Long story


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 さて。
 これまでの状況を忘れている人のために、ネットでいうところの今北産業で振り返っておくと。

 じじいの命で会食に行った先で絡新婦に出くわす。
 深月のチート能力で成敗するもラスボスの力で復活して馬鹿でかくなる。
 油断してまんまと噛まれた深月を助けるべく夕陽が跳ぶ。←いまココ。

 という状態だ。
 簡潔にしてみると、何もかも深月のせいだとよく分かる。しかし、それを糾弾するのは今ではない。

「生きて帰ってからじゃないとね!」

 蜘蛛の構造には詳しくない夕陽だが、とりあえず深月に突き刺さっている牙のようなものを引き剥がせばいいだろう。鋭い爪を立てて牙に向かって突き刺すと、爪がぶつりと牙の中に食い込んだ。
 まさか牙がこれほど柔らかいものだったのは意外たが、これ幸いと言わんばかりにそのまま本体とは逆に引き裂いた。すると、ぶちぶちと皮と肉の破ける音と共に、大量の瘴気が吹き出してくる。

「ぎぃいいい!!」
「ーーッ!」

 瘴気が吹き出すのと同時に、赤い血と緑の血が混ざり合いながら飛び散った。
 絡新婦はその痛みに耐え兼ねてか、跳び跳ねるように距離を置く。傷口から流れる瘴気が空気を汚染し、夕陽は一瞬襲ってきた目眩に顔を振った。
 絡新婦が離れ崩れるように床に足をついた深月の肩には、千切られた牙が食い込んだままだ。肩から流れる深月の血と、牙から流れる絡新婦の血が新しい礼装を汚く染める。
 
「助かった」
「油断してるからだよ」
「流石にあれは予測不可能だろ。…っ」

 何の躊躇もなく、深月は肩から牙を引き抜く。普通はもっと痛がると思うのだが、この状況の中では痛覚も鈍っているのだろう。
 そんなことを思いながら露になった傷口を見ていると、抉るように皮膚を貫き開いている穴から血と共に紫色の液体が溢れ落ちた。

「毒まで盛られてるし」
「通りでふらふらすると思った」

 それは多分毒のせいではなく、出血多量のせいだ。
 妖怪の毒がそれほど甘くないことは深月とてよく知っているはずだが、きっと考えないようにしているのだろう。

「早いとこ狩らないとヤバいでしょ」
「そりゃその気満々だけどよ。生き返るんじゃ切りねぇだろ」
「あの悪霊がやってるだけで、絡新婦そのものの力じゃないよ」

 それに、生き返るというのは少し語弊がある。
 先程の再生させた時にはまだ止めを刺していなかった。きっと、止めさえ刺してしまえば、再生することも出来ないだろう。
 どれだけ強い力を持っていようと、死んだものを生き返らせるのは不可能だ。

「だったらあっちを先に成敗するってか?それなら夏を呼ばねぇといけねぇぞ」

 いつの間にか絡新婦の隣で頬を撫でているカレンを見ながら、深月は顔をしかめた。
 それで成敗できるなら是非そうして欲しいものたが、こうなってしまった今それでは間に合わない。

「待ってる間に深月が死んじゃうよ。なんかこう…出来ないの?檻作るとか」
「出来るにゃ出来るが、強度がないだろうからそんなもたねぇよ。それにやったとして、絡新婦はどうすんだ?お前が狩るのか?」
「深月が檻に閉じ込めつつ絡新婦も狩るんだよ。僕はこの瘴気のせいでもうフラフラだから、雀の涙程度の援護しかできないからね」

 顔をしかめる深月を前に、どや顔でお手上げポーズを取ってやった。
 深月を助ける際に大量の瘴気を浴びたせいで、目眩が止まらない。平気そうに立っているように見えるかもしれないが、それは見栄と意地でしかない。

「瘴気ねぇ。サッパリ分かんねぇけど」
「羨むべきか、見下すべきか……」
「少なくとも今は羨むべきだろ。人を無能呼ばわりした天罰だな」

 そう言いながら、深月は穴の開いた傷を冷気で冷やして強引に塞いでいる。そんな荒療治をまるでかすり傷にテープを貼るような感覚でやっているのだから驚きを通り越して呆れてしまいそうだ。痛覚が鈍っているのではなく、痛覚も頭も完全にバカになっているに違いない。

