Long story


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 テレビを見ていると「ただいま」と玄関の方から声がした。しばらくも待たないうちに、リビングの扉が開く。

「おかえり、にい…違った。あにき」
「ただいま」

 帰って来た兄、琉生は例によって汚かった。その汚さというのは、森の中を駆けずり回ったとか、地面を転がったとか、いっそ沼にでも入ったのでないかとか…そんな汚さだ。
 けれど、挨拶がてらその手に頭を撫でられるのは嫌いじゃなかった。

「デートはどうだった?」
「いやちげぇし。誰だよ、そんなデマ吹き込んだの」
「お母さん。に…あにきはいっつも何してるの?って聞いたら、毎日デートしてるのよって」
「母さん…また変なこと教えて…」

 琉生は不機嫌そうな顔で辺りを見回す。リビングに母、柚生はいない。仕事から帰って先程まで辺りをうろうろしていた父の琉佳も、どこかに行ってしまったようだ。

「違うの?」
「違う。そもそもお前、デートの意味知ってんのか?」
「…好きな人と一緒に色んな所行ったり、好きなことしたりすること。って」
「母さんが?」
「うん」

 他にも色々と説明されたが、その他の殆どのことは忘れてしまった。柚生の説明は分かりやすく、聞いた時にはちゃんと理解していたのに。
 秋生が忘れっぽいのは、いつものとこだ。10のことを聞くと8は忘れると、桜生にいつも言われている。

「…ニュアンス的には間違ってねぇけど」
「でも、しゅうがにい…あにきとか、桜生とかと遊ぶのは違うんだって。家族だから」
「まぁ、そうだな」
「それで、にいちゃ…あにきは、家族じゃない大好きな人と一緒にいるからデートだって」
「だから違ぇってんだろ」

 口が悪いのは今日に始まったことじゃない。琉生の口調はどんな時もこの調子だ。柚生はいつも、琉佳と琉生みたいな口のききかたをしては駄目だと言う。
 しかし今日はそれに加えて、怒ったと思ったらそうじゃなくなっなり、そうじゃなくなったと思ったら怒ったり。随分と忙しい。

「嫌いな人と一緒にいるの?」
「……いや、そういうわけでもねぇけど。そもそも、1人と遊んでんじゃねぇし」
「デートっていっぱいいちゃだめなの?」
「そりゃあ…ああもう、面倒臭ぇな。何で俺がんなこと説明しねぇといけねぇんだよ」
「やっぱりデートなんだ」
「だからそれは違ぇの!」

 また怒り出した。
 そう思った矢先、再びリビングの扉が開く。琉生が入ってきた方とは、反対の扉だった。
 
「何ぎゃあぎゃあ騒いで………琉生お前、今日はまたどこのドブで泳いできたんだ?」

 琉佳は手に段ボールを担いで入ってくるや否や、琉生を見て思い切り顔をしかめた。そんな顔をされても無理もないほどに、琉生は汚かった。

「話すと長い」
「しゅうにも聞かせて」
「秋生は余計ことしか言わないから聞かせねぇ」
「えー、けちっ」

 秋生がべーっと舌を出すと、琉生も同じように舌を出してきた。秋生は少しだけムッとして琉生に向かって手を出すが、ひょいと避けられてしまう。これもいつものこと。どうあがいても、手も足も出ないのだ。

「じゃれあうのもいいけど、さっさと風呂行けよ」
「はーい。……そいやぁ、母さんと桜生は?」
「桜生はまた熱だして寝てる。お母さんも、一緒に」

 琉佳に言われてリビングを出ようとした琉生が立ち止まり振り返った。問いかけに答えると、琉生は露骨に顔をしかめる。

「は?いつから?」
「にい…あにきが出てって、すぐ」
「……じゃあお前、今日ずっと2人だったのか」
「うん。あやとりした」

 秋生は、そう言って庭を指差した。今もまた、無害な霊とあやとりをして遊んでいる。
 いつものことだ。どんなに面白い遊びを持ちかけても、どんなに面白いテレビがやっていても「あやとりがいい」とばかり言う。そんなことだから、秋生も桜生も琉生も、あやとりが滅茶苦茶上手くなった…と、秋生は思っている。

