Long story
縁側ではいつもと同じく、金木犀の枝に亞希と狐姿の良狐が並んでいる。そして、その反対側の枝には八都がいて。抱えられているのは狐姿の飛縁魔――再度改め、縁だ。
「所有権のないもふもふ…」
「やめな、暑苦しい」
「あー、もふもふがー」
「やめなって言ってるだろう」
「いてっ」
縁の大きな尻尾が八都の頭を叩く。
桜生はその光景を目にして、もふもふは慎重に行おうと思った。
「……それで、結局どうなってそうなったんだ?」
秋生に問われ、桜生は数時間まえのことを思い返した。
あの後、まずは村に戻った。すると、桜生にも井戸の凄まじい怨念を見てとることが出来、またその怨念が李月と一都によって沈められているということも見ることが出来た。
そして井戸の水は正常になり、村人からきっちり予定より10倍の金額をせしめ、意気揚々と帰路についたというわけだ。
桜生はその時まだ、自分に起こったことについて理解はしていなかった。
「やっくん曰く、神様が僕に力をくれたんだって」
「神様…って、ダムに沈んだ?」
「うん。正確には残り香だけど…僕のゆかちゃんを助けたいって思いが、土地に残っていた神様の意思を呼び起こして…とかなんとか」
何も分かっていなかった桜生だったが、帰路の最中に縁と八都が説明をしてくれた。道中が長かったのでかなり詳しく聞いたが、桜生には難しく多分話の半分も理解はしていない。最低限のことだけ分かっていればいいかという能天気っぷりだ。
ただ、光の中で自分に話しかけてきたあの声が神様だったのだろう…と、そう思っている。
「てことは…神様並みにすごいってことなのか?」
「いや、そうでもないみたい。ゆかちゃんを取り込める力はあるけど、相変わらず幽霊は見えないし」
あの場所から帰りながら色々と検証した結果。桜生には今でも幽霊の類いが見えないことが分かった。瘴気を感じるように幽霊の存在を感じることと、その場にいるのだろうな…と察することは出来る。しかし、実際には見えない。
そして帰って来て分かったが、世月は今まで通り見ることができた。桜生を見た深月は即座に状況を理解して青ざめていた。凄いと思った。
「幽霊が見えないってのが…なんか変な感じだな」
「ねー。僕がダメダメ過ぎて中途半端だったのかなぁ?」
桜生には本当に何もなかったのだ。そのことが、神の力を貰い受ける器として十分ではなかったのかもしれないと思う。
現に、縁はまだ本来の姿で長く実体化することが出来ず、しぶしぶ狐の姿で実体化している。いずれは他の者たちと同じようになるのかすらも分からない。
「それは思い違いだよ。むしろ、妖怪を1人生かせるだけ吸い取れたなんて大したもんだよ」
頭の上に縁を乗せたまま、八都がすっと桜生の前にやってきた。
桜生は縁の上に乗った花びらを手に取る。鮮やかな黄色は、縁が咲かせた色だ。あまり縁のイメージにはないが、明るくてとても元気になる色だ。
「そうなの…?」
「そうだよ。そもそも、神の力なんて普通人間が吸い取るようなもんじゃない…でしょ?姉さん?」
「そうだねぇ。余程相性がよかったか…もしくは、取り込むための入り口が既に出来てたかだろうね」
「入り口…?――ああ!!」
入り口という言葉にハッとした桜生が、ばっと立ち上がる。
それは先日のことだ。
あの時――琉生の家に行った時。隼人に何かをされたことを思い出した。あの時は言われた言葉の意味も、何をされたのかも分からなかったが。
もしかして、入り口を作ってくれていたのだろうか。麒麟は神と呼ばれる程の妖怪だ。その力で作られた入り口なら、神と相性が良かったのも頷ける。
「麒麟…まず間違いなく、それだろうね」
「うわ、心を読まれるってこういうことなんだ……」
