Long story


Top  newinfomainclap*res





 時計を買ったのは土曜日の朝だ。水泳部の部活が終わった後では間に合わない。金曜日の部活が終わった後にも行ったが間に合わなかった。だから確実に手に入れるため、早めに家を出て時計を買った。そして水泳部の部活に向かった。土曜日の部活は平日よりも力が入っていて、生徒たちに混ざって一緒に部活を楽しんだ。だから忘れていいと言う訳ではない。でも、忘れてしまった。せっかくかった母への贈り物を水泳部の部室に置きっぱなしにして学校を出てしまった。学校を出てすぐにそのことに気づいて、急いで引き返した。だからといって信号無視などはしなかったが、運命とは悪戯なもので歩行者が信号無視をしなくても、車の方が信号無視をすればその二つは接触し、そしてどちらが悪かったとしても被害が大きいのは歩行者の方だ。
 頭を強く打って記憶が曖昧だったが全て思い出した。自分の葬式も見た。自分が埋葬されていくのをただぼうっと見て、母が泣いているのを見て、いたたまれなくなった。母は来る日も来る日も泣いていて、ちっとも元気にならない。自分はここから見ていて、ずっとそばにいると伝えたいのに伝えられない。時計を探して渡せば、自分が近くにいることを伝えられるかもしれない。時計を探さなければ、母を安心させるために。母から涙をなくすために。


「…ということは、時計を届けなきゃいけないってことだよね〜」
「まじかよ。これで終わりじゃないのかよ」

 春人の深月が頭を抱える。頭を抱えたいのは皆同じだ。
現在昼休みが終わり、3限目が始まったところだ。吉田隆が家の場所を覚えていてくれたら話は早いが、当の本人は思い出せないと言い出す始末。これからどんな手段で吉田隆の家を探すにしても、放課後までに終わりそうな気配が見えない。

「いっそ始末するか」
「だめー!それはだめー!」
「待てよ!ここまでの俺たちの苦労が無駄んなっちまうから!」
「夏川先輩落ち着いてください!」

 華蓮がバッドを構えた途端、加奈子はポルターガイストを始めるし、深月と春人も必死になって止める。これまで費やした時間と労力が全て無駄になると考えると、当たり前の反応だろう。
 そんな中、会話に加わらず話を右から左に流しながら、何となくぼうっとその光景を見つめている人物が1人。秋生の脳裏を支配しているのは、加奈子が頭を撫でられ、春人が褒められ、そして深月はハイタッチをして、秋生は屑認定。これはもう挽回などできない。そう確信した瞬間、すべてのやる気は消え去ってしまった。役に立つ組の会話になんて入れるわけもなく、ただ劣等感に苛まれながらその光景を目にすることしかできない。

「歩いていたら思い出すかもしれないが…」
「歩くって、どこを歩くんだよ」

 役に立つ組が盛り上がっている中、秋生はやる気なく吉田隆と会話する。吉田隆もここではかなり役に立たない屑組だ。自分の記憶も思い出せず、散々迷惑をかけてきたわけだから、秋生よりも質が悪い――と、頭の中で考える秋生は、自分よりも格下を作ることに必死だ。と同時に、吉田隆がいてよかったとも思う。この場に秋生1人ならば、役に立つ組の輪を見ていられなくて逃げ出しているところだ。

「ここから事故の遭った場所まで歩いていけば…その過程で思い出すかもしれない」
「じゃあ行って来いよ」
「無理だ。ここの力が強すぎて、自分だけでは出られなくなってしまった」

