Long story


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 本田紀彦の病室に着いて扉をノックすると、中から「はい」というか細い声が聞こえた。世月はその返事を聞くと、何の躊躇もなくガラリと引き戸を開く。部屋の奥にあるベッドに本田紀彦は座っていた。痩せこけた顔、体が、その病状の重さを訴えている。秋生はいたたまれなくなって、本田紀彦から目を逸らした。

「大鳥高校3年の大鳥世月と言います。突然お邪魔してごめんなさい。少し話したいことがあるのだけれど、いいでしょうか?」

 秋生は世月が来て正解だとつくづく思った。華蓮ならば、絶対に敬語なんて使わない。
世月が自己紹介をすると、本田紀彦は顔を顰めた。それから、立て続けに「1年の相澤春人です」「同じく柊秋生です」と声が続いて顔を覗かせれば、その表情はさらに険しいものになった。これは説以前にノーが出るかもしれないと思ったが、顰められた表情はすぐに柔らかくなりそして静かにうなずいた。

「どうぞ…」
「どうもありがとう。失礼します」
「し…失礼します」
「失礼します」

 とりあえず、潜入(?)には無事成功した。
 しかし、問題はここからだ。
 現時点で自分たちは相当怪しまれているに違ない。この状態から、どうやって話を切り出したらいいものか。最初は世間話からはいるべきか。それとも王道に天気の話か。秋生は頭の中でぐるぐると考える。実際に話をするのは世月なのだから秋生が考えても仕方がないのだが、しかし考えずにはいられない。



「本田さん、あなた、生霊って知っていますか?」

 秋生がやれ世間話か天気の話かと悩んでいたのを一瞬で見事に叩き潰し、世月は最初から思いきり本題をぶつけにかかった。
 案の定、本田紀彦の表情は入口で見た時よりもかなり顰められていた。

「生霊…?……って、本人は生きているのに、その人の霊が現れる…というようなやつですか?」

 きちんと切り返してくる辺り、本田紀彦は意外に冷静だ。
 もしここに居たのが秋生だったら、絶対に「は?」と返しているに違いなかった。

「そうです。今日私たちがここに来たのは、その話をするためです」
「生霊の…話を……?」
「ええ。あなたは霊の存在を信じますか?」
「ええ…。僕は見えませんが……大鳥高校には霊を倒す専門の生徒がいるくらいですから…信じないわけにはいきません」
「心霊部のことも知っていますか、ならば話は早い。私たちは、その心霊部の部長に頼まれて来たのです」
「え?」
「頼まれて拝まれて土下座されてきたのですよ。私はあの部長よりも偉いのです」

 なんというねつ造だ。頼まれたというかほぼ強制だったし、拝まれてもいないし土下座もされていない。それに、例えそうだったとしてもそれを伝える必要はない。本田紀彦は思いきり変な目で世月を見ている。

「世月先輩…めっちゃ変な目で見られてますよ……」

 春人が世月に小声で訴えると、世月ははっとしてから苦笑いを浮かべた。

「まぁ…そんなことはどうでもいいわね、失礼しました。とにかく私たちは、その心霊部に言われてここに来た。…それがどういう意味か分かるでしょうか?」
「…僕の生霊が……学校に出たんですか?」

 さすが3年生というべきか。物分りが早い。

「察しがよくて助かります。あなたの学校に行きたいという思いが、生霊を生み出したようです」

 世月が頷いてから言葉を繋ぐと、本田紀彦は少しだけ苦笑いを浮かべてから窓の方に視線を向けた。


「そうですか…僕の思いが……。未練は吹っ切ったと思っていたのに…」

 本田紀彦はどこか寂しそうに呟いた。
 吹っ切ったというのは、学校に行けないことを言っているのだろうか。だとするならば、自分たちが今本田紀彦に突き付けている現実はあまりに酷だ。未練は吹っ切れたという本人の思いを否定するなんて、自分たちにそんな権利はないはずなのに。それだけでも酷なのに、その未練のせいで学校が大変なことになっているなんて。