「ずっと?」
「お昼前くらいまでかな?その後は1人で遊んでたよ。外に遊びに行くって、行っちゃったから」

 そうしてずっと、庭で色んなものと遊んでいたようだった。
 内容は一貫してあやとり。やってくる色んなものたちも、よく付き合っていると思う。

「……1人で何してたんだ?」
「うんとねー、庭に転がってた狐と鬼ごっこしたし、裏口の蛙とけんけんぱして、あとー…あっ、そうだ。呪いの練習もした!」

 庭には時々、狐が顔を出す。それがどういう狐なのかは知らないが、「暇そうじゃの」とやって来ては秋生を追いかけ回すのだ。裏口の蛙は、蛇口の上にいたりいなかったりする。自分が如何に美しく跳んでいるかを熱弁しながら遊ぶのだが、秋生はその話の9割は真面目に聞いていない。そして呪いの練習は、琉佳の部屋でならいつでもやっていいと言われている。的に向かってひたすら呪いをかけまくるという、極めてシンプルなものだ。
 琉生に話ながら、よくよく考えると1人でいた時間は殆どなかったことに気がついた。しかし話を聞いた琉生は、どうしてか複雑な顔をしていた。

「……風呂から上がったら、今日あったやばいこと聞くか?」
「やばいこと!?聞く!!」
「秋生にしか教えないから、誰にも秘密だぞ」
「うん!」

 秘密の話は大好きだ。聞くまでも、聞いてからもわくわくする。それに、話しちゃいけないというスリルが楽しい。

「あいつは興味ないだろうし、後で一緒にあやとりしてやるかな」

 そんなことを呟きながら琉生がリビングから出ていくと、秋生はキッチンにいる琉佳の所に小走りで向かった。気分上々で、琉佳の足元をぴょんぴょんと跳ねる。

「お父さん聞いたっ?にいちゃんが秘密の話してくれるって!」
「よかったな。聞いたら父さんにも教えてくれ」
「いいよ!」
「馬鹿、秘密なんだから教えちゃダメだろ」
「あっ…そうだ。やっぱ教えない!」
「よし、しっかり守れよ」

 琉佳は笑いながら、秋生の頭をわしわしとかき回した。琉生とは違ってすごく荒っぽいが、嫌いじゃない。
 足元を跳ねていると、キッチンに玉ねぎと人参が転がっているのが見える。琉佳が、キッチンに立つ時にあるのは、決まってこの野菜だ。

「今日の夜ご飯はオムライス」
「お、よく分かったな」
「お父さん、オムライスしか作らないじゃん」

 普段、料理はいつも柚生が作る。琉佳が料理を作るのは、桜生が熱を出して柚生が付きっきりになっている時だけだ。
 そして、琉佳はオムライスしか作らない。例えば3日間桜生が熱を出し続けたとしても、3日間オムライスしか作らない。

「琉生は相当駆け回ったみたいだから、恐ろしくでかいの作ってやるかな」

 それが嫌がらせなのか、もしくは本当に琉生のことを思ってなのかは分からない。けれど、琉生は巨大なオムライスが出てきたら両手を挙げて喜び狂うに違いない。
 オムライスが大好物の琉生は一生毎日オムライスでもいいと言うけど、秋生は流石にそれは嫌だ。ぶっちゃけ、3日連続の時点でもういいかなと思ったくらいだ。

「…ねぇお父さん、にい…あにきはデートしてたと思う?」

 結局、本当はどうだったのか分からず仕舞いだ。

「唐突だな。どうしてそんなこと聞くんだ?」
「お母さんが、にい…あにきはデートに行ったんだって言ってたけど、にいちゃ…あにきは違うってさ。どっちなんだろ?」

 柚生が嘘を吐くとは思えない。けれど、琉生のあの剣幕からして、琉生も嘘を吐いていないように思える。つまり、嘘かそうかではなくどちらかが間違っていることになるのだ。
 しかし、実際のところどちらが間違いなのか秋生には分からない。本人達に聞いたらきっと、自分が正しいと言うだろうし…となると、関係ない琉佳に聞くのが先決だと秋生は判断したのだ。

「……それがどっちかって前に、何だって急に『兄ちゃん』から『兄貴』になったかの方が父さんは気になってきてる」
「それはね、にい…あにきがね、しゅうも桜生もにいちゃん!って呼んだら、どっちが呼んでるか分からないからやめろって。それで、あみだくじした」

 それがつい昨日のことなので、秋生はまだ全然「兄貴」と自然に呼べない。何回練習しても「兄ちゃん」と呼び掛けて気が付くのだ。きっとまだまだ時間がかかるだろうが、根気よく続けていくしかない。

「何つう自己中な…。ちなみに、他にはどんなのがあったんだ?」
「えっとねー、桜生はにいさんになったよ。後は…るいさまと、おにいさまと、かっか!」
「………閣下が当たってたらどうする気だったんだ、琉生のやつ」

