Long story


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 旧校舎の2階。
 かなり奥に進んだ場所で、秋生は立ち止まった。普段は仮部室である多目的室までしか行かないため、ここまで足を伸ばすのは初めてかもしれない…と頭の片隅で考える。
 入り口にはその部屋の用途を示す表札が壁付けされているが、すっかり朽ちていてとてもじゃないがその字は読めなかった。それになぜか、その表札にもうひとつ別の表札が紐でぶら下げられていたが…やはりそれも、読み取ることは出来なかった。

「この中に…いるみたいです」
「みたい?」
「なんていうか…気配が曖昧で。ここの空気と…似てるっていうか、なんていうか…」

 それほど、ここの悪い気に侵食されているということだろうか。それは分からない。しかし、侵食されるほど長く居たのなら、もっと早くに気付いているはずだ。
 もしくは、先程までは華蓮と一緒にいたことでその意識が全て華蓮に向いていたので、本来なら気づく存在に全く気づかなかったのかもしれない。…その可能性は十分にある。

「まぁいい。さっさと始末して戻る」
「助けられるなら、助けてあげた方が…」
「態度次第だ」

 最近は優しくなった華蓮だが、幽霊相手には何も変わらない。
 幽霊にももう少しお手柔らかになってくれればと思う反面、その優しさがずっと自分だけの特別であって欲しいとも思うジレンマを感じるところだ。

「じゃあ、腰の低い霊でありますように」

 秋生は一度拝むように手を合わせてから、その戸をゆっくりと開いた。




「……あれ、気付かれちゃった」

 視線の先には、子どもが1人。
 窓を開けてその枠に腰かけて…外を見ていた視線が、こちらに向いた。


「お前…」

 華蓮の手にバットが握られる。
 先程は態度次第と言っていたのに、今はそんなつもりは毛頭なく問答無用で叩き潰すという表情だ。
 当たり前だが、秋生にそんな華蓮を止めることはできない。いや、普段ならひとまず言葉で制止はしてみるかもしれないが。
 
 目の前にいる…華蓮を血塗れにした相手を前に、落ち着けと言ったところで聞きやしないことは分かりきっている。


「あ、やめて。今日はあいつはいないよ。だから、君が殴りかかってきても僕は何の抵抗できないんだ」

 子どもは窓枠からすとんと床に足を着く。
 そして、殺気立っている華蓮を前に勘弁してくれと言わんばかりに両手を振って見せた。

「…どういう意味だ?」
「言葉通りの意味、今の僕はただの子ども。…あ、ちなみに3階のあの落書きもあいつのやったことだから、僕は無実だよ」
「3階の落書き…?」
「黙れ」

 子どもの言葉のひと節が気になり首を傾げると、華蓮に凄まじい眼力で睨まれて思わず肩を竦めた。
 これは触れてはいけない問題であると即座に感じると同時に、見に行くことも絶対に許されないと察した。

「とにかく、今日は観念して欲しいな。僕はあれが見たくて出てきただけなんだ」

 子供はそう言い、窓の外に視線を向ける。
 視線を移すと、グラウンドがごった返している様子がよく見えた。秋生たちがこちらに来るときには真っ黒に近かった空だが、もう全体の3割くらいは元の明るさを取り戻している。

「……お前は、一体何なんだ?あの…いけ好かない奴とは別人なのか?」

 外に向いていた視線が、また華蓮の方に向く。そして、口を開く前にその辺りに転がっていた椅子を指差した。
 椅子に視線を移すと、転がっている椅子の中から比較的綺麗そうなものが2脚ほどガタリと音を立てて立ち上がる。「どうぞ、座って」という子供の声がすると、座ってくれと言わんばかりに前に出てきた。

「せっかくここまで来たんだから、茶菓子程度に振る舞まうよ」

 普段の華蓮ならばさっさと質問に答えろとバットを差し向けるところだが、今日は何故か子供の言葉に素直に従い椅子に座った。そうなると、秋生もその後に続いて華蓮の隣に腰を下ろす他ない。
 その時初めてこの部屋の全貌を見渡したが、教室にしては若干小さめの…どちらかというと、新聞部に近い部屋のように思える。

「まず、僕はあいつがここで具現化するのに少し力を貸しているだけであって、同一人物じゃないよ」

 具現化、ということは。
 秋生が一瞬だけ見たあの男は、亞希や良狐と同じで魂だけの存在――妖怪か何かなのだろうか。

「そして、僕が何かという質問だけど…それは少し答えが難しいんだ。…僕はこの地と共にあって、その行く末を共にする」
「……守り神的な?」

 秋生の問いに、子供は首を振る。

「そんな大層なものじゃないよ。遥か昔、この地がまだ血に染まる前……僕は病死し、たまたまここに埋められた。きっと、波長があったんだろうね。僕は成仏せずこの地に同化し、そしてそれからずっとこの地と共に時間を過ごしてきた…って、ただそれだけのことなんだ」

