Long story


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 早朝に目を覚まして寝られなくなった時には、7時という時間が途方もなく遠い先のように感じていたが。そんな思いはどこへやら。実際に時計が7時を示した時、やっとという気持ちはなかった。むしろ、もうそんな時間かと思った程だ。
 そればかりか少しだけ名残惜しい気さえ感じつつ、秋生と華蓮は共にリビングに向かった。名残惜しくはあったが、それよりも早起きした分だけ空腹も限界に近いところまできていたのだ。いつもは料理をしながら味見と称してつまみ食いをしているが、今日はそれすら出来ない。

「えぇ…何これ」

 リビングに繋がる扉の隙間から、煙のようなものが溢れ出ている。臭いを嗅いでみると、表現し難い臭いがした。全くもって謎だが、これといって不快感を誘うものではないことが幸いだった。
 秋生が臭いに顔をしかめなかったことで決心したのか、華蓮が取っ手に手をかける。

「……開けるぞ」
「……はい」

 ガチャリ、という音に少しだけドキドキした。扉がゆっくりと開かれる。
 何かとんでもないことが起こっているのかと心配しつつリビングの中を見る。しかし、何が起こっているのかも分からない程にリビングの中は霧が立ち込めたように真っ白だった。

「あっ、秋兄!来ちゃダメ!」
「えっ!?」

 どこからか睡蓮の声がする。
 こちらからは全く何も見えないのに、あちらからは見えているようだ。しかし、辺りを見ましても何も見えない。
 扉を開いたのに、霧のようなものも一向に晴れる気配もない。

「ええっ…夏川先輩!?偽物!?」
「えっうそ、うわ!本当だっ、絶対偽物!!」
「まさかそん…うわぁ華蓮だ!本物ならこの世の終わりだ!」

 桜生の声がして、春人の声がして、それから最後にまた睡蓮の声がした。揃いも揃って、酷いい草だ。
 予定通り朝食を作っているのならばキッチンにいるのだろうが、そちらの方に視線を向けても全く見えない。どうやらそれは華蓮も同じようで、キッチンの方を見つつもその視線は定まっていなかった。
 
「……日頃の行いですね」
「黙れ」
「いたっ」

 余計なことばかり言う秋生は、例によって頭をひっ叩かれる。しかし今のは確実に、リビングの3人分が込められていた。
 そんなやり取りをしても尚、リビングは真っ白いままだ。

「秋兄はまだ入ってきちゃだめ!」
「……もう7時だけど」
「あれ?ほんとだ…でももう少し待っててっ」
「あっ、すーくんそれ酢、お酢っ」
「え!?…ああー!!」

 桜生が焦る。睡蓮は叫ぶ。
 大丈夫なのだろうか。いや、大丈夫じゃないように聞こえるが。見えない手前、何とも言えない。

「き、危機一髪…よかった……」

 春人のほっとしたような声が聞こえる。
 やっぱり、料理をしていることは間違いない。そしてどうやら、何かが酢まみれになることは防げたようだ。

「もうっ、こんな時間に起きてきて僕をびっくりさせた華蓮のせいだよ!」

 となると、華蓮を半ば無理矢理起こした秋生のせいともとれるが。何にしても、酷い責任転嫁だ。今一度「日頃の行いですね」と言いたかった秋生だが、より強く叩かれそうだったのでやめておいた。
 睡蓮の剣幕からして無理矢理入って行ったらきっと激おこは間違いない。そんなことになれば、間違えてお酢を入れる以上の失敗をしかねない。
 しかしながら、空腹もピーク。このまま尻尾を巻いて戻るのは辛い…と思いながらも、秋生はそっとリビングの扉を閉じた。

「どうします?」
「今後のために、部屋に小型冷蔵庫を置く」
「……それは名案ですけど、今の空腹は満たせませんね」

 華蓮の言葉が冗談なのか、本気なのかまでは定かではない。しかし、どちらにしてもこの空腹を満たす手段にはならない。
 せめて一体あとどれくらい時間がかかるのか分かれば、まだ我慢も出来そうだが。あの分だと当分のことにはならなさそうだ。

「外の冷凍庫に凍ったシュークリームとかないのか?あの冷凍庫を買ってから、やたらめった凍らせてるだろ」
「そうしようと思って大量に作っても、いつの間にか全部なくなってるんですよね。冷凍用って、ちゃんと書いて置いてるのに」

 作る度に量を増やすのに、それでもあっという間になくなってしまう。そもそも最初から冷凍するつもりで作っているので普通に作っているものと違うことは食べたらわかるはずだが、そんなことはお構いなしだ。一度に30個作って一旦冷蔵庫にと朝置いておいたものが夕方には跡形もなくなくなったのを見て、これ以上数を増やすと体によくないと思い…それ以降、大量に作るのはやめた。
 勿論、1人が全て食べきっているわけではないだろう。しかし、その大半を食べている自覚はあるようで、華蓮はばつの悪い顔をしていた。

