Long story
月のない空は薄暗く、光のない世界はとても孤独を感じる。
月明かりのない日は…月のない夜は、とても怖い。この暗闇の中にいつか自分も消えてしまうんじゃないかと変な不安に襲われ、怖くなって寝られない。
そんな時には、いつも双月が一緒に寝てくれた。月のある夜でも、いつでも。世月が頼まなくても気持ちを察して、ずっと隣にいてくれた。
けれど、今はもう違う。
「いたよ。どうだい?」
「……ああ、いる。大丈夫だ」
「そうかい。じゃあね」
屋根の上に座って月のない夜空を見上げていると、屋根の切れ目から2つの影が視界に入った。暗がりの中から顔を出したのは、世月とは全く交流のない飛縁魔と、そして世月には自ら近寄ろうとしない李月だ。
そしてその片方――飛縁魔は、顔を出したかと思うと次の瞬間には飛び去って行く。李月が「助かった」と礼を言うのに軽く手を上げて…何とも男前な去り際だった。
「……何なの?」
飲み込めない状況に、世月は思わず顔をしかめて声を出す。しかしすぐに、李月には自分が見えないということを思い出した。
いや、しかし……今度は先程の飛縁魔との会話を思い返し、もしかして見えているのではないかと改めて思い直した。
「飛縁魔は純粋に妖怪なだけでなく神使だからな」
やはり聞こえているし見えている。
世月の問いに噛み合わないにしても返答してきたのが…そして、隣に腰を下ろしたことがその何よりもの証拠だ。
「……妖怪よりも神に近い存在だから、私が見え…それを他の人間にも影響させられるということかしら?」
「ああ。一時的なら出来るかもしれないと言われたから試してもらった」
そして、結果的に上手く行った。
つまりこれからは誰かと直接話をしたい時は飛縁魔に頼めば、一時的に話すことが出来るということだ。そういつもかつも出来ることではないかもしれないが、これは大きな発見だった。
しかし、世月にとってはそうでも…李月にとってはそうとは思えない。李月にとっての世月は、余程のことがない限りは近寄りたくないの存在であるはずだ。
「私の説教を聞く気になったのかしら?」
「説教なんかする気分じゃないだろ」
ああ、そう。と世月は頭の中で納得する。
だからやって来たのか。わざわざ、他人を介してではなく自分で話をするために。
「見えないくせに、何を勘ぐったの?」
「……春人がお前に言ってただろ?どうしたのかって」
「…ええ」
あの時は春人も少しトーンを落としていたことに加え双月に視線が集まっていたこともあって、世月はまさかあの会話が聞かれているとは思っていなかった。
仮に聞かれていると分かっていたとしても…それについて、わざわざこんなところまで話にくるなんて思ってもみなかっただろうが。
「それに対するお前の返答を春人から聞いただけだ。適当にあしらったみたいだな」
「……そんなことはないわ」
たったあれだけの会話を他人から聞いただけで、姿も見えず声も聞こえない世月の心を見透かした気でいる。
気でいるのではなく、本当に分かっているのだから質が悪い。
「嘘が下手になったな。生きていた頃はもう少しマシだった」
嘘。
その言葉が、頭の中に響いた。それを、そのまま放置することが出来ない。
この気持ちをどうすればいいか考えるよりも先に、口を吐く。
「……私と臓器と一緒に、嘘を吐く才能も貴方が持って行ったんじゃなくて?」
睨むように問うと、李月は訝しげな表情を浮かべた。
「どういう意味だ?」
そのままの意味だ。
世月はそう答える代わりに。
「嘘つき」
と身近く呟いた。
そしてその場を立ち上がり、向かい合うように李月の前に立つ。
「どういう意味かしらね?貴方は私が考え込む理由なんて、お見通しなんでしょう?」
「……まぁ、お前が双月のことで怒鳴り散らすのも忘れるほど考え込むことなんて、双月のことくらいしかないだろうな」
「ええ、その通りね。それも…貴方が双月へ酷いことを言ったあの日のことよ」
そう言うと、李月は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。これで李月は世月がどうして嘘つき呼ばわりしたか察しがついたはずだ。
