Long story


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「……ほら」

 その浅はかな考えがどれだけ愚かなことか。それは夕陽が口で言うよりも、見た方が早い。
 視線を向けると、今正に深月が絡新婦に食べられようかというところだった。


「私の血肉となることを喜びな…」
  

 ブツッと、何かが切れる音がする。 


「…………?…」

 絡新婦が首を傾げたその刹那。
 緑色の液体が、噴水のように吹き出し始めた。


「何ぃ…?どういうことぉ…?」

 もう手遅れとも言える状況を前にして、やっと自分の考えの浅はかさが分かってきたようだ。
 じゅうじゅうと、植物が瘴気に侵されていく。瞬く間に、植物たちが全て枯れ果ててしまった。
 そればかりか、周りを囲う針がパラパラと地面に転がっていく。全ての針がカレンの周りからなくなるまで、そう時間はかからなかった。
 しかし、今さら動き出しても後の祭りだ。


「行かせないよ」 
「ぐっ…!!」

 座り込んで少しでも休めたことと、更にこの悪霊が短時間でも檻に閉じ込められたことが項を成したようだ。
 全力で踏み潰すことが出来た。文字通り、思いきり足の下敷きに…とはいえ、長くはもたない。


「深月!急いで!」

 声をかけると、一瞬だけ深月と目が合う。しかし、その目はすぐに首が落ちかけた絡新婦の方に向き直る。
 巻き付いていた糸が巻き戻るようにしゅるしゅると解けていくと、今度は絡新婦を包み込み始めた。


「餞別に貰ってくぞ」

 それは普通、渡す側が言う言葉じゃないかといつも夕陽は思っているが。
 きっと絡新婦は餞別など置いていきたくもないだろうに。当の本人の思いなどどうでもいいように、ずるずると大量の妖気が深月に吸い込まれていく。



「じゃあ、さようなら。ラスボスさん」


 頃合いを見計らい、踏み潰していた身体を持った悪霊から離れ去る。
 骨の髄まで妖気を吸いとられ干からびた哀れな妖怪の横を通りすぎ、深月を拾い上げ窓の月を見上げた。

「逃がさないよぉおお!!!」

 溢れるように瘴気が舞う。
 しかし、既に闇に紛れたこの身を探し当てることは出来ないだろう。





「…とまぁ、カッコよく決めたところで颯爽と帰ってくるつもりだっただけど。あの悪霊ほんと、執念深いったらないね。巻くのに2時間も掛かったよ」

 学校にも山にもこの家にも、もちろん自分の家にも近寄らないようにあちこち走り回り、時おり応戦し。
 深月は奪った妖力を使い果たしてしまい、夕陽も走り抜ける体力も尽きてしまうのではないかというところでようやく諦めて立ち去ってくれた。
 しかしそのまま直帰するのも心配だったので、一時間ほど辺りをうろうろしてこちらの臭いも完全に消し去ってから帰ってきたという次第だ。

「絡新婦を狩った割に妖気を感じなかったのはそのせいだったんだ」
「そ。奪ったものを根こそぎ取り返して満足したのか知らないけど、タイミングよく消えてくれたよ」

 あと少しでも粘られていたら、正直かなり危なかった。
 まるで自分達を故意に生かしてくれたような気がしないでもないが、それなら最初から追いかけて来ないだろう。どうしてあのタイミングで諦めたのかは分からないが、ラッキーだったとしか言いようがない。

「お前それ…消えたんじゃなくて、追えなくなったんじゃないのか?」
「…どういうこと?」

 華蓮の言葉に、首をかしげる。
 あれだけしつこくつけ回したというのに。電池切れでもあるまいし、どうして突然追えなくなるというのだ。

「そもそも、お前が姿を消して尚追ってこられたのは、深月の妖気のせいなんじゃないのかってことだ」
「…そんな、バカな」

 と言ってから、夕陽は思考を巡らせる。
 そもそも、どうしてあの悪霊が姿の見えない自分達を追えたのかなんて考えもしなかった。
 姿を消した時点で、自分の気配も妖力も全て隠すことができる。それは背に乗せている深月も同じであるが。
 絡新婦からあれほどの妖力を吸い尽くせば、まず深月の手には余るだろう。そして、瘴気に当てられていた状態でそれを完璧に隠せていたかと聞かれれば……自信はない。

