことか」
「…分かったのか?」
「分かったも何も、言葉通りの意味…つーか、ある意味俺らは常にそこにいる」
一都の手の中に酒瓶が現れる。
それは一瞬で消えたが、李月はそれで言わんとすることを察した。
「あの家程、安全で守られた場所はない」
「ご名答」
あの家…それは華蓮の家の事だ。
華蓮か、或いは鈴々辺りはその権限を持っているかもしれない。主の許可がなければ、指一本たりとも踏み入れることは出来ないだろう。
だから李月が侑を連れて来た時にどうにか入るのことが出来たのは、侑がいたからと…そして、李月の存在がまだあの家に認められていたからだ。とはいえ、ヤマタノオロチを取り込んで変化していたことで、難を極めたが。
……とにかく、華蓮が結界を張っているあの家は、絶対に攻めいることが出来ない城のようなものだ。
「つまり、あの家の中に魂を縛り付ければいいのか?」
『ええ、そうよ。縛り付けると言っても貴方の中に住んでいる時同様、具現化して出歩くことは出来るわ。正し、使える妖力は雀の涙程になってしまうけれどね』
「元より池の中で遊んでるだけの連中ばっかだからな。問題ねぇだろ」
『そうは言うけれど、よく考えて。一度縛り付けてしまうと、そう簡単には解くことが出来ないわ。たった一匹しかいないうちの子ですら、この間解き放ったまだ反動が癒えていないの』
葉月の言葉を聞いた瀬高が苦虫を噛み潰したような顔をした。この間解き放った…というのは、瀬高が家を破壊し尽くした時のことのようだ。そういうと、覗き見していた映像の中でも、紬という名の蛟がそんなようなことを言っていた。
『それが数匹ともなると、魂に掛かる負担も尋常ではないわ。元々ひとつだった魂を分割していることを考えると…二度と解き放てないくらいに考えていた方がいいかもしれないわね』
自分の中にいる8匹の中から1匹だけを残し、あの家へと縛り付ける。だがそれは……縛り付けるとは名ばかりで、多少の制限はありつつも李月から解放され自由になると言った方がいいのかもしれない。
逆に言えばたった1匹だけ、一生自由にはなれない。一度決めてしまうと、二度と解き放つことは出来ないと思った方がいい。
「……だと。どうする?」
「ああ?んなもん、決まってんだろ」
「…うわぁ!?」
どさっと、どこからともなく目の前に八都が落ちてきた。
華麗な着地ではなく顔から地面に転がったことと、本人も驚いたような声をあげていたとこから…自分の意思で出てきた訳ではないようだ。そうなると、犯人は一都しかいない。
「選らばれし勇者はこいつだ」
「いやいや、これまで僕が多々使われてたのは一番使い勝手がよかったからでしょ。皆に同じように感情が出来た今ではもう僕を使う必要はないし、むしろ戦闘力でいうなら僕は一番格下なんだから論外でしょ」
「んだよ、つまりてめぇは選ばれたくねぇってぇのか?」
「僕がどうとかじゃなくて…。要は、李月にとって誰が一番役に立つかって話だよ。そう言う一都こそ、僕なんかに押し付けなくても最近は楽しんでるじゃん。嫌なんかじゃないでしょ」
「ほざけ。問題は楽しいかどうか、誰が役に立つかじゃねぇ。誰が一番必要か、だろ」
一都はそう言いながら、意味ありげな視線を李月に向けてきた。
「…母さん、具体的にはどうすればいいんだ?」
「至極簡単なことよ。1人だけ貴方の中に残り、他の子たちは縛られる場所へと魂ごと移動する。本留めはまた家主にしてもらうとして、お父さんに仮留めをしてもらいなさい」
「…父さん」
「いつでも構わない」
瀬高の返答を聞いて、李月は一度息を吐いた。
自分の心臓辺りに意識を集中させる。
「お前ら、よく聞け」
李月は目の前にいる2人だけではなく、自分の中にいる全員に語りかけた。ざわっと、心の中が騒つく。
「お前達を自由にする場所はあの池で文句はないだろう?」