 この地に縛り付けられかけているということだ。

「何その死亡フラグ」
「既に死んでいる」
「そういう問題じゃねぇっての」

 秋生はやる気のない顔から、心底嫌そうな顔になって溜息を吐いた。ここから出られないのならば、一体どうやって時計を届けるというのだ。

「代わりに誰かが届けたとして、お前はそれで納得するのか」
「多分…納得はしない」
「じゃあどうすんだよ、納得しろよ」
「うむ」

 秋生は苛立ち交じりに「うむじゃねぇんだよ」と呟いた。
 いつからこの学校に居るのかは分からないが、縛り付けられるのが早すぎやしないか。なんともいい迷惑だ。しかし、本当に縛り付けられるまでに何とかしなければ、華蓮が消すしかなくなってしまう。これだけ苦労して(その苦労が認めてもらえていないとしても)それは避けたいところだ。

「……俺の身体の中に入って出るってのはどうだ」

 加奈子がここに呑まれないように、なるべく応接室から出ないのは応接室がバリアのようになっているからだ。そして、応接室から出る時は秋生か華蓮が一緒にいることでバリアのような役割を果たしている。
 吉田隆は秋生と華蓮が出会った時点で一緒にいても手遅れだった。表には出ていなくても、それほど呑まれかけているということだ。しかし、一緒にいることで効果はなくても、その中に入ってしまうと話はまた別だ。

「…憑依するという意味か」
「そう。俺に憑依すれば、ここの影響も薄まるんじゃないか」
「しかし、そんなことをすれば憑依した人間に負担がかかる。どんな悪影響が出るか分からない」

 確かに、既にこの学校から出られなくなっているほどのものを体に中に入れれば何かしら悪影響があってもおかしくはない。しかし、秋生はそんなことはどうでもよかった。

「俺はいち早くこの場から逃げ出したくてしょうがない。お前は早く時計を母親に届けたい。お互いの利害の一致。むしろ害なし、はい決定」
「いや、むしろお前への害が…」
「あっちが話に夢中になってるうちに、さっさと行くぞ」

 吉田隆の言葉を最後まで聞かず、秋生は役に立つ組に背を向けて歩き出した。
 幸い、時計は秋生の手にある。役立たずなのでせめてそれくらい持たせてくださいと懇願したために手に入れたものだった。

「秋、どこいくの?」

 あのまま話してくれればよかったものの、加奈子が気づいて声をかけてきた。加奈子の声に反応し、華蓮、深月、春人も秋生たちが移動しようとしているのに気付いたようだ。視線が秋生と吉田隆に集中した。

「吉田隆が何か思い出しそうっていうから、音楽室行ってくる。ここは役立たず同士で手柄を持って帰ってくるので、邪魔しないように!新聞部とかで待っててください」

 秋生は一度振り返ってそう言うと、そのまま一周回って再び役に立つ組に背を向けた。吉田隆は何か言いたそうだったが、秋生が睨みを聞かせると開きかけた口を閉じた。

「…お前のせいで秋生がすねたぞ」
「今日は1日中あの調子だろう」
「だからそれがお前のせいって言ってんの」
「知ったことか」

 背後に聞こえる会話を右から左に聞き流しながら、秋生と吉田隆は水泳部の部室を後にした。嘘を吐くのは少しばかり心が痛んだが、正直に言って素直に行かせてくれるわけもないので、こうする他なかったのだと自分に言い聞かせる。

「本当にいいのか」
「今更何したって、俺の屑認定は覆らないんだから。もっと屑認定されることしても同じだろ。堕ちるところまで堕ちてやる」
「自暴自棄だな」
「だからなんだ」

 秋生は基本喧嘩腰だが、吉田隆はどこか呆れたような様子だ。今は授業中であるため、廊下を歩いている生徒はいないことが幸いだ。吉田隆と会話をすることに気を遣わなくても済むのは楽でいい。加奈子といるときは、いちいち人目を気にして会話をしなくてはならないのでとても大変なのだ。

