Long story


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「……貴方がいなくなってしばらくして、双月が家出した話は知ってるかしら?」

 あれがどれくらい時間が経ってからのことだったかは覚えていない。
 双月はある晩、誰にも何も告げず家からふらっといなくなった。荷物を持つでもなく、お金を持つでもなく、どこにいくでもなく歩きだした。
 雲ひとつない満点の星空が光る夜だった。その中で一際輝いている月明かりに照らされた双月が、そのままどこかに消えてしまうのではないかと…とても不安になった。
 何度その名前を呼んでも、世月の声は届かなかった。

「知ってる。詳しいことは聞いてないけどな」
「私はあの時の双月は、李月のことを負い目に感じていて…それで家を飛び出したんだと思っていたの」
「……違ったのか?」
「それも多少はあったみたいだけれど…根本的な問題は、あの子の力が暴走していて心が力に呑み込まれてかけていた…と、聞いたわ」

 双月の持つ不思議な力。幽霊などが見えることから、それは華蓮と同じような霊的な力に近いものであることは確かだ。しかし、それだけではない。
 その目を見て話をするだけで、相手の心の奥にある心理が引き出す力。
 あの時の双月は、その力が勝手に自分に作用して……本来なら出てくることのない潜在意識が顔を出すばかりではなく、力の暴走によりその潜在意識をねじ曲げてしまっていた。

「潜在意識をねじ曲げる?」
「相手の心理を引き出すだけではなく、その心理を自分の思い通りに変えてしまうことが出来る」

 それは一種のマインドコントロールのようなものだ。しかし双月のその力の影響は凄まじく、一度それでねじ曲げられた潜在意識はそう簡単には戻らない。
 ましてや、指を鳴らせば解けるというような簡単な話ではないーー父は試したそうだが。

「双月は選択迫られる前から思っていた。事故に遭ったのが自分だったら…私が置かれていた立場が、自分であればよかったのに…と」

 それはそれほど不思議なことではなかった。もしも世月が双月の立場であったら、きっと同じことを思ったと確信しているからだ。
 それは誰でも同じだっただろう。
 もし李月や深月が双月の立場にあったとしても、同じことを思ったはずだ…と、世月はそう思っている。

「……俺が双月の立場でもそう思う。深月でも…そうだったろうな」

 まるで世月の心の内を悟ったかのような李月は、そう呟いて溜め息を吐いた。
 しかし、誰がどんなにそう思っても結果はひとつしかない。誰もがそう思う状況の中で、実際にその立場にいたのは双月だった。

「……その気持ちがねじ曲げられて双月の中に芽生えたものは…この場にいるべきは自分ではない、という結論だったの」
「それで…家を飛び出したのか?」
「ええ。ここにいるべきなのは私であり、自分ではない。自分はここにいてはいけない…と、心の底からそう思っていた」

 あの時、双月が消えてしまいそうだと不安で仕方がなかった時。
 双月は本当に消えようとしていた。
 それは死にたいととか、そういう感情ではなく。ただ純粋に、自分は消えてしまわなければいけないと…まるで使命感のように思っていたのだという。

「それが、どうして家に戻る気になったのか…そこだけは未だに分からないのだけれど」
「ずっと一緒にいたんじゃないのか?」
「こっちに戻ってきたばかりの辺りの記憶は曖昧なの。双月自身も、何となく戻らないとと思った…って言っていたらしいけど」

 それは、ねじ曲げられた心の内が元に戻ったからというわけではなかった。
 深月に戻ってきてくれてよかったと言われたことで、ねじ曲げられたものが多少なりとも緩和したのは確かだ。しかし、潜在的にあるものはそう簡単に変えられない。

「…だから、お母さんは双月を私にすることにした」

 その言葉に、李月が驚愕の表情を浮かべた。
 横目に、世月は続ける。

「全ては演技だったの」

 両親は双月が李月を生かすことを選んだ瞬間から、その後に起こり得るありとあらゆる可能性を考えていた。
 そしてその全てに対処すべく、様々な先手を打っていた。

「お母さんがおかしく見えていたのもその布石よ。双月の心理がねじ曲げらることを予測して、わざとそう見せていた」
「……出ていくと分かっていた俺に?」

 驚愕の表情を見せた李月は、もう既に平常心に戻っているようだった。
 世月がその話を聞いたとき、どこまで先を読めばそこまで考え付くのか世月は想像もつかなかった。どんな空想世界のよ迷い事かと…何度も考えた。けれど最終的に、現実なのだと受け入れる他なかった。
 しかし李月はすぐにその現実を受け入れたようだ。もしかしたら、本人がいつも先を読み行動していることから…世月よりも、このよ迷い事のような事実を受け入れやすかったのかもしれない。そういうところは、両親の血を色濃く受け継いでいると思った。