 どうして琉佳が少し引きつった顔をしているのか、その時の秋生には分からなかった。けれど、桜生と秋生がそれぞれ引き当てた時に琉生が「つまんねぇな」と呟いていたことから、そこ他の候補がきっとろくでもないんだろうなということは察していた。だから、「兄貴」になってよかったと思っている。

「それとね、おっきくなったらの呼び方も決めたよ」
「おっきくなったらの呼び方?何だそりゃ?」
「しゅうはおれで、桜生はぼく!」
「ああ…一人称か……。ちなみに、他には?」

 トントンという音が聞こえ始めた。いつもこれが始まるってしばらくすると、目が痛くなってくる。
 秋生はそれが楽しくて、だから琉佳の足元から動かない。目が痛くなるだけでなく鼻がツーンとするような感じも、笑えてきて楽しくなるのだ。

「んーと…おいらでしょ、わてくしでしょ、それがし?と…わがはい?だったかな?」
「お前らマジでくじ運いいな」
「に…あにきもそう言ってた!やばいなって!」

 秋生が楽しそうに言うと、琉佳は可笑しそうに笑った。
 一体、琉佳が何に対して笑ったのかは分からない。けれど、そうすると秋生もより楽しくなってくる。

「……それで、デートの話に戻るけど」
「あ、そうだ。忘れてた」
「もういいのか?」
「よくないよ。お父さんは、どっちだったと思う?」

 秋生はよく物事を忘れるが、その事がらがどうでもよくなったという訳ではない。本当に単純に、忘れっぽいだけのだ。
 琉生曰く、いつもあちこちで転んでいるから、そのせいで覚えるという機能がバカになってるのかもしれないと言われた。言葉の意味はあまり分からなかったが、誉められているのではないことはその心配そうな顔から察した。

「まぁ…本人がデートじゃないってんなら、デートじゃねぇか」
「そうなの?」
「でもな、一緒にいた相手がデートだと思ってたらまた変わってくるからな。一概には言い切れねぇな」
「……一筋縄ではいかないね」
「どこでんな言葉覚えてくんだよ」

 秋生が複雑そつな顔で腕を組むと、琉佳はまた可笑しそうに笑った。

「お父さんは、お母さんとデートしたことある?」
「……まぁ、そうだな」
「どんなことするの?に…あにきみたいに、泥だらけになるの?」
「もうその、兄貴っての諦めたらどうだ?」
「決まったことだから、だめ。…それで、どうなの?」

 正直、秋生ももういいんじゃかいかと思っている所はある。しかし、一旦決まったことをそう簡単に曲げるわけにはいかない。秋生は強い口調でそう返す。
 そして、またしても逸れそうになった話を、今度は忘れてしまう前に元に戻した。

「普通は泥だらけにはなんねぇよ」
「……じゃあ、何するの?」
「テーマパーク行くとか、観光地に旅行とかすんじゃねぇの?」
「何で聞くの?」

 琉佳はデートをしたことがあるというのに、まるで未体験のことを想像で話しているみたいだった。それがとても不思議で、秋生は首を傾げながら問いかける。

「……母さんはそういうのに興味がなかったから、そういう所には行ったことないんだよ」
「じゃあ、どこで何してたの?」
「祠巡り」
「……なにそれ」

 祠というのは、神様がいる場所だと柚生から聞いたことがある。聞いただけではない。散歩をしている最中、何度かそれっぽいものに出会ったこともある。
 しかし、記憶にあるそれはどれもこれも似たようなものばかり。巡り歩いて、何があるというのだろう。

「近所から遠方まで、神様の祠を延々と探し歩く」
「………それ、楽しいの?」
「楽しいかどうかは置いとくとして、色んな神様と知り合いになっとくのは悪くない」
「ふうん…」

 秋生には、神様と知り合いになってどんないいことがあるのかまるで分からない。そういえば、柚生もよく「覚えてもらうといい」と言ってぼけっと座っている神様に秋生と桜生を紹介することを思い出した。
 神様なんて、いつもただそこに座っているだけなのに。やっぱり、何がいいのかサッパリ分からなかった。

「それにな、神様がいる場所ってのは大概はの土地が豊なことが多い。どこも絶景だぞ」
「綺麗?」
「そう、綺麗だし安全だ。秋生が川に飛び込んでも足を引っ張られないだろうし、一人で森に入っていってもちゃんと出られる。案外、崖から飛び出しても死なないかもな」

