Long story


Top  newinfomainclap*res







 金木犀の木から眺める縁側の向こうの光景は、下手なコメディドラマよりもよほど面白く見えた。
 小さくなった華蓮は明らかにいつもとは違った。亞希は自分と契約を交わす前――憎しみに囚われる前の華蓮を知らなかった。けれど、今初めてその光景を目の当たりにして、普段とあまりの様子の違いに笑いをこぼさずにはいられなかった。

「随分と感情が豊かだ」
「契約を交わす前なのじゃから、当たり前であろう」
「元々、俺が凍らせた感情は一辺だけだ。他の感情は俺と会う前から既にあいつが無意識に抑止していただけに過ぎない」

 今目の前で見えている感情は、亞希と契約する前の華蓮に戻ったから現れたものではない。亞希に会うよりももっと以前の華蓮にあったもので、そして亞希に会うよりももっと前に失くしてしまったものだ。

「それに…契約を交わす前の体になったからといって、契約がなくなるわけでもない」

 現に、亞希は契約を交わす前の体になってしまった華蓮の中に戻ることはできないが、華蓮の幼少期の姿を保つことができている。この姿でいられるということは、契約自体が継続されているという証拠であった。

「しかしその氷も、やがて溶ける時がくるであろう?」
「もうすぐそこまで来ている」

 華蓮が小さくなって抑え込んでいた感情の抑止が解けたことは、亞希が凍らせている感情にも少なからず影響を与えていた。
 スズメの涙程度にしか溶けなかったそれは、秋生に出会って一気に進歩した。そして今、最後の止めを刺しにかかっている。後は亞希が少し後押しをすれば、固まっていた感情は完全に溶けて解放される。

「解放しても大丈夫であろうの」
「それはあいつが?それとも俺が?」
「どちらもじゃ」

 そこはお世辞でも亞希だけと言って欲しかったものだが。
 とはいえ良狐の性格からは予想できていた答えだったので、亞希は苦笑いを浮かべるだけだった。


「あいつにはあの子がいるから、大丈夫だ」

 華蓮には秋生がいる。
 秋生ならばきっと、感情が解放された華蓮を救うことが出来る。
 あの呪縛から、今度こそ本当に解放してやることができるはずだ。

 これまでの亞希にとっては、それだけで満足だった。

「こんなことなら、命なんて賭けるんじゃなかったな」

 隣でふらふらと揺れている尻尾に触れると、獣の姿をした良狐の視線が亞希に向いた。
 もう二度と触れることもないと思っていたその毛並みは、あれから何百年経った今も、そしてこの先何千年と経っても変わることなく美しいのだろう。

「後悔しておるのか?」
「いいや」
「ならば何じゃ。未練がましい鬼じゃのう」
「お前はもう少し悲しむとかないのか。俺はもうすぐ消えるのに」

 揺れている尻尾の一本に顔を寄せると、他の尻尾も吸い寄せられるように集まってきた。
 まるで亞希の顔を撫でまわすように動く尻尾が実にくすぐったい。

「そなたは消えぬ」
「お前、俺の契約内容聞いてなかったのか」
「わらわが消させはせぬ」
「……男前だな」

 思わず笑みがこぼれた。
 この狐は美しい顔に似合わず、性格は図太い。それは数百年前から知っていたことだが。

「それに、わらわがどうこうせずとも…あの者はそなたを消したりはせぬ」
「…良狐はあいつを買いかぶりすぎだ」
「いいや、亞希が分かっておらぬだけじゃ。そんな生ぬるいことをしておるから、低俗などと呼ばれるのであろうの」
「そんな呼び方するのはお前だけだ」

 これまで数百年生きてきた中で、低俗呼ばわりされた記憶は一度しかない。
 紛いなりにも修羅になりかけた鬼をあざ笑い、そして汚いだ低俗だと罵声を浴びせた神使はきっと後にも先にも良狐だけだろう。

「ならばわらわは正しいということじゃ」
「あいつは…俺に情けをかけるほど優しい人間じゃない」

 それは華蓮の感情が欠けているからでも、相手が亞希だからでもない。
 感情が戻ったとしても、華蓮の中には情け容赦のない部分が存在している。

「わらわの選んだ者が妖怪の中で至極であるように、わらわの主の選ぶ者も人間の中では至極じゃ」
「……それは、誉められてるのか?」
「誉めてはおらぬ。わらわが如何に正しいかということを説いておるだけじゃ」
「あっそう」
「じゃが、わらわにとって亞希が一番大切な存在であることもまた確か」

 良狐はそう言うと、亞希の頭の上に場所を移した。
 何をするのかと思いきや、何本もある尻尾を首や腕に、まるで亞希を捕えるように巻き付けていく。

「わらわは決してそなたを離さぬ」
「……恥ずかしいやつ」

 亞希は頭の上の良狐を手に取ると、そのまま抱きしめた。
 それでも尻尾は懲りずに、亞希の腕や首に巻き付いてきた。

「わらわにとって亞希が一番大切である限り、あの者は亞希を消したりはせぬ」
「どうして?」

 亞希にすら情けをかけない華蓮が、良狐に情けをかけるとは思えない。

「あの者にとって一番大切な者が、今は秋生であるからじゃ」


 それは確かに間違っていないだろう。
 だからこそ、亞希が華蓮の感情を解き放っても秋生には救うことができると信じているのだ。

「あいつが…そこまで考えるだろうか」
「低俗な鬼め。わらわの言うことが信じれぬと言うか」
「信じられない」
「信じよ」

 良狐はそう言って、ふわりと亞希を包んだ。

「わらわはおぬしと違い、裏切ったりはせぬ」

 その言葉は亞希の胸にちくりとささった。
 顔を上げると、いつの間にか人型に姿に戻った良狐が随分と優しい眼差しで亞希を見下ろしていた。

「もしも…駄目だったら?」
「わらわも死ぬしかないかのう?」
「あの子に生かしてもらった命だろ。もう少し大事に扱え」
「わらわはあやつの為なら死ぬことも厭わぬが、亞希がいない世に生きるのは耐えられぬ」

 妖怪の感情や性格が憑代に感化することはない。
 しかしこの発言を聞く限り、秋生が先ほどのように時々妙にストレートに気持ちをぶちまけるのは、良狐の影響だとしか思えない。

「そんなことを言われると、土下座をしてでも居させてくれと言わざるを得ない」
「ほう、それは見ものじゃ。しかし…残念じゃが、そんな必要もあるまい」

 亞希の体を包み込む体は暖かく、とても死にかけの妖怪のものとは思えないくらいにとても心地いい妖気を感じた。その妖気を感じていると、多少の悪態など聞き流せてしまう。

「あいつはまだ、自分にとって誰が一番大切なのか認識していない」
「それを分からせるために、おぬしがするべきことはもう分かっておるじゃろう」

 獣の姿であるがきっと良狐は今、不敵な笑みを浮かべていることだろう。


「ああ。全部お前と八都の思惑通りだ」


 亞希は座っていた木の枝の上に立ちあがる。
 良狐の尻尾が頬を撫でた。



「その思惑に乗ってやろう」


 木の枝を蹴って飛ぶと、風が背中を後押しした。
 金木犀の匂いを浴びながら、亞希はふわりと縁側の敷居を超えた。



[ 2/5 ]
prev | next | mokuji


[しおりを挟む]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -