Long story
今。たった今。
命が消えていくのを見た。
そこは血に染まった川縁で、いくつかの妖怪の死体もあった。落ちてくるその体を受け止めようと走ったけれど間に合わず、しかしその体が血塗られた地面に叩きつけられることはなかった。
水が汚れるのを気にしたか細い声のために八都が飛び出して、大きな妖怪共々霧にまみれて見えなくなった。
そして、その場に残された。最後の瞬間。
笑えと言われたのに、笑うことも出来ず。仕方のない子だと呆れられるように。
自分の目の前で。
何も出来ず、ただ見ていることしか出来ず。
確かに、命が消えた。
本当に、たった今のことだった。
それなのに、その全てがそこにはなかった。
目の前にあった命の消えた体も、血塗られた大地も。妖怪達を飲み込んだ霧も。汚されずあった川も。
何もない。
桜生の目の前には。
何もなかった。
「………」
発する言葉もなく、桜生は辺りを見回した。
真っ白い空間…とは少しだけ違った。光が差し込んでいるのが見える。その光の屈折のせいで、辺り一面が白く見えていることが分かった。
眩しくて、しっかりと景色を把握出来ない。本当に、景色が存在しているのかも分からない。
「力が欲しいですか?」
「え?」
声がした。
その声は反響していて、どこから聞こえているのか分からない。
「力を得て、何を成したいのですか?」
声に問われる。
たった今目の前で、大切な人の命が消えてしまった。そんな時に、そんなことに答えている程の余裕などなかった。
けれど、無意識に口が動いていた。
「………何も成さなくていい」
もしも、自分に力があれば。
秋生のように尻尾を出したり。華蓮のようにバットを飛ばしたり。李月のように刀を振り回したり。そんなことが、出来るのかもしれない。
もっともっと、多くのことが出来るのかもしれない。そしていずれ、大きな何かを成し得るのかもしれない。
けれど、そんなものはなくなっていい。
「…たったひとり…助けられるなら」
何もいらない。
目の前で消えていく命を。
その命を助けられるのなら、何もいらない。
たったそれだけの、力があれば。
「ならば共に、生きなさい」
大きな光が、どこからか差し込んできた。
水の中にいる。
そう、認識した瞬間だった。
「え…?」
桜生は目を見開く。
何も見えなかった光の奥に、何かが見えた。
真っ黒く、長く美しい髪が靡く。
見るものをたちまち虜するその美貌に一度魅せられれば最後。たちまち命を吸われると言う。
確かに見えるその後姿は、今にも消えてしまいそうだ。
「ひの…え…、っ…!」
声を掛けようと前に踏み出したその時。
チクリとした痛みに足を止めた。手のひらに血が滲む。そしてその手が、自分の意思とは関係なく勝手に前に差し出された。
消えてしまいそうな後ろ姿が、ゆっくりと振り返った。
「本当にいいのかい?」
問いに、桜生は。
ただ、ゆっくりと頷く。
美しい指が、桜生の傷に爪を立てる。
チクリと、また少し痛みが走った。
「あんたの望むことを、共に成し得えようさね」
「……はい」
桜生はそう答えることしか出来なかった。
震えていた。泣いていた。
けれど、力強く頷いた。
「契約、完了だ」
傷口に爪が深く入り込み、そのまま中に吸い込まれるように消えていった。体の中に……心の奥底に、何かが入り込んでくるのを感じた。
そして次の瞬間。
光の屈折のような場所――水が、まるで一斉に弾け飛んだかのようにその光を増した。目を開けていられなくなった桜生は、思わず目を閉じる。
瞼の向こうでこうこうと輝く光がやがて収まると…桜生は静かに目を開けた。
川縁だった。
霧がかった場所と、血塗られた地面。
目の前にあった、消えてしまった命はない。
「……ひの、えんま…さん?」
桜生は小さな声で呼び掛けてみた。
「もう総称で呼ばれる必要もないさねぇ」
「え?」
ざあっと、水柱が立ち上がる。
「縁(ゆかり)だよ。桜生」
水柱が消える。
そしてそこには確かに、立っていた。
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mokuji
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