「あなたも知ってのとおり、あの学校は危ない所です。害のない霊をたちまち悪霊にしてしまう。それは生霊だからといって例外ではありません。あなたの魂が学校の悪い気に侵されてしまったら、あなたは大変なことになってしまう。だから私たちは、あなたを助けるために来ました」

 それは全くのでたらめだった。
 学校の瘴気が害のない霊を悪霊にしてしまうことは確かだ。しかし、生霊がそうなるかどうか、秋生は知らない。華蓮はそんなことは一言も言っていなかったから、多分違うと思う。仮にそうだったとしても、自分たちがここに来た理由は本田紀彦を助けるためではない。学校に起こっている流行病をどうにかするためだ。
 しかし、世月は自分たちの印象を良くしようと思ってこんなことを言ったわけではない。秋生はいつも馬鹿だ阿呆だ間抜けだと華蓮に罵られるが、いくら筋金入りの馬鹿でも世月の考えていることくらい、予想は出来た。

「そうですか…わざわざありがとうございます」
「いいえ。で、さっそくその方法なのだけれど…あなたの学校に行きたいという思いが消えれば、生霊も消えるらしいのですが……」

 しかし、本田紀彦の様子を見る限りそれは一筋縄ではいかなそうだ。

「僕は…自分で学校に行きたいと思っているつもりはないので……どうすればいいでしょう」

 そう。本田紀彦は自分で学校に行きたいとは思っていないつもりだった。
 本来ならどうして学校に行きたいのか。友達が欲しいのか、勉強がしたいのか、その理由を解明して、その願いを叶えてあげれば生霊は消えるはずだった。本田紀彦の要望がどんなものであれ、大鳥グループの財力と世月のコネがあれば大概のことはできただろう。
 しかし、本人が行きたいと思っていないとなると話は別だ。行きたいと思っていないのに、行きたい理由なんてあるわけない。

「そうね…それが……ちょっと予想外の展開のためにその方法が分からないんです…」
「俺の方見ないでください。俺も分からないっす」

 世月に視線を向けられた秋生はすかさず首を振った。

「春君は何かいい案が…って、視線がおかしいわよ」
「あっ…すいません。美味しそうなチョコだなって思って……」

 世月に指摘された春人は慌ててお見舞いであろうチョコレートから視線を逸らした。箱の一部が透明のために仲が見えるチョコレートは、確かに高級そうで美味しそうだ。


「食べでもいいですよ」
「えっ…本当ですか!?」

 秋生は知らなかったが、春人は結構食い意地が張っているらしい。
 さきほども深月の病室でひたすらクッキーをほおばっていたのに、まだ満足していなかったのか。

「ちょっと、春君」
「すいません」

 世月が睨むと、春人はしゅんとして一歩下がった。
 こんな春人を見るのは珍しい。

「いいですよ。おじが置いて行ったんですけど、僕は甘いものはあまり好きではないので。むしろ食べてもらって、感想を教えてくれた方が嬉しいです」
「って言ってますよ、世月先輩!」
「全くもう、しょうがないわね……」

 世月は春人に甘い。自分が華蓮に受けている扱いとは比べものにならない。
 秋生は少しだけ、春人を羨ましく思った。

「ありがとうございます!本田先輩!」

 春人が笑顔でそう言うと、本田紀彦が驚きの表情を浮かべた。
 一体今の発言の何にそれほどまでに驚いたのか、秋生にはさっぱり分からない。

「先輩…なんて……初めて言われました」
「あ、嫌ですか?」
「いえ…むしろ、嬉しいです。僕が大鳥高校の生徒みたいで」

 そう言って、本田紀彦はにこりと笑った。

「みたいって…あなたは大鳥高校の生徒ですよ?クラスだって席だって、ちゃんとありますし。先輩はもういないけれど、後輩も同級生も………うよ、私は同級生なのに、敬語なんて使っているから余計にそんな気持ちにさせてしまうのね。あなたも今から、私とこの子たちに敬語は禁止よ」

