Long story


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 そうこうしているうちに、住宅街に入ったようだ。住宅街では定番の近所の奥さんたちの会話というのは都市伝説ではない。実在するのだ。こうなってくると、秋生も迂闊に吉田隆と会話ができない。ここで変人扱いされたからといって別に支障はないが、変人扱いされないことに越したことはない。

 ――方向、こっちであってんのか?
 ――建物に見覚えがあるから、多分あってる。

 多分というのが不安でならない。そして、心の中で会話をするというのが何とも面倒くさい。ついつい口に出してしまいそうになる。吉田隆が時々勝手に秋生の口を使って喋っていたことも頷ける。かなり意識をしていなければ、これは中々難しい。

 ――てか、家に着いたらどうやって時計渡そう。
 ――郵便受けにでも入れてくれ。届けることができれば、それでいい。
 ――ふうん。

 突然さびれた時計が郵便受けに入っていたら、不審物を思われて捨てられてしまうのではないのだろうか。

 ――それでは成仏できない。
 ――今のは伝えてないんだけど。

 ていうか、考えただけで会話できるならいちいち意識張りつめて会話する必要がないのではないだろうか。

 ――それでもいいが。
 ――いや、いい。それより、考えてること読むな。
 ――勝手に流れてくるんだが…気を付ける。で、時計の話だが。
 ――置手紙でも置いてくか。そうすれば、とりあえずお母さんの手に届くんじゃないか。俺が直接手渡しても、信じてもらえないだろう。

 ここでこれだけ変人扱いされないように必死になっているのに、変人を通り越して不審者と思われるに違いない。

 ――それが一番得策だな。色々手を尽くしてくれているのに、不審者扱いは俺が忍びない。…あ、すまん。 

 心を読まないように気を付けると言ったのに、さっそく読んでしまったことへの謝罪だろう。

 ――いや、いいけど。…じゃあ、とりあえずメモ書き残すってことで。
 ――だが、紙とペンは持っているのか。
 ――あ、どうしよ。この辺文房具屋とかねぇの?
 ――さすがにそこまで覚えて―――!!

「どうした?」

 体の中に動揺が流れ込んだ。秋生の感情が吉田隆に伝わるように、吉田隆の感情もまた、秋生に伝わっていた。


 ――俺の、家だ。

 指が勝手に動く。その先に見えたのは赤い屋根の洋風の一軒家だ。最近の家はほとんど洋風だから、別段不思議なことはない。その家に向かう足が勝手に少し早まったが、途中で止まった。家の前に、誰か立っていたからだ。
 家の郵便物をチェックしているその姿は、後ろしか見えない。しかし、少し白髪の混じった長めの髪はきちんと整えられていて、背筋はピンとしているし、還暦を迎えたにしては若々しいというか、小奇麗だ。後姿しか見ていないけれど。

「……もしかして」


 ――母だ。


 その答えを聞いた瞬間、秋生が自分の意志で走り出していた。吉田隆は止めようとしたが、秋生の意志の方が勝っていたのだろう。止めることはできず、家の前まで行っていた。



「あの!」

 その声に、家の前に居た女性が振り返る。後姿の印象通り、振り向いた姿も還暦には見えない。秋生は今しかないと思い、勢いで声を掛けたものの、いざ振り向かれるとどうしていいか分からず、じっとその姿を見つめてしまった。

