Long story
時刻は午前2時。
縁側に腰を下ろしたのは随分と久々のように思われた。最近は馬鹿妖怪共がやたらめった飲んだくれているせいで、ここに来るのを避けていたからだ。
別に来たかったわけではない。金木犀なんてもう見飽きるくらい見ているし、馬鹿妖怪共の邪魔をする気もなかった。しかし、ほとんど動けない体では2階に上がることもできなくなったために、仕方なくここに来るしかなかったのだ。ちなみに、部屋の鍵とスマホは桜生が旧校舎の3階で発見してくれたが、スマホはうんともすんとも言わなかった。
華蓮は前に比べて随分と色合いが変わった金木犀を眺めながら、秋生が再び作ってくれたシュークリームに手を伸ばした。
「お前…寝てなくていいのか」
廊下の向こうから、李月が顔を出した。
口ではそう言っているが表情が全く驚いている風でないところを見ると、華蓮が起きているということは予測できていたのだろう。
「寝すぎて寝れない」
「ああ…まぁ、2日も寝ていたらそうか」
李月は苦笑いを浮かべて、華蓮から少し距離を置いて腰を下ろした。そして金木犀に視線を向けてから、少しだけ怪訝そうな表情になった。李月が手を伸ばすと、それに吸い寄せられるように金木犀の片鱗がその手の上に舞い落ちる。
「随分と…色が変わったな…」
「桜生がお前の部屋に押しかけるのは週に何回だ?」
妖怪たちがここに長居すればするほど、この木はその妖気に感化される。
そして、妖怪たちの個性でその花びらの色が変わる。
「なるほど……色が変わるのも無理はないな」
華蓮の問いに答える代わりに、李月は納得したような表情で頷いた。
結果的に週に何回押しかけられているのかは分からなかったが、決して少なくはないようだということが分かっただけで十分だった。
「これほど色が変わるまで騒いでいるのに、秋生はよく我慢していられる」
「秋生はお前のところに…押しかけるようなタイプじゃないな」
李月が金木犀の花びらを吹くと、花びらが花になって木に戻って行った。
元々は白かった金木犀の花の色は、今はすっかり桃色に近い色になっている。しかし李月が吹いた花びらから花になったそれは、水色に近い色だった。
「そういえばお前、秋生を号泣させたらしいな」
華蓮が横目で睨むと、李月は途端に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「あれは…悪かった。まさか、あそこまで泣くとは…いやまぁ、確かにあの廊下の状況で死んだって言われたら信じそうなもんだが…とにかく悪かった。謝る、ごめん」
李月が華蓮にこれほど素直に謝るなんて、きっとよほどのことだったのだろう。
少しだけ見てみたかったと思いながら、シュークリームを口にした。
「で、俺か…もしくは馬鹿妖怪のどれかに何か用事か」
華蓮が改めてここに来た主旨を問うと、李月は至極嫌そうな表情を浮かべてから溜息を吐いた。
「お前がここで寝ることになったせいで、秋生と桜生は上の開いている部屋を使うことになった」
「ああ」
華蓮が上に行くことが出来ずにここで寝る代わりに、秋生と桜生が上に行けばいいと提案したのは李月だった。
反対意見はなかった。たまには違う部屋で寝るのもお泊り会気分で楽しいと言って、秋生と桜生は11時くらいに2階に上がって行った。
「それなのに、俺が部屋に戻ると秋生と桜生が居た。桜生に理由を聞いたら、僕たちここで寝るからいつくんはどっか別のところで寝て…と、追い出された」
「お泊り会気分はどうした?」
「何もなさすぎて落ち着かなくて寝られなかったらしい。ちなみに秋生は空き部屋で寝るからいいと遠慮したが、そうなると今度は俺が悪いことしたみたいになるだろ。結果的に俺が出て来るしかないってことだ」
まぁ、確かにそうなるだろう。
李月は本当に嫌そうな顔を浮かべて、今一度溜息を吐いた。
「で…俺に文句を言いに来たと」
「そうだ。お前のせいで俺は追い出されるし、空き部屋は埃っぽいし落ち着かないし最悪だ…と、言いに来たのはついでだ。本当は旧校舎の話をしに来た」