誰からも返事はない。
それは肯定を意味する。
「3秒。速いもん勝ちだ。一番最後まで残った奴が、一生、俺と過ごす羽目になる」
「えっ、ちょ、そんな適当なことでいいの!?」
「俺らの話はまるで無視かよ!!」
「無駄口を叩いていると出遅れるぞ。カウント」
刹那。
ガシッと。李月は八都と一都の頭を鷲掴みにする。
「!!?」
「3、」
ヒュンッと、自分の中から6つの意識が飛び出して行くのを感じた。何の躊躇いもない、瞬きをする間もない程の速さだった。
「父さん」
2、1、まで数える必要すらなかった。
瀬高に声を掛け。
李月の言葉に頷いた瞬間ーーーぶつんっと、とても太い縄が切れたような音がした。
「……何考えてんの?」
「……頭沸いてんのか?」
李月の中に、分裂した八都の魂と一都の魂だけが存在している。その状況を理解し、八都と一都は李月に向けてこれ以上ない程のしかめ面を見せた。
本当なら、ここにいる筈なのはただ1人だけだからだ。
「お前達が下らないことでぐだぐだやってるからだろう。残りたいなら最初からそう言えばいいものを」
「なっ、だ、誰もそんなこと思ってないし!!」
「どういう受け取り方したらそんな湾曲したことになんだよ!!」
「そんなに俺が大好きなら仕方がない。大盤振る舞いだ」
李月がドヤ顔でそう言うのを、八都と一都はあんぐりと口を開けて見ていた。
と、手にしているスマホから、クスクスと笑い声がする。
『何だかんだと言って、貴方も賑やかなのが好きなのね。2人を残したことでどこまで安定するかは分からないけれど、仲良くなさい』
「こいつら2匹程度なら容易に扱えるから問題ない。…ありがとう、母さん」
『いいえ。帰ったら結界を補強してもらうの忘れずに』
「ああ、分かった」
『それから、アフタヌーンティーに付き合うがてらその可愛い子達を私に紹介するのもね』
「………分かった」
葉月の言葉にそう答え、李月はスマホを瀬高へと返した。
「じゃあ、落ち着いたらまた電話する」
『ええ、話したいことが沢山あるの。それじゃあ』
プツッと、電話が切れた。
「さて」
葉月とのアフタヌーンティーの件に関しては、後から考えるとして。きっと何も考えたくないまま、結果何も考えず家に行くことになるのだろうが。それはその時として。
李月は頭を切り替えて、未だ目の前に聳え立つ麒麟へと視線を向けた。
「これでやっぱり刃が通らなかったらどうする気なんだか」
「2人を残したこと後悔しても知らねぇからな」
どこか呆れたようにそう言いながら、八都と一都はその場から姿を消した。先程は全く歯が立たなかった刃に、ゆらゆらと筋が2本浮かび上がる。
最初から選択肢は限られていた。他のもの達はもうすっかり平和な世界ーー池の中で過ごすことに安楽を見出している。今更それを奪うつもりは端からなかない。常に自主的に李月の前に顔を出していた2匹。今日も今日とて、李月の前に顔を出していた。
八都も一都も、李月の手など容易くすり抜けて行くことが出来ただろう。けれど、どちらもそれをしなかった。ならばそれ以上、選択する必要はない。
それでもいいかと楽観的なものだったのか、はたまた刃が通らなかったことに憤ったのか。その真意は分からないし、どうでもいい。
「俺を誰だと思ってる?お前達程度、容易に飼い慣らせるに決まっているだろ」
李月が一歩踏み出す。
巨大な蛇が2匹、麒麟に絡みついている。久しく見ていないその姿に締め付けられた巨体は、もう身動きが取れなだろう。
ほぼ同時に、すぐ近くで空間が裂けた。
動けない麒麟と、それに飛びかかる李月。そしてそれを見ることに集中している瀬高も侑も、自分たちの背後に人が増えていることにはまだ気が付いてはいない。
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