Long story
おとぎ話をしようと切り出された話は、とても子供が聞けるような内容ではなかった。そればかりか、おとぎ話ですらなかった。
それが現実に起こったことであると、そう言われなくても華蓮には分かっていた。
「鬼神家はこうして古くから鬼を愚弄し、虐げ、現代まで一族の繁栄を続けてきたというわけだ」
「……現代…まで」
「そこが一番恐ろしい所だ。人の命を対価とする…つまり生贄だが。そんなものを必要とする術を、現代の世で当たり前のように行ってたんだから」
生贄。
また、そんな言葉を聞くことになるなんて。しかも自分の血筋に関わることで、そんな言葉を耳にするなんて思ってもみなかった。
「それで?お前もそうして鬼を従えていると?」
「いや。私の命は対価用だった」
「…過去形か。つまり、もうその気の狂ったような風習も終わりを告げたと」
「正しくは、終わりを告げざるを得なかった…だが」
亞希の問いに真柚はそう答えてから、コーヒーをすする。そして、再び皿の上に置かれたコーヒーカップに目が止まる。話の合間にも何度か飲んでいたが、一向に減る様子がない。
「…現代まで続いた風習を、一度だけ破った者がいた」
華蓮は中身が減らないコーヒーカップから、顔を上げる。
「それが君のお母さんだ」
そう話し始めるのと同時に、真柚はコーヒーに角砂糖を何個も落とした。そして砂糖を落とし終わったそのコーヒーを一口飲んでから「ここからは又聞きした話だが」また話を始める。
「君のお母さんは一人っ子だったため、長男ではなかったが幼い頃より鬼を呼び出す術を…それが後に、無理矢理鬼を従えるためのことと知らずに習っていた。そして、本来なら15歳の誕生日に行うはずの儀式を…10歳の時に、それも1人で勝手に行った」
自分が亞希と契約をしたのは、果たして何歳の時だっただろうか。10歳という年齢を聞いて華蓮はふとそんなことを思うが、正確な年を思い出す前に話が続く。
「直ぐに親たちが割って入り、対価を以て術を成功させようとしたが…お母さんの友人がそれを邪魔した」
「…友人」
「そうだ。同じく10歳にして十数人の大人を相手に、呪詛駆使してものの数分で全員をその場にひれ伏せた……君が今、必死に捩じ伏せようとしているのはそういう人物だ。頭に置いておくといい」
旧校舎の3階にいる腹立たしい人物が頭に浮かぶ。
一緒にいる子供が、未だにあの男を捩じ伏せた者は1人もいないと言っていたことを思い出した。全く、どれ程けた外れに強いのか…未知数が過ぎる。
「そして君のお母さんは鬼を呼び出し、そして…呼び出された鬼にこう告げた。自分の姉になって欲しい、と」
「姉……?」
「兄でも姉でもよかったが、どちらかというと姉の方がよかったから…出てきたのが丁度女鬼でラッキーだった。と、後に彼女は語ったそうだ」
「いや…そういう問題じゃあ…」
華蓮は思わず突っ込んでしまった。
「君のお母さんにとってはそういう問題だったんだ。当たり前だが…女鬼はその申し出を断った。そうすると、君のお母さんは女鬼に勝負をけしかける。今からガチンコバトルをして、もし自分が勝ったら姉になってくれ…と」
「……はぁ」
先程までかなりシリアスに話が進んでいたというのに。唐突にコミカルな色が強くなってきた。それがまた、自分の母親が登場した辺りからだというのが何とも複雑な心境だ。
華蓮は適当な相づちを打つ以外に言葉が見つからない。亞希は隣で訝しげな表情を浮かべている。
「女鬼はそれを了承し、君のお母さんは圧倒いう間に惨敗するが…諦めなかった。君の負けず嫌いはきっとお母さん譲りだろうな」
「…別に俺は」
「まさか、負けず嫌いじゃないなんてほざくなよ」
亞希にじろりと睨まれ言われ、出かけた言葉は喉の奥に引っ込んだ。
「君のお母さんは何度も女鬼を呼び出し、何度も挑戦した。ちなみに彼女の友人はそのおかげで呪詛をかける技術がかなりの上達を見せたそうだ…というのは余談だったな。……そうして2年の月日を経て、君のお母さんはついに女鬼に勝った」
「2年……。頼むから、そんなに時間をかけるなよ」
