Long story


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 夕飯にカツカレーが出てきたのを見て、双月が「マジでか…」と呟いて顔をしかめていた。それは決してカツカレーが食べたくないからではなく、自分の失態を思い出して落胆しているからということは明らかだ。
 そして、カツカレーに落胆することはないその他2名も、普段のような騒がしさがないばかりかどことなく元気がない。
 ちなみに、桜生が潰していたじゃがいもはポテトサラダになっていた。


「いつくん」

 李月としては、騒がしいよりも元気がなく静かな方がいいのだが。呼ばれるままにカレーから顔を上げると、桜生に早くどうにかしろと言わんばかりの視線を向けられる。
 やはりどう転んでも、皆が平和だと思える道に進むしかないようだ。


「睡蓮、結局書いてもらったのか?」

 仕方なく、李月はおかわりのカレーを注ぎに立った睡蓮に向かって最初の一手を切り出した。

「え?」
「朝言ってた、名前」
「あ、そうだ」

 李月の言葉で朝の出来事――そもそもの発端である案件を思い出した睡蓮は、手にしていた皿をキッチンに置いてしまっていた紙を出してくる。
 そのまま近くにあったボールペンを手に取り華蓮の元に行き、紙とボールペンを突き出した。

「忘れないうちに。食べたらこれを書いて欲しいのですが」
「…いつも自分で書いてるだろ」
「それが、今回はちゃんと保護者に書いてもらえって突き返されたんだよね」

 そう言って、睡蓮は華蓮の目の前に紙とボールペンを置いた。
 華蓮の向かいに座っていた双月と侑が、その紙を覗き込む。

「最近の教師ってそんなこと言ってくるだ。面倒だね」
「そ、ちょー面倒なんだ。でもそういうことだから、お願いします」
「ああ」
「ちなみに苗字は鬼神だそうだ」

 李月が横から第二手を放つと、その瞬間に睡蓮が何故かさっと双月の後ろに隠れた。
 双月と侑が、そんな睡蓮を目で追う。

「そんな隠れなくても…」
「もうあんなに怒られたくないもん!」

 双月が苦笑いを浮かべると睡蓮は若干顔を青ざめつつ声を張った。あんなに、というのは多分この間の文化祭のことだろう。
 李月は傍観者としてその場にいたが、3人の子供が正座で厳しく叱られている様は自業自得ながらも可哀想に思い、ついつい助け船を出してしまったことはまだ記憶に新しい。

「この程度のことで怒るわけないだろ。ほら」
「……あ…ありがとう…」

 食べる手を止めて名前を書いた紙を受け取った睡蓮は、「鬼神華蓮」と書かれた字を見ながらどこか拍子抜けしたように呟く。
 双月と侑も、珍しいものを見るような視線でそれを見る。そして、その面持ちはどこか感動しているようにも見えた。

「鬼神って…書いてある…」
「うん…書いてあるね…」

 侑と双月が顔を合わせて小声で呟くのが耳に入った。言ってからまたその紙に目を落とし、そしてまた「本物だ…」と呟く。
 まるで大スターからサインを貰って内心跳び跳ねんばかりに喜んでいるが、時と場合を弁えて控えめに喜んでいる空気の読める子供のようだ。

「まるでプレミアだな」
「大袈裟な…」

 李月の放った言葉に対する華蓮の嫌そうな顔など興味はない。
 何気ない第三手を打って、スムーズに事が進むように仕向けられればそれでいい。

「プレミアか……実際ヘッド様の直筆サインよりもレア度高いんじゃね?最上級レア商品?」

 李月の言葉に深月が反応した。
 適当に喋っても上手くいくものだなの思いながら、繋がる話に耳を傾ける。

「ヘッド様の最上級レア商品……」
「あ、秋生はそこに食いつくのな」
「えっ、あ、いえ…そんな。別に何とも……でもちょっと写真撮っていいですか?」
「馬鹿か」

 秋生の頼みをバッサリ切り捨てた華蓮は、食事を再開し始めた。
 ここで話が途切れてしまうように見えるが、先程深月がどこかおちょくるような発言をした時点でそうはならないと分かっている。どれだけ華蓮に殴られても折れない心でちょっかいを出す癖は、そう簡単には止まらない。