これはずっと考え込んでいたこととは別のことだが、そのことを知るのと同時に知り…同じく驚愕した事実だった。
本当は追求するつもりはなかったのに、勝手に口が動いていた。李月が煽るようなことを言うからだと、世月は内心で悪態を吐いた。
「お父さんに言われたんですってね」
「……誰から聞いたんだ?」
李月に問われるが、世月にはそんなことはどうでもよかった。だから、その問いには返さなかった。
そして今一度、李月を力一杯睨み付ける。
「お父さんに言われて、双月にあんなこと言ったんですってね」
あの時―――世月が脳死になり、李月が瀕死の重体だった、正にあの時。
歯車が狂いだした、あの時。
「……いいや」
「ほら、やっぱり嘘吐き」
世月は聞いたのだ。
両親は最初から李月を生かすことを決めていたことを。全ては両親の意志だったということを。
あの場に世月がいることを知った母は…そう、話を切り出した。
「双月の持っていた力は特殊で、それは私と一緒にいることで私の力に抑制されていた。私と双月は波長が合っていたから、互いにそうしようと思わなくても力のバランスを保つことが出来ていた。けれど、私が死ぬとバランスが崩れてしまう…それが根本的な原因なのよね?」
世月の問いかけに李月はしばらく黙っていた。しかし、じっと睨み続ける世月に観念したのか、一度ため息を吐いてから「ああ」と短い返事を溢した。
そして、その原因を元に嘘が塗り固められていくことになったのだ。
「私が死ぬことでバランスが崩れると、双月が不安定になる。それだけならあの子の努力でどうにかなったでしょうけど……」
「もし俺がお前の力を受け継ぐと、そのバランスは崩れるどころか歪んでしまう。そしてそれは…俺と双月に物理的な負荷をかけることになる」
一度観念したことで、どうやら自ら話をする気になったようだ。
その話の腰を折らぬように世月が黙ると、李月はそのまま話を続ける。
「父さんはそれを確信してた。だから、俺を生かすことを前提に…双月がその選択をすることも全ての分かった上で、双月に判断させた。そうすることで、双月に責任を負わせる必要があったからだ」
以前に双月は、世月か李月かを選ぶ究極の選択をどうして自分に選ばせたのか、その真意は分からないと言っていた。
その真意が、ここに在る。
「……それ程までに、酷かったの?」
「父さん的には思った以上に酷かった…って言ってたな。俺が目を覚ます前…一度、双月を俺の病室の前に連れて来たそうだ。その時は双月がその場で意識を失ってショック状態になって、ついでに俺は心臓が止まったらしい」
「……正気?」
「本当なら正気の沙汰じゃないが…あの口ぶりからして本当だろうから、やっぱり正気の沙汰じゃないな。それほど俺とお前の力のミックスは双月とは波長が合わなかったんだろう」
まるで他人事のようだ。
ただそれならば、目を覚まして顔を合わせた時には大丈夫だったのだろうか……と考え、あの時のことを思い出す。
世月は見ていた。あの時の2人は、感情的な揺れはあっても身体的にはそれほど辛そうには見えなかった。
「次に病室で合った時は父さんが相当頑張ったらしい。だから、俺はその後肺炎を拗らせる程度で済んだし、双月も2、3日寝込む程度で済んだ」
あの時の、李月の発言に怒り狂ったことはハッキリと覚えている。その後しばらく李月や双月がどうだったかということは覚えていない。
ずっと双月の側にいたはずなのに記憶が曖昧なのはきっと、こっちの世界に戻ってきたばかりだったので世月自身も不安定で曖昧な存在だったからだろう。
「でも、それは根本的な解決にはならない。そしてその当時、解決方法はなかった」
それは、李月や双月の努力でどうにかなる問題ではなかった。どちらがどれだけ力を制御しようとも、歪んだ波長を正すことは不可能だった。
だから時と共に、互いが成長していく過程でその力が変化するか、または波長が変化することで、悪い影響が及ぼされなくなる時が来ることを祈るしかなかった。
「だから、貴方と双月を引き離す必要があったのね。それも物理的にではなく、その力関係から感情的にどちらかあるいはどちらもが……本気で相手を拒絶する必要があった」