 さきほどまで少し引き目の世月だったのに、いつもの世月に戻ってしまった。それにし
ても、世月の言っていることはいまいちよく分からない。
 こんなことを言われたら本田紀彦はさぞかし困るだろうと思ったが、秋生の予想に反してその表情は笑顔だった。

「面白い人だ……」

 そう言って本田紀彦はクスクスと笑う。
 確かにかなり個性的でユーモアのある人だとは思う。

「あら、それはいい意味?悪い意味?」
「いい意味で…だよ」

 です、と言いそうになったのだろう。少し間を開けて、言い直した。

「それならいいわ。悪い意味で言っていたのなら、ぶっ飛ばしていたところよ」
「世月先輩、相手は病人っすよ…」
「あ…そうだったわね。まぁでも、結果そうじゃなかったのだから何でもいいのよ」

 いいのか。それでいいのか。
 秋生は苦笑いを浮かべていたが、本田紀彦はまだ笑っていた。



「本田先輩、全種類完食しました!」
「早!」

 春人が本田紀彦に向かって言った言葉に、思わず秋生が返してしまった。
 さきほどまで開封すらされていなかったのに、箱の中身は半分以上なくなってしまっていた。

「味はどうだった?」
「美味しかったです!」

 春人は元気よくそう答えたが、それは感想としてどうなのだと思わずにはいられない。
 美味しいなんてことは、チョコを食べていない本田紀彦でも言える感想だ。


「春君…それだけ食べておいて…もっと他に何か言えないの?」
「そうだなぁ…高級感のある味でしたよ〜。特にこの、これはラム酒かな?このチョコはいい感じにアルコールがきいてて、ちょっと大人の味って言うんです?とにかく、美味しかったです〜」

 これはだめだと思ったが、意外とまともな感想も言えた。
 そこら辺は、さすが春人だ。表現の仕方はともかくとして、伊達に文章を書く部にいるわけじゃない。

「なるほど…おじにもそう伝えておくよ。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」

 そこは本田紀彦がお礼をいうところでも、春人が威張るところでもない。

「全く…遊びにきたわけじゃないのよ」
「分かってますよ〜。だから、あと5つでやめておきます」
「今やめるんじゃないのかよ!」

 秋生は到頭我慢できずに突っ込んだ。
 あと5個って、それもう、ほとんど全部だ。情け程度しか残らない。そこまで食べるならいっそ全部食べてしまえとすら思う。



「あははっ…君たちは本当に面白いね」

 秋生が春人に突っ込んですぐ、本田紀彦が声をあげて笑い出した。
 一体なにが面白いのか分からないし、チョコを全部食べられることに関して不満はないのだろうか。

「そうです〜?じゃあもっといっときます?」
「春君、調子に乗らないのよ」

 世月がじろりと睨むと、さすがにやりすぎたと思ったのか春人はチョコが入っている箱を置いた。しかし、既にチョコはスズメの涙程度にしか残っていない。
 それでも、本田紀彦は楽しそうに笑っていた。