「つまり…深月が妖力を使い切ったからちゃんと姿が隠れて…それで追って来れなくなったってこと…?」

 華蓮の言わんとした回りくどい説明を、侑が分かりやすく言い換える。
 なんともすっきりする説明だ。


「…落としてくればよかった!」


 深月さえどこかに置いてくれば、自分はさっさと帰れたのだ。
 それを2時間も足が棒になりそうなほど走らされたなんて、無駄な体力消耗以外のなにものでもない。


「もう少し忠誠心とかないの?」
「深月に忠誠心?そんなの、僕だけじゃなく誰一人ありゃしないよ」

 誰が忠誠を誓おうと、本人がそれを蹴飛ばしてしまうのだから。
 そして、そんなことより一緒に遊ぼうと言う。あの飛縁魔にですら、そう言って手を差し出した。

 だから、誰も深月に忠誠心なんてない。
 けれど、一緒に遊ぼうと呼ばれれば。誰もがすぐに飛んで駆けつける。


「何も分かってないなぁ、侑も」
「は?何が」


 あの悪霊と同レベルとまでは言わないが。


「そんなんじゃ、嫁失格だよ」

 もっと深月を勉強しないと。
 夕陽がそう言うと、侑は思いきり顔をしかめた。

「…ムカつくアバズレだな。絞め殺してくれようか」
「こらこら。山の神様がそんな口利いちゃダメでしょ」

 なまじ迫力があるのが恐ろしく思えるが。
 今の台詞を飛縁魔が聞いたら、問答無用でお叱り部屋行きだ。侑の迫力よりも、そちらを想像する方が何倍も怖かった。


「…神様と言えば、帰りにすげぇの見たよな」
「うわぁ!?」

 すっと、どこからともなく侑の横から深月が顔を出す。
 気配なく突然目の前に人が現れ夕陽もかなりビックリしたが、侑の場合それが隣となれば驚きもひとしおだろう。

「ちょっと深月!急に出て来ないで!」
「…巻くのに2時間かかったの辺りからずっとここにいた」
「………嘘でしょ?」

 夕陽のその台詞を知っているのだから、多分嘘ではない。
 これほどすぐ目の前にいたのに、まるで気付くことも出来ないなんて。これまでにもう何度も目にしてきたが、自分がされる側になると俄には信じがたい。
 そもそも、何で今それをする必要があったのかも謎だ。

「何でわざわざ隠れたりなんかしたの?」
「切りのいいとこまで邪魔しねぇ方がいいかと思って」
「なるほど、そういうことか」

 今のタイミングが切りのいいそれだったかは置いておくとして。
 理由としては納得だった。
 それにしても、先ほど根こそぎ使い果たしたばかりだというのに。もう姿を隠せるほどに妖力が回復しているとは驚きだ。

「侑の妖気、相当流れ込んでるんじゃないの?」

 あの絡新婦の要塞でも、深月は完全ではないにしろほぼ全ての力を使いこなしていた。
 そのことと今の様子を踏まえると、短時間でかなりの妖気が横流しされているはずだ。

「あ、もしかして!だから最近やたらお腹が空くの?」
「お前…ちゃんと管理しろよ」
「抑えても抑えても増えてく一方なんだから仕方ないでしょ。そっちが吸いとらない努力をしなよ」
「それが出来たら苦労しねぇだろ」
「僕だって管理出来たらやってるよ」