「当たり前だ」
亞希の言葉が、あの旧校舎の3階の相手との話をしているとうことは明白だ。
最初の大敗に、2度目の呪詛。これ以上あんな屈辱を味わうものか。次に対峙する時には絶対に打ち負かすと心に決めている。
「……それで、その女鬼はこいつ母親に従うことにしたのか」
「従うのではなく、彼女の希望通り姉として一緒にいることにした。家族はそれをよく思わなかったが、誰も彼女と女鬼には敵わなかったため、黙認するより他なかった。……そしてそれは同時に、この忌まわしき風習の終止符ともなった」
2年という月日を経て、華蓮の母――睡華は、服従ではなく信頼を得た。
それは今、華蓮と亞希が一緒にいる…その関係と同じだ。本人たちは決っして認めないが、それは確かな事実だ。
…しかし、それならば。
「ならば、今その鬼はどこに行った?」
そう。睡華が信頼を以て共にあることとなった鬼を、華蓮は一度も目にしたことはない。それどころか、華蓮と共にいた睡華にはとても鬼を打ち負かすどころか…鬼を呼び出せる力すらなかった。
「……十数年前、鬼神家はある場所の一族総出である場所の浄化を行った。まぁ大体想像は付くだろうが…敢えて場所は伏せさせてもらう。古より邪悪なものが蔓延り、溢れ、その地を侵食していてた場所を…無理矢理に浄化した」
旧校舎の3階にいる男に2度目に負けた日、見せられた光景を思い出す。
あそこに立っていた人物は紛れもなく、華蓮の父と母だった。
「一族総出で実に3日かけけ行った儀式によってその地は浄化されたように見えたが、そんなものはまやかしだった。綺麗に汚れを落とすのではなく、汚い物に蓋をしたに過ぎなかった。そして…蓋をしただけの状態では、中身は増えていく一方だ。増え続ける中身は少しずつ、少しずつ蓋を押し上げ…そして」
「……爆発する」
「そう、それ以外に道はない」
見せられた記憶の中で、母はそれを心配していた。そしてその不安は現実になったと、そういうことだ。
あの先に溜め込まれたものが爆発し、そして…一体、何が起こったのか。
「それはいずれ見る時が来るだろうから…割愛するが。爆発によって一族が行った浄化は跳ね返され、そして呪いという形となって戻ってきた」
すっと、腕を差し出した。
スーツの袖をめくると、腕の周囲をぐるりと線を引くように真っ黒い痣が露になった。
「…命を食らう呪詛か」
「鬼神家もついに報いを受ける時が来たというわけだ。……君のお母さんを除いて」
真柚の視線が、華蓮を捉える。
「爆発が起こった時、君のお母さんはある1人の女性を守るために全ての力を使った。同時に、彼女と共にいた鬼は…命をかけて彼女を呪いから守った。……だから、彼女と…そしてその子供である君と弟は、鬼神家の血を引きながらも呪いを受けずに済んだ」
そして、母は力を失った。姉も。
「君のお母さんは鬼神家から絶縁しようとしたけど、君のお父さんがそれを止めた。関係を完全に絶ってしまうと、これから先に起こることが読めないから…と。そう言って彼女を止めたのは、その時が2度目だった」
「2度目?」
「1度目は自分の家系が古くから生贄をもってして鬼を従えていたと知った時だ。その時は私もその場にいたが…世界を破壊し尽くしそうな程に怒り狂っていたあの姿は一生忘れられないだろうな」
真柚はどこかその光景を思い出すように視線を仰がせ、染々とそう言った。
華蓮記憶の中にも母が怒っていたことはあるし、もちろんその矛先が自分であったことも何度となくある。しかし、世界を破壊し尽くしそうな程というのは、皆目検討がつかなかった。
「最初に怒りを諭された後、君のお母さんはすぐに鬼神家のトップになった。ちなみにそれは私が生贄となる儀式が行われる2日程前のことで……君のお母さんは私の命の恩人ということだ」
母はいつも、言っていた。
自分には多くの人を助けられる力はないと。だから、目の前にいる人を全力で助けるしかないと。
ずっと、そうやって、目の前にある多くの人を助けてきたのだ。
そして母はいつも、言っていた。父は…。
「……こいつの母が、何百年と続いたら風習を終わらせたのか?どうやって?」
