Long story
叫び声を上げる間もなく、そればりか驚いて腰を抜かす間もなかった。気が付いたら床の破片が飛んでいて、自分と琉生の間にバットが突き刺さっていた。
「状況を、説明しろ」
静かな声が、また肌をピリピリとさせた。今にも世界を終わらせてしまいそうな華蓮を前にして、その目を直視することは出来なかった。桜生は硬直してしまって、動けない。当たり前だが、流暢に動いていた口も完全に固まっている。
それなのに琉生ときたら、すっかり物怖じして声も出せない桜生が見えているのかいないのか。まるで華蓮なんてどうでもいいというように、秋生とラスボスに視線を向けてまだ何かをしているようだった。
「大丈夫だ桜生、殺されやしない」
そう声をかけられるまで、李月の存在など完全に忘れてしまっていた。しかし、ずっとそこにいたということは事実だ。華蓮がバットを吹っ飛ばしても動かなかったということは、最初からその気がないと分かっていたのだろう。
もしかしたら琉生も最初からそれを分かっていたのかもしれない。けれどそれにしては、まだ今にも世界を破壊しそうな空気は消えていない。
「………ラスボスが夢魔に取り込まれちゃって…その影響で、秋生まで取り込まれちゃった……そう、です」
どうにか口を開いて、説明する。
ふっと、肩が軽くなったような気がした。
「大方、私の予想通りね」
華蓮の後ろから世月が顔を出した。その存在に関しては、忘れていたのではなく全く気が付いていなかった。
世月は華蓮が床に突き刺したバットを引き抜くと、そのまま華蓮に向かって投げる。華蓮の手に触れた瞬間に、バットはその場から消えた。
「貴方のことを疑っていたわけではないけれど、ちょっとやり過ぎじゃなくて?」
「傷は付けてない」
「せっかく直ったばかりの部室がこの有り様よ。まぁ、私には関係ないけれど…」
桜生は春人と顔を合わせて首を傾げた。華蓮に状況を説明しろと言われて簡単に説明したと思ったら、もう目の前の状況に全く追い付けていない。きっと春人も同じだ。
「連れてきたのは琉生だったのか」
李月が何かに納得するように呟きながらカレンを覗き込んでいることに対しても、また春人と首を傾げるばかりだ。まるで、ここにカレンがいることを知っていたような口ぶりだった。
「殺すんじゃねぇぞ」
「それは俺の役目じゃない」
李月からそう言われた琉生は、華蓮の方に視線を向けた。その視線から、返答次第では…という気持ちがありありと見えた。
華蓮はカレンの方ではなく、秋生の方に近寄りながらその場にしゃがんだ。すぐ隣にカレンがいることなど、まるで気にもしていないようだった。
「……それは、今じゃない」
華蓮は何とも言いがたい、複雑な表情を浮かべていた。桜生にはそれがどういう心情を表しているのかは分からなかったが、どうやら本当に手出しをしないようだ。
琉生もそう感じたようで、睨むように見つめていた華蓮からカレンへと視線を落とす。秋生と手を繋いだ状態で、琉生は相変わらず2人に何かを施してるようだが…やはり、何をしているのはさっぱり分からない。
「つまりどういうこと?」
「かーくんはコスモスちゃんに手を出しはしない。必要とあらば助けてもいいって」
「コスモスちゃん……」
「コスモスちゃん…………」
春人の問いに答えた世月の言葉を聞いた瞬間、思わず繰り返していた。桜生が繰り返した言葉を、春人が更に繰り返していた。きっと自分たちは今、アホみたいに素っ頓狂な顔をしているに違いない。それくらい衝撃的な呼び名だった。
流石にその呼び方はラスボスにしてはゆるキャラ過ぎるのではないか。そう伝えたとろで、世月は決してその呼び方を変えることはないだろう。
「どういう状況なんだ?」
「今……よし」
こちらの衝撃など素知らぬように華蓮が問いかけ、琉生がそれに答えようとしたその時。バチンっと、何かが弾けるような音と共に秋生とカレンにベールのようなものがかかるのが見えた。それから琉生はすぐに立ち上がり、カレンが破壊した扉に向かって手をかざす。シャボン玉の膜のようなものが、扉があった場所にゆらりと揺れる。
そのどちらも、一瞬のうちに見えなくなってしまった。しかし、それが何かの結界であることは一目瞭然だった。
「取り敢えず目眩ましは出来たから、時間は稼げる。その間に助ける方法を探す」
今の今までやっていたことは、どうやら夢魔から秋生とカレンを隠すためのものだったらしい。まだ一緒に住んでいた幼い頃、琉生が結界の類いを扱うことが抜群に上手かったことを思い出した。
「当てはあるの?」
「それがあったらこんなとこで腕組みしてねぇだろ」
「……全く無力な僕が言えることでもないけど、そこ威張るとこじゃないからね?」
琉生がどやと言わんばかりに腕組みをしているのを前に、桜生は思わず顔をしかめながら溜め息を吐いた。
いくら時間稼ぎが出来るとはいえ、きっと無限のことではない。琉生とて危機感がないわけではないだろうが。もう少しくらいそれが分かるような緊張感を醸し出してもいいのだはないかとは思う。
「……深月たちが妖怪たちに話を聞きに行った。その夢魔は十数年前にも現れたことがあるらしい」
「えっ、そうなの?」
「ああ。その時も相当荒らしたらしくて、妖怪たちは怯えて籠ってるだと」