 例によってお馴染みの展開だ。
 このままでは、痴話喧嘩の開幕まで一直線だ。というより、既に幕が上がりかけている。
 完全に幕が上がり面倒なことに前に、夕陽は話題を変えるべく口を開いた。


「そんなことより、帰りに見た神様のことだけど」

 そんなこと?と、2人は声を揃えるが。
 妖力管理についての話なんて、夕陽にとっては実際にそんなこと以外のなにものでもない。
 夕陽は2人の不満そうな表情は完全に無視することにして「神様のことだけど」と今一度言葉を発した。


「…どんな神様だったの?」

 どうやら夕陽が完全無視を決め込んだことで喧嘩を続けることを観念したらしく、侑が話の方向転換に乗ってきた。
 片方がやめれば、もう片方もわざわざ喧嘩を続ける理由もない。

「神様って普通、白っぽい雰囲気だろ?」

 神という存在は霊よりもどちらかというと妖怪に近い。だからこそ妖怪が神使として仕えており、妖怪から神になるものも少なくはない。
 そして、妖怪に寄っているということは深月でも見聞きすることが可能であるということだ。
 しかし、姿形ではなくその独特の雰囲気を表現するは難しい。

「まぁ…、何となく言いたいことは分かるよ。オーラ的なものでしょ?」
「そう。…けど、帰りに出会ったのは何つーか…どす黒い紫っつーか、汚い茶色っつーか……」
「何それ、本当に神様だったの?」

 確かに、言葉で聞いただけでは疑うのも無理はない。

「纏ってるものそのものは確かに神様だったから間違いないよ。けど、僕にも深月と同じように見えた」
「…2人とも、悪霊の瘴気に当てられてぼんやりしてたんじゃない?」

 尚も侑が信じられないという表情を浮かべている、その気持ちは分からなくもない。
 そんな、どす黒い紫や薄汚い茶色なんて表現されるのうな神は、もはや神ではない。しかし今だかつて目にしたことのなかったそれを、何と現したらいいのかも分からない。
 そもそも、あそこまで酷くなる前に他の神々から糾弾され、神としての地位を剥奪され消し去られてしまうはずだ。

「僕はそうでも、深月が瘴気にあてられたってことはないでしょ?」
「それは…そうだけど……」
「信じらんねぇなら見てこいって言いたいとこだけど、あれはさすがに行かせねぇな」
「……そう」

 どうやら今の深月の一言で、侑も信じる気にたったらしい。
 普段から侑のことなど気にも止めてない深月がそこまで言うのだから、信じざるを得ないのだろう。


「どこで見たんだ?」

 背後からの問いに、夕陽は視線を移す。
 問い主である華蓮と、それに凭れるようにして寝息を立てている秋生が視界に入った。

「暗かったからな…あんまよく覚えてねぇな。…あ、でも遊具があったな」
「うん。滑り台の下に隠れて出て来て辺りだったから…公園かな?」

 それがどこの公園かと聞かれると、分からないとしか答えられないが。
 この辺りで滑り台があるのは小学校か公園くらいだが、小学校ほど敷地は広くなかったはずだ。

「…そうか」

 華蓮はそう言うと、すっかり寝入っている秋生を抱えて立ち上がった。
 どうやら何か思い当たる節があるようだが、完全に立ち去る雰囲気であるこの状況で聞いても華蓮は答えはしないだろう。

「僕たちも寝る?」
「そうだな」
「じゃあ僕も帰ろっと」

 外では、もう既に日が登り始めている。
 良い子は寝る時間どころか、そろそろ起きる時間ではないか。

「秋生くんに、またお礼持ってくるからって伝えておいてね」
「断る」

 思った以上の即答だったが、伝えてもらえなくても持って行くことに代わりはない。阻止されないようにこっそり渡さなくては。
 しかめ面の華蓮の横を通り窓からおいとましつつそんなことを考えながら、夕陽は静かに空に飛び立った。



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