「貴方にそう思わせたのは、いつか戻って来た時に不審に思われないようによ。お母さんは一生打ち明けるつもりはなかったそうだから」

 そう口にしたところで、李月の表情がどこか納得したよううなものになった。
 一体何に納得したのかは世月も分かっている。母の行動に対してのものではなく、世月の行動に対してのものだ。

「……お前が迷ってるのはそこか」
「ええ」

 いつも自分達のことを見ている兄は、全てを口にせずとも理解する。
 世月は小さく頷いた。そして「まるで分からないわ」と囁くように言葉を発した。

「母さんは双月を私にすることで、双月のねじ曲げられた心から守ろうとしたの」

 双月を世月と呼び、世月として接する。混乱する双月に、父は世月になりきるよう説得する。それを双月は断れない。
 そうして世月として生きることは、双月の中にある「双月という存在が消えなければならない」という潜在意識に大きく影響する。世月になることで双月という存在は消え、双月の心にあった潜在意識は達成された。
 母はねじ曲げられた心を正すのではなく、その心のままで双月を守る方法を選んだ。

「だが…今はもう、そうじゃない」
「ええ、その通りよ」

 双月の中にあったねじ曲げられた潜在意識は正された。本人がねじ曲げられていたことも、それが正されたことも知らないままに。
 今の双月は、自分が消え去る必要はないと、自分が存在していることには意味があると…ちゃんとそう分かっている。
 世月になるのではなく、世月を演じている。

「お母さんは…それがどんな理由であれ、自分たちのしたことは許されるべきじゃないと思っているの」
「……だから、一生打ち明ける気はないと」
「それっておかしいと思わない?それは本当に双月が望んでいることなの?」

 今さら懺悔したところで双月を傷付けたことは変わりないと、あの時に自分達は本当の意味で親であることを捨てたのだと…母はそう言った。
 しかし、果たしてそれは両親が決めることなのだろうか。
 一生名前を呼ばれない双月の気持ちを考えたことがあるのだろうか。今朝あの場所で「お兄ちゃんて?」と問うた双月のその気持ちが、母には分かっているのだろうか。

「そんなのエゴよ」

 世月は嘆くように、空に向かって放っていた。
 母の言うことは身勝手で、自分本意の考え方だ。双月がどんな気持ちであるかよりも、自分がどう在りたいかということが先にある考え方だ。本当のをことを知ってそれを許すかどうかは双月の決めることであって、母の決めることではない。

「でも…でもね、2人の今の関係を……そう簡単に壊してしまっていいのかって…思うの」

 事実をありのまま伝えた方がいいことは分かっている。
 けれど、決めかねている。
 今の母と双月…世月である双月の関係は、最良ではないしても良い関係といえる。特に、双月が世月を演じることを楽しむようになってからは、本当に親子としていい関係を築けている。
 しかし、本当のことを伝えればその関係は終わる。終わった関係のその先に新しく関係が生まれるかどうか…それは分からない。そのまま終わってしまうかもしれない。
 これはあくまで母と双月の問題であり、世月は部外者だ。そんな自分が、紛いなりにも保たれている関係を壊してもいいのかと…そう、迷っているのだ。

「……母さんは、双月に言うなとお前に釘を刺したのか?」
「いいえ。何も言わなかったわ」

 言えとも、言うなとも言わなかった。
 まるで独り言のようにその事実を口にして、そして…部屋の外へと消えていった。その場に立ち尽くす世月のことなど、知らない振りをするように。

「なら、答えはひとつだな」

 李月はそう言って立ち上がった。
 そして、世月に手を伸ばす。

「…本当のことを言えと?貴方はその方がいいと思うの?」
「母さんが口止めしたならともかく…そうじゃないなら、お前がしたいようにすればいい」
「……だから、私はどうしたらいいか…」
「決まってる」

 世月の言葉が終わる前に、李月はそうハッキリと言い切った。そして「ほら」と差し出した手を世月の前に突きつけてくる。
 見上げた先にいる李月が、とても大きく見えた。

「この世に未練なく死んだくせに、死んでから未練なんか残すな」

 その言葉に、世月は思わず手を伸ばしていた。そんなはずはないのに、体温を感じたような気がした。
 

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