口に出さなくても勝手に返答され、桜生はつい感動した。いつも、秋生や華蓮がよく「勝手に読むな」と怒っているとこを体験できてるなんて思っても見なかった。
自分の中に妖怪がいるという実感はまだあまりなかったが、こうしているうちに実感していくのだろう。そして、当たり前になっていくのだろう。
「つまり、桜生の力は根本的に俺たちとは違うんだ?」
「そう考えていいだろうね。まぁ、やれることは似たようなものさね」
「いや…どうかの」
秋生のように尻尾を出して秋生が火を飛ばすように水を操った。似たようなという言葉からそんなを思い出していると、良狐が秋生の頭の上にやってきた。
黒い狐と白い狐が並ぶと、まるで神社で狛犬が並んでいるみたいだ。そんなことを口にすると怒られそうなので言わないが。
「口にしなくても分かるんだよ」
「あっ、そっか……えへへ」
桜生は舌を出して笑う。
ベテランともなると読まれないように工夫できるのかもしれないが、桜生にはきっと無理だ。今後も都合の悪いことを読まれても、笑ってごまかしていくしかない。
「…それで、きゅーちゃん。何か出来る当てでもあるのかい?」
「当て…という程でもないが。麒麟と神からなる神秘的な力なら…神使の力もそのまま使えるのではないか…と思うての」
神使の力。
それがどんなものなのか、桜生は知らない。
「むしろ、その力に特化している可能性もあるな」
いよいよ亞希までやってきて、勝手に秋生の膝に腰を下ろしている。随分と自然な様子で、秋生も何も不思議そうに思っていないことから…これは相当慣れていると桜生は思った。それも華蓮が見たら絶対に怒るだろうから、きっといない時に当たり前のように秋生を椅子にしているに違いない。
何だか、浮気現場をみたような気分になった。
「あんたは本当に、すぐよそ事を考える子だね」
「…えっ…つい」
「そのせいで危うく蛇を殺しかけたってのに…全く、仕方のない子だよ」
「……ごめんなさい。…やっくん、ごめんね」
殺しかけたと言われると流石に笑ってごまかすことは出来なかった。あの時、自分の集中力の欠如のせいで八都を危ない目に遭わせてしまった。タイミングよく李月が来なかったらもしかして八都が死んでいたかもしれないと思うと、ゾッとする。
謝ると、八都は苦笑いで首を降った。
「僕は李月が死なない限りは死なないから大丈夫だよ。…まぁでも、今後の自分のためにも、気を散らさない練習はした方がいいかもね」
「それだ」
八都がフォローの言葉を投げ掛けてくれると、すぐに亞希が八都を指差した。
その真剣な眼差しに、甘いことを言わずにもっと厳しくしろとか…そんな説教が始まるのかと桜生は身構える。
「その程度のことが集中しなければ出来ないという時点で、そのを使うのには向いていないということだ」
「……いやでも、桜生は初心者じゃん。それ言うなら、この子だってずっと尻尾出せなかったでしょ?」
「それは良狐の妖力的な問題だろう?…そもそも君はこれまでに尻尾を出そうと思ったことがあるの?」
「…ない……ですね。まぁ、あの時も別に、尻尾を出そうと思ったわけじゃないですけど」
亞希の問いに、秋生は考えてから答える。
その時の秋生はとても怒っていて、無意識的にその力を使っていた。これまでにそんなことがなかったのは、その時のように怒ったことがなかったからだ。
そして今は、一度使えた力を当たり前のように使いこなしている。やはり、やろうと思っても上手く出来なかった桜生とは違う。
「…つまり、この子には最初からその技量はあったってことか。……じゃあ、仮にそうだとするなら、桜生にはどんなことが出来る…かもしれないの?」
八都は問いかけながら、自分の頭を見上げる。視線の先にいる縁はゆらゆらと尻尾を揺らしながら欠伸をこぼした。良狐にそっくりだと思った。
「そうさねぇ…。何があるかねぇ?」