それで腰を下ろしたのか。
文句を言いに来るだけなら、腰を下ろさなくてもいいだろうと思ったところだった。
「あの…3階のか?」
「そうだ。あそこに行ったら…前に古い方の旧校舎で会った子どもがいた。お前、あの子どもにやられたらしいな」
確かにそれは間違いではない。だが、その言い方だと語弊がある。
「あいつは大人の容姿になっていた」
華蓮がこてんぱんにやられた相手は、明らかに年上の男だった。
とはいえ、同一人物であることに変わりはないので何とも言えないが。
「それも言っていた」
「話したのか…?」
華蓮とは話をする気など毛頭ないといった様子だったが。
「ああ。俺に敵意は向けてこなかったからな」
「壁の向こうは?」
「俺が触っても、何もならなかった。どのみち俺じゃあ意味がないらしい」
「意味が分からん」
その言葉には2つの意味合いがあった。
ひとつは、一体どうして李月だと意味がないのかということだ。あの男は、華蓮が壁に触れることを阻止した。だからきっと、華蓮が触れることには意味があるのだろう。しかし、李月と華蓮とではどう違うというのか。また、華蓮の他にも触れて意味のある誰かがいるのかどうかということも疑問に残る。
そしてもうひとつの意味合いは。いくら李月が触れても意味がないといっても、扱いの差が歴然とし過ぎている。あの男は最初から華蓮を屈服させる気だった。それは華蓮が敵意を持っていようといまいと、壁に触ろうとしようとしまいと変わらなかっただろう。おまけにただ屈服させるだけでなく、華蓮の怒りを煽りその上で完全に屈服させて見せた。あの男が一体何を考えているのか、全く分からない。
「あっちも酷く消耗したからしばらくは来るなと言っていたが…どのみち、その体じゃ無理だな」
「俺には到底消耗しているようには見えなかったが」
「その辺の事情は知らない。とにかく、しばらく来るな。その間に宿題の答えを探しておけ――…だと」
宿題。
あの男の原動力は何か。
原動力。
どうして華蓮よりも強い力が出せるのか。
何があの男をそこまで奮い立たせていたのか。
華蓮の原動力は怒りだとあの男は言っていた。
そして、そんなことでは倒すことができないとも。
あの時の男は一体どういう感情だったのか。
悲しむことが原動力になるとは思えないし、あの男は悲しんでいるようには見えなかった。
楽しんでいる、というのも少し違ったような気がする。若干その感じは見受けられたような気がしないでもないが。
「大体あいつ、教えてやるって言ったくせに何が宿題だ」
「は?」
「…いや、なんでもない。その話は…怪我が治ってから考える」
華蓮はそう言って、全く動く気配のない腕に視線を落とした。
夕食を食べて夜になって再び風呂に入った時の方が、あの男と闘った時よりもよほど苦戦した。
「亞希にはどうにかできないのか」
「痛みを軽減させることくらいはできるけど、しないよ」
ふっと姿を現し、金木犀の木の枝に座った亞希が口を開いた。
ずっと出て来なかったので既に寝ているか秋生のところにでもいると思っていた華蓮だったが、どうやらそうではなかったらしい。
「そんなことしたらそいつ、普通に動き回るだろうから」
「なるほど。真っ当な判断だな」
亞希の意見に李月は納得したように頷く。腹立たしいことに、華蓮も最もだと思った。
しかし、だからといってここまでの状態を維持しなくてもいいのではないかとも思う。せめてこの右腕だけでもどうにかしてほしい。食事と風呂をこれ以上嫌いにさせないくらいに。
「その右腕が一番重症だっていうのに、それを自由にさせたら意味がないだろ」
亞希は勝手に人の心を読んで、顔を顰めた。
確かにそれも言う通りだが。しかし、この状況を見て少しくらい不憫には思わないのだろうか。
「治るのにどれくらいかかる?」
「完治するには2か月は固いな」
「……聞くんじゃなかった」
それほど長い間ずっとこんな状態で過ごさないといけないなんて、ぞっとする。
「ちなみに、今の少し動いて死んでの状態でいうなら、あと2週間は続く」
