Long story
ダムから流れる川に沿ってしばらく進むと、砂原のような場所が見えてきた。道沿いにそこまで降りれる獣道のようなものがあり、八都に促されてその道を下った。
川を目の前すると、その美しさがより一層際立った。
水が貯められているダム同様、川によく見られるゴミが浮かんでいたり打ち上がっていたりというものが一切ない。浅瀬では川底がハッキリと見えるほど水は透き通っていて、時折魚が横切るのが見えるほどだ。
いつまでも見ていられそうな美しさだが……きっと、これを眺めにきたわけではない。
「やっくん…ここに何かあるの?」
「そう。ここにいるんだ。……姉さん、見えてるんでしょ?」
「姉さん…?」
八都が川に向かって問いかける。
すると、桜生が首を傾げると同時に川の中から一本の水柱が上がった。
「………また厄介なのを連れて来たねぇ」
水柱が裂ける。
その声を聞けば、その中から出てくる人物は姿が見える前に分かった。
「…ひ…飛縁魔さん?……………あっ、そう…か」
頭の中で全てが繋がった―――いや、どうして今まで気が付かなかったのだろう。
いつか、そうだ…あれは、生徒会室で良狐に言っていたことだ。自分の遣えていた神はダムに沈んだ、と。
この間、この場所で良狐が飛縁魔に掛けていた言葉。美しい水だと……そう言った言葉を聞いた時に、気付くべきだった。
ここが、そうなのだ。
飛縁魔の遣えていた神の沈んだ、正にその場所。
そしてその水が未だに美しいのは…きっと、神の残り香。
神がいなくなってもその地が豊かであるように…。この美しい水は、神の残り香が影響しているものだと、そういうことだ。
「じゃあ…あの村の人たちをずっと守ってたのって……」
「ひの姉さんだよ」
八都の声を聞きながら視線を向ける先では、飛縁魔が水辺から砂原に足を踏み入れる所だった。水から出てきたのに全く濡れている様子はないが、もうその程度のことで驚きはしない。
だが、人間が好きではない飛縁魔が、あの人間たちを守っているというその事実には驚きを隠なかった。
「どうして…飛縁魔さんが。本当にそうなら、だって……」
飛縁魔の遣えた神は、あの村人たちに殺されたようなものだ。
「神はどんな人間でも見捨てることはしなかった。神使のあたしが、その信念を破るわけにはいかないよ」
「…どんな……人間でも…」
「例え自分を滅ぼした人間でも、豊かであるようにと…そう願うような神だったからね」
飛縁魔の言葉が正しいということは、この川の美しさが物語っている。
ダムに沈んでから何十年の歳月が経った今も、この地が……人間たちが、豊かであるようにと。その美しさを保ち続けているのだ。
「それで……ダムに沈んだ後も、あの村を…見守ってたんですか?」
「……本当は、人身御供に手を出した時に一度この地を離れてね。あんな粗末なやり方で命を弄ぶなんて…だから人間は嫌いなんだ」
飛縁魔は心底軽蔑しているのいうような表情で吐き捨てた。
けれど、飛縁魔は見捨てなかった。出来なかったのだ。神の愛した土地を、最後の最後まで…桜生には、それが分かった。
「だが、命も永遠じゃないからねぇ」
飛縁魔はそう言いながら、自分の手を見つめた。
良狐は、神のいなくなった社をずっと独りで守り続け、その力を使い果たそうとしていた。最後まで神と共に在りたいと思い、それを遂げようとしていた。
今の飛縁魔も、同じなのか。
「飛縁魔さん…死んじゃうんですか?」
「あんた、直球だね」
「…ご、ごめんなさい」
思ったことを直ぐに口に出してしまう癖は、秋生からも指摘されている。しかし、思った時にはもう口に出ているのでどうしようもない。
秋生が知らないうちに転ぶのが直らないのと一緒で、桜生のこの癖も直らないのではないかと思っている。口では気を付けると、適当なことを言ってはいるが。
「今すぐって話じゃないさ。明日死ぬかも、1ヶ月後かも、1年後かも、2年後かも、10年後かもしれない」
「今日、李月が姉さんの役目を引き継げれば、もっと延びるよ」
明日死ぬのであれば、明後日に延びるかもしれない。もしかしたら、自分達よりも長く生き続けられるのかもしれない。
それは、分からないことなのだ。人間が余命を宣告されるのとは、違うことなのだろう。
でも、八都が今日桜生をここに連れてきたということは。きっと、10年後よりも1ヶ月後の可能性の方が高いと…思っているからだ。
「……皆、知ってるんですか?」
