Long story
グラウンドでは鎌鼬が設置したライトがこうこうと夜の暗闇を照らし出している。
その光の中で、浴衣を纏った大勢の生徒たちと妖怪たちがBBQを楽しんでいた。人の中に当たり前のように妖怪がいる姿はなんとも奇妙だが、生徒会長から仮装したスタッフだと説明されれば誰もが若干不思議に思いつつもそんなもんかと納得してしまうのだから、芸能人とは恐ろしいものだ。
「やっくんめーつけた」
秋生と春人とBBQを楽しんでいた桜生がその人混みから離れて校舎の屋上にやってきたのは、そこにぽつんと座ってつまらなそうにこちらを眺めていた蛇の姿を見つけてしまったらだ。
最近はちっとも顔を出さない八都は、今日は久々に外にいる時間が長いと思っていたが。BBQが始まるとまたすぐにいなくなってしまい、桜生はなんとなく気がかりだった。
「…1人で歩き回っちゃダメだよ、桜生」
蛇の姿だった八都が、ふわりといつもの――幼い李月の姿に変わりそのまま柵の上に腰を下ろす。
桜生は八都の隣までやってくると、柵に持たれるようにして地面に腰を据えた。
「みんなと一緒に楽しまないの?」
「僕はいいよ。興味ないから」
その表情はあまり興味がなさそうにというよりも、気分ではないというように見えた。
いつでも楽観的にどんな場にでも馴染んでいた八都がそんな風に見えるのは初めてで、凄く心配になってしまう。
「やっくん、」
何か悩み事でもあるの?
と、聞こうとしたところでガタンと屋上の入口付近から音がして言葉が止まる。
「……ああ、タイミングが悪かったね」
屋上の入口には、酒瓶を3本ほど手にした飛縁魔がどこかばつが悪そうな表情を浮かべて立っていた。
「飛縁魔さん、どうしたんですか?」
「飲み過ぎたから酔いざましに風に当たりに来ただけさ、またにするよ」
さっさと踵を返そうとする飛縁魔を、桜生は咄嗟に「待って!」と引き留めていた。
もう背中を向けていた飛縁魔が、再びくるりと首を回す。長い髪がふわりと靡き、とても美しく見えた。
「せっかくなのでどうぞ。ね?」
「うん。…ていうかひの姉さん、酒瓶持って酔いざましって無理ありすぎ」
そう笑う八都を見て、桜生は飛縁魔を引き留めたのは正解だったと安堵する。
なんとなく、飛縁魔が一緒にいた方がいいと思ったのだが…どうしてそう思ったかは分からない。もしかすると、どこか頭の隅で自分だけで八都を慰めるのには心もとないと、誰か一緒にいれば…と感じていたのかもしれない。
「酔いが覚めたらまた飲むんだよ。あんたらと違ってね、あたしは生身なんだ」
そう言いながら、飛縁魔は桜生の隣に腰を下ろした。
仄かに香る酒の匂いは、地面に置かれた酒瓶からか、それとも飛縁魔からか。どちらにしても、悪い匂いではない。
「確かに…生身で良狐姉さんや亞希と同じペースで飲んでたら、次の日は地獄を見そうだね」
「その通り、飲む度に痛い目を見るから今日こそは控えてるんだ。全く、あんたら魂だけの存在は都合がいいね」
この間、というのがどの時のことか。
最初に華蓮の家にやってきてからというもの、飛縁魔は割りと頻繁にあの縁側に顔を出している。
きっと、一緒にいるとついつい飲んでしまうのだろう。だから今日は一緒にいることをやめて、こんな人気のない場所にやってきたということか。
「……そんなことないよ」
そう言った八都は、最初の桜生の問いに興味がないと答えた、その時の様子に似ていた。
どうしてか桜生をとても不安にさせる、そんな雰囲気だ。
「感情がコントロールできないからかい?」
桜生が何か話しかけようかと考えていると、飛縁魔が先に問いかけた。
「別に…コントロールできないってわけじゃないよ」
「他の感情を受け入れたくないんだろう?似たようなもんじゃないか」
思春期らしいね。
それは、自分が八都にどう声をかけようかと考えていたことが馬鹿らしく思えるほどに、まるで気遣う様子もなく直球ストレート。
しかし、きっとそれでいいのだ。
桜生はそう思い、話し相手は飛縁魔に全部任せることにした。2人の会話に、静かに耳を傾ける。
「思春期って…一都が言ってたの?」
「ああ。違うのかい?」
「さぁ…思春期がどういうものかも分からないし。てか、一都だってそんなの知らないでしょ」
「あれは順応が早いからね。あっという間にいろんな感情を取り込んで一気に成長していると…これは蛇の男が言っていた」
どうやら飛縁魔は知らない間に、李月とも交流を深めていたらしい。ということは、っきっと華蓮ともそれなりに交流しているのだろう。
あの2人は何だかんだ一緒にいることが多いし、秋生と桜生が寝た後も飲み過ぎないように見張る傍らで妖怪たちの相手をしていることがよくあるので、そうだとしてもそれほど驚きは感じなかった。
「……一都は、元々持っていた感情が一番ヘビーだったからね」
蛇だけに。
なんて口を出したら雰囲気をぶち壊してしまうのは分かり切っているので、そのギャグは頭の中だけで呟いた。
「蛇だけにかい?」
せっかく頭の中に留めたのに。
こんなことなら自分で口にしておけばよかったと思う反面、飛縁魔がそんな冗談を言うとは意外だった。
