Long story


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 綺麗な人だ。

 振り向いたその姿を一目見た瞬間、そう思った。その名前の通り、居るだけで華になるような人だった。


「この人が…お母…さん…」


 睡蓮はこれまで、両親のことを口にしたことはあまりない。
 かつて、華蓮と暮らす前までは毎日を生きるのに必死で、生きていくことすら億劫で、どうして両親が自分を捨てたのかなんて考える暇もなかった。
 そして、華蓮に引き取られてからは睡蓮にとって華蓮と李月が親であり、その周りの人たちが兄弟のような存在だった。だから、両親のことを考えたことはあまりない。
 学校の参観日に親が来なくても、父の日や母の日に感謝を贈る相手がいなくても、それを寂しいと思ったことはない。それは華蓮や他の皆のお陰であり、睡蓮はそれで満足していた。
 睡蓮にとって両親という存在はどこか遠くの…想像上のものでしかない。



 そんな想像上の人物が。

 母が今、目の前にいる。


「――――…」


 言葉が出ない。
 
 込み上げてくる感情が、何か分からない。


 
 母は。

 自分が生まれた時は既にカレンに支配されていた。
 だから自分は母を知らないし、本物の母も自分を知らない。


 けれど、母を知らない自分を、自分を知らない母がどう思うのか。
 華蓮とは違い、一緒に過ごした時間も記憶もない自分を、受け入れてくれるのか。



 そんなこと、今まで考えたこともなかったのに。
 華蓮とは違い、自分には両親との思い出もなければ、思い入れだって何もないのに。



 唐突に……感じるこの感情は…。



 不安だ。


 

「睡蓮、この人は…」
「あら鈴々(りんりん)。今日はあの2人と一緒じゃないのね」

 狸が睡蓮に何かを言うのを遮るように、母――睡華が口を開く。
 それは久々に耳にする名前だった。知ってはいたものの、睡蓮が狸のその名を口にしたことは数えるほどもない。

「……うん、そう」
「どうしたの?そんなに悲しそうな顔をして」
「…何でもない」
「そう?ならいいけど…」

 睡華は不思議そうにそう言ってから、狸改め鈴々から視線を反らす。
 その視線は、睡蓮の方に向いた。

「ところで、貴方はどなた?」
「え。あの、僕は……っ」

 本物ではないと分かっているのに、それでも母だと言われると動揺してしまう。
 真っ直ぐ向けられた視線に戸惑っていると、鈴々が助け船を出してくれた。

「睡蓮。僕の友達」
「睡蓮?あら、まぁ。それは、とてもいい名前ね」

 鈴々が答えると、睡華はそう言って睡蓮へと笑顔を向けた。
 そして、言葉が続けらる。


「私の未来の子どもと同じ名よ」
「え……?」


 それは、どういう意味だろうか。


「先輩、もう子供の名前決めてるんです?」

 睡蓮が驚きの表情で睡華を見上げると、その隣に柚生が顔を出した。その奥に、手長が自分の両手を顔に絡ませて悪戦苦闘しているのが見える。

「こういうのは早いに越したことはないの。ちなみに睡蓮は2番目の子。1番目は華蓮」
「……ありきたりですね」
「彼が引き取った子に琉生という名を付けたのは誰?」
「え」

 琉生、という名前に思わず顔をしかめる。
 しかしそんな睡蓮など視界に入っていない睡華は、隣で引きつっている別の顔に向かって追い討ちをかけるように言葉を繋ぐ。

「私の覚え間違い?それとも貴女か彼の名が違うの?まさか、辞書を開いた最初のページに載ってた漢字を適当にあしらったなんて言ったら、今度こそ本気で吹っ飛ばすけど?」
「いや…えっと………降参です。これしかないと思って名付けました」
「ええ、でしょうね。皆そう思ってる」

