Long story
「それは多分、その華蓮が亞希と契約する前だからだろ」
がらりと言う音と共に窓が空いて、李月が顔を覗かせた。
その時初めて、李月が外に出ていたことに気が付いた。バンドメンバー3名が行方不明になった辺りでは、いつもの席でコーヒーを啜っていたはずだが。
「いや、それよりもっと前だと思う。だって世月の姿の俺に超ビビってたもん」
李月がリビングに入ってくると、続けて双月が顔を覗かせた。行方不明者、1人発見だ。
先ほどまで世月の姿であったのにいつの間に着替えたのか。多少気にはなったが、その辺はこの際どうでもいいだろう。
「深月と侑は?」
「侑は縛り付けただけで何もしてない。深月はお前の言っていた通り吊るしたが…下ろすか?」
「いや…そのままでいい。元に戻ったら覚えてろ」
またしても深月だけ扱いが酷い。
吊るしているという時点で表情が引きつるというのに、まだ懲らしめる気らしい。
自業自得と言われればそれまでだが、少しだけ哀れみを感じた。
「双月は縛り付けるにも、世月の格好をされると……まぁあれだ。察しろ」
「ああ」
李月の苦笑いに華蓮も苦笑いで返す。
世月という人物が短い人生の中で一体どういう生涯を送ったのか、秋生はとても気になった。
「とはいえ元に双月に戻しても、俺には引け目がありすぎて無理だった。あいつら共々元に戻って自分でどうにかしてくれ」
「ええとあの、すいませんでした。どうぞお手柔らかに」
「…双月はもういい」
侑は縛り付けられ深月は吊るされて尚懲らしめられるというのに、双月は実質お咎めなしということのようだ。なんとも、差別が凄い。
華蓮と世月ではない双月が絡んでいるところはあまり見たことがないが、一体どういう関係性なのか気になるところだ。
「あらそう?あの格好してると、なーんか世月に感化されるんだよなぁ」
「お前…そのうち本当に世月と融合するんじゃないのか」
双月がそう言って首を傾げている隣で、李月が表情を引きつらせた。
そんなことはまずあり得なさそうだが、李月の表情が思いのほか真剣なのでもしかしたらと思わなくもない。
「それはさすがに大丈夫…だと、思う。まぁとにかく、本当にごめんな」
「もういいって」
双月が本当に申し訳なさそうに頭を撫でるのを、華蓮は嫌がるでもなく受け入れた。
ますます、華蓮と双月の関係がどういうものなのか気になった。
「駄目ですよ双月先輩、“秋の”夏川先輩なんですから」
「その話はもういいから!!」
確かに少しだけ気にはなったが、だからといってわざわざそんな言い方をしなくてもいい。
華蓮から伝わる熱も重なって、いい加減に沸騰してしまう。
「うるさい、黙れ」
頭上で叫ぶ秋生に向かって、華蓮が苛立ち交じりに呟く。
そんな言葉にいつもなら素直に謝れるのに、どうしてか秋生の中にもやっとしたものを感じた。
「―――双月先輩には優しいのに」
そう口にした瞬間に、もやっとしたものの正体を見つけた。
自分だけが触れていたい。
自分だけを見て欲しい。
自分だけに優しくしてほしい。
誰にも触らせたくない。
誰にも見せたくない。
誰にも優しくさせたくない。
「秋生……」
少しだけ驚いたような顔で見上げてくる華蓮を目にした瞬間、秋生はハッと現実に引き戻った。
そして、自分の中に渦巻いていた感情を目の当たりにして、さっと顔色を蒼くした。その感情が度を越えた嫉妬だということも、すぐに理解できた。
「…やっぱり俺…ストーカー予備軍だ……!!」
「はぁ?」
「そのうち生霊になって先輩を呪うんです…」
「何言ってんだお前…」
秋生が頭を抱えるのを、華蓮は意味が分からないと言う様子で見上げる。
それは華蓮だけに止まらず、当の本人以外の全員がそんな様子で見ていた。
「だって…!双月先輩がちょっと触ってるだけでも嫌で、俺には怒るのに双月先輩にはお咎めなしなのも気に食わないし、俺だけ見ててほしくて、俺だけに触れて欲しくて、俺だけに優しくしてほしくて…そのうち、そのうち…あのドラマみたいに…!」
秋生はそう言ってから、泣きそうな顔で華蓮を抱きしめた。
しかし、また苦しいと言われてしまうと思ってすぐに力を緩めた。が、どうしてかそれよりも強い力で抱きしめ返された。
「ええと…後半はおいといて。それってつまり…双月先輩に嫉妬してるってことだよね?」
