Long story


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 そこは和室だった。
 秋生は、その場所をよく知っている。

 しかし、その場所は最近秋生が見慣れたそれではなくて、もう随分長く目にしていなかったものだ。
 その場所は、独りでいることに耐えられなくなって手放した場所だ。


 家族と暮らしたこの家には、もう随分と長い間帰っていない。



「うわ、ちっちぇ」

 声がしてそちらを向くと、3歳くらいの少年が何かを覗き込んでいた。
 少年の体重がかかって少し揺れたそれは、赤ん坊のゆりかごのように見えた。


「秋生って、言うのよ」


 それは自分の名だった。
 そしてその名を口にした人物は。

 秋生がまだ幼い頃に亡くなってしまった―――母だった。

 一緒にいた時間は短かったけれど、秋生はその顔をはっきりと覚えている。
 いつも優しくて、おおらかで、綺麗だった。
 食べるのが下手な秋生にご飯を食べさせてくれ、寝つきの悪い桜生に歌を歌ってくれた。


 紛れもなく、その母だった。


 これは夢なのだろうか。
 忘れてしまっていた、幼い頃の記憶を…夢に見ているのだろうか。



「しゅー…せい…」
「ええ、そうよ、秋生。本当は双子の弟がもう1人いるんだけど、今日は熱を出してるから」


 それは桜生のことだ。
 いや―――そう決めつけるわけにはいかない。
 目の前に起こっている状況が本当に事実なのかどうか、秋生には分からなかった。

 ここは確かに秋生の知っている家で、目の前にいるのは確かに母だ。

 それは間違いないのだが。

 ゆりかごを覗き込んでいる人物に覚えはない。


「双子…?同じ顔……?」
「あら、よく知ってるわね。そっくりなのよ。今度来たときには会ってあげてね」
「うん」

 少年はそう言って、母に向かって笑いかけた。
 その純粋無垢な表情は、とても可愛らしくて愛らしかった。


「秋生」


 自分が呼ばれたようで、どきんと心臓が跳ねた。

 どうしてだろうか。
 華蓮に呼ばれた時の感覚に似ている。


「可愛い…」
「ふふ、でしょう?秋生にも、あなたの名前を教えてあげて?」

 母の言葉に、少年はきょとんとした表情を浮かべる。
 なんと、可愛らしいことか。

「おれの…名前?」
「きっと知りたがっているわ」

 母がそう言うと、少年はゆりかごの中に視線を落とした。
 その小ささで一人称が俺とは、中々ませた少年だ――なんてことを思いながら見ていると、じっとその中を見つめていた少年が静かに口を開いた。




「華蓮」



 少年はそう言って、ゆりかごの中に笑いかけた。


「華蓮だよ。秋生」


 まるで穢れの知らないような笑顔で自分の名前を呼ぶその姿は。


 秋生の大好きな華蓮そのものだった。



 これはただの夢なのだろうか。
 それとも、忘れてしまっていた記憶なのだろうか。


「口…、切れてる……」
「え?あらまぁ、ほんと。乾燥しているからかしら…薬を取ってくるわ。少し見ていてくれる?」
「うん」

 幼い顔が頷くのを確認して、母は立ちあがり和室からいなくなった。
 残された華蓮は、何をするでもなくじっと幼い秋生を見下ろしていた。
 秋生としては、このままいつまでも何もしない華蓮を見ていられる。しかし、小さい華蓮はさすがにつまらなくなったのか、ふとゆりかごの中に手を伸ばした。



「いたっ!」

 華蓮はゆりかごの中から手を引くと、人差し指を口に咥えた。どうやら、秋生に指を噛まれてしまったらしい。
 今の秋生が華蓮にそんなことをしたら謝り倒すところであるが。指を咥えている華蓮の姿があまりにも可愛らし過ぎて、ゆりかごの中の自分に賞賛を与えたい気分になった。

「おまえ…凶暴だな」
「うー…」
「えっ…いや、泣くなよ!怒ってないって……!」

 ゆりかごの中からぐずるような声が聞こえてきた。秋生の涙腺の優秀さは幼い頃からのものだったらしい。
 慌てふためいたようにゆりかごを覗き込む華蓮の姿が、これまた可愛い。もっと泣けと思ってしまわずにはいられない。

「―――れん」
「え?」
「か……れ、ん……」
「!!!」

 慌てていた華蓮の目が見開かれる。
 ゆりかごの中から、小さな手が華蓮に向かって伸ばされていた。

「今…おれの名前……」
「かれん……」
「やっぱり!おれの名前!!」

 華蓮そういうと、伸ばされた小さな手を取った。
 ぎゅっと握られたその相手は幼い頃の自分であるはずなのに、とても羨ましく感じて、そして少しだけ嫉妬した。

「かれ…ん」
「うん!うんうん!そう、華蓮!」
「かれんっ」
「そうだよ、秋生!」

 そう言って笑う笑顔は、それ以上ないくらいに嬉しそうで。
 秋生の心を一瞬で射抜いてしまった。



「おれの名前、忘れるなよな」


 言って、ゆりかごの中に顔を近づけた。その中の様子は見えなかったが。
 華蓮がそこで何をしたのかが見えなくても分かった。

 秋生はそれを、知っていた。


 これは夢ではない。自分の記憶だ。
 そう確信した瞬間だった。



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