「その辺りはよく知らない。ただ、武力行使だけで…というわけではないようだった。その証拠に、彼女が力を失くした後も一度も儀式は行われていない」
そして華蓮の母――鬼神睡華は、変わらずその性を名乗り続けた。
華蓮がずっと鬼神華蓮と名乗ることを忌みていたように、睡華もまた、鬼神睡華と名乗ることを忌みていたのだろうか。それとも、華蓮が乗り越えたように、睡華もまた乗り越えていたのだろうか。
今はまだ、答えは聞けない。
「事が動いたのはそれから数年後。お母さんが最後の力を以て守った人が不運にも亡くなり……君のお母さんの力が破られたことで、呪いが最後の力を発揮した」
李月と秋生から聞いた、墓石の死亡年が思い出される。
あの日。
華蓮が家を出た日。母が、母ではなくなってしまった、あの日。
「……滅んだのか」
一人と残さず。報いを受けた。
「本来なら睡華さんに始末の依頼が行くはずだったんだが。悪霊に余計な勘繰りをされたくないと、生き残った私に全てを回してきたというわけだ」
そして、当て付けのように全員の墓を教会に建てた。
当然の結果と言っていいだろう。むしろ、その程度では生緩いと感じるくらいだ。
「…そもそも、お前はどうして死んでいない?」
「それは至って単純だ。鬼神家では基本的に男性は血縁内での結婚しか認められていなかった。しかし私は鬼神家の血をもつ母と、全く無関係の不倫相手との子供で、鬼神家の血が半分しか入っていない」
それはまたしても、想像の範疇を越える回答だった。鬼神家に入ると倫理感というものは一滴もなくなってしまうのかと、思わずにはいられない。
生贄に比べれば不倫など可愛いものだとでも思っているのだろうか。もしかすると、そういう問題ではないということさえも見失ってしまうような、劣悪な環境だったのかもしれない。
「それでも多少の呪いは受けたが…おおよそお飾りみたいなものだから、どうということはない」
それは敢えて華蓮に気を遣わせないために言ったことなのか、それとも本当のことなのか、それは分からない。ただ、華蓮には何も口にすることはないということは分かった。自分の血筋の話だとしても、ほぼ部外者の自分には踏み込める領域ではない。
そして、部外者のままで構わないと思った。初めて知った自分の家系は、一生受け入れられないようものだったからだ。
「感想はあるか?」
それは華蓮にではなく、亞希に向けての言葉だった。
自分が手を差し伸べ力を貸している相手が、かつて自分を修羅にしかけた…家族を、種族を殺し尽くした人間たちと同じような存在だった。それを知って、亞希が何を思い、何を口にするのか。
「………そうだな。ひとつだけ許せないことがある」
亞希は腕を組み、真剣な表情で一呼吸置いた。
華蓮は心なしか、緊張していた。
「やはり俺が弟というのは気にくわない」
そう言ってじろりと向けれらた視線に、緊張の糸が切れる。
思わず溜め息が漏れた。
「お前な…もっと真面目に思うことはないのか」
「俺は真面目だ。それ以外にこれといって思うこともないからな」
それはとても、とても回りくどいが。
亞希は何も気にしてはいないから、同じように華蓮も何も気にするとはないと。つまりは、そういうことらしかった。
華蓮は亞希のその回りくどすぎる気遣いに、再び溜め息を吐いた。
「なら、質問はあるか?」
今度は華蓮に対しての問いだった。
華蓮は少し考え、口を開く。
「……あの男に勝つ方法はありますか?」
自分の家系について、これ以上掘り下げることはなかった。
母が何も口にしなかったのはきっと、隠そうとしたからではない。知ったところで、何の身にもならないと思ったからだろう。
知って得たことと言えば、もう何度となく思い知らされてきた人間の業の深さは底知れないということを、また改めて思い知られたくらいだ。
それよりも、会話の合間に聞いた余談の方がよっぽど身になりそうな話だった。
「……ないことはない」
華蓮の問いに真柚は腕を組み、少し考えてからそう答えた。
「それはこいつに可能なことなのか?」
