Long story
部室の入り口に、何冊かファイルを持った秋生と侑が立っていた。
いつのまに戻ってきていたのだろうか。全く気付かなかった。人間の歩いてくる気配にも気付かないとは、どうやら思っていた以上に加奈子を憑依させたことは体に支障をきたしているらしい。
「うわ、ぬいぐるみが喋ってた!なにこのぶっさいくなぬいぐるみ」
「なっ、失礼ねー!」
加奈子は驚きから一変して、怒りの声に変わった。今度は怒りの意を示して飛び跳ねているのだろう。
「え、加奈…?」
秋生は部室の中に入ると、持っていたファイルを机の上に置いた。
「そうよ!みっきーとお話しさせてもらうために夏が憑依させてくれたの」
少し時間を空けていた間に、あだ名で呼ぶ中になっている。
「へー、そんなことできるんだ。可愛いねぇ」
侑も秋生と同じようにファイルを置くと、ウサギの――面倒くさいので、総じて加奈子でいいだろう。加奈子の耳をつついた。加奈子はくすぐったそうに身じろぎをする。どうやら、ぬいぐるみに憑依しても触感はあるらしい。
「そうよ、可愛いのよ。あなたはいい人ね。秋のばか」
「ごめんごめん」
秋生は謝りながら加奈子の頭をなでるが、加奈子はふんと鼻を鳴らしてふいと顔をそっぽ向けた。それに対して、秋生は苦笑いを浮かべる。
「それにしても、なっちゃんも僕たちが入ってきたことに気づいてなかったみたいだけど…そんなに楽しい話してたの?」
「俺に聞くな」
華蓮は会話に参加していない。深月と加奈子が盛り上がっていただけだ。
「秋生、春人以外に友達いないって本当なのか?」
深月はデリケートなことを悪気もなく直球で聞き始めた。もう少しオブラートに包めばいいものを。
「え?…ああ、はい。そうですね」
秋生も秋生で、簡単に答え過ぎだ。もう少し返答に躊躇いを持つべきではなかろうか。
「それって、夏が心霊部に誘ったせいだろ?誘い受けたこと後悔してねぇの?」
「…何に後悔するすか?」
「え?…いや、だってほら、特別待遇さえなければ普通にたくさん友達作って、楽しい学校生活送れたのにさ」
「先輩もいて特別待遇もあって、これ以上に楽しい学校生活なんてないっすよ」
「ああ、そうだったな。そういえば、この前もそんなこと言ってたな。忘れてた」
一体何を言っているのだというような表情で、秋生は言い放った。それに対して、深月は思い出したように呟いた。この前というのは、多分吉田隆の事件のときだろう。
「あはは!秋生君、おもしろーい!」
突然、侑が声を上げて笑いだした。一体今のやりとりの何がツボだったというのか。分からなかったのは華蓮だけではないようだ。深月も秋生も驚きの表情で侑を見ている。
「君本当に最高だね!なっちゃん、この子僕にちょうだい!」
「……急に何だ」
「この子ね、事務仕事に超向いてると思うんだよね。ファイルの仕分けすっごい早かったし」
秋生が事務仕事に向いていると言うのはにわかに信じがたいが、侑が力説している辺り間違いではないのだろう。意外な才能とは正にこのことだ。
「それに加えて今のお茶目発言で本格的に惚れちゃった!どうせ毎日幽霊退治わけじゃないんでしょ?暇なときに手伝ってもらえるだけでもいいんだけど」
侑が凄い勢いで迫ってきた。華蓮は心底嫌そうに眉を顰める。
「ふざけたことをぬかすな」
「…だめなの?空いた時間でも?」
「ここならともかく、生徒会になんか寄越せるか」
生徒会は新聞部と違って日々学内の色々なところと接触を持っている。どこで変な虫がつくか分かったものではない。
「なんだよー。なっちゃんのケチー」
侑はふてくされたような顔をするが、華蓮にそんなものは通用しない。
「…またろくでもないのに目つけられたなぁ、秋生。捕まらないように気をつけろよ」
「めっそうもないです」
深月の言葉に秋生は恐縮した様子で返した。一緒に行動して少しは侑に慣れたかと思った華蓮だったが、そうでもないらしい。敬語がきちんとしているのがその証拠だ。