「……ひの姉さん、そんな冗談言うんだ」
「年よりの悪ふざけだ、忘れな」
自分で言って後から恥ずかしくなってしまったらしい。
飛縁魔は良狐と同じように常に凛としているイメージだが、これまた意外と可愛らしいところもあるようだ。
「年寄りって…姉さん、僕や亞希に比べたらまだまだ若いでしょ。貫禄こそ千年妖怪並みだけど」
「そんなことはどうでもいいんだよ。一番目がどうしたって?」
かなり強引に話を引き戻そうとする飛縁魔に、八都は「無理矢理だなぁ…」と苦笑いを浮かべる。
そして、そのまま言葉を繋ぐ。
「…一都の持っていた感情は恨みだったから、きっと他の感情なんて簡単に飼い慣らせちゃうんだよ」
恨み。
数ある感情の中でもっとも暗いといっていいかもしれない。
その感情だけと長い間向き合ってきた一都にとって、他の感情は何の重みも感じないのだろう。
「四番目はどうだい?あの子が持っているものはそれほど重いものではないだろう?」
「…愛さえあれあ全部受け止められるんだってさ」
「はぁ、いかにもあの子が言いそうなことだねぇ」
四都の持つ感情は愛。
持ち前の愛情深さで、どんな感情もまるっと受け入れてしまうのだろう。
「他の皆も似たようなもんだよ」
例えば。
悲しみを知っていれば同じ負の感情の恨みも受け入れやすいし、喜びを知っていれば悲しみも乗り越えられる。恐怖は愛で緩和されて、怒りは喜びで薄れる…とそういったことなのだろうか。
他にどんな感情がいたか、今は皆感情豊かになっているので、それぞれの元の感情が何だったのかあまり思い出せない。
「でも、僕はずっと楽してきたから…どの感情を受け入れるにも重たすぎる」
恨みだけでなく。
喜びや、悲しみや、苦しみや、愛情までも。
そのどれもを重たく感じるということの意味が、桜生にはよく分からなかった。
「あたしには全く理解できないねぇ」
やはり飛縁魔は、すっぱりと物を言う。
「そりゃ、最初から全部持ってる人には分からないよ。ずっと楽して生きてきたんだよ?それなのに、急に今までの記憶に恨みや悲しみや憎しみが追加されてくなんて…そんなの、全然いらないよ。愛情だって喜びだって、全部僕には必要ない。僕はただ、楽して生きていたいのに」
だから、他の感情が全部邪魔だということか。
それはとても悲しいことのように思うが、八都にしてみればそれを悲しいと思う心さえも邪魔なのだろう。
「だが、動き出したものは止められないだろう?」
「そう……皆が僕の感情を受け入れていくごとに、僕の中にも皆の感情が入ってくる。それは止められない。だから、受け入れないといけないことも分かってる」
自分が嫌だと思っても、感情は待ってくれないのだろう。
けれど八都は、その感情に目を背けて李月の奥底でその訪れを拒んでいる。
「僕だけずっと楽してきたから、その報いかな?」
冗談っぽく笑うが、先程の飛縁魔の冗談のような微笑ましさは微塵もない。
ただ、とても辛そうに見えるだけだ。
「楽したいだけじゃないさ」
「え?」
首を傾げる八都を前に、飛縁魔は酒瓶の蓋を開ける。
どうやら、飲むのを再開するようだ。
「あたしより長生きのくせに、自分の感情の意味も知らないのかい?」
一気に酒を煽りながらそう笑う妖怪は、月明かりに照らされてとても美しく見える。
さすがに美を売りにしているだけのことはあって、自分に視線が向いているわけではないのについ見とれてしまう。
「どういうこと?」
「あんたの感情は楽をすることでもあり、楽しむことでもあるだろう?」
「………たのしむ?」
八都が首を傾げると、飛縁魔は小さく頷いた。
そしてまた、酒を煽る。
「そうさ。楽しようとせず、楽しめばいいさね。憎しみを知ることも、悲しみを知ることも、苦しみを知ることも…新しく知ることを全部、ただ楽しめばいい。あんたはずっとそうやって来たんだろう?」
楽をして生きてきたのではなく、楽しんで生きてきた。
同じなのに、全然違う。
「……楽しんで…苦しむの?」
「そうだよ」
「それって、凄く難しくない?」
「難しいもんかい」
飛縁魔はそう言いきって徐に立ち上がると、グラウンドの方を指差しながら「見てみな」と言う。それは八都に向けての言葉だったのだろうが、桜生も立ち上がり指の差す方に視線を向ける。
そこには、華蓮と李月が亞希と一都、それから良狐に絡まれて鬱陶しそうにしている姿があった。
「あんな連中と毎日一緒にいたら、どんな感情だって楽しさに潰されちまうよ」
恨みも、苦しみも、悲しみも。
楽しく乗り越えられると、そういうことだ。
「……そう、かな?」
「そうだよ」
きっと、その言葉には何の根拠もないはずなのに。
飛縁魔は当たり前だと言わんばかりに、自信満々に頷いて見せる。そしてその自信には、どうしてか根拠のないことでも納得させる迫力があった。
「…姉さんがそう言うなら、そうかもね」
その言葉に、飛縁魔は今一度「そうだよ」と言った。
八都が少しだけ笑ったその顔は、もう桜生を不安にさせることはなかった。
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