Long story
狸はそれ以上のことを何も話さなかった。そして華蓮ももう、狸に何も聞くことはしなかった。
そんな話をしているうちにいつの間にか時間が過ぎるのも忘れていると、玄関の方から鈴の音が響く。その音を聞いた瞬間、自分が先程までやきもきしていたことを唐突に思い出した。
「……麒麟の子が帰ってきたよ」
狸はそう言うと同時に、秋生の膝の上から消える。どうやら普段の持ち場に戻ることにしたようだ。
「春くん、おかえりなさい」
「世月さん、ただいま」
リビングに顔を出した春人に駆け寄ると、比較的明るい返事に内心で安堵する。
しかしそれもつかの間のことで、春人は倒れ込むようにダイニングに座り込み「疲れた!」と嘆きのような声をあげた。
「秋生!何か生きる活力が芽生える食べ物ちょうだい!!」
「活力が芽生えるって…どんな?」
「何でもいいよ〜!母さんと長男の怒濤の尋問に堪えて挙げ句、次男に銃乱射されてもう死にそうなの!」
「実家帰省が過酷すぎるだろ……」
シュークリームを目の前のガラステーブルに置き立ち上がった秋生は、苦笑いを浮かべながらキッチンに向かう。
歩きながら呟かれたその言葉には全面的に同意だった。
「それね!普通の一般家庭で散弾銃乱射とか馬鹿なの?って感じ!それにライフルで応戦する俺の戦闘力を誉めて欲しいところだよ!」
全くもってどんな家庭環境に身をおけばそんな事態になるというのか。
桜生が「やっぱ全然普通じゃない」と呟く言葉に深く頷くと同時に、ライフルを扱えるという謎の戦闘力に驚くばかりだ。
「……大丈夫だったのか?それ?」
「警察は来なかったから大丈夫じゃない?ま、あの人たち権力者だからどうとでも出来るでしょ〜」
「あっそう…」
深月が若干引きぎみ答える後ろから、秋生が丼を手にやってきた。
なんとも仕事の早い料理人だ。
「春人、新聞部に入部するのにも銃持ち出したって本当?」
「えっ…あ!みつ兄、喋ったな!」
「何を今さら。ライフルに比べたら可愛いもんだろ」
「…うーん、確かに。そうかも。いただきまーふ」
切り替えが早い。
春人は喋り終わる前にもう丼にかじりつくように食べ始めたため、語尾がきちんと聞き取れなかった。本来なら行儀が悪いと指摘するとかろだが、今日ばかりは多めに見よう。
「春くんちの人って、春くん以外は皆に麒麟の力があるの?だからそんなにぶっ飛んでるの?」
これまた直球だ。
ソファから顔を覗かせた桜生が問うと、春人はがむしゃらに食べていた手を止めて頷いた。そして深月が差し出してきたお茶を一気に煽り、ふぅと息を吐く。
「そんなでもないよ。三男以下は母さんからの遺伝的なものだから1人を除き大したことはないし。あ、でも…長男と次男は母さんが麒麟を助けた時に一緒にいて、直接力を貰ったガチ勢だからね〜」
「てことは…例外の1人よりすげぇのか?」
春人の言葉に深月が目を見開く。
きっと深月が差しているのは、文化祭の時に睡蓮を助けたという子のことだろう。理由は分からないが、その子が春人の弟だということは睡蓮には伏せているらしい。
「ううん、能力的にはあの子が一番やばいって〜。でも次男は運動能力に加えてステルス能力が高くて、ライフルで狙うのも大変なんだよね〜」
なるほど、特殊部隊というのも頷ける。
きっとどこの国の傭兵だとしても、多少のおいた(例えば弾や銃の紛失とか)を見逃しても手放したくない人材なのだろう。
しかし、当たり前のようにライフルで狙おうとする状況はやはり理解しかねるし、以前に春人は自分の兄弟たちは皆普通だと言っていた。あの時の言葉が適当に誤魔化したわけではなく本当に「普通」だと思っているのなら、春人の普通の概念は大分とズレていることになる。
「…ちなみに長男さんは?」
「長男はねぇ…超直感型で、何でも見える」
「見える?」
「うん。超直感型ってのはまぁ文字通り、直感が神様レベルなんだけど。見えるっていうのは、ぶっちゃけよく分かんない。まぁ、普通だよ」
桜生にそう返して、春人は食べるのを再開する。この口ぶりから察するに、やはり春人は「普通」の概念がかなりズレていると言っていい。
きっと春人にとっての「普通じゃない」というのは、幽霊が見えたり、バットを飛ばせたり、狐を飼っていたり、妖怪と親しかったり、妖怪だったり…そういう類いのことを指すのだろう。
「あ、そーだ。見えると言えば、変なこと言ってたんだよね〜」
「変なこと?」
「うちの学校に人為的な悪意があるから気を付けろって」
「人為的な悪意…何それ?」