「別に捕まえやしないよ」
「お前が捕まえていたいのは一人だけだからな」
華蓮が何の気なしに呟くと、侑が目を見開く。
「な、何てこと言い出すの!」
華蓮の言葉に侑はあからさまな動揺を見せた。予想通りの反応が実に面白い。本来の意図とは異なるが、ネッグウォーマーは表情を隠すのにも便利だ。
「間違ったことは言っていない」
「これ絶対笑ってる。確実に笑ってる!顔隠してたって分かるんだから!」
怒ったように声を上げる侑だが、華蓮の言葉を否定しないところがまた面白い。侑は生徒会という関係で付き合いを保っている以前に、からかい甲斐があるから一緒にいて損はしない。だから派手な見た目も性格も全く合わないが、付き合いが長く続いているのかもしれない。
「……先輩が人をからかってる」
侑以外に、全く関係のない外野が1人目を見開いて動揺していた。
「いっつもだぞ。夏は人からかって遊ぶのが楽しくてしょうがないんだよ」
「……まじすか」
秋生がまるで宇宙人を見るような目で華蓮を見てくるものだから、華蓮はそれ以上侑をからかえなくなった。
「僕をなっちゃんのおもちゃみたいに言わないでくれるかな」
「違いない」
「なっちゃんは黙ってて!」
侑に睨み付けられるが、華蓮は全く動じない。侑の容姿は人並み外れてすぐれている代わりに、迫力に欠ける。とはいえ、侑がいくらプロレスラーのように怖い顔でがたいよく殺気を出していても、それが侑である限り動じることはないのだろうが。
「それ以上言うと、持ってきたファイル全部持って帰っちゃうからね」
侑はそう言いながら椅子に座ると、部室を出て行く前に飲んでいたコーヒーに再び手を付けた。もうすっかり冷えているだろうに、まだ飲むのか。
「あら、そんなことしたら私たちの苦労も無駄になるでしょう。ねぇ、春君」
――また気付かなかった。
「…世月先輩、ほとんど何もしてないじゃないですか」
世月と春人が部室の入口に立っていた。春人が紙ファイル片手に不満げに漏らしたのにもかかわらず、世月は悪びれもせずくすりと笑った。
「おかえり、裏切り春人」
秋生が春人に視線を向けると、春人は苦笑いを浮かべた。
「地味に根に持ってたのな」
「普段から幽霊相手にしてると、執念深くなるんすよ」
確かに幽霊は執念から存在しているようなものだが、だからといって秋生まで執念深くなることはないだろう。むしろ、こんな風になりたくないと思って真逆になるものではないのか。
それはともかく、いつもの崩れた敬語に戻っている。春人が来たことで緊張が解けたのだろう。
「もし今秋生君が死んだら、春君呪われちゃうわね」
「こんな風にぬいぐるみに入ってくれたら飼ってあげるね〜」
「呪うってんのに飼うなよ、怖がれよ」
秋生が顔を顰めるが、春人はどこ吹く風。へらへらと笑っている。
「だって、秋に呪われても怖くないも〜ん」
「なんて失礼な!」
秋生の生死についての会話が長引きそうだったので、華蓮はまず春人が持って帰ってきた資料に手を掛けた。被害者のリストと症状が発症した日にちが記されている。
「なに見てるの?」
「…症状が発症した日付だ」
加奈子の問いに応えながら、日付を確認していく。リストの内容は、華蓮の予想していた通りだった。
「夏は何か探してるんでしょ?私にも分かるかなぁ」
「無理だろうな」
「…見つけたら、何かご褒美くれる?とびきりのやつ!」
「ああ」
どうせ分からないだろうと、華蓮は軽い気持ちで答える。そして、今度は秋生たちが持ってきたファイル数冊を手に取り被害者リストと見比べる作業に移った。秋生たちが持ってきたファイルには個人情報がびっしり書かれてある。この学校の生徒にプライバシーなどあってないようなものだ。
「秋生の死後の話もいいけど、夏が会話に飽きて加奈子ちゃんと勝手に先に進んでるぞ」