「よし、やるか」
「頼むから死にそうにならないでね」

 もしそうなったら、自分はまたあの瘴気の中に飛び込んで助けなければならない。
 今いる場所ですら立っているのがやっとなのに、あんな地獄のような場所に飛び込むなんてもう御免だ。

「腹も減ったし、今度こそ狩って帰る」

 そう言われると、確かに夕飯を食べていない。余計なことを言わなければ気づかなかったのに、言われた途端に急激に空腹を感じた。


「……ちょっと座ろ」

 唐突に感じ始めた空腹と酷い目眩に限界を垣間見た夕陽は、この状況で悠長に床に腰を下ろした。
 それから再び深月を探すが、見当たらない。先ほどの一人百鬼夜行は半分お遊び気分だったが、どうやら今度は本気を出すことにしたようだ。


「そんなところに腰を据えて、随分と余裕だねぇ?」

 少し遠くにいるカレンに話しかけられ、夕陽はそちらに視線を移す。
 相変わらず気色悪い笑みを浮かべているカレンであったが、いつの間にかその身体は植物でがんじからめにされなおかつ檻の中に閉じ込められている。角度によって輝いて見えるあの檻は多分、針で出来ているのだろう。
 あれではいくら力が強くてもしばらくは動けない。悪霊のくせに実態を持ったことが仇になったというわけだ。


「誰かさんの瘴気のおかげですっかり無能になっちゃったからね。……君こそ、そんなぐるぐる巻きなのに、無能な狼と悠長に喋ってていいの?」

 まるで拘束を解こうとする素振りもない。
 そのままでは、傷付いた絡新婦を回復させてやることも出来ないというのに。

「問題ないよぅ。もう僕が手出しをしなくて も、時期に片がつくからねぇえ」
「……君の助けなしで深月に勝てるって思ってるの?さっきあれだけ八つ裂きにされたのに」

 夕陽の言葉に、カレンはくつくつと笑い声をあげる。その表情はこれぞ悪人面、と言いたくなるような顔だった。
 極道映画のオファーが来たら是非受けてほしい。いるだけで映画全体の迫力が増すことは間違いない。

「あの男を甘く見ていたのは確かだ。四肢を全部もがれた時には失敗したかとも思った。しかし、今となってはそれも一瞬の気の迷いでしかない」

 喋り口調を変え、自信満々にそう言い切ったカレンはまたくつくつと笑う。
 夕陽にはどうしてカレンがそこまで確信を持って深月を討てると思っているのか、全く理解が出来なかった。


「そろそろ噛まれてから5分はたったかなぁ?」

 噛まれて?
 と、頭の中でクエスチョンマークが飛ぶが、すぐにカレンの言わんとすることが分かった。


「―――毒か!」


 そのことをすっかり失念していた。
 絡新婦の毒がどのような効力を成すのか夕陽は知らない。しかし、カレンがこれほど自信を持っているのだから、それがどんなものであれ生半可ではないことは明らかだ。
 改めて深月を探すと、今度は絡新婦の目の前に立っているのがすぐに目に入った。



「さぁ、もう終わりよ」



 巣から降りている絡新婦の足は、全て再生していたにも関わらずもう2本ほどなくなっていた。
 しかし、深月は目の前にいる絡新婦に手を出さない。今なら簡単に全ての足をもぎもり床に這いつくばらせることが出来るのに、まるで時が止まったかのようにその場から動かない。



「私の毒に酔いしれなさい」

 しゅるしゅると、絡新婦の口から伸びる糸が深月に絡まっていく。
 それでも、深月はピクリとも動かない。

 

「深月!……っ!」

 助けに行かなければと一瞬立ち上がるが、酷い立ちくらみに襲われてすぐさま歩みを進めることが出来なかった。
 やはり座ったりするんじゃなかったと思いながら頭を押さえている間にも、絡新婦の糸が深月を覆っていく。


「あの男はもう絡新婦の虜だ」
「…………虜?」

 その言葉に、夕陽の深月への心配がふと薄れる。

「絡新婦の毒はぁ、その個体によって効果が違うでしょぉお?」
「……へぇ、そうなんだ」

 夕陽はあまり学習することを好まないため、他の妖怪の知識も深くない。見れば大抵の妖怪の名こそ分かれど、その詳しい能力となれば妖怪マニアの深月の方がよほど詳しいだろう。

