Long story


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 秋生はこの風を知っている。
 それは前にも、自分をこの恐怖から救ってくれた風だ。


「秋生!」


 名前を呼ぶ声は、抱きしめてくれるその腕は。

 恐怖から救ってくれる。


 自分の全てを支配していた真っ赤な恐怖が、すっと引いて行くのを感じた。
 全く動かなかった体に意志が戻ってきた。


「せ…ん、ぱい…!」

 その涙は既に溢れていたのか。それとも、今溢れたものか。
 分からなかったが縋るように泣きじゃくる秋生をその風は―――華蓮は優しく抱きしめてくれた。


 もう大丈夫だと、確信した。



「またお前か……」

 聞こえた声に、身体がビクリを跳ねる。
 再び恐怖を呼び起こしそうになった体だったが、華蓮が今一度強く抱きしめてくれたことでそれは免れた。
 しかし秋生は、華蓮の胸から顔を上げることが出来ない。

「……」

 華蓮は何も答えなかった。
 ただ、秋生を包んでいる風が少しだけ熱を帯びたような気がした。
 伝わる体温から感じることが出来るこれは――怒りだ。


「ぐあっ!?」

 突然に男の呻きのような声が聞こえた。
 誰が動いたような音も聞こえなかったのに、一体何が起こったというのか。

 秋生は涙で滲んだ目をそのままに、少しだけ視線を上に向ける。
 そこに見えた華蓮の瞳はどこか赤く、それでいて黒く染まっていて、まるで感情を灯していないように真っ直ぐと前を見つめていた。
 さきほど感じた怒りは、気のせいだったのだろうか。

 華蓮の視線の先の光景が気になったが、やはりそちらに視線を向けることは出来なかった。
 それは秋生がそちらに視線を向けることを怖れているからでもあり、目の前にある華蓮の瞳から目が逸らせなくなっているからでもあった。


 見つめていると、呑みこまれてしまいそうな瞳。

 しかし、それは恐怖を呼ぶものではない。


 支配されてしまいそうな、その瞳に。
 
 その赤くも黒くもあるその中に―――呑みこまれてしまいたいと思った。


 支配……?


 この感情は――――支配…?



 自分の中の妖怪の強い感情が。
 自分の感情を支配する。

 それは自分の中の自分ではない意志に感化されたものであり。
 決して自分の感情ではない。

 自分の中の自分ではない強い感情からの支配。



 違う。そうじゃない。



 そうじゃないのに。




「まぁいい。また――…次の機会に」



 そう言った瞬間に、男の気配が消えた。
 ほぼ同時に伝わる体温から感じていた、怒りだと思っていたがよく分からい熱も消えた。

 それでも伝わる体温からはいつかのような風を感じて。
 それは確かに、恐怖を掻き消す体温なのに。



 ――――支配は、怖い。



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