 遥か昔…それが一体いつなのか、秋生には皆目検討もつかない。
 しかし、きっと良狐や亞希が生きている時間よりも、言葉通り遥かに長い時間に違いない。

「…ずっと、1人で?」
「長い間ね。…けれど、退屈したことはないよ。毎日が映画を見ているようだったしね。とはいえ、血に染まったこの地で起こることは…そのほとんどがろくでもないものだったけど」

 墓地だった時代や、戦場だった時代や、病院であった時代。きっと多くの人がこの地で命を失っていく様を見てきたのだろう。
 そして、この地と共に悪い気を吸収し続けてきた。

「ただ、1人ではない時間もあった」
「……誰かと、一緒に?」

 秋生が問うと、子供は大きく頷いて見せる。
 その表情は、とても懐かしい事柄を思い出しているようだった。

「あいつはいつも何かを守っていた。守ると決めたもののためなら、何だってするような奴だ」

 それが、華蓮を滅多打ちにした男のことを言っているというのは明白だ。
 そして突然、子供の表情がとても悲しそうなものになった。

「皮肉なものだよね。沢山のものを守ってきたのに…たった1人、何より大切な人だけは守りきることが出来なかった」

 悲しそうな表情が、更に暗くなる。

「闇に魂を売って、それでも出来なかったなんて…。……だから、今はまた守るために必死になっているんだろうけど……」

 悲しそうな表情で呟くように言う、その言葉。
 比喩なのか何なのか「闇に魂を売った」というフレーズがとても頭に残った。頭の片隅に、何かがちらつくような感じだった。

「…守ろうとしている奴が、何で俺に喧嘩を吹っ掛けてくるんだ」

 華蓮の表情が歪む。
 しかし、それに対して子供はすっと表情に明るみが増した。…というより、どこか楽しんでいるようなそれになった。

「君に期待しているからだよ」

 その視線が、一瞬だけこちらに向いたように思えた。

「君と、それからあの刀の人も…とても重要だね」

 多分、子供の言う「刀の人」というのは李月のことなのだろうが。
 尚も笑顔で話す子供を見ながら、秋生はふと疑問を浮かべる。

「でも…李月さんには、特に何の反応も見せなかったって……」

 桜生から聞いた話だ。
 子供が顔を出したが、それが大人になったり、ましてや喧嘩を吹っ掛けてきたりはしなかったと言っていた。

「あの壁を進むには、やはりこの人でないと意味がないんだよ」

 子供の視線が華蓮を捉える。そういえば、桜生も李月がそんなことを言われていたと言っていた。
 どうして華蓮ではないと意味がないのか。そう聞くよりも、子供が言葉を続ける方が早かった。

「それに、あの刀の人は君よりも上の段階にいるからね」
「はぁ?」

 対抗心が。
 李月にだけは負けたくない華蓮の対抗心が、苛立ちとなってむき出しになっているのが分かる。
 おかげで、浮かんでいた疑問を聞くタイミングを見失った。

「技量的な意味じゃなくて、精神的な意味でだよ」
「……精神的?」
「そう。…君には宿題があったよね?」
「…ああ」
「あの人には、その宿題の答えがもう分かっているということ」

 そう言われると、華蓮はどこか思うところがあったらしい。むき出しになっていた対抗心からなる苛立ちが、少し収まったように見えた。
 とはいえやはり負けたくないのか、若干のしかめ面は戻らないが。

「君はもう、宿題の答えは出たの?…ああ、あの落書きを見たってことは、答えが出たからあそこに行ったってことだよね」

 落書き、というワードに収まった華蓮の苛立ちが一瞬だけ再燃したのを隣で感じた。
 一体どんな落書きがあるのか気になって仕方がないが、きっと見に行くことは許されないだろう。

「それなら、その答え合わせが終わればあの人も…出番かな?まぁ、それは気分次第か」

 子供は無邪気に笑う。
 誰か他人を思い浮かべているような口ぶりだが、誰の気分次第なのだろうか。やはり華蓮を滅多うちにした、誰かのことなのだろうか。
 この子供や、まだ他にいる誰かが何をしたいのか。色々と頭を巡るが、どれだけ考えても秋生には分からない。

「お前は……お前たちは、一体何をしたいんだ?」

 華蓮が問うた。
 秋生が分からないように、華蓮もまた分からないのだ。
 この子供やその影にある人物たちの、目的というものが。

「僕はただ、この地の行方を見届けるだけ。……けれどあいつは、」


「おい、喋りすぎだ」



 突然増えた声と共に、黒い渦が子供の隣に立ち上った。
 この地の悪い気が、充満しているのが分かる。



「………てっきり出てこないと思ったのに」

 隣で渦巻くものにまるで物怖じすることなく、子供は視線を向ける。
 巻き上がる渦の中から、人影が見えた。


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