深月が何か言っているが、華蓮は無視。他の皆の視線が華蓮に向いても気にすることはない。
華蓮は個人情報のファイルと被害者リストを交互に見比べていた。まず、被害者と入院者が同じであるものはシロだ。ばさばさと机の開いているところに放り投げる。
「うわ、夏、潰れちゃう〜!」
「ああ…悪い」
ファイルの中に埋もれてしまったぬいぐるみを救いだしてから少し遠いところに置いてやると、加奈子は安堵の溜息を吐いた。それから、せっかく遠いところに置いたにも関わらずまた近寄ってきてリストを覗きこんだ。
華蓮は加奈子にファイルを当てないように注意しながら、被害者と入院者が同じものを放り投げることを再開した。
違う。違う、違う、これも違う。
もしかすると、既に在籍していないのかもしれない。その可能性だけは考えたくなかった華蓮は、少しばかり焦る。違う、違う、…残りのファイルはあと数冊。
「―――これだ」
残りのファイルが3冊となったところで、華蓮は目当ての情報を発見した。在籍している生徒でよかった。
「何か見つかったのか?」
「ああ。多分、この生徒が――」
「分かったぁ!」
深月の問いに華蓮が答えるのを、加奈子の声が妨害した。華蓮を含め、その場にいた全員が加奈子の方に視線を向ける。
「みんな違う日!この人たち、一人も同じ日に病気になってないのね!」
加奈子の答えを聞いて、華蓮は先ほど適当に返事をしたことを後悔した。
「……正解だ」
「わぁい!ご褒美ね!とびっきりだよ」
華蓮は加奈子の要求に答える代わりに深い溜息を吐いた。
「加奈ばっかりずるい」
秋生が恨めしそうな表情で加奈子を見下ろしている。ぬいぐるみからは、それを見上げている加奈子の表情は読み取れない。
「俺だって見てたら分かってたし!」
「どうして怒ってるの?わたしが悪いことしたの?」
表情は見えないが、声が震えていることから泣きそうだというこが分かる。普段の加奈子ならこんなことで泣きはしないのに、一体どうしたのだろうか。
そんなことを思っていると、華蓮の頭の中にキィと超音波のようなものが駆け抜けた。これはまずい。ポルターガイストの予兆だ。
「いや、別に加奈が悪いってわけじゃ……」
加奈子が泣きそうなことを察知したのか、秋生が罰の悪そうな表情になる。今から巻き返せるか。
「秋、わたしのことキライになったの…?うっ…ひっく…」
巻き返しはきかないようだ。華蓮はその先に怒ることを予期して即座に耳を塞いだ。
「加奈ごめん、嫌いになってないから…」
「うあぁ―――――ん!!!」
加奈子の声に合わせて超音波のような音が頭の中に響き渡る。激しい振動揺れた窓ガラスが耐えきれずに一瞬で粉になり、大地震でも発生したかのように机が揺れる。本や新聞が次々と棚から飛び出してくる。
ポルターガイストの域を超えている。耳を塞いでどうこうなる問題ではなかった。
「とりあえず、退散!」
皆状況について行けずにただ身を守ることしかできていなかったが、深月の言葉を引き金に一斉に動き出す。
「春君、おいで!」
「え、あ…はいっ」
まず一番入口に近かった世月が春人を引っ張り部室から出て行く。
「さっさと行け!」
「分かってるよ!」
深月と侑が揉めながら入口に向かうが――ばたん。と扉が音を立てた。加奈子のポルターガイストの影響で扉に振動が伝わり、閉まってしまったらしい。
「変に閉まっちゃって開かないよ!」
「はぁ?…ちょっとどけ!」
侑と深月が扉を開けるのには少し時間がかかりそうだ。華蓮は侑と深月から視線とそらすと、秋生と加奈子の方に向き直る。
「うわぁ―――ん!!」
加奈子が更に泣き声を上げると、部屋全体が揺れに揺れた。同時に、竜巻のような風がぬいぐるみを取り囲む。
今までにない勢いだ。まるで何かに暴走しているような――事実、暴走しているのか。華蓮は状況を把握し、自分の行動をつくづく後悔した。
「加奈…どうしちゃったんだよっ!?」