「やめろ…それ以上何も言うな」
聞くだけで症状が悪化しそうだった。
現に、亞希に完治の話を聞いてから、華蓮の腕はそれ以前よりも随分と痛んだ。
これ以上話を聞いていると、そのうち意識を失ってしまうそうだ。
「そうでもないやもしれぬぞ」
金木犀にふっと影が増えた。
いつもは八都が座っている定位置に、狐の姿の良狐が腰を下ろす。
「何か策でも?」
「策というほど面倒な話ではない。秋生は、あやつの血を舐めて甘いと言っておった」
「嘘…だろ?まさか」
良狐の言葉に、亞希は宇宙船でも見たかのような表情を浮かべる。
「どうしてわらわがこのような場所で嘘など吐く必要がある?だから貴様は阿呆なのじゃ」
「でも、血が甘いって…それは……」
言葉に詰まった亞希に、良狐は頷いて見せた。
「契を交わしているということじゃな。それも――相当、強い」
一体何の話をしているのか、華蓮にはさっぱり理解できなかった。
ただ、亞希が珍しく目を見開くほどに驚いていて、良狐もそれなりに驚いている様子だということは分かる。
「おい、何の話だ」
声をかけると、亞希と良狐の視線が華蓮に向かった。
それから、亞希はどこか面白おかしそうににやりと笑う。良狐の表情は読み取れないが、きっと似たような表情をしているのだろう。夫婦は似るという。
「言わぬ」
「ナイショ」
夫婦は似るというが。
こんなところは似なくてもいいだろうと華蓮は思った。
「ヒントくらいあげてもいいんじゃないの?」
また増えた。
李月の隣に座るのは、良狐よりもこの場で見慣れている八都だ。
随分と、賑やかになった。
華蓮は3匹の妖怪の姿を見ながら、ふとそう思った。
「うむ」
「まぁ、それくらいはいいか。…チョイスに気を付けろよ」
「え?僕が出す感じ?」
「この阿呆鬼よりそなたの方が博識であるからな」
「は?」
「いやぁ、照れるなぁ」
八都は言葉通り照れたように頭を掻いており、亞希はそれを見て思いきり顔を顰めながら舌打ちをした。良狐はまるでどうでもいいというように、欠伸を零している。
いつの間にか、良狐は八都とも交流を深めていたらしい。
「契っていうのは、本来妖怪同士が交わすものだ」
唐突だ。
実に唐突に話が始まった。多分これは、ヒントの一環なのだろう。
「だが、強い力を持っている人間同士でも交わすことができる」
八都はそう言って、金木犀に手を伸ばした。
一瞬だけ、金木犀が青く染まった。一瞬でも満開の花を全て染めるとは……それほどまでに、八都もこの場に順応しているということだ。
「一度交わした契を切ることは可能だ。だが、次にまた契を交わせるようになるまでに200年はかかる。それは妖怪でも人間でも同じだ」
つまり、実際のところ人間が契を交わせるのは一生に一度ということだ。
妖怪なら200年くらい簡単に生きるだろうが、人間はそこまで長くは生きられない。不老不死は古くから人間が望むものであるから、将来的には生きられるようになるのかもしれないが。華蓮としては、人間がそれほど長く生きる必要はないように思う。
「契は僕や李月、君や亞希が交わしているような契約とは違って、命を預けることにも等しいくらいに重い」
「…最初に一都と交わした契約内容は、俺の命だった気がするが」
「え?そうだったっけ?」
この妖怪、何のために李月と契約を交わしたのだろう。
李月が一都(いっと)と呼んでいたことから、最初に契約を交わしたのは八都ではなくて他の頭なのだろうが。それにしたって、一心同体なのだからそれはつまり八都も同じ契約を交わしたということで、それならば覚えているはずだ。
「元々は俺に力を貸す代わりに、望みが叶ったら命をやる約束だったろ」
元々は――ということは、今は違うということか。
それなら忘れていたことも頷けないこともない。しかし、そもそも契約内容の変更はできないはずだが。…頭が八匹いると色々事情も変わってくるかもしれない。
「あー、そういえばそうだったか。まぁでも、それはお前が契約完了の報酬として一都に命を捧げている形だろ?だから、一都は契約内容が完遂するまでお前の命に手は出せない。でも契はそうじゃなくて、交わしたその時点でお互いの生死を自由に左右できるくらいに重いんだ」