「何のために隠居したと思ってるんだい?」
だから、隠居したのか。
屋上で秋生と遊んでいた時、やってきた侑が飛縁魔にかけた言葉を思い出した。知っていて、最後の人生を自分のために楽しんで欲しいと思っていることを、桜生は今初めて知った。
何も知らずに、飛縁魔の毎日を…与えられた自分のための人生を、邪魔していたのだろうか。貴重な、一瞬一秒を。
「……僕の相手、なんか…」
「ほら、あんたは絶対にそんな顔をするだろう?だから言うつもりはないって、そう言ったんだけどね」
呆れたように溜め息を吐いた飛縁魔は、八都を睨んだ。八都はさっと視線を逸らす。
桜生はどんな顔をしていいのかわからず、困ったような顔で見上げていた。
「飛縁魔さ…」
「やめな。もし余計な気を遣おうとしたら、すぐに記憶を消してやるからね」
途中で言葉を遮られ、そして強い口調でそう言われた。それは決して嘘ではなく、本当のことだと分かった。
いっそ、記憶を消されてしまえば何も心配することなどなくなるのだろう…と、桜生は一瞬だけ考えた。
しかし、それは絶対に嫌だった。
「分かりました…何も変わりません」
「当たり前さね」
「……嘘です、もっと呼び出しちゃうかも」
気を遣うな、というのは多分無理だ。
これからはこれまでのように思い立ってすぐに呼び出すことは出来ない。呼ぼうとする度に、本当に自分のために時間を使わせていいのか。もっと他に有意義に時間を使えるんじゃないか、と考える。心配もする。
けれど、考えた末にそれでも呼び出してしまうだろう。飛縁魔は嫌なら来ないだろうし、本人がそれでいいと言うなら、少しでも長い時間を共に過ごすために。
桜生が少しだけおどけて笑うと、飛縁魔も笑った。
「……よかった。僕の肩の荷も降りた」
桜生の隣で、八都はふぅと安堵の溜め息を吐いた。どうやら相当胃の痛い思いをしていたようで、腹部を さすっている。
「…やっくん、そんなに気重だったの?」
「大袈裟なんだよ」
「そんなことないでしょ。言ったら八つ裂きにするぞ的な勢いで、もの凄く怖かったんだよ。それでも僕は意を決し……て、」
捲し立てるように話していた言葉が、突然止まる。
そして、さっと振り返った。
「……李月」
「え?…な…うわぁっ!」
八都が小さく呟いた言葉に桜生が問い返す瞬間、ぐらっと地面が大きく揺れた。あまりの揺れにバランスを崩し転びそうになるが、どうにか耐える。ここら辺は秋生とは訳が違う。
桜生はそんな悠長なことを思いながら、八都の見ている方を見る。自分達がやってきた方向――李月がいる場所の方だ。何も、見えるものはない。
「……手こずってるみたいだねぇ」
「そう…だね……」
しゅんっと、八都が小さい蛇の姿になった。いつもみたいにしゅるしゅると機敏な動きをせずそのまま地面に落ちそうになるのを、飛縁魔が掴み取る。
「やっくん…!」
「………大丈夫。一都が相当、持ってってるみたいだけど」
飛縁魔から八都を受け取りながら、また李月のいる方へと視線を向けた。
風が吹いているわけでもないのに、ザワザワと森が揺れる。 何も感じないはずの桜生にも、とても悪いものが沸き上がっているような気がして鳥肌が立った。
「蛇を連れてさっさと戻んな。早いとこ宿主に戻してやった方がいい」
「……飛縁魔さんは?」
「こんな瘴気の中に入ったら寿命が半分に縮んじまうよ。道は作ってあげるさね」
「あ、ありがとうございます」
飛縁魔が道を作ってくれるなら大丈夫だろう。しかし、明らかにヤバそうな雰囲気の中に一人で…それも、八都を抱えて突っ込んで行くと思うと、緊張してしまう。
桜生は森の中を見つめ、息を飲んだ。
「妖怪たちが騒ぎ出すかもしれないけど、瘴気で鼻が利かないだろうから気付かれることはまずありゃしない。見つけてもそのまま突っ切んな」
「…よ…ようかい……」
「ほら、もたもたしたないで行きな!」
「うわぁあ!!」
恐れさせられるようなことを言われ怯んだ桜生だったが、飛縁魔に背中を叩かれた瞬間にばびゅんと効果音が出そうな程に自分の足が加速した。
目の前には森。
桜生は飛縁魔に飛ばされた勢いのままに、突き進むしかなかった。
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mokuji
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