秋生は心配そうに加奈子に手を伸ばす。
「触るな!」
華蓮が声を上げると、秋生はビクッと肩を鳴らして手を引っ込めた。そして、不安そうな視線を華蓮に向ける。
「でも先輩、加奈が…」
「心配するな。力の増幅に体がついていかなくて癇癪を起しているだけだ」
「力?…先輩の、憑依の…!」
秋生は思い出したように声を上げた。
そう、華蓮が加奈子を憑依させたボイスレコーダーとぬいぐるみに力を込め過ぎたのだ。その力が憑依した加奈子に流れ込み、それでも収まり切らずに「秋生の怒り」というきっかけで爆発した。
「そうだ。喜んだり悲しんだり感情の浮き沈みが激しいのもそのせいだ。…放っておいても、力が発散されれば治まる」
「加奈、消えたりしないっすよね!?」
「大丈夫だ」
秋生が凄い剣幕で迫って来たのに対して、華蓮は冷静に返す。そんな事態になっていれば、いくら華蓮でももう少し状況を打破しようとするだろう。
「全然大丈夫じゃねぇよ!俺の部室がなくなる前にどうにかしろ!」
華蓮と秋生の会話に深月が割り込んできた。風に煽られながら、必死に扉を開けようとしている。
「………さすがに、知らんってわけにはいかないんじゃ」
「……そうだな」
無駄に体力を消耗して、何かを得られたわけでもなく。寝ることもできず。結果的に更に体力を使う羽目になった。今日はろくなことがない。どれも自業自得と言われればそれまでだが、後悔は先に立たないと言ってもこれで後悔するなという方が無理だ。
華蓮はつくづく嫌になりながらも竜巻のような風の塊に手を伸ばした。分厚い風が舞っているためぬいぐるみがどこにあるか分からない上に、手を近づけるのも一苦労だ。
「…先輩、手、手が切れてます!」
「そんなことは知っている」
風の中に手を突っ込むと、うっすらと赤い色が風に混じった。秋生の言う通り華蓮の手は傷ついているのだろう。しかし、風圧が凄すぎて痛みは感じない。
「これか」
ようやくぬいぐるみに触れることができた。触れることが出来たらこちらのものだ。華蓮は力強くぬいぐるみを握った。
華蓮がぬいぐるみを握った瞬間、ぬいぐるみを取り巻いていた風が一瞬で止まった。揺れも収まり、激しい耳鳴りも消える。まるで何事もなかったかのように、静寂が訪れた。
「――……加奈子!」
華蓮が手を離すと同時に、秋生がぬいぐるみを掴む。
「いた、痛いよ!何なの急に!」
秋生の掴む力が強かったのか、ぬいぐるみが暴れ出した。その瞬間、心配そうな表情だった秋生の顔がみるみる明るくなっていった。
「よかった!いつもの加奈だ!」
「何言ってるの…?……あれ、私何してたんだっけ…?」
力の放出は加奈子の意志ではなかったらしい。加奈子の声と共に、ぬいぐるみが首を傾げた。
「先輩の力が強すぎて大暴走」
「えっ…うわ!何これ!……私がやったの…!?」
加奈子は辺りを見回しながら、驚きの声を上げた。
「うん。先輩が止めてくれたんだぞ」
「ごっ…ごめんなさい!」
「謝るなら深月に言え」
華蓮は加奈子に視線も向けずにそう返した。先ほど風によって切れた手はいくつか傷ができていたが、既にどの傷も血は出ていない。この分だと放っておいてもすぐに治りそうだ。
「みっきー、ごめんなさい!!」
「あー…いや、うん。いいよ別に。…いや、よくないけど…いいよいいよ、気にしないで」
「どっちなのかはっきりしなよ」
深月のどちらともつかない返答に、侑が呆れたように声を出した。
「うるせぇな。外野は黙って―――侑ッ!」
「えっ―――」
一瞬のことだった。華蓮と秋生が深月の声に反応して入口の方を向いた時には、深月が侑を突き飛ばしていた。床に尻餅を侑は目を見開いていて――間もなく、どんと鈍い音とともに本棚が深月の姿を消した。
「――――――深月ッ!」
侑の叫び声が、ぼろぼろになった室内に響き渡った。
[ 2/3 ]
prev |
next |
mokuji
[
しおりを挟む]