「分かんない。ひとつはもう終わったみたいだなとも言われた」
それを聞いて、世月は「人為的な悪意」というものを漠然と予測することが出来た。
それは多分、霊や妖怪…あの悪霊などが関わるものではない脅威――普通の人間が悪意を持って起こす、何らかのトラブルということだろう。
「…双月の件がそのひとつね」
双月の件は…カレンはその一部の学校に属してはいたが、直接的に手を下すことはなかったと聞いている。計画したのも、実行したのもただの人間。その人間が悪意をもって双月を陥れようとしたというこだが……つまりはそういうことだ。
霊的なものが関与したり、霊的なものに感化されたりするのではなく、初めからその人間が自らの意思で悪事を働く。それに巻き込まれて何かが起こるかもしれない。
「え?世月さん、何?」
「……つまりね、」
「ただいま」
春人に説明しようと口を開いたところで、世月の声に重なる別の声と共にリビングの扉が開いた。
その顔を見た瞬間、今しがた口にしようとしたことなどすっかり忘れてその人物に向かって飛び込んでいく。
「双月!どうだった?大丈夫なの?何ともない!?」
世月が詰め寄っても、双月は何の反応も見せない。
春人に近寄って「それうまそう」なんて言っている場合ではない。どうしてそんなにも悠長にしていられるのか。
「世月さん、落ち着いて」
ぐるぐると双月の周りを回っていると、強い口調で春人にそう制される。視線を向けると「落ち着いて」とまたしても強い口調で窘められた。
そんなことを言われても、心が勝手に焦るのだから仕方がない。
「秋生、俺もお腹すいた」
「春人と同じのでいいです?」
「うん、ありがとう」
礼を述べた双月は、そのまま春人の隣に座る。
どうしてそんなに悠長なのか。
一度は春人に止められ動きを止めた世月だが、いても立ってもいられずにまた双月の周りをぐるぐると回り始めた。
「双月先輩、家はどうでした?」
そんな世月の心中を察したのか、それとも鬱陶しく思ったのか。
世月が聞きたくて仕方のなかったことを、春人が代わりに問うてくれた。
「いやーそれが、あまりの切り替えの早さに何も言葉がでなかったというか…」
「……どういうことです?」
「帰って顔出して第一声が“あら双月おかえりなさい”ときた。先手の早さに開いた口が塞がらないとはあのことだな」
世月の格好で行ったにも関わらず。
母は分かっていたのか。世月が真実を双月に告げるということが。
「…で、お前はどうしたんだ?」
と、今度は深月が質問を飛ばす。
「いや…ただいまとしか言いようがないだろ……」
「それで?」
「許されるとは思っていないわ、って言われて。これからどうするの?って聞かれたから…世間体的に面倒だから世月のまま過ごすって言ったら、新しいドレスがあるからって出してきて…試着した」
「……試着したのかよ」
「うん。ついでにじーさんからくすねた高級なお菓子があるって出してくれたから…それ食べて帰って来た」
それではいつもと同じだ。
「いつもと何も変わってねぇじゃねぇか」
世月が思ったことを、深月がそのまま代弁してくれた。
母が許されるつもりがなかったのは知っている。双月がこれからも世月として――少なくとも高校を卒業するまではそうした方が都合がいいことも分かる。
だが、どうしてその流れでいつものようにドレスを試着してお菓子を食べるという日常に向かうのか……と、世月はハッとした。
「…もうこれが、貴方とお母さんの日常なのね」
これが、双月と母の関係が壊れてしまうのではないかと恐れていた世月への答だ。
名前をどう呼ぶか、誰であるかは関係ない。母も双月も、今まで積み重ねてきた時間…過ごした日々が紛れもなく自分達の有りのままの日常であると感じたのだろう。
「ま、いつもと同じだからいいのか」
世月と同じように、深月も思い直したらしい。
机に頬杖を付きながらどこか納得したようにそう溢した。
「よかったね、世月さん」
「……ええ、そうね」
いつの間にか丼を空にした春人が、こちらに笑顔を向けてきた。
きっと、これが一番いい結末なのだと…そう思う。だから世月は、春人の笑顔にすぐに同じような笑みを返すことが出来た。
「いや、いいことばっかじゃねーぞ」
「え?」
「いやまぁ、俺は丸く収まった感あるけど。問題は君たち」
そう言って双月は深月を指差し、そして次に李月を指差した。
似た顔が、同時にしかめられる。
「もう母さんは深月にも李月にも、イカれた母さんを演じる必要がなくなったってことだぞ。それがどういうことか分かるだろ?」