「……で、あの絡新婦の効果が…虜なの?」


 夕陽の問いに、カレンはニタリと笑って見せた。



「その毒に侵された者は、その誘惑から逃れなれない」



 虜という言葉から何となく想像できていたが。
 その効力が思った通りだとわかった瞬間。夕陽はこの立ち眩みに耐え深月を助けようと思った自分がバカみたいに思えてきて、その場に座り直した。
 同時に、笑いが込み上げてくる。


「くく…っ、誘惑、よりにもよって……ふははっ」

 毒が回ったら死ぬとか、そうでなくても身体が痺れて身動きが取れないとか。
 せめてそのくらい王道な効力であったならば、まだ勝機はあったかもしれないのに。
 いや、こちらとしてはそれ以上ないほどにラッキーなのだが。

「……何がそんなに可笑しい?」

 何が可笑しいのか、なんて。そんなの愚問もいいところだ。
 何もかもが可笑しいに決まっている。


「…まぁ、減るもんじゃないしいいか」

 どうせ調べればすぐにわかることだ。
 飛縁魔がよく口にしている。敵だからといって何も情報を与えなければ、返って危険を呼び兼ねない。大切なのは伝える情報を選ぶことだ、と。
 この場合、教えなければこの妖怪擬きはきっと調べようとするだろう。どう調べるのかは分からないが、何にしても変に山を嗅ぎ回られるより、先にある程度のことを教えておけばいい。そうすれば、深月は山に寄り付かないし、少なくとも侑の時のように山に干渉されることはないだろう。

「飛縁魔って知ってる?」
「……僕を馬鹿にしてるのか?」

 つまり、知っているということか。
 飛縁魔はそれほど知名度の高い妖怪ではない(と夕陽は思っている)が、その口振りからするにもしかすると最近は知名度もそこそこなのかもしれない。
 或いは、深月のように妖怪マニアであるという線もあるが、悪霊が妖怪マニアとはこれまた笑える話だ。

「飛縁魔を知ってるなら、その能力だって知ってるでしょ?」
「…その姿に魅入った男の心を狂わせ、家を滅ぼし、命まで奪う妖怪だろう?血や魂を吸い取るとも言われている――中々恐ろしい妖怪だ」

 これは妖怪マニアの線が濃厚だ。
 ウィキペディアよろしく丁寧なカレンの説明は、正に世に知られてる飛縁魔そのものだ。
 おまけに、血を吸うとまで言い伝えられていることを夕陽は知らなかった。敵のラスボスよりも山を纏めている主代理である妖怪に疎いとは、本人にバレるとどやされそうだ。
 ……まぁ、そんなことはバレなければいい話で、今はどうでもいい。


「深月はね、その恐ろしい飛縁魔の術ですら一瞬だって堕ちたことはないんだよ?」

 カレンの表情が歪む。
 しかし、それはすぐに嘲るようなものに変わった。

「だからどうと?お前たちのようなあまっちょろい存在は、身内に本気で術をかけることなどしないだろう」

 一体何をもってそう言い切れるのか。
 知ったような口を利いているが、この悪霊は飛縁魔の――その妖怪のことを知っていても、あの山の主代理である飛縁魔のことは何一つ知らないようだ。
 本気で術をかけない?
 あの凶悪な妖怪が、人間相手に…それも、自分の懐に土足で上がり込み啖呵を切った男に、そんな甘さを見せるものか。
 

「お前は、絡新婦の毒がその妖怪の術よりも弱いと思っているのか?…なめられたものだ」

 
 本当に、なめられたものだ。


「話にならないね」


 たった一枚の襖で仕切られているだけのあの場所は、飛縁魔の絶対の砦だ。
 爪先を踏み入れるだけでくらくらするようなあの砦の中に一度足を踏み入れれば最後、その誘惑に誰もが狂い堕ち魂を抜き去られる。それすらも喜びに感じるほど、身も心も侵されてしまうのだ。
 とはいえ、その誘惑の部屋もただのプライベートルーム兼お叱り部屋に過ぎない。誰も誘惑されることもなければ、魂を削がれそうなほど叱られることはあっても、抜かれることはない。

 しかし、飛縁魔が本気を出せばそこは一瞬で絶対の砦に変わる。


「ちょっと馬鹿にしすぎじゃない?」

 絶対の砦をもってしても魅入るどころか、惑わすことすら出来なかったのだ。
 それがどれ程のことなのか、目の前の悪霊はなに一つ分かっていない。



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