Long story
バスに揺られる。
こんなに朝早くからバスに乗ることなどないが、こんな田舎でも以外と人は多いものだ。いや、高齢社会の田舎だからこそ多いのかもしれない…と、自分達以外はほとんどお年寄りばかりの車内を見ながら、秋生は思う。
「残念だったな」
「勝負は勝負ですから。それより、李月さんは完全に巻き込み事故ですね…すいません」
秋生は自分の手のひらを見つめてから、李月に視線を向ける。
5回のあいこという接戦の末に佐藤に軍配があがってしまったことは、悔やんだところで仕方のないことだ。あの時パーを出していればと思ったところでどうしようもないので、その気持ちは切り替えるしかない。しかし、どうしても李月には悪いことをしたと思ってしまう。
「俺は別にいいけどな。秋は華蓮と一緒の方がよかっただろ」
「……それは…そう、です、ね」
華蓮と一緒に。
それをちょっと考えて、その返答がすぐに出てこなかった。どうしたか、言葉が止まってしまったのだ。
それは決して李月と一緒の方がいいとか、華蓮と一緒は嫌だとかそういう話ではない。それなのに、どうしてなのか…自分のことなのに。自分でも分かっているような、分かっていないような、複雑な心境だ。
「えらく歯切れが悪いな」
李月は秋生の反応が意外だというような顔をしていた。そんな李月を前に、この複雑な自分の気持ちを言うか言わまいかと迷った末に、秋生はゆっくりと口を開く。
「……えっと…先輩と一緒にいると幸せなんです。だから、先輩もそうであって欲しいんですけど…いっつも上をいかれるというか…いや、気持ちは勝ってるんですよ?絶対に俺の方が好きなんですよ?そこは譲りませんよっ」
「落ち着け、立ち上がるな」
「あ、すいません。……それでまぁ、そうなんですけど。それを伝えるのに及ばないというか…。伝えたいんですけど、伝えようとしても上をいかれるとまた幸せなわけでして…このままじゃ、先輩もそうなるほど伝えられる前に
、俺は幸せ過ぎて死ぬのではないかと……」
幸せ過ぎて死ぬなんて、それこそそんな幸せはないと思う。けれど、自分だけ幸せなまま死ぬなんてそんなのは嫌だ。
そもそも、色々と解決していないことがあるのに幸せに死ぬのは如何なものか――やはり、そういう訳にはいかない。
「だから、一緒にいたくないのか?」
「いや、そうじゃないですしそんなの嫌です。それこそ死にます」
「……やっぱり大分と進歩したな」
「え?」
「いや。……つまり、常に一緒はいたいが、そうすると自分ばかりで返せないから…そこにジレンマを感じつつも一緒にいたいと」
「…そう、そんな感じです」
一緒にいたいけど、でも、やっぱり、一緒にいたい。たどり着く結果は同じだが、そこにいきつくまでの過程に自分の中での葛藤がある。だから、歯切れの悪い返答になってしまったのだ。
李月の言ったことは正にその通りで、自分よりも自分のことをよく分かっているのではないかと、秋生は感心してしまった。
「さて、今の話の中で最も重要なことは何だったと思う?」
「?」
唐突に、李月が人差し指を立てる。
秋生はその問いかけの意味がわからず、首を傾げた。
「今の惚気は、秋にとって歯の浮くようなポエム並に伝道師には効果的だ」
「はい?」
人差し指が、秋生の背後を指差した。
「…てめぇ…とことんまでに…けんかうりやがって……」
「うわっ…」
振り返ると、どす黒い瘴気とは違った空気を発した佐藤が恨めしそうにこちらを睨んでいた。
秋生は思わず声をあげる。しかし、バスの乗客は耳の遠い老人ばかりなのか、誰も秋生の声に反応することはなかった。
「どうだ伝道師?お前の愛の言葉で落とした相手に 、ここまでの惚気が引き出せるか?」
「………昨日あの子供が言っていたことはよく分かった。愛の形を表すのは言葉だけじゃないんだろう。だが、俺は俺のやり方を変える気はない!!」
しゅっと、恨みの念が消えた。
どうして佐藤がほんの一瞬だけ、それほど恨めしさにかられたのか。その原因が自分であることを、秋生は分かっていない。
「俺の愛の言葉の方がより伝わるということを証明してやるからな!……嗚呼、まだ見ぬ愛しの君、麗らかな春の日差しの中で」
「…うわっ、始まった!やめろ!」
秋生が青ざめて耳を塞ぐ。
今の声には、さすがに何人かの乗客が反応した。変なものを見るような目で見られているが、耳を塞ぐと同時に目を閉じている秋生は気付いていない。そしてそんな秋生と佐藤をとこか呆れたような目で見ている李月の視線にも、気付くことはない。
しかし、耳を塞いでも完全に佐藤の声をシャットアウトすることは出来ず。人間の聴覚の性能の良さを恨まずにはいられない。
「耳を塞ぐのはともかく、目まで閉じたら余計に声が入ってくるんじゃないのか?」
「確かに……てことは逆に、他の何かに集中すれば…」
李月の声にパチッと目を開けた秋生は、キョロキョロと辺りを見渡し始めた。
田舎の景色は代わり映えがないので、見ていても気が紛れることはない。となると視線を向けるべくは、車内の広告だ。
「君に出会えたことは正に運命。この赤い糸は生まれたときから繋がっていた」
「バスは定期がお得っ」
「この愛の深さを分かち合い、共に愛のブラックホールへと向かおう」
「人と話すのが好き!運転が好き!そんなあなた、バスの運転手になりませんか?」
「愛に包まれ、愛に満たされ、そして永遠の誓いを立てようではないか」
「…………李月さん、やっぱり無理です」
伝道師の言葉を遮ろうと、バスに掲載されている広告をこれ見よがしに読み上げる。それでも、耳障りな声は全く遠退いてはくれなかった。
とりあえず、ブラックホールは絶対に外せないらしい…なんて、そんな分析なんかしたくもないのに。寒気がする。
「さっきの要領で対抗するしかないな」
「…さっきの?」
「ふざけんなっ。こいつの惚気なんか聞いてられるか!」
「あ、止まった。李月さんすごい」
「いいぞ秋生。これは中々の武器だ」
「?」
秋生が首をかしげる隣で李月は笑い、佐藤は苦い表情を浮かべている。老人たちから数奇の目で見られているのことなど、誰も気にも止めていない。
そんなことをしているうちに随分と道のりは進み、バスは島の外へと差し掛かったいた。
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mokuji
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