Long story


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 華蓮が一度出たこの家に戻ってきてからこの木を目の当たりにした時、そこに花は一輪も咲いていなかった。記憶の中にあったこの木は季節など関係なく常に満開の花を咲かせていたのに、それが嘘だったように木だけが残されてきた。
 記憶にある花は毎日様々な色で庭を彩っており、ある時は橙色で、またあるときは薄紫のような色で、その色はその木の枝に座っている者によって変わっていた。当時はそれを不思議とも思わなかったし、それがどんな意味を示しているか理解していたことはない。
 ただ、花の咲いていないこの木を目の当たりにした時、この家が華蓮の知っている家でなくなってしまっていることを改めて痛感したのだ。



「この木は何だ?」

 華蓮と契約を交わしたばかりの亞希が、その木に触れて声を出した。
 その時の亞希はまだ華蓮の容姿を真似た姿をしておらず、そのため地に足を着いた状態でも易々とその枝に触れていた。

「何って…どういう意味だよ?」
「どうして何百年も前に死んでしまった木を、いつまでもそのままにしていたのかということだ」

 華蓮は亞希の言葉に顔を顰めた。
 そんなことがあるはずはない。華蓮はここに戻ってくるまで、この木が満開であるところしか目にしたことはなかった。

「俺がこの家にいた頃は、いつも花が咲いていた」
「馬鹿言え。お前がこの家にいたのはほんの数年前のことだろう?」
「でも咲いていた。嘘だと思うなら俺の記憶を見てみろ。出来るだろ」
「………そこまで言うなら嘘ではないのか。だが…この木は確かに何百年も前に死んでいる」


 亞希は指先で木に触れ見上げながら首を傾げた。
 死んでいるという表現は、枯れているということなのだろうか。それとも何か他のことを表しているのか。どちらにしても、華蓮にはこの木が数百年前に死んでしまったという風には見えない。
 ただ今は花を咲かせていないだけ。
 木が花を咲かさない時期があるのは普通のことだ。むしろ、年中満開であった華蓮の記憶の中のこの木の方がおかしい。


「誰かが故意に咲かせていたのか…?」


 当時のことを思い出しながら華蓮が呟くと、木を見上げていた亞希が振り返った。
 そして再び、今度は指先ではなく両手で木に触れた。


「なるほど…、そういうことか」

 亞希は何かに納得したように頷いて、木から手を離した。
 そしてふわりと地面を蹴って飛び上がると、木の枝の一つに腰を下ろす。普通、重力がかかると多少なりと揺れそうなものだが、木はその重さを感じていないように、まるで動きを見せなかった。


「やはりまだ、残っているな。ならば―――…」


 亞希はわけの分からないことを呟いたかと思うと、ぱちんと指を鳴らした。
 そして次の瞬間、亞希の座っている枝の先に一輪の花が咲いた。

 その色は純白だった。

 以前は色々な色に咲いているところを見たことがあるが、純白は初めてだった。


「な―――…」


 華蓮が目を見開いているその先で、亞希も同じように目を見開いていた。


「これは…金木犀の木だったのか」


 木が死んでいるかどうかは分かるのに、その木が何の木か把握していないというのも不思議なものだが。
 亞希は華蓮が驚いていることなどどうでもいいというように、楽しそうに、そして嬉しそうな表情を浮かべていた。


「気に入った」
「おい、どういうことだ?」

 華蓮が問うと、亞希は華蓮の方に視線を向けてにやりと笑った。


「この木自体は何百年も前に死んでいるが、ここに巣食うていた妖怪や霊たちが各々の力で死して後もこの木に花を咲かせ続けていた。お前が住んでいた頃も、ここには多くの妖怪や霊たちが住んでいたのだろう?」
「…ああ、沢山いた」

 今はもう誰もいなくなってしまっているが、華蓮の記憶の中では家中に人間ではないものがうろついていた。
 どうしていなくなってしまったのか、どこに行ったのか、あるいは消されてしまったのか…当時の華蓮はその末路を考えたくはなかった。


「そもそも、家族が3人だというのにこの家の大きさは異常だと思っていたが…そのようなものたちが寄り所にしていたのならばそれも頷ける。妖怪たちは暇つぶしに来ていたのだろうな。元々は迷い霊が成仏するための宿屋のようなものか?」
「宿屋…ってほど大層じゃない。母さんも父さんも、あまり成仏させる気はなかったみたいだし。霊たちは勝手に来て勝手に成仏していっていた」
「…そうだな、特にこの木は美しい。自らでここに来ることが出来る程度の霊の未練ならば、簡単に浄化してしまうだろう」

 亞希の言っていることはいまいち理解できなかったが、とりあえず悪いことではないのだろうと言うことだけは分かった。
 実際、華蓮が見ていたここに来た霊たちが成仏する姿は、どれも安らかであった。


「この木が金木犀だということと、かろうじて残っている妖気の粘りに免じて、再び花を咲かせてやろう」


 ふわりと風が吹いたかと思うと、木が純白の花で満開になった。
 それは紛れもなく、華蓮がかつて住んでいた頃の木そのものであった。



「俺がこいつの中に巣食うている限り、お前を咲かせ続けると約束しよう」



 亞希が金木犀に向かってそう言うと、強い風が吹いた。
 せっかく咲いた花が風に散る。しかし散った先から、花の合った場所には新しい蕾が生まれ、そしてそれは一瞬で花になっていく。

 かつて花が咲いていた時もそうだった。
 いくら花が散っても、その木はいつも満開だった。


「この木が再び死すときは、契約が完遂されたときだ」


 そう言って、亞希は笑った。

 それ以来、亞希は夜になると花を満開に咲かせた。それだけではなく、いつの間にかその花の根元で酒を造るようになって、その花を酒の肴に毎晩のように一人で晩酌を楽しんでいた。



 その光景がずっと続けばいいと思うようになったのはいつからだろう。


 再び咲かせた花が。
 過去に見たどの色よりも美しく咲いているその花が。

 いつまでも変わらず咲いていればいいのにと最初に思ったのがいつのことだったか、それは忘れてしまった。
 ただ、もう覚えてはいないくらいに前のことだということは分かっていた。



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