Long story


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 何も言わずにいなくなった華蓮は、夜中になった今も帰って来ていない。
 寝た方がいいと言われて一度は縁側のある部屋に下がった秋生だったが、午前1時を回ったところで再びリビングに舞い戻ってきた。今日は華蓮がいないことで亞希もおらず、大宴会がこ行われることないために桜生は熟睡していたが、秋生はとてもじゃないが寝られたものではなかった。こんなことなら、いつものように騒いでいてくれた方がずっとましだと思った。
 リビングの扉を開けると、珍しいことにいつもはコーヒーを淹れている李月がゲームをしていた。その後ろ姿が華蓮と重なって、泣きそうになった。

「うっ…うああ……」

 泣きそうになったどころか、大した時間持ちこたえることなく泣いてしまった。

「は?…は!?」

 秋生の声を聞いて振り返った李月が、その光景を目にした瞬間に目を見開いた。
 李月は秋生がどうして泣いているのか皆目見当もつかない様子で、ゲームの休止ボタンを押すことも忘れてコントローラーを投げ捨てた。そして立ち上がり、入口でぼろぼろ涙を流している秋生のところまでやってきた。


「寝たんじゃなかったのか…?というか、何でそんな号泣してるんだ」

 李月はそう言いながら、来ていた服の裾で秋生の涙をぬぐった。
 しかし涙はそんな李月の気遣いを無視して止めどなく流れていく。

「だって…せんぱいが…」

 しゃくり上げながら秋生が口を開くと、李月は少しだけ苦笑いを浮かべた。
 相変わらず涙をぬぐってくれるが、李月の服が無駄に濡れていくばかりだ。埒が明かない。

「あいつは大丈夫だ。もうすぐ帰ってくる」

 李月がどこか確信したようにそう言ったことで、少しだけ安心した。だから少しだけ涙の溢れ具合がマシになった。
 しかし、秋生が華蓮のことで眠れないのは戻ってこないからということでだけではない。

「そう…じゃ、なくて……」
「何だ、喧嘩でもしたのか?」

 それがまた地雷になった。
 せっかく滝のように流れていた涙が少し収まっていたのに、また滝のように流れ始めた。

「本当に喧嘩したのか?そんな風には見えなかったが」
「けんか…じゃなくて……」


 秋生は首を振りながらそう言ってから、再び李月を見上げた。
 李月のことは、こんなにも簡単に見上げることが出来るのに、どうしてあの時華蓮を見上げることができなかったのか。そんなことを考えると、滝のように流れる涙は一向に収まらない。

「おれが…ひどいこと……いっちゃったんです……」
「酷いこと…?」

 李月の問いに秋生は頷いて返す。

 自分の中で渦巻いていたわだかまりにばかり意識が行っていてつい口にしてしまった言葉。それはきっと華蓮を傷つける言葉だった。
 それだけにとどまらず、その言葉に対する華蓮の問いに、秋生は答えることができなかった。そしてそれは、華蓮を裏切ることに等しかった。


「おれ…きらわれちゃったらどうしよぉ……」


 また一層涙の量が増した。
 同時に、李月の表情が見たこともないくらいに戸惑ったものになった。



 リビングの入り口からソファに移動した秋生は、李月に自分が口にしてしまったことと、返せなかった問いについて話した。秋生はゲームをしながらでもいいと言ったが、李月は電源を落して秋生の話を聞いてくれた。
 今思おうと、李月とこうして2人だけで話をするのは初めてかもしれない。しかし秋生はあまり緊張することなく、李月に話をすることができた。

「俺…本当は分かってて。先輩が優しいのはそんなに最近のことじゃなくて、ずっと前からで……桜生のことだって、先輩は…きっといろいろ辛かったのに……でも、…助けてくれて…」


 華蓮はいつもの秋生のことを馬鹿で無能だと言うが、それでも見捨てないでいてくれた。
 一緒に家電量販店行ってくれたし、この間のテスト週間の時には朝まで勉強に付き合ってくれた。
 それだけじゃなくて、秋生が不安なときは抱きしめてくれるし、キスだってしてくれる。

 そういうことは全部、華蓮のものだ。
 亞希に感化されたものではなく、華蓮自身が秋生にしてくれているものだ。
 それは分かっていたことだった。確信していたことだった。

 そしてそれは自分の気持ちも同じだった。
 自分が華蓮を好きだと言う気持ちは紛れもなく自分の気持ちだ。
 そうじゃないと言い聞かせていた頃があったなんて、もう信じられないくらいに華蓮のことが好きで。今はもうその時の心情なんて思い出すことすらできない。
 寝ても冷めても華蓮のことばかり考えていて、そのうちストーカーにでもなってしまうのではないかというこの気持ちは自分のものだ。
 決して良狐に感化されたものなんかじゃない。

 それなのにあの時の秋生はそれが分からなくなっていて。
 だから華蓮を傷つけるようなことを言ってしまって、そしてそこからきた問いに答えることができなかった。



「話は分かったが…俺を見て泣くほど思い悩むことじゃないだろ」

 そう言う李月は、少しだけ呆れたような表情を浮かべている。
 秋生が見上げると、再び流れ出していた涙をジャージのまだ濡れていない裾の部分でふき取った。

「華蓮が帰って来たら、そう伝えたらいいだけのことだ」
「でも、でも……!先輩…俺のこと見もしないで行っちゃって…もう、嫌われちゃってたら……」

 今はそうじゃないと言えても、華蓮の気持ちが変わってしまっていてはもう手遅れだ。
 秋生が再び泣きそうになりながらそう言うと、李月は苦笑いを浮かべた。

「あいつは秋を嫌ってなんかない。むしろ逆だな」
「逆……?」

 嫌っていないと慰めてくれるのはありがたかった。
 しかし、どこから逆という言葉が出て来るのか秋生には分からなかった。


「嫉妬したんだよ。秋が自分よりもその男の言うことに揺れたから」
「しっと…?」
「そう。華蓮はその男に嫉妬して、その感情に流されて少しだけ秋に辛く当たっただけだ。今頃亞希に罵倒されながら、心底後悔しているはずだ」
「ま…さか」

 華蓮の中に、そんな感情あることが想像できなかった。
 そしてまさか自分が、そんな対象になるなんて。

「本当だ。それくらいあいつはお前のことが好きだし、独占したいと思ってる」
「…想像できないです……」
「秋…覚えてないのか?この間小さくなった時のこと。あいつお前に向かって一番大好きだって、恥ずかしげもなく言ってたのに」

 全く覚えていない。秋生は華蓮から好きだと言われたことはほぼない。華蓮は態度でそれを示してくれるが、好きだと直接的な言葉をくれることはない。
 それなのに、一番大好きなんて。どうしてそんな、今後一生聞けないかもしれないような永久保存版みたいな言葉を言われたのに覚えていないのだろう。

「な…何で録音してくれなかったんですか……」
「無茶苦茶言うな。…バット飛ばされたくはないから、俺が言ったことは言うなよ」
「わかりました……」
「まぁとにかく、あいつはちょっと嫉妬するようなこと言われた程度で秋のこと嫌いになったりはしない。絶対って言い切れるから安心しろ」

 華蓮が自分を思ってくれているのは知っている。
 けれどまさか、李月が言うほどまでとは思ったことがなかった。思う余地もなったし、未だに信じられない。
 ただ、華蓮と思考回路がそっくりな李月のそう言い切られると、本当にそうかもしれないと少しだけ期待してしまった。

「先輩は……謝ったら、許してくれますか……?」
「逆に謝られそうなもんだが…まぁ、秋がさっき言っていたことを素直に伝えたら、事は悪いようには運ばないはずだ」

 そう言って李月が頭を撫でてくれたそれは、秋生の自信に繋がった。
 華蓮が帰って来たら一番に会いに行って、それからちゃんと伝えなければと思った。


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