Long story


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 少しだけ顔を上げると、視界の隅に良狐の姿が見えた。
 その表情は、目の前の現実を目の当たりにしても崩れることなく、毅然としている。



「何故、此処に来たのですか?」


 良狐が神と呼んだもの。
 それは、本当に神という存在なのだろうか。

 神という存在は。
 これほどまでにおぞましいものなのか。



「神様に…、会いに来たのです」


 普段とはうって変わって、丁寧な口調で良狐は答える。それは、秋生が目に出来ないその人物が神であるということを、それ以上ないほどに示す要因だ。
 しかしそれでも、再びその姿を見る勇気がない。



「……私に?」


 その問いに、良狐はなぜか首を振った。
 そして「いいえ」と静かに呟く。



「貴方は…わらわの知る神ではない」

 

 そう答えた良狐の頬に。



 涙が伝う。



 それを目にした途端、良狐の感情が一気に流れ込んできた。

 ずっと。
 今までずっと、たった独りで待ち続けていたものが。


 崩れ去っていく。

 跡形もなく、消えてしまう。


 その苦しみが、その悲しみが。
 溢れ出して止まらない。
 


「良狐……」

 秋生は思わず、その頬に手を伸ばしていた。
 良狐の視線が、こちらに移る。大きな尻尾が、伸ばした手を遮るように指先に触れた。



「案ずるな。わらわは大丈夫じゃ」


 そう言い、微笑みかける。

 それでも秋生は、伸ばす腕を引くことはしなかった。


「うん、大丈夫」


 独りじゃない。


「一緒だから」


 良狐の体を、背伸びして抱き締める。
 すると、ふわりと獣の尻尾が秋生の背中を包み込んだ。
 溢れ出ていた感情が、すうっと引いていく。



「しかし、どこかの鬼はそう言うてわらわを裏切ったからのう」

 尻尾に包まれ、背の高い良狐の中に埋まるようになってしまっていた顔を上げると、悪戯な笑みが視界に入った。

 そこに、涙はもうない。

 しかし、本当にもう大丈夫なのか。それとも見栄を張っているのかどうか、表情だけでは分からない。

「それは…俺に…どう答えろと」
「答えずともよい」

 自分は裏切らないと言いたい。「自分は」という言い方ではどこかで聞いているはずの亞希に失礼――とは違うが、何となく気が引ける。しかし、他にどう言えばいいのかも分からない。
 なんとも答えに困っていると、良狐はまた笑った。


「ありがとうの」

 本当に、もう大丈夫だと。
 そう思わせてくれる笑顔だった。




「人間にそこまで入れ込むとは。随分と、各が下がりましたね」

 不愉快な声が耳に響き、秋生は自分の体が一瞬で凍りつくような感覚囚われた。
 どうしてだろう。
 何度耳にしても、聞くたびに悪寒と恐怖が増していく。


「人の神であったあなた様が、そのようなことをおっしゃるのですか?」


 人の神。
 人間から神となり、人間に祀られることで存在しうる。


「それでは事足りないのですよ」


 くつくつと笑う。
 森に響くその声を嫌がるように、木々がざわめく。


「その力だけでは……下等な人間に祀られるだけでは、私の欲するものは手に入らない」


 欲深い。
 飛縁魔は、これほどまでに欲深い神を見たことがないと言っていた。



「私は、私が欲する物は全て手にしたい」
「……欲するもの、とは?」


 祈り、信仰、供え。天候、自然、―――生命。


「私が欲しいと思ったそれらは、全て私の手にあるべきです」

 ふわりと、良狐の髪が揺れる。
 すぐそこに、おぞましい気配を感じた。
 隣に――良狐の目の前に、いる。



「良狐、お前が悪いのですよ」



 赤い。




「お前が私の物で在り続けなかった故に…」




 赤い恐怖が迫る。



 迫る恐怖を、止められない。



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