「お前、どこまでいけるんだ?校門までは行けるのか?」

 校舎の入り口に来たところで、秋生は吉田隆に問いかけた。

「ここまでが限界だ」

 表情が歪んでいる。この様子からして嘘を言っているわけではなさそうだ。まぁ、嘘を吐く動機もないのだけれど。

「…なるべくすっと来てくれよ、すっと」

 靴を履きかえて、秋生は吉田隆の前に立って表情をこわばらせた。

「すっとってどんなだ」
「知らん!いいから早く来いよ!じらすな!」
「卑猥な奴だな」
「なっ…何が卑猥な―――!!」

 何が卑猥なんだ。そう言おうとしたが、言葉は最後まで続かなかった。突然体の中をかき回されたような感覚に襲われ、激しい嘔吐感に襲われ、秋生はその場にうずくまる。頭の中にバケツで水を注がれたような、全身の血が入れ替えられているかのようにぐるぐるとまわるような。体中から鳥肌が立って、自分の身体の中の物が全て飛び出していきそうな、おぞましい感覚。


「――――ッ、はぁ、はぁ…」

 体の中を駆け巡った感じたことのない感覚は、すぐに収まった。時間的には、一瞬のことだったと思うが、秋生には随分と長く感じられた。嘔吐感はまだ少し残っているし、少し眩暈もする。どうにか立ち上がりながら、辺りを見渡した。

「……吉田隆?」
「なんだ」
「お、俺の声で喋るな」

 まるで秋生の一人芝居のように、自分の口から自分の意志とは違う意志の言葉が発せられる。嘔吐感や眩暈よりも、違和感が大きかった。

「別に喋りたいわけじゃないが…勝手にこうなる」
「だからやめろって。頭で返してくれれば分かるから、多分」
「そうか、分かった」
「人の話聞いてる?俺超変人じゃねぇか」

 ――しかし、とりあえずは成功したようだ。

 自分の口から出ていた吉田隆の意志が、頭の中に響いた。出来るならば最初からやれよ、と思った秋生の気持ちも吉田隆に届いていることだろう。

 ――だが、何か違和感を感じる。
「違和感?」

 秋生は特に何も感じない。自分の中に声が響くのが気持ち悪いくらいだ。

 ――なんだか、押しつぶされそうだ。いや…押し出されそう、と言った方が正しいか。
「何だそりゃ。俺が追い出そうとしてるって言いたいのか?」
 ――そういうわけじゃないが。…とにかく長くこのままいるのは俺の方がもたない。急ごう。
「え、あ、おいっ。勝手に歩くな!」

 自分の手足が勝手に動き出し、秋生の意志とは関係なく歩き始める。秋生が思わず叫ぶと、動きは止まる。違和感というよりは、気味が悪い。

 ――俺が歩かなくてお前に方向が分かるのか。
「……それもそうか。…気を付けて歩けよ」
 ――お前もわざわざ喋らなくてもいいんだぞ。
「これは俺の身体で俺が主導権を握ってるっていう主張なんです」
 ――なるほど。

 吉田隆が納得したような声を出すと同時に、秋生の首が勝手に頷く。自分の手足なのに、きちんと感覚もあるのに気味が悪い。秋生はまるで人形劇の人形のような気分だった。

「さっさと行くぞ」
 ――分かった。

 吉田隆が返事をして、秋生の身体が動き始めた。自分の意志で動くのではないから歩いているとう意識はない。しかし勝手に体は動いていて、疲労は感じるし、けがをすれば痛い。人形劇の人形に自分の意志はないから、人形とは少し違うかもしれない。

「どちらかというと夢遊病患者だな」

 今の一言は吉田隆だ。秋生の心の内を知って話を合わせてきたようだ。

「だから俺の口で喋んなっつってんだろ」
 ――ああ、すまん。

 1人が2役をしながら喋っているのと、1人でいない人間と会話をしているように喋っているのとどちらが気持ち悪いだろうか。気持ち悪ければ、どちらも一緒か。

 ――だからわざわざ口に出さなくてもいいと言ってるだろ。
「うるせぇ」

 勝手に歩き出した自分の身体に従いながら、秋生はどうすれば不審者扱いされずに済むか考えることにした。

[ 3/3 ]
prev | next | mokuji


[しおりを挟む]
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -