Long story


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「くく…よほどあの落書きが癪に触ったか」
「黙って働け」

 腹立たしい笑いにそう吐き捨て、華蓮はバットを握り直した。
 その色は先ほどまでとは違い、まるで墨に漬け込んだかのように真っ黒く染まっている。

「……鬼の手も借りた―――ッ!!」

 冗談をかまそうと口を開いたところ、横から巨大な手が男を弾き飛ばした。
 頭の中で叩き飛ばせと命じたのと、それが実際に起こったのと…どちらが速かったか分からない。

「借りた手はどうだ?」
「……まぁまぁってとこかな」

 亞希の問いに答えて、男が消える。
 しかし華蓮はそれを目で追うことはしない。すぐさま、頭の中で「右だ」と声がした。
 男が自分に邪気を突き立てるよりも速く、バットを振りかぶる。男の動きの速さを考えれば、その動作が躱されることは分かりきっている。

「亞希」
「ああ」

 亞希の短い返事が終わるより先に、目の前に男の背中が見える。その時にはもう、華蓮は再びバットを振り上げた後だった。
 ガツンと、バットに確かな手応えを感じた。

「ッーーー!!!」

 声にならない叫びのようなものが響く。
 今度こそ本当に、その手応えが紛れもないものであると分からせる叫びだった。

「狙い通りだ」
「いいやまだだ。まだ捩じ伏せてない」

 男が踞るように頭を押さえている隙に、華蓮はもう次のモーションに入っていた。
 この廊下に這いつくばらされたことを、決して忘れてはいない。同じことをしなければ、捩じ伏せたとは言えない。

「…やっぱりお前、あの落書きに相当ご立腹だろ」
「黙って働けって言ってるだろうが」

 わざわざ隣に顔を出しくつくつと笑う亞希を睨み付け、苛立ちをぶつけるように男に向かってバットを投げつける。
 そのバットを目の前にして顔を上げた男は、何故か笑みを浮かべていた。


「同じ手は2度食わねぇよ」

 ゆらりと…振りかざした先にある男が不自然に揺れ、消えた。
 幻覚だ。
 ということは、つまり。

「―――!!」

 背中に凄まじい衝撃が走った。
 気配もなく、動きの起動を全く感じなかった。

「ナイスヒット…からの」
「ッ…」

 背中への衝撃で思うように動かない体を無理矢理捻らせ、次の一撃に構える。
 バットを呼び戻す余裕がなく、気味の悪い色をした邪気を素手で受け止める。咄嗟の判断をした後に刀のように刃がないことを幸いと思ったのは、ほんの一瞬だけだ。

「さっきの言葉は訂正しよう。速さは俺よりも上だな」
「ぐ…ッ!」

 邪気を受け止めていた手にのし掛かる圧が急激に上昇した。もう片方の手にバットを呼び寄せ更に受け止めるも、負担は全く軽減されない。
 支えるのが精一杯で、身動きが全く取れない。

「また無様にやられるか?鬼神華蓮」
「……それは、」
「ああ、知ってるとも。だが、ならば名を奪われたお前は誰だ?」
「………っ」

 ぐっと男が力を込めると、また格段に重みが増した。顔が見えなくても、その表情が嘲笑っているのが分かる。
 そのいけ好かない態度に感じているこの感情は、怒りではない。

「……夏川華蓮だ」
「何?」

 首を傾げる男に向かって、華蓮は今一度自分の名を告げた。
 夏川華蓮。それが名であると。


「二度と奪わせない。だから絶対に守り抜く」

 自分の名を呼ぶその人物を。
 一番大切な存在を。

 守る。


「……守り抜く」
「そうだ。…そしてそれが、答えだ」

 この男の原動力が、誰にあるのかは分からない。
 ただ、それが自分の為ではない。

 守り抜く。
 その想いが、この男を動かしている。

「いいだろう。合格だ」
「…いいや、まだだ」
「は?」

 頭の中で「一瞬だ」と声がする。
 華蓮は受け止めているバットの中心に視線を向け、そこに力が集中した瞬間を狙って――言葉通り一瞬でその場から退いた。
 ドスッと、男の邪気が地面を叩き割った。

「今だ」

 その言葉が終わらぬうちに狙いを定め、バットを再び男の頭に向かって飛ばす。同時に正面から突っ込み、男がそのバットを避けた瞬間に手に戻ったバットを再び、打ち込む。
 しかしその渾身のひと振りは、勢いよく空気を裂く音を立てた。

「―――っと」

 避けられた。
 ここまでして尚も、駄目なのか。



「これは完敗だな。そんなことで本当に守れるのか?…と言われるのが落ちだ」
「黙れ」

 亞希を睨み付けるが、もし本当にそう言われたら反論の余地はない。
 認めざるを得ない。
 しかし、絶対に認めたくはない。

「…敗けを認めるか?夏川華蓮?」
「………いいや」

 華蓮が答えると、男は「だろうとも」と言いながらその場に胡座をかいた。
 まるで一仕事を終えたような様子だが、華蓮としてはこのまま帰るわけにはいかない。

「お前の敗因は2つ」
「負けてない」
「…攻めきれなかった要因は2つ。これならいいか、負けず嫌い」
「………」

 百歩譲っても、納得しがたいが。
 ここで言い争っていていても話は前に進まない。そもそも、話しなど別に聞きたくもない…と言いたいところだが、それが次こそぶちのめす糧になるなら聞かない手はない。
 