「うむ…まぁ、秋生が名を聞いた霊に真実を話させるのは、わらわの力じゃが。…それはわらわの妖怪としての力じゃしの」
「その点で言うなら、もしあたしの力を使えればどんな男でも手玉に取れるんだけどねぇ。貢がせ放題さね」
「おお、怖い怖い。ひーちゃんは容赦がないからのう…金品じゃ飽き足らんじゃろう」
「魂まで吸い取るってかい?悪かないけど、それなら上玉選ばなきゃいけないから少々大変だねぇ…」
2匹の狐がくつくつと笑う。
もちろん、その会話が冗談であることは分かっている。神使であった縁が人を虜にして金品を貢がせる…ことはあったのかもしれないが。魂を奪うことはなかったはすだ。桜生は勝手にそう確信していた。
だから楽しそうなのは何よりだが、せめてもう少し楽しい会話をしてほしいものだ。
「ちょっと2人ともさっさく脱線してるから。そんな話じゃなくて、神使の話でしょ?」
「ああ、そうさね。神使の力で代表的なのは、土地を感じられることかね」
「土地を…感じる?」
桜生は首を傾げた。
ぴょんと、八都の頭にいた縁が桜生の頭に移動する。
「そうさ。この土地がどんな土地で、どんな時代を過ごしてきたか。何を思い…何を望んでいるのか」
この土地がどんな土地で。どんな時代を過ごしてきたか。
縁の言葉を、頭の中で反復する。
「神は自らの存在する土地まで管理しなければならぬからの。土地が望むことも出来る限り叶えてやらねばならぬのじゃ。そしてわらわたち神使が、それを土地から神への想い伝える役目を持っておった」
何を望んでいるのか。
良狐の言葉を聞きながら、桜生は縁側から見える庭を見渡した。
「……土地を…感じる」
金木犀が咲いている。
その奥に、夜なのにうっすらと明るさがあった。
桜生はじっと、その先を見つめる。
池があった。
そして小さい子供が…それを覗いていた。
あれは誰だろう。顔がよく見えない。
顔を確認しようと目を凝らして眺めていると、子供の背後に何かが現れた。
違う子供。それも――多分あれは、幽霊だ。
自分には幽霊は見えなくなったはずなのに…そもそも、池や幽霊ではなくとも子供が存在していることがおかしいのだが。
あ、と思った。
幽霊が子供の背中を押して、子供が勢いよく顔から池に落ちた。しかしすぐに、また勢いよく池から顔を出す。
子供は笑っていた。
突き落とした幽霊も笑い、そして静かに消えていった。
誰かが子供に手を差し出した。
またしても子供だったが、今度は幽霊ではなかった。差し出された手は、その手を取る子供よりも大きい。
しっかりと繋がれた手を確認している。そのまま引き上げるかと思ったら、子供は池に飛び込んだ。
水飛沫が舞う。
金木犀が揺れる。花びらが落ちる。
その花びらを拾う池の水はとても澄んでいて、とても美しかった。
笑っている。
子供たちも、池も、木も、花も。
そこにある全てが笑っているのだと分かった。
「―――池だ」
「は?」
秋生が首を傾げる横で、桜生は立ち上がる。そしてすぐさま、駆け出した。
金木犀より向こう側は殆んど手入れされておらず、限度を知らず伸びた草で藪のようになっていた。それを掻き分けて、うっすらと明るくなっていた辺りを探す。
「桜生っ?」
秋生も桜生の跡を追ってやってきた。
ほぼ同時に、桜生は見つけた。
「あった」
「あったって、何………これ、池の跡…?」
大人が数人は入れそうなくらいの大きさの池が、そこにあった。長い間使われていなかったために、中には泥が溜まり雑草で埋め尽くされている。
しかし、それが池であることは見ればすぐに分かった。
「…この池が、好きなんだって」
「誰が?」
「……さぁ…。でも、集まってくる人たちがこの池の周りで楽しく過ごして、金木犀見て、成仏していくのが好きなんだって」