その時も…ということは、今も相当荒らしているということだろうか。その辺りの事情も含めやはり、桜生はまだ知らないことが多すぎるような気がする。
だが、もしも過去にも妖怪たちの住みかを荒らしたというのなら、桜生は知らなくとも縁は知っているのではないだろうか。
「……ゆかちゃんは、何か知らないの?」
桜生の問いに、縁は首を横に振った。
「あたしが本格的に山に戻ったのは侑の世話を頼まれてからで、最近のことさね。それまでも交流はあったけど…ずっと川からは離れてなかったから、夢魔のことも事後に話は聞いたけど詳しくは知らないよ」
それは全くの初耳だ。山の妖怪たちの縁への信頼度からして、もっとずっと昔からあの山を納めていたものだと思っていた。
それならば、縁が山を纏める前は一体だれが纏めていたのだろう…という疑問は、今は話から逸れるのでまたの機会にするべきだろう。
「……でも、その時はどうにか出来たんでしょ?だったら、同じようにすればいいんじゃないの?」
「封印されたらしいんだが、それを誰がどうやったか妖怪たちは誰も知らないらしい。何でも、封印したのは人間だそうだ」
「人間?ってことはその人探し出して聞けばいいってこと?」
「それは無理だ」
李月に向けた質問に、どうしか琉生が即答した。まだ探そうともしていないというのに、決定事項だと言わんばかりの早さだった。
その顔は、探すのには途方も無さすぎて…というわけでもなく。むしろその逆というような、そんな顔だった。
「…兄さん、その人知ってるの?」
「正確にはその人たち…だけどな。今はどっちも日本にいねぇんだよ」
どうやら桜生の予想は当たっていたようで、琉生は十数前に夢魔を封印した人物(どうやら1人ではないようだ)を知っているようだ。そしてその人物が海外にいるということは、ここへ来て夢魔を封印してもらうことは不可能だ。
だが、不可能だからといって諦めるのわけにもいかない。せめてやり方だけでも分かれば、まだどうにかどうにかなるかもしれないのに。
「連絡も取れないの?」
「奇跡的にあっちから連絡がない限りは無理だろうな」
「連絡がある可能性は?」
「ゼロ」
これまた即答。
だから琉生は、全く当てがないとどや顔で腕を組んだのだろう。
「すごく理不尽だけど。何でこんな間の悪い時に海外なんか行ってるんだよその人たちは…って、つい思っちゃうよね」
春人が苦笑いを浮かべていう言葉に、桜生は全面的に同意だった。
その人たちが海外に移住して暮らしているというのなら致し方ないと思う。しかし、琉生がした「今は日本にいない」という言い回しから、その人たちは普段は日本にいるということだ。それならば、どうしてこんな時に限って海外なんて…と思わずにはいられない。
もちろん、本人たちからすればそんなことは知ったことではないのだろうけれど。
「そうなんだよなぁ…。いてもろくなことしねぇくせに、肝心な時にはいねぇんだからな……」
琉生はそう言って深い溜め息を吐いた。
その人たち気の毒に思っているような、どこか呆れているような。どちらにも取れるようなそんな様子だった。
「仮にいたとして、その人たちは頼りになったのかしら……」
「頼りたいかって聞かれるとまぁ…」
「頼りたくはないな」
琉生よ様子を見て世月が不安げに言うと、後を追うように李月と華蓮が続いた。
確かに、いてもろくなことをしない人となると、何となく頼るのが憚られる気がしないでもない。
「まぁとにかく…いない人の話してもどうしようもないし、それならそれで別の方法を探さないと」
「そうだね。もし秋生が夢魔に見つかったら、どうなるか……」
相手が男の夢魔なので、変なことにはならないだろう。
しかし、だからといって何もないわけではない。ただ単に命を奪われる(それも絶対にダメだが)それだけとも限らない。秋生はどうしてかいつも、予想を上回る危険に晒されてばかりだ。
「……金縛りのように動けなくした後、1本、また1本と釘を打って行く。最初は右手、場所がなくなったら次は左手、右足、そして左足。どこで事切れるか、それを余興に命を食らう」
「…は?」
琉生の言葉は、予想の斜め上だった。
いや、何も予想はしていなかったが。仮にしたいたとしても、到底思い付くことのないことだった。
それは…余興、ではない。
「夢の中のことだが、それは現実の傷、痛みと苦痛となって脳に届く。十数年前に殺された妖怪たちの死因はショック死…どの妖怪たちも夢の中での拷問に耐えられなくなって、発作を起こして死んだんだ」
それは、あまりに残酷なことだった。
どうして過去を知る妖怪たちがこぞって隠れるのか。それがその答えだ。
当たり前だ。そんなことを知っていたら、いの一番に逃げ出したくなるのは当然のとこだ。
しかしなぜ…それ程に詳しく、知っているのだろう。なぜ言葉では言い表せないような、複雑な表情をしているのか。まるで、それを目の当たりにしたかのような……。
「………その場に、いたの?」
桜生の問いに、琉生は小さく頷いた。
どうしてかは分からない。だが桜生は、まだ複雑な表情のままの琉生に、それ以上深く追及することが出来なかった。
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mokuji
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