「…何か?」
「あ…えっと、こちらは吉田隆さんのお宅で…間違いないでしょうか」

 間違いないことくらい知っている。しかし、秋生は他に言葉が思いつかなかった。秋生の問いかけに女性は驚きの表情を浮かべた。

「確かに…そうですが……」

 驚きの次に、戸惑いと怪訝の表情が浮かび上がる。秋生はどう話していいか悩みながら、言葉を探す。

「あの…僕、大鳥高校の生徒なんですが」

 この辺に住んでいれば、制服を見れば一目瞭然だ。大体僕ってなんだ。気持ち悪い。

 ――僕って。

 秋生の中で吉田隆が笑った。誰のためだと思っているんだ。秋生はムッとしながらも、吉田隆は無視をして女性に向かう。



「……大鳥高校…」


 思うところがあるのだろう。女性の表情が更に複雑になった。

「えっと、隆さんが…この学校に、教育実習に来ていたと聞いて。ええと…その際、私物を置き忘れたようなので届けに……」
「隆の私物…?」

 疑いの目が向けられる。当たり前だ。5年前に教育実習に来ていた人の私物が今更出てきて、しかもそれを授業が行われているだろう時間帯に生徒が持ってくるなんて確かに正気の沙汰じゃない。

「あーえっと…その……」
 ――うまく説明できないなら、出てくるなよ。
「うっせぇな、大人しく黙ってろよっ――あっ」


 しまった、と思った時には既に遅かった。秋生を見る女性の表情が、完全に不審者を見る目に変わっていると秋生は感じた。
 今しかないと思って出てきたが、失敗だった。素直に文房具屋を探せばよかった。紙とペンでよかったのに、何で出てきてしまったのだろう、と今更後悔したって遅い。

 ――どうするんだ。

 吉田隆の声が響く。それが分かっていれば苦労はしない。これはひとまず逃げるか。しかし、これで変に警察などに通報されてしまったらそれはそれで面倒だ。郵便受けに入れることすら難しくなってしまうかもしれない。でも、だからといってどうする。どうやって不審者でないことを伝えればいいのだ。


 ――おい。
 ――うるさい!俺だって考えてんだよ!

 沈黙が続く。沈黙が長くなれば長くなるほど、切り出しにくくなる。早く何か言わなければ。でも、一体何を言えばいいのか。この状況では何を言っても、もう信じてはもらえないに違いない。



 ――もう、知ったことか。

 どうせ何言ったって、信じてもらえないんだ。不審者と思われていることは確実なんだから、これ以上何を考える必要があるのだろうか。

「…俺は大鳥高校1年の柊秋生と言います。今日は、吉田隆さんの頼みでこれを渡しに来ました」

 手にしていた、袋を差し出す。女性の怪訝な表情が警戒の表情に変わった。しかし、もう秋生にはそんなことどうでもよかった。

「随分劣化してしまいましたが、これは隆さんがあなたにプレゼントしようとしていたものです。俺は学校に迷い込んできた吉田隆さんの霊に頼まれてこれを探し、そして届けに来ました」
「…隆の霊って……からかわないでください…!」

 その反応は正しい。表情に微かな怒りが滲んだ。しかし、秋生はひるまない。ここで引き下がっては目的が達成されない。

「俺は真面目です。…といっても、信じてもらえないと思うのでこの際俺のことを不審者と思われても結構です。でも、これは受け取ってください。これは、5年前に隆さんが事故に遭った日に、あなたに渡そうと用意したものです。その日はあなたの退職後初の誕生日パーティーを開く予定だったんですよね。隆さんは、その時にこれを渡そうとその日の朝に購入しました。その後、教育実習中だった白鳥高校の水泳部の部活に顔を出し行き、その部室にこれを忘れて帰宅してしまった。帰り道でそのことに気づいて引き返しましたが、その途中で事故に遭った。…全部、隆さんから教えてもらったことです」

 秋生は劣化した袋を差し出しながら、静かに語った。なるべく早口にならないように喋ったつもりだが、女性が理解したかどうかはわからない。女性はあまり秋生がまくし立てるから怒りも失せたのか、きょとんとしたような表情を浮かべている。

「……隆が…」

 少しだけ、警戒心が解けたのかもしれない。もしくは、色々捲し立てられすぎて脳が処理に追い付いておらず警戒どころではないのかもしれない。

「この袋の中には時計が入っています。5年間水泳部の部室に放置されていたので大分劣化していますが」
「時計……」

 何か思い当たることがあるのだろうか。相変わらずと戸惑っているようだが、少し表情が柔らかくなった。

「俺のことは信じてくれなくていいですが、どうかこれを受け取って、隆さんの御兄弟に確認してみてください。隆さんがあの日何をプレゼントしようとしていたのか。そして、これを処分するかどうかはそれから検討してください」

 秋生がそう言うと、女性は戸惑いながら秋生が差し出した袋に手を掛けた。そっと手渡すと、戸惑った表情のままその袋を開封した。そしてその時計を見た瞬間、女性の目からすうっと涙がこぼれた。


「前日に…、娘が欲しいものはあるかと聞いてきました。私は特に欲しいものはありませんでしたが、娘はその前も私に同じことを聞いてきて、その時はしいて言うならバッグかしら…と答えました。それなのに、また聞いてくるものだから、バッグと言ったじゃないと返したら、バッグ以外でって、言うんです。だから今度は時計と答えました。次の日隆が事故に遭って、結局パーティーは出来なくなってしまったけれど、後日娘からバッグをもらいました。このバッグです」

 そう言って、女性は腕に下げているバッグを優しく撫でた。秋生は口を挟むことなく、ただ静かにその話を聞き、そのバッグに視線を落とした。多分、プレゼントされたのは5年前であろうが、とても5年使っているとは思えない。大事にされていることがよく分かる。



「あの質問は……、こういうことだったのね…」



 女性はそう言って、錆びついて時計を愛おしそうに撫でた。きっと、5年前にこの人の手に時計がわたっていたら、時計は今も新品のように綺麗だったに違いない。



「受け取っていただけるんですか?」
「とても信じがたいけれど…、あなたは嘘を吐くような人には見えないし、嘘を吐いてこんな時計を私に押しつけても、あなたに何か利益があるようには思えないもの。それに、これを隆からのプレゼントだと思った方が、私は幸せだわ」


 そう言って、女性は優しく微笑んだ。優しくて、安心する微笑だった。

「ありがとうございます……」

 心が広いというか、寛大というか。秋生にはない心の大きさだった。

「それより…もしもあなたの話が本当ならば、隆が心配です。あの子はまだ、成仏できずにいるのでしょうか……?」

 女性の表情に心配の色が浮かんだ。自分の息子が5年も成仏できずにさ迷っていると聞けば、確かに心配になるだろう。ここで恐怖などを感じないところが、家族間の仲が良かったことを滲ませている。

「隆さんは…今も、ここにいます」

 自分の中に。とは言うことが出来ず、どう表現しようか迷った挙句の返答だった。間違ってはいない。
 秋生の言葉を聞いた女性の心配そうな表情が濃くなった。そう感じた次の瞬間、秋生の意識が中に引きこまれた。


 ――借りるぞ。

 ――は?




「―――母さん」




 秋生の意志ではない。吉田隆が秋生の口を使って言葉を発したのだ。声も、いつもの自分の声よりも低く感じた。
 女性の肩がびくりと跳ねる。心配そうな表情から、驚きの表情へと変わった。



「……隆?」
「母さん」
「隆…!……ごめんさない。ずっと…気付かなくて」


 女性の目から涙があふれ出した。


「見えないんだから当たり前だろ。俺は大丈夫。母さんに時計を渡すことができてよかった、これで成仏できるよ」
「本当?…大丈夫なの?」
「うん、大丈夫」

 秋生の顔がうなずく。女性はそれを見て、頬に流す涙を一層増やした。

「大事に……大事にするわ…!」
「ありがとう。…じゃあ、俺行くよ」


 その言葉が引き金になって、秋生の身体の中から少しずつ吉田隆が消え始めた。出て行くというのではない。文字通り、消えている。


「隆…!」
「俺の分まで、長生きしろよな」


 すうっと、体が軽くなるのを感じた。同時に、体が完全に自分の思う通りに動くようになった。心と体が完全に一致したような感覚だ。



「行ったか…」

 これを成仏というのか。なんだかまるで自分が成したような感覚だ。
 秋生は無意識に空を見上げていた。


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