「ならさ、スマホの裏にでも書いてもらえば?」
「おー、みつ兄それいいね。どこで落として誰が拾ってくれても、すぐ分かるよ〜」
「何で俺がしょっちゅうスマホ落としてるみたいな感じになってんだよ」
「落とさないけど、よくどっかに忘れてるよね」

 桜生の言葉を否定出来ないのか、秋生は渋い表情を浮かべる。
 この話の流れは最高だな、と思った。
 そしてそれを逃すことなく口を開いた李月は、これが最後の一手になると確信していた。

「ただ、もし仮にそれで誰かが拾ったとしたら、スマホにフルネーム書いてる変な奴になるのは華蓮だけどな」

 人間とは実に単純な生き物だ。
 あまり頭を使わない下らない会話をしていると、人につられやすい。特にそれが過去や現在に習慣付いていることならば、頭を使って口にしようとするのではなく、何も考えなければより簡単に口を吐く。
 これまでの葛藤が本当に嘘だったかのように、当たり前のように口を吐く。

「華蓮がスマホにフルネーム………ねーわ。それはちょっとねーわ」

 李月の言葉の反復した深月が、少し引き気味に華蓮に視線を向けた。まるで普通に会話をするように…いや、普通に会話をしているのだ。
 たった一言で、非日常だと思っていたことすら忘れて日常を取り戻す。
 特に、これまでも時々無意識的に口を吐いていた深月は、きっかけさえ与えれば早い。

「仮に学校で落とすでしょ?華蓮の名前ってある意味有名だから、名字が違ってもきっとすぐ分かるでしょ?……ちょっと引くよね」
「いやまぁ、それは秋生のスマホなんであって華蓮のスマホではないわけだけど…拾い主がそんなこと知るわけもないし…引くな」

 頭の片隅では、もう大丈夫だと分かっている。
 だから、後は背中を押すように自然に会話を繋げばいい。余計なことを考えず、ただこれまで通りにしていればいいのだ。
 それが当たり前で、それでいていつも通りのことだからこそ…その当たり前の日常を非日常として捉え、あれだけ葛藤していたことにすら気付きもしない。
 李月がたった一言、何気なく名前を呼び話を繋ぐだけでこの有り様だ。つまり遅かれ早かれ、この時は来ていた。だから、事はそう深刻ではなかったのだ。

「お前ら…殴り飛ばすぞ」
「いやでも引くだろ」

 金髪に上下真っ黒のジャージでろくに授業にも出てないような男がスマホにフルネームを書いていたらそれは引く。
 きっと、流石にギャップ萌えという領域を越えて引く。
 頭で想像して思わず口にすると、華蓮の苛立ちがこちらに向く。

「てめぇが余計なこと言うからだろうが」
「俺は余計なことなんか何一つ言ってない」
「どこがだ。自分の発言を顧みろ」

 ああ、確かにそれはそうだ。

「発言を顧みろ…それはいい指摘だな。ただ、自分の発言を顧みるのは俺じゃないが」
「はぁ?」

 訝しげな表情を浮かべる華蓮の言葉に人差し指を立てた李月は、その指をそのまま別の人物たちの方に向けた。
 李月の視線に気が付いた3人は一瞬顔をしかめるが、すぐにはっとしたような表情を浮かべた。 

「あっ」

 同時に声を上げて一度お互いに顔を見合わせた3人は、示し会わせたように同じ方に顔を向ける。
 そして、一斉に口を開いた。



「華蓮!!」



 平和だ。 


 3人の呼び掛けに「何だよ」と少し嫌そうな顔をする華蓮を横目に、李月はやっと心の底から唱えることが出来る。
 だから、今一度言おう。


 嗚呼、平和だ。



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