きっと、未練があってこの世に残っていた幽霊たちは、この場所でその未練を洗い流すのだ。そしてとても安らかに。笑顔で旅立つ。
それを見送る誰かがいて、自然があって、その誰かにも自然にも笑顔が溢れていた。
そんな様が好きだったのだと…桜生は確かにそう感じた。
「……もしかして、この土地が?」
「えっ、そうなの?」
「そうなのって…」
秋生が呆れたような表情を浮かべる。
しかしそんな顔をされても、桜生には今唐突に見え、そして感じたこれが何なのかは分からない。
「それが土地を感じるってことさね」
「……そうなの?」
「ああ。どうやら、鬼の目に狂いはないね」
ふわりと、縁の尻尾が桜生の頬を撫でる。それは途中から、長く美しい髪の流れる感触に変わった。
本体の姿になった縁が、池の脇に立っていた。
「ゆかちゃん…人の姿になったら……」
「平気さ。きゅーちゃん、手伝ってくれるかい?」
「もちろんじゃ」
良狐も同じく人の姿となり、秋生の隣に立つ。次の瞬間、辺りの藪が燃え上がった。そして「うわ」と驚きの声を上げる間も なく、炎は終息した。
藪が綺麗さっぱりなくなり、池がより一層その存在を際立たせた。中にはまだ泥や落ち葉などが溜まっている。
「…亞希、八都」
「はいはい。掃除係の出番な」
「僕たちっていっつもこういう立ち位置」
良狐に呼ばれた亞希と八都は、そのままの姿で向かい合うように池の両端に立つ。一体何を始めるのか。縁と良狐が池から一歩下がったので、桜生と秋生も一歩下がる。
そして一度目を合わせると、八都がしゃがみこむ。亞希は何故か、空に視線を向けた。
「ピッチャー振りかぶって…投げる!」
どんっと、地面が揺れた。
その衝撃で、池の中のものが大きな塊となって空高く跳ね上がる。
「バッター狙いを捕らえ、打つ!」
亞希がいつの間にか手にバットを握っていて、勢いよく飛び上がった塊に叩きつける。どすっという音が聞こえ、瞬く間に塊は空へと飛び出した。
それが漫画やアニメならキラリンと、空の彼方に光が輝く演出がされる。正にそんな光景だった。
「いやー、見事なホームランでしたね」
「そうですね。ファンの皆様の声援に答えなければと…」
しかも、ヒーローインタビューコントのおまけ付きときた。いつの間に野球中継など見ていたのか…というより、いつから揃ってこんなギャグをかますようになったのか。
「ふははっ」
これが李月と華蓮の顔でやっているのだから、桜生はもう笑いをこらえられなかった。隣で秋生も肩を震わせていた。
「派手に飛ばしたようじゃが、大丈夫なんじゃろうの?」
「腐った山へ飛ばしたから問題ない」
腐った山とやらがどの辺りにあるのかは分からないが、飛んでいく最中をもしも誰かに見られていたら、きっとUFO騒ぎになるに違いない。
桜生はそんなことを思いながら空を見上げる。縁側に座っていると見えないが、星空がとても綺麗だった。
「さて」
縁がとんと地面を叩く音がした。
こぽこぽと音がして、石垣が打ち付けられた隙間から水が沸き出した。どんどん沸き上がる水は残った汚れを洗い流し、溢れて流れ出ていった。
「…すごい」
池を覗き込む桜生の上に、狐の姿に戻った縁が居を構える。
先程、見えたばかりの光景が目の前にあった。桜生が感じ取った、とても好きな光景が…今再び、目の前にある。
「これが、あんたの力だよ」
池の水にひらりと金木犀の花びらが落ちる。黄色い花びらが月明かりに照らされゆっくりと水の上を流れていく。
それはとても、美しかった。
それは確かに、自分に与えられた力だった。
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mokuji
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