「むしろ君だから出来る。それも今はある意味で絶好のチャンスだ」
亞希が問うと、真柚は少し笑った。
華蓮がどれだけこてんぱんにされたかも、全力で挑んで尚も捩じ伏せられなかったことも知らないというのに。どうしてそれほど自信ありげに言えるのだろうか。
「私の知るあの人には、どんなに頑張っても武力では誰も勝てない。これは私の過大評価ではなく、揺るぎない事実だが……今のあの人は、私の知るあの人ではない」
「………本人だけでなく、他人の力を借りているから、ということですか?」
「その通りだ。今の彼が自分の力を100%出すためには他人の力がいる。……君はあの人の正体と、力を貸している人物の正体に検討は付いてるか?」
「………おおよそは」
その人物の一人はいつも傍観者としている。しかし、真柚の言っているのはそらちではなく、もう一人の見えない人物の方だろう。
見たことのないその人物に確証はない 。だが多分、間違いはないと思っている。
「それならば話は早いな。狙うなら君と対峙している人物ではなく、背後で彼に力を貸している人物だ」
「でも…もう一人は、その場にはいません」
「問題ない。精神的に一瞬でも惑わせればいいだけのことだ」
「…精神的に」
「こんなことはあまり言いたくはないが…彼に力を貸している人物はかなり打たれ弱い。それもつい最近、自分の不注意でよくないことがあったらしくて…今は割りと落ち込んでいる」
見えもしない相手をどうやって精神的に追い込むこかと思ったが、真柚が少し笑いながら言ったその言葉で少しだけ道筋が見えたような気がした。
そして、先程まで多分間違いはないと思っていたことが、今度こそ確信に変わった。
「だから…今が絶好のチャンスだと?」
「ああ。一瞬でも惑わせて隙を作れば…勝てる可能性はある。ただ、これまでの同じやり方では対処されてしまうからその辺りは注意しておくといい」
つまり、今までに使ったものは全て利用できないか、利用したとしても意味がないということか。
この間、全身全霊をかけて打ち込んだあれすらも届かなかった。それは呪詛とバットのせいだが、それを取り除いたとしてももう食らわせることは出来ないということだ。
しかし、あれ以上のものなど果たして出来るだろうか。考えても全く思い浮かばない。
「とにかくまずは動きを止めることだ。隙が出れば、必ず打つ手はある」
真柚はそう言ってからコーヒーを一気に煽った。
机に置かれたカップには、もう新しいコーヒーは注がれていなかった。
「あの人が負けた暁には祝賀会を開かなければならないからな。期待している」
いつも傍観している子供といい、真柚といい。それだけでなく、祝賀会ともなるとまだ他にもいることになる。旧校舎の3階にいるあの人物は、一体どれだけの人たちに敗北を望まれているのだろうか。
そんなことを考え、そして改めて思う。自分が勝負を挑んでいる相手は、自分のこれまでの人生でもこれから先の人生でも間違いなく、最も強い相手なのだろうと。
「じゃあ、私はこれで」
「……忙しい所を、ありがとうございました」
立ち上がる真柚に向かって礼を言うと、どうしてか困ったような顔が見えた。
そして、その顔をどかに向ける。亞希が最初に、態度悪く睨み付けていた壁の片隅だ。
「最後まで敬語は慣れなかったな」
「仕方ないね」
その会話は、どうしてか華蓮の耳には届かなかった。
ただ、真柚の口許が動いたことから、誰かと話をしているということだけは分かった。
「またいつか、会える日まで」
壁の片隅から華蓮に視線を戻した真柚は、そう言って笑った。
「……また、いつか」
華蓮は無意識に、真柚の言葉をそのまま呟いていた。
どうしてだろう。初対面の相手から、社交辞令のような言葉を受けただけだというのに。それが単なる社交辞令として、簡単に聞き流すことが出来なかった。
しかし、きっとすぐに忘れてしまうのだろう。そして、そのたった一言がこれ程にも名残惜しく感じたその理由を、華蓮が知ることはない。
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