「こんなに笑ったのは久しぶりだな…」

 未だにクスクスと笑いながら、本田紀彦がふと言葉を漏らした。
 確かに、病院にずっと入院していて笑う場面というのはあまりないかもしれない。

「僕も学校に行っていたら…、もっとこんな風に笑えたのかな」

 それは誰かに問うというよりは、どこか願っているように思えた。
 本田紀彦の視線はまた、窓の外に向いている。

「あら、そんなこと。学校に行かなくたって簡単に出来るわ」
「え…?」

 本田紀彦は驚いた表情で世月を見ていた。
 それに対して、世月はあっけらかんとした表情をしていた。

「笑いたいのなら、私が笑わせに来てあげる。こう見えて、一発芸は得意なの」
「えっ」

 俺と、春人と、それから本田紀彦の声が揃った。
 世月が一発芸?そんなまさか。という声だ。

「冗談に決まっているじゃない」
「な、なんだ…脅かさないでくださいよ、世月先輩!」

 春人に完全同意だ。
 しかし、世月の一発芸は少し見てみたかった。

「私が一発芸なんて出来るわけないわ」
「できないことを言わないでくださいよ…」

 世月の当たり前だろと言わんばかりの態度に、春人はどこか落胆している。

「でも笑わせることができるというのは本当よ」
「え?」

 世月の言葉に、春人が首を傾げた。秋生も春人と同じように首を傾げる。
 一体どんな方法があるというのだろう。

「私たちと喋っているだけで声をあげて笑うのよ?それなら、また来て喋ればいいだけのことじゃない」
「ああ…そっか」

 世月の言っていることはもっともだった。
 しかし、秋生と春人にしては盲点だったようで、きょとんとした表情で声を揃えた。

「また…来てくれるの?」

 本田紀彦が声を出す。
 それを聞いた世月が、春人から視線をずらした。

「ええ、また来るわ。私、学校にいてもすることないし…あなたを笑わせるために、一発ギャグ考えようかしら?」
「えっ、まじで!それなら俺も来ますよー!チョコ…基、本田先輩を笑わせるために!」
「食べ物を集りにくるような子は連れてきません」
「ええー!」

 春人は落胆したが、当たり前だと思った。
 秋生は世月の一発ギャグが見たいという理由で一緒に来ることを主張しようかとも思ったが、どうせ却下されそうなのでやめておいた。

 ――ふふ…楽しいな……。

 ふと、秋生の頭に中に声が聞こえた。
 本田紀彦かと思ったが、それならば頭の中に響くなんてことはない。
 辺りを見回すと、本田紀彦の隣にもうひとり、本田紀彦がいた。しかしその姿は透けていて、実体がないということがすぐに分かった。

「あっ…」

 思わず声を出すと、全員の視線が秋生に集中する。
しかし、秋生はそんなことに気づく余裕もなく、口をぱくぱくさせて本田紀彦の霊体を見つめていた。

 ――ありがとう……。

 秋生が唖然として見ていると、また頭の中に声が聞こえた。
 そして次の瞬間、霊体はまるで本田紀彦の体の中に吸い込まれるようにして、すっと消えて行った。

「ちょっと秋、どうしたの?」
「え――――あ、あ…いや」

 誰もが不思議そうな顔して秋生を見ていたことにようやく気が付いた。
 秋生は今見た光景をどう伝えるか考えた結果。


「窓の外に、飛び降り自殺した人の霊が飛び降りて行った……」


 言わないことにした。
 今は言うときではないと、そう思った。

「ええええええ!!!」
「何それ怖いわよ!えっ…呪われたりしないわよね!?」

 春人が深月のような大声を上げ、世月の顔もさあっと青ざめた。

「大丈夫ですよ。害はないです」

 本当はそんなものいないのだから、害があるわけない。
 しかし、この慌てぶりを見る限りもっと他の理由を考えるべきだったかもしれない。とはいえ今更訂正はできないので、後で本当のことを教えるまで我慢してほしい。

「そ、そう…それならよかった」
「いや、よくないでしょ!今の絶対に言う必要なかった!」
「ご、ごめん」

 春人のあまりに勢いに秋生は後退りをしながら謝った。
 この分だと、本当は幽霊何ていませんでしたと言ったらまた怒られそうだ。

「やっぱり面白いなぁ……」

 周りがこんな状況だというのに、本田紀彦はまた笑っていた。
 もしかしたら、あの生霊は本田紀彦の「学校に行きたい」という思いではなく「もっと笑いたい」という思いから生まれたのかもしれない。「学校に行っていたら笑えたのかも」という本田紀彦の無意識の思いが「学校に行って笑いたい」という念となり、そして生霊を生んだ。だが、学校に行かなくても「もっと笑うことができる」と本田紀彦が思ったから、あるいは実際に笑うことができたから、生霊は納得して姿を消した。
 これはあくまでも秋生の憶測だが。もしそうであるならば、きっともう本田紀彦から生霊が生まれることはないだろう。そう思うと、秋生の顔には自然と笑顔が浮かんできた。


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