他人の生死を自由に左右できる。
それは確かに、重い話だ。
「でも、本当に裏切られないと確信の相手と交わすのであれば―――…それだけのメリットがあるというのも事実だ。例えば、四六時中情事に耽っていても一生飽きないくらいに相性がよくなるとか」
八都はそう言ってから「2人は交わしてないの?」と亞希と良狐に問う。
「わらわは仮にも神使じゃぞ。こんな修羅の成底ないと契を交わすなど、神への冒涜もいいところではないか」
「ほう、俺はあの神を冒涜していたのか。愉快だな」
そう言う亞希は本当に愉快そうな表情だった。その口ぶりから察するに、少なくとも離れる前は交わしていたということだろうが。
果たしてそれは今も有効なのだろうかと華蓮が思っていると、「実体がなくなればそれも無効だ」とまたしても勝手に心を読んだ亞希からの答えが返ってきた。
「黙らぬか、下等な鬼め」
「はいはい、どうせ俺はまともに一体の妖怪でもない蛇より格下ですよ。どうぞ、続けて」
亞希はどこか不貞腐れたように、八都に視線を向ける。
その嫉妬はどうでもいいが、しかし…性の相性だけのメリットで他人に命を左右させるなんて、馬鹿げているとしか思えない。
「お前たち妖怪は一生飽きないなら相手に命を左右されてもいいと思うほどに性欲が強いのか。理性の欠片もないな」
「数あるメリットの中の一つだよ。いくら何でも性欲だけで契なんて…まぁ中には交わす妖怪もいるかもしれないけどさ。これは中でも最下のメリットであって、もっと契を交わす理由に相応しいメリットがあるんだよ。はい、ヒント終わり」
顔をしかめる李月に八都はそう言って、パンと手を叩いた。
また一瞬だけ、金木犀の花が一気に青くなった。
「全然ヒントになってねぇ」
「多少脱線したけど、ヒントは十二分に与えた」
多少どころか最終的に脱線したまま終わった気がするのは気のせいか。
一体今の話のどこからヒントを引っ張り出せばいいのか、華蓮は理解できなかった。
「時に良狐姉さん、ちょっと相談があるんだけど」
「なんじゃ?」
先ほどから随分と親しくなっているとは思っていたが。いつの間に「姉さん」なんて呼ぶ中にまでなったのだろう。
一体いつどこで交流を深めているのか。
「もうひとつフラグを立てたいから協力してほしい」
そう言って八都は良狐に耳打ちをした。
何を話しているか華蓮には聞こえない。思いきり顔を顰めている様子からして、亞希にも聞こえていないようだった。
「妙案じゃ。協力させてもらう」
「少し負担抱えることになるけど、大丈夫?」
「案ずるな。問題ない」
「ありがとう」
八都の姿が消えた。
もしかしたら、最初から良狐と話をすることが目的で出てきたのかもしれない。
「何を企んでいる?」
「そうじゃのう…」
良狐は少し悩ましい素振りを見せてから宙に飛び上がったかと思うと――くるりと体を一回転させた。
同時にその姿は、動物のそれから人間に近いそれに代わる。そして、再び元々座っていた場所に腰を下ろした。
「そなたならきっとこう言う……ナイショ、じゃ」
良狐は亞希に向かってそう言い、笑いかけた。
その表情はからかっているにしては随分と柔らかく、そして綺麗だった。亞希は良狐のことをこの世で一番美しいと言っていたが、なんとなくその言葉の意味が分かったような気がした。
そして同時に華蓮は思った。これは悪い展開になる予感がする、と。
亞希のことだ。今の良狐の笑みを肴に酒を飲み始めるに違いない。そして、そうすると一度は姿を消した八都もすぐにまた顔を出すだろう。
「リビングに行くなら、布団は持って行ってやるぞ」
「……助かる」
李月も同じ予感を感じ、そして華蓮を哀れに思ったのだろう。
基本的に思考回路が同一なのは実に不快だが、今回ばかりはそのことに感謝する他なかった。
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