「日頃の行いか……」
「俺は完全にとばっちりですけど」
「勝手な都合で人を早起きさせた罰だろ」

 つまりどっちもどっちということだ。こんな程度の低いやり取りをしていても空腹が満たされる訳でない。だが、他に空腹を満たす手がある訳でもない。
 仕方ないので部屋に戻るしかないのかと、揃ってリビングの扉に背を向けようとしたところ……ガチャリと、扉の取っ手が動く音がした。

「あ、狸さん。おはようございます」

 振り返ると、狸の置物が扉の前に立っている。取っ手が動く音がしたはずなのに扉が開いていないことに関しては、今さら然程驚くことでもない。
 秋生の言葉に、鈴々は「おはよう」と返してから少女の姿へと変わった。最近は、この姿もそれなりに見慣れたものだ。

「……冷蔵庫から何か探して行くから、縁側で待ってて」
「あの状況でそんなことして大丈夫か?」
「平気…僕、小さいし。今は味噌汁と格闘してて目に入らないと思うから」

 そう言うと、再び置物に姿を変えて扉をすり抜けるようにリビングに入っていった。その際にまたしても、ガチャリという音だけが聞こえてきた。
 小さいから平気かどうかは定かではないが、睡蓮も鈴々が相手ならばそれほど荒っぽくなりはしないだろう。冷蔵庫には常に何かしら置くようにはいしているが、いつも知らぬ間に誰かが食べてしまうので…今まともなものがあるかは定かではない。鈴々を信じて、少しでも空腹を満たせるものがあるのを願うしかないだろう。


「何じゃ、珍しいこともあるのもじゃの」
「こんな朝早くから起きてるなんて、天変地異の前触れか」

 どこへ行っても似たような反応だ。華蓮はもう悪態を吐くのも面倒くさいのか、無視を決め込むことにしたようだった。
 やってきた縁側では、良狐と亞希が縁側で将棋をしている。毎日夜更けまで大宴会をしているというのに朝早くから将棋とは…昼寝が捗るのも頷ける。

「俺が無理矢理起こしたんですよ」
「どうやって?無理矢理とはいえ、何事もなく起きるものでもないだろう?」
「それは企業秘密です」

 別に言ったところで何かが減るわけではないが。自分だけが知っているという特別感を無くしたくないので、教えないことにした。
 秋生の返しに対して、亞希が特にそれ以上掘り下げてくることはなかった。それは興味がないからというよりは、良狐が「王手じゃ」と言ったことでそれどころではなくなってしまったに違いない。

「……打つ手なしだな。一手戻る」
「させぬ」
「そこを何とか」
「結果は変わらぬ。往生際の悪い低俗鬼め」

 そう容赦なく吐き捨てられたことで諦めたのか、亞希は大きく溜め息を吐いた。それはもう、落胆に落胆を積み重ねたような、大きく深い溜め息だった。
 良狐がそんなことどうでもいいように将棋盤を片付け、金木犀に移動する。亞希も追って移動したところで、華蓮と秋生は縁側に腰を下ろした。

「……それで、珍しく早起きしたのに何だってこんな所で油を売ってるんだ?」
「リビングに顔出したら、睡蓮に追い出されたんだ。独り立ち朝食作り中」
「ああ、またか」

 もう何度目かになる独り立ち料理。亞希や良狐も、これまでの散々な結果は重々承知だ。
 何せ毎度毎度家中に響きそうな声で秋生へのヘルプが叫ばれるのだから、知らないわけがない。例え同じリビングにいたとしてもその声量は変わらないが、その雄叫びで目を覚まさないのは華蓮くらいだ。

「それで、空腹をどうしのぐかと話してた所に、狸さんがこっそり冷蔵庫から何か持ってきてくれると言ってくれまして。ここで待っててと」
「なるほど。相変わらずどこまでも気の利く狸だ」
「全くよのう。わらわなら、空腹に悶える様を面白可笑しく笑うておるところじゃ」
「それが神使の発言か。まぁ、同感だが」

 何とまぁ、性格の悪い夫婦だ。夫婦は似るというが、果たしてこの2人の場合は似てこうなったのか。似た者同士が引き合ったのか。どっちにしても誉められた話ではない。
 そんなことを思いながら秋生が顔をしかめていると、廊下からパタパタと駆ける音が聞こえてきた。視線を妖怪たちから足音のする方に向けると、廊下の角から鈴々が顔を出した。

「……まぐろやきがあった」

 両手で抱えている皿には、まぐろ焼き…たい焼きのマグロバージョンがいくつか乗っていた。いよいよ和菓子にも手を出し始めた秋生が、最近ハマって作っているものだ。
 秋生はそれを受け取りながら、そう言えば昨日も作ったなと思い出していた。自分が作ったものを忘れてしまうことがよくあるのは、決して毎日沢山の料理を作っているからではない。単に秋生が忘れっぽいからだ。

「ありがとうございます」
「いいえ」
「よかったらおひとつどうぞ」
「…ありがとう」

 鈴々は皿の上からまぐろやきをひとつ手に取り、良狐と亞希がいる枝の反対側に腰を下ろした。
 本人が気付いているのかは分からないが、丸みを帯びた尻尾が枝からぶら下がって左右に揺れている。もしかして、まぐろ焼き(というよりもたい焼き)が好きなのかもしれない。