 それはどれも、秋生が今までに実際に経験したことだ。
 川で何かが揺れていたので飛び込んでみたら、変な手に足を捕まれて溺れかけた。森に呼ばれたような気がしたので入っていったら、出口が分からなくなった。吸い込まれるように崖に近寄っていったら飛びたくなったのでそのまま飛んだら、かなり高くてびっくりした。
 そんな目に遭った時はいつも、桜生が助けてくれたり、琉生が助けてくれたり、自分でどうにかするのだが。結局川では遊べないし、森でも遊べないし、崖でも遊べなくてちっとも楽しくないのだ。だから、そんなことが起こらない場所があるなんて夢のようだと思った。

「しゅうも行きたい!ねぇ、しゅうともデートして!…あ、でも桜生と、にいちゃんと、お母さんとそれから……」
「待て待て。それだと、ただ家族で出掛けてるだけでデートじゃねぇぞ」
「えーっ、デートがいい!」

 そういえば、柚生も家族と出掛けるのは違うと言っていた。けれど、秋生はデートがしてみたいのだ。
 琉佳の足元で跳ねると、上の方からツンとする臭いがしてきた。痛いけど、面白くなってくる臭いだ。

「デートで行きたいなら、もう少し大きくなってから誰かと一緒に行くしかないな」
「大きくっていつ頃?明日?明後日?」
「気が早ぇな、もっとずっと先だよ。秋生がここに立って、玉ねぎが切れるくらい大きくなってから」
「ぎゃっ!ツンツンする!」

 切りかけの玉ねぎを顔の前に差し出され、秋生は思わず声をあげる。息をした瞬間に、鼻にガツンと強烈な臭い。そして目がピリピリと痛くなった。
 琉佳は可笑しそうに笑う。そうすると痛いのに、可笑しくなってくる。

「玉ねぎ切るのはずーっと先になりそうだな」
「……そんなに待てない」
「安心しろ、待ってる間にすぐに忘れるから。秋生は忘れっぽいからな」
「なにそれ」
「そうして忘れてる間に、一緒に行ってくれる誰かと……そう、会うべくして会うってるよ」

 そう言うと、琉佳は秋生に卵と皿を渡してきた。それが卵を割れという意味なのは、聞かなくても分かっていた。琉佳がキッチンに立つとき、秋生はいつも何かしら手伝いをする。それは卵を割ったり、調味料を取ったりと些細なことだが、秋生はキッチンで手伝いをすることが嫌いではなかった。
 卵と皿を受け取り、先程までテレビを見ていた場所のテーブルに移動しながら秋生は琉佳を見る。

「会うべくして、会う?」
「父さんの知り合いにやたらこう言う奴がいるんだ。ろくでもない奴だが、間違ったことは言わない」 
「……本当に?」

 半信半疑で問う秋生に、琉佳は速攻で頷いて見せた。

「思い出した頃には、もう大きくなってるよ」

 琉佳がそう言うなら、きっとそうなんだろう。
 ならば今は、目の前の卵に集中してしまえばいい。そうすれば、特に意識をせずともそのうち忘れてしまうだろう。
 それに、琉生がお風呂から出てきたらやばい話も待っている。それを聞けば、もし覚えていたとしてもあっという間に忘れてしまうに違いない。

「思い出した時に、大きくなってますようにっ」

 まるで卵に願い事をしているみたいだ。
 秋生はそんなことを思いながら、机の上に置いた皿に向かって卵を持つ手を振り下ろす。

 ピンポーン。

 皿に卵が当たる寸前、秋生は手を止めた。ギリギリだった。
 リビングの入り口にある玄関を映し出すモニターに、パッと光が灯る。

「秋生、ちょっと出て来てくれるか」
「え?」

 両親が秋生や桜生に人の出迎えを頼むことは滅多にない。それが郵便配達員だとしても、何かあってはと警する。
 だから何の迷いもなくそう言われたことを不思議に思って、秋生は琉佳を見た。

「大丈夫。怪しい奴じゃないから」
「…行ってくる」

 小走りで玄関まで走って向かった。大した距離でもないのに、途中で2回転んだ。
 玄関にたどり着いた秋生は、背伸びをして玄関のと扉に手を掛ける。そしてゆっくりと、扉を開けた。

「あらまぁ、可愛いお出迎えね。こんばんは、秋生くん」

 玄関の向こうに立っていたのは、女の人だった。その人は秋生を見つけるとすぐに屈んで、その目線を秋生に合わせる。
 視界に入ったその人は、見惚れるような笑顔だった。



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