「1つは、そのバットだ」
「バット?」

 一度消えていたバットが手に浮かぶ。
 このバットが一体どうしたというのだろうか。

「お前それ、本来の長さじゃねぇだろ。最近ぶっ壊したな?」
「……あ」

 最近、というほど近い話ではないが。
 学校が半壊した際に先が溶かされたことを思い出した。

「リーチが短くなってるのを認識してなかっただろ。最後の一撃はそれがなければかすってた」

 前回の時も既にバットのリーチは短かった。怒り任せだったとしても、もしかしたら…と考えかけてやめた。
 きっと結果は同じだっただろう。
 それに、例えちゃんとしたバットだとしても「かする」ことしか出来ないという言葉についても、考えたくはない。

「2つめは、腕を見てみろ」

 男に指差され、自分の腕を見た。
 そして、見てしまった。

「……………亞希」

 うっすらと、本当によく見なければ分からないほどに紫がかった自分の腕を目の当たりにして一瞬言葉に詰まる。
 そして喉の奥から絞り出すようにしてどうにか出てきた言葉に反応した鬼は、華蓮の腕を見るなり思い切り顔をしかめた。

「……呪詛だな」
「冗談だろ?」
「いいや、呪詛だ」
「…本当にか?」
「本当に呪詛だ」
「どうしてもか?」
「どうしても呪詛だ」

 ここまで来るともう問う言葉もない。
 いや、だが。
 李月の時のように本人が動けない訳じゃないし、腐った神と急死を争う戦闘中というわけでもない。
 本人が目の前でピンピンしているのだから。

「それはどうだろうな。解けるのか?」

 思考を勝手に読み取った亞希が、華蓮の代わりに男に問う。
 すると、あろうことか男は首を振って見せた。

「今の俺は俺の力だけで動いてるわけじゃねぇから、解くことは出来ない。まぁ、その分完全な呪いでもないから誰に解いて貰わなくてもそのうち自然に解ける」
「……今日中にか?」
「そこまで生半可じゃねぇよ。段々と効いてきて3日は腕が痺れて動かねぇだろうな」

 落胆しかない。
 このまま帰るわけにはいかないと思っていた気持ちが一瞬で吹っ飛ぶ程に、落胆しかなかった。

「それにしても…かなり質がいい呪詛だな。受けたことも気が付かなかった」
「大妖怪に誉められるとは悪い気がしねぇな。そこがミソなんだよ」
「自分の動きが鈍っていることに気付かせない絶妙なバランスか」
「ああ。その呪詛で自分でも気付かないほどほんの少しだけ動きが鈍ってたから、渾身の一発も実は渾身ではなかったってこったな」
「つまり、どちらもなければ最後の一撃は当たっていた」
「そうとも。次は得体の知れないもんを素手で掴まないこったな」

 亞希と男の会話は右から左だった。
 そんなことよりも、目の前で蒸気のようなものを出している腕の方が問題だ。
 これ以上ないほどに一大事だ。

「まるで聞いてないな」
「……ちょっと大袈裟すぎやしねぇか?」

 どこが大袈裟なものか。

「お前に分かるか?無理矢理呪詛を解かれる時のあの痛みが」

 呪詛のある箇所一点に集中するあの痛みは、言葉では表現できない苦痛がある。
 正直もう二度とあんな痛みは感じたくない。だから、今度呪詛を受けても頑として荒療治は受け付けないつもりだった。
 それに緊迫した状況でもない限り、秋生も華蓮が強く言えば無理強いはしないはずだ。
 だが、何ということか。
 何ということか―――明後日にライブがある。
 手が動かなければギターが弾けない。
 つまり、緊迫した状況で無理矢理荒療治をやられるどころか、こちらから頼んで治してもらうしかないということだ。
 ふと思い出してこんな所に来るんじゃなかった。せめて夏休みが終わるまでは放っておけばよかった。

「完全な呪いでないなら、解く際の痛みも軽減されるんじゃないのか?」
「知らねぇよ、自分で食らったことなんてねぇ…あ?無理?……呪詛を解く痛みに完全も不完全も、精度の良し悪しも関係ないだと」

 つかの間の希望を抱く前にその事実が分かってよかった。
 いや、何一ついいことなどないのだが。

「…その言葉に信憑性はあるのか?」
「俺が最も多く呪詛をお見舞いしてる奴だからな。色んな呪詛を強引に解かれたことで得た経験値に間違いないだろ」
「そう易々と見舞うものでも解くものでもないがな……」

 亞希はどこかしみじみとそう呟いてから、「残念だったな」とあまり哀れみを感じていないような視線をこちらに向けた。
 自分は何も感じないからと気楽なものだ。

「……まぁでも、そこまで凹まれると何か悪いことした気分になるな」

 気分ではない。
 滅多うちにして全く動けなくなるよりも、精神的に追い込んで怒りを沸騰されるよりも、悪意に満ちたことを確かにしたのだ。
 風呂に入って死にかけたあの時の痛みはもうどんなだったかも覚えていないが、呪詛を解かれるときのそれは今でも鮮明に思い出せる。少し抑え込むだけと言われ腕を捕まれたあの時の痛みも、脳裏に焼き付いている。

「仕方ねぇから、気でも紛れる適度の考え事を与えてやるか」
「は?」

 怪訝な表情を前に、男は「大サービスだ」と言ってからすっと立ち上がった。
 パチンと、指が鳴る。


「特別に見せてやろう」


 次の瞬間、華蓮の目の前に壁が迫っていた――否、動いたのは自分の方だ。瞬く間もなく一瞬の間に、壁の前まで移動させられている。
 そうと気が付いた時には、痺れを増し始めていた自分の手がその壁に触れていた。
 感じたのは。どこかに吸い込まれるような、そんな感覚だった。


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