 睡華の言葉に、柚生は「ありがとうございます」と笑顔を見せた。笑うとより一層、秋生と桜生にそっくりだと思った。
 しかし、そんな光景に和んでいる間に再び睡華が「じゃあ話を戻すけど」と口を開いた。それにより、唐突に出てきた琉生の名前について問いかけるタイミングは完全になくなってしまった。

「…いい?この子たちの名前は凄いんだから」

 睡華がそう言い、胸を張って「よく聞いて」と、どうしてか柚生ではなく睡蓮の方に向いて人差し指を立てた。
 真っ直ぐに見つめられると、まるで夢の中で母と話をしているような気分になってしまう。

「まず大前提として、夏川君と私の子は愛の集大成よ。私たちが愛する子なんて、それだけでも凄いことなの」
「……どうして…ですか?」

 睡蓮はその言葉に少しだけ違和感を感じた。しかしそれは睡華の言葉そのものに信憑性がないとか、そういうことではない。
 最初に「ん?」と感じのだが、それは続いた言葉によって一瞬で消え去ってしまった。何が違和感だったのかもう分からないし、どうでもいいとも思った。
 それよりも、続けられた言葉の意味の方が重要だったからだ。

「どれだけ嫌がられても愛を注ぎまくるから。私と夏川君の愛があれば最強よ」

 睡蓮の問いに、睡華はそう言ってからウインクをした。

「…愛…が……」
「そう、愛よ。愛して愛して、どこまででも愛すの」

 母は。

 この当時の、本当の母は今はいない。
 自分が生まれた時にはもう、いなかったはずなのに。


 けれど、自分の名は。

 母が愛すると言った、その名だ。



「だからね」


 どこか夢心地に見つめている睡蓮の目を真っ直ぐに見つめ返して、睡華は続ける。


「男性史上最高の夏川君と、女子史上最高の私たちの名前が組合わさってるなんて、それ以上ない程の最高でしょう?つまり、私たちの子は最高最強の怖いものなしってことなの」

 史上最高の父と、史上最高の母。

 自分は紛れもなく、その子どもだと…信じていいのだろうか?


「睡蓮」
「………何?」

 鈴々に名を呼ばれ、睡蓮は夢心地に見ていた睡華から視線を移した。
 どこに行ったわけでもないのに、現実に戻ってきたような感覚だった。

「いつか、睡蓮に見せたかった」
「………お母さんを?」

 鈴々は頷く。そして「だから今日付いてきた」と続けた。

「…どうして、家じゃだめなの?」

 記憶を具現化するなら、家でも出来るはずだ。今まで一度だって家から出ようとしなかったのに、どうしてわざわざこの場所でなければいけなかったのか。 
 鈴々は首を振りながら「家は違う」と言ってから更に言葉を続ける。


「あの家の睡華は、主といた頃の睡蓮のだから。そうじゃなくて…もっと昔の、ずっと前から……」
「ずっと前から…?」


 まだ母になる前。

 目の前にいる、女子高生の頃。



「ずっと前から、睡蓮のことを愛してる睡華を見せたかった」



 華蓮ではなく、自分を。

 愛している姿を。


「……睡蓮は…あまり気にしてないかもしれないけど…。僕は、知って欲しかった。睡蓮も主と同じくらい、睡華に愛されてることを」


 気にしていなかった。それは確かだ。
 自分の気持ちを胸の奥に押し込んでいたわけではなく、本当に気にしていなかった。
 華蓮に会うまでの、悪い意味で気にする暇のなかったというわけではなく。華蓮や李月…他の皆のおかげで、いい意味で気にする必要もなかったのだ。

 けれど、こうして目の前にして。

 
 唐突に不安を感じて。


 そして今、自分を愛すと断言する母を前に。


 自分が感じている感情は。



「…嬉しい」


 母に愛されていることが、こんなにも嬉しく感じるなんて。
 これまで考えたこともなかったのに。


「ありがとう」


 きっといつか、本当の母に会う日が来る。

 今までは、華蓮たちがいればそれだけでいいと思っていたけれど。

 今、初めて。
 母に会う、その日を待ち遠しいと思った。



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