「いや、何で俺に…?」
「でも確かに、俺も若干気に食わない」
「えっ、春人まで…」
春人が少しだけ不満そうに双月を見上げると、双月は困ったような表情を浮かべた。
しばらく沈黙が続いた末に、秋生の腕の中に顔を埋めていた華蓮が小さく溜息を零した。
「別に…優しくしようと思ってるわけじゃない」
「え?」
「世月の影がチラついて…あまり手荒にできないだけだ」
世月と双月は瓜二つ。
先ほど、世月と融合するという話に李月が表情を引きつらせていたくらいだ。それはきっと、華蓮も同じだろう。
「それに…、外出するたびにボコられて泣いて帰ってくるし、ちょっと叱っただけでいじけて泣くし、社会見学先で迷子になっても泣いて…、それから他に何があった?」
「休み時間に上級生に屋上に縛り付けられて泣いたこともあったな。山登りでは川に落ちて泣いたし、夏休みにスズメバチに刺されて大泣きしてたな。通り魔に襲われかけたときも酷かった」
「うわあああ!!それ以上小さい頃の俺の話しをしないでお願い!」
華蓮と李月が挙げたことを、双月は全部自分の恥のように叫んで頭を抱えた。しかし、屋上に縛り付けられたり、スズメバチに刺されたり、通り魔に襲われかけたりして泣かない方がおかしい気がする。
「黙れ。…とにかく、こいつはちょっとしたことですぐに落ち込んで泣く。お前みたいに、それだけで済むならそれでいいが」
華蓮はそう言って秋生の頬に触れた。
触れられている相手は小学生くらいの相手だというのに、心臓が高鳴った。
「こいつの場合は、それじゃ済まない」
shoehornのファンから双月に送られてくるものの多くは自分の爪や、手首を切ったカッターや、自分の血や体液など、まともなものはないというのは有名な話だった。そして、双月のファン=キチガイということはファンの中では根付いていることだ。
それを知っている秋生は、華蓮の言わんとすることは容易に理解できた。双月にはキチガイを目覚めさせる――そしてそれを引き寄せる、何かがある。
「バンドで歌っているだけで画面越しにもキチガイを誘発させるくらいだからな。それを泣かせようもんなら、そこらじゅうイカれた奴の巣屈だ」
李月はまるで何かを思い出すようにそう言って、双月に視線を向けつつ表情を引きつららせている。
きっと、過去によほど何かあったのだろう。
「それがあって下手に刺激しないようにしていたのが…結果的に甘やかすようになったのかもな」
その名残が、今でもあるということか。
「おまけに双月は深月や侑と違って、世月に感化されなきゃ悪さをすることもないしな。あの恐怖の女王よりもよほど可愛い妹みたいだった」
「ああ…そうか、そうだな。妹っていうのはしっくりくるな」
「そこはせめて、弟にして欲しいんだけど」
双月はそう言いつつも、あまり気を悪くしているようには見えなかった。
きっと、華蓮にとって双月は睡蓮と同じような立ち位置にあるということだろう。だから、双月への態度は睡蓮を甘やかしているのと同じなのだ。
「だから別に…優しくしようと思ってるわけじゃない。癖みたいなもんだ。特に今は…こんなんだし」
そう言って、華蓮は秋生の頬に手を置いた。伝わる熱が熱い。
それから、すっと腰を上げて顔を秋生の耳元まで持ってきた。耳にかかる息も熱く、くすぐったい。
しかし、やはり心地よかった。
「俺が優しくしたいのはお前だけだ」
「―――――っ」
秋生だけに聞こえるくらいに小さく、華蓮はそうささやいた。
まるで、自分の中に渦巻いている嫉妬を拭い取られるような感覚だった。
「機嫌は直ったか」
「……はい」
秋生の問いに微かに笑う華蓮は、やはりいつもとは少し違って見えた。表情が豊かというよりかは、柔らかいと言った方が正しいかもしれない。
きっとこれが、本来の笑顔なのだろう。
亞希よって、感情を凍らされる前の笑顔だ。
そして今の華蓮にはこの笑顔だけではなく、それ以外の全ての感情もあるはずだ。
しかしその笑顔を見たきり、その他の感情が垣間見えることはなかった。
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mokuji
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