イカれた母。
かつてのような威厳を失くし、ただ穏やかなだけの母。穏やかに、世月だけを愛しているような…そんな母だった。
「2人とも、顔を見せに来なさいってさ」
深月は後を継ぐことにし家に帰るようになってからも、何となく母を避けて挨拶程度の会話しかしていなかったことは知っている。李月に至っては、深月の代役で家に帰る時に会うこともあったみたいだが…失踪以降、きっと李月としては会ってはいない。
「……また失踪する時が来たか…」
「そんな警戒しなくても、叱られに帰るんじゃあるまいし」
という双月の言葉に、李月は思いきり顔をしかめた。まるで、叱られるようなことをした心当たりがあるような表情だ。
しかし仮にあったとしても、母は自分のしたことへ多少なりとも後ろめたさを感じているはずだ。そのため、以前のように震えて眠らなければならない程に叱られることはないだろう…と、世月は思っているが。
「いや、俺はまぁ…真面目に働いてるし?全然大丈夫。ああ、平気だとも」
「さぁ、どうかな?」
自分に言い聞かせるように言う深月に、双月はニヤリと笑って見せた。
その顔を見た瞬間、深月の表情が一度サッと青ざめる。そして、机から身を乗り出すようにして双月に詰め寄った。
「何だよ、何だってんだよ。母さんが何か言ってたのか?それとも心を読んだのか?」
「母さんの心なんて読めるわけ…あ、そうだ」
「何だ!」
「いや深月は関係ない」
青ざめた深月を双月はバッサリと切り捨てる。
そんな双月に深月は不満げな表情を向けるが、双月の視線はもう別のところを向いていた。
「この間、あの悪霊の心を覗いたって話…結局してなかったな」
双月の視線は、ソファに座っている華蓮へと向いていた。
自分への言葉だと察した華蓮はゲームを一時停止にし、テレビに向いていた顔を振り返らせる。
「大したことは聞けなかった…ってか、ほとんど何も聞いてないに等しいけど。分かったことがひとつある」
「何だ?」
「あの悪霊の根元?…大元の霊っていうのかな?俺の言いたいこと分かる?」
「ああ」
華蓮が頷く。
つまり、桜生の体を乗っとり…何年もかけて成長していく前の霊ということだ。
「あれ多分、子供。それも女の子」
多分とは言っているがその表情と声色から察するに、双月はそれを確信しているようだった。
覗き込んだその心理に、そう思いうることがあったのだろう。
「……喋ったのか?」
「会話ってほどじゃないけど。私のことも大切だって言ったのに…お姉ちゃんを選んだ。だから全部奪うって…そう言ってた」
そして奪った。
自分が恨んでいた相手からではなく、目先に見つけた…自分と同じ子供から。
根本にあったものが、本当に奪いたかったものが何だったのかそれは分からない。
けれど、確かに奪った。
「でもさ、それが心理なら…あいつが家族に執着するのは…桜生に感化されたからってことじゃなくなる?」
両親を失くした悲しみに耐えられなかった桜生の弱味に漬け込み、その体を乗っ取ったあの悪霊。
華蓮の家族を奪って尚も満足せず、かつて家族の中心にありその全てを手にしていた華蓮から…全てを奪おうとしている。その大きな要因は、桜生の家族を恋しいと…それを求める感情に感化されたのだと、誰もがそう思っていた。
双月の問いに華蓮はすぐに答えることなく、考え込むように腕を組んだ。
「……むしろ…だから、桜を選んだか」
家族に奪われた憎しみが、家族を失った悲しみを選んだ。それは全く違う感情だが、その中に共通する「家族」というワードだけで繋がった。
それから、繋がったその別々のものはひとつになった。ひとつとなって…唯一無二の目的となった。
…だからこそ。
家族を求め、家族から奪う。
家族は手にした。
あとは、家族から奪うだけだ。
「だから…かーくんから、全てを奪おうとするのね……」
手に入らないのならば殺してでも。
全てを奪う。
どうしてそこまで、恨まなければならなかったのか。元々の霊…本来の子供に、一体何があったのか。
それは本人にしか分からない。
しかし…その恨みから悪霊となり、あまつさえあれほどまで悪に染まってしまった今では。その謎が解き明かされることは…本当の思いを聞き出すことは、二度と出来ないのかもしれない。
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mokuji
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