「これで取りあえず飢え死にはしないですね」
「そうだな」

 華蓮と自分の間に皿を置いて、それぞれがまぐろ焼きを手にする。
 空腹はピークが過ぎるともういいやとなりがちであるが、今はまだその域に達してはいない。優に3個くらいは食べられそうだった。

「狸よ、リビングはどうであった?」
「今までで一番順調。でも、朝御飯という名のお昼御飯になりそう」
「それは何よりじゃ。ここの連中は皆ぐうたらしておるからの。別段、問題はないじゃろうしの」

 確かにその通りだ。
 李月はここのところ桜生に早起きをさせられていたが、昨夜は深月の影武者で仕事に出ていてかなり遅くに帰って来たので昼まで寝ているはずだ。深月と双月はラジオの収録に行っていて、侑は雑誌の取材で出ていた。3人共比較的に早く帰って来たが、そういう日は揃って夜更けまで遊んでいるので翌日に起きるのが遅い。更に今日は洗濯物当番が春人と桜生の日だったことを踏まえると、絶対に起きてこないだろう。
 揃って10時頃に起きてくることは分かりきっている。そしていつもならば、それよりもさらに遅れて華蓮が起きる。何もなくても、どれだけ早く寝ても、かなりの確率で華蓮は起きるのが一番遅い。

「昼までリビングに入れないのか…」
「これはまた暇ですねぇ。ゲームもないですし…」
「そうだな…」

 前までは華蓮の部屋には小型のテレビと古いゲーム機があったが、今はない。深月が懐かしいゲームがしたいと言い出した時にテレビごと持って行ってそのままになっている。あれがいつのことだったか…もう随分経つが、部屋のスペースが空くからと華蓮が特に指摘しないでおいたのが仇になったようだ。

「せっかく早起きしたのじゃから、出掛ければよいではないか」
「……家電量販店は10時開店の所ばっかだからな。スーパーですら8時半……釣具屋くらいは開いているか」

 つまり、殆どの店は開いていない。
 それなのに、今から――仮にかなりゆっくりまぐろ焼きを食べたとしても時間は知れている。こんなに朝早くから出掛けて、どこに行くというのか。

「散歩でもすればいいだろう。普段歩かない時間に歩けば、景色も変わる」
「……こんなくそ田舎、ちょっと朝早くから歩いたところでそう代わり映えしないだろ」
「そんなもの行ってみなければ分からないだろう?別に追い出す訳じゃないがな」

 華蓮の言うことも最もだが、亞希の言うことも最もな気がした。華蓮は勿論、秋生は毎日早起きだがこんな時間から外を出歩いたことはない。
 何もないような田舎だからこそ、何かあるのかもしれない…と。思わなくもない。

「出掛けますか?」
「……まぁ、どうせすることもないしな」

 華蓮が案外あっさりと亞希の提案を受け入れたのは、秋生と同じようなことを思ったからか。もしくは、昼まで時間を過ごすのにここは退屈過ぎたからかもしれない。
 何にしても、秋生としては華蓮と出掛けられるならばそれがどこであろうと楽しみになってくる。自分でも気が付かないうちに、まぐろ焼きを食べるスピードが上がっていた。

「旧道を歩くと、きっと景色が綺麗。参考までに」
「…となると、町とは反対だな」
「そう。山の方はまだあちこちに小さい神様の祠が残ってるから」

 ん?と、秋生はまぐろ焼きを食べる手を止めた。華蓮と鈴々が話す言葉に、ふと変な感覚を感じたからだ。
 違和感とは少し違う。今の会話に何だか気になることがあったような、なかったような。
 何だろう、とてももやもやする。


「祠巡りか」

 
 華蓮がそう、呟いた。
 
 その瞬間、一体何が気がかりだったのかハッキリした。そして同時に脳内を駆け巡る、忘れてしまった夢の中の出来事。
 懐かしい、家族の夢だった。

 思い出した頃には、もう大きくなってるよ。その言葉が、頭の中を木霊する。
 もう随分前から、秋生は玉ねぎを切れるようになっていた。けれど、ずっと忘れたままだった。


「…どうかしたのか?」

 華蓮が不思議そうにこちらを見る。
 秋生は見返しながら、夢の最後に会った女の人を思い出していた。同じ目をしていた。

 もしも、あのまま変わらない日常が続いていたら。もっと早くに、出会っていたかもしれない。
 秋生は同じ目をした女性のことを思い出しながら、そんな風に思う。

「……いいえ、何でもないです」

 もっと早くに出会っていたとしても、今のこの一瞬がどこで訪れたかは分からない。もしかすると、忘れていた大切なことを思い出すことすらなかったかもしれない。
 それはもう一生、分からないことだ。
 けれど、秋生にとっては今ここにあるもの、今のこの家が、そのにいる人たちが、そして華蓮が。あの時の家族と同じように、一番大切なものだ。
 だからきっと、あの家族は過去の懐かしい記憶でいい。
 もう二度と取り戻せないとしても、すぐそこにある。手を伸ばせばいつでも、そこにあるのだから。




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