歪みきった波長は、距離を置いただけではその身体への影響を完全に防ぐことは出来なかった。それは、元々世月の持っていた力と、双月の持つ力が人の心を強く感じるものだったからなのかもしれない。
父は選んだ。
李月が双月を拒絶したように見せることで、双月に李月を拒絶させることを。だから双月に会う前の李月に、双月を傷付け拒絶させることを言うように伝えた。
李月に選択肢はなかった。もうそうするしかないように、物事は完全に出来上がっていた。
「……どうして、言わなかったの?」
「何を?」
「帰って来て、双月と…話をした時」
今、2人は同じ屋根の下で一緒に暮らしている。
あの時、互いが拒絶し離れたことが…解決策を生むきっかけとなった。 李月は蛇の力を手にしたことで、双月は世月になったことで、その波長が変わって…近くにいても体に負荷がかかることはなく――これは波長が合うようになったというよりは、干渉しなくなったと表現した方がいいかもしれない。
とにかく、2人の問題は解決した。それは再開した時点で分かっていたはずだ。それなのになぜ、李月はそれ以降も事実を偽り続ける必要があったのか。
「別に言う必要はなかった」
「どうして?」
あの言葉が父から言わされたものだとするなら。それを双月には伝えるべきだ。
李月の言葉のせいで、双月は自分の選択肢に迷い続けていた。李月が生きていてよかったと口にしたことで、今はもうそんな迷いはなくなったかもしれない。
しかしそれでも、あの時口にした言葉が李月のものではないと、双月は傷付く必要などなかったのだと…本当のことを伝えるべきだと世月は思う。
「俺は嘘は言ってない」
「…どういう意味?」
世月が問うと、李月は小さく溜め息を吐いた。
その視線の先には何もない。何を見るでもなく、あの時の光景を思い出しているような…そんな表情だった。
「あの時双月に言ったことを、父さんに言うように諭されてなければ……それこそ嘘を吐き続けることになってた」
李月は自分では否定するが、兄弟たちのことをいつも考えていた。嫌そうな顔をして、それでも決して見放すことなく、いつも兄として正しい行いをしていた。
だからあの時も双月を傷付けないように、そうしようとしたと。
「……本心だったのね」
自分を殺してくれればよかった、と。
父から言うように諭されたあの気持ちは、紛れもなく李月の気持ちだった。
けれどあの時、父が何も言わなければ李月は双月のことを思ってそれを口にすることはなかっただろう。死ぬまで、嘘を吐き続けていただろう。
「納得したか?」
「……貴方はやっぱりお兄ちゃんね」
世月の言葉に対して、李月は「やめろ」と心底嫌そうな顔をした。
李月が家を出たことで兄弟たちの世界が目まぐるしく変わってことを気にして、もう自分が兄である資格はないとでも思っているのか。そうだとしても、兄であることに変わりはない。
「それほどお兄ちゃんじゃないって言うなら、私のことなんて気にしないで…ましてや、こんな所まで来なければいいのに」
きっと性分なのだろう。
幼い頃からずっとそうしてきたことは、本人にそのつもりがなくてもそうさせる。
「なら帰ろうか?」
「貴方馬鹿なの?」
本当に帰ろうとしたのか、演技だったのか。立ち上がろうとした姿に思いきり顔をしかめて見せると、李月は「華蓮みたいなことを言うな」と言いながら座り直した。
その後に小さく呟かれた「地獄より酷いコラボだ」という言葉は聞かなかったことにする。
「……春人が心配していた。双月のことはきっと自分よりも俺の方が話しやすいだろうから聞いてくれって……春人にまで勘ぐられるなんて本当にらしくないな」
あの時、春人にもう一度詰め寄られたら相談しようと思っていた。しかし春人はそれ以上何も言わず…それは、最初から李月に頼むつもりだったからだったのか。
李月が続けて口にした「どうしたんだ?」という言葉を聞きながら、世月はもう話すしかないと心を決めた。
[ 2/4 ]
prev |
next |
mokuji
[
しおりを挟む]