Long story


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 どんなに頑張って歩いても出口には一向に辿り着かなかったのに、気配をたどってきたその場所にはものの1分程度で辿りついてしまった。その場所――『保健室』と書かれたプレートを前にした秋生は、またしても溜息を吐いた。
 本当に最悪だと思った。そして、教室を出た時点でこの気配に気づかなかった自分を心底恨んだ。もう華蓮にどんな罵倒を受けてもいいから、今すぐここから出してくれと思った。しかし、そんなことをいくら思って目を閉じても、次に目を開けた時に場所が変わっていることはなかった。現実はそんなに甘くはない。



「はぁ」


 保健室は嫌いだ。
 どうして嫌いなのか、その理由を秋生は知らない。だが、小学校の頃から保健室は大嫌いで、だからどんなに体調が悪くても絶対に自らの足をこの場所に向けることはなかった。
 自分の記憶の中で保健室に足を向けたことがあるのは一度きり。高校に入学して間もなくの頃、華蓮と出会った時だけだ。あの時はどうしてか嫌だと思いながらも意外とすんなりと足を踏み入れることが出来た。もしかしたら、華蓮が一緒だったからかもしれない。


 だが今は一人きり。


 ここに立ってからどれくらいの時間が経っただろう。秋生はさきほどからここに立ち尽くした状態で、幾度となく溜息を吐いている。
 今以上に、悪霊の方から出てきてくれればいいのにと思ったことはない。
 そもそも悪霊というのは獲物を見つけたら自分から近寄ってくるものなのに、どうしてこの奥にいる気配はまるで微動にする様子がないのだろう。それがまた気持ち悪い。
 もしかしたら、悪霊の類ではないのかもしれない。しかしそれならば、どうしてこんな気色の悪いところにいるというのだろう。尚気持ち悪い。

 何にしても気持ちの悪いこの状況下を打破するには、この扉を開いて先に進むしかない。
 頭では分かっている。
 しかし、どうしても体はいうことを聞かない。目の前にある扉に手を掛けることすらできない。今すぐこの場から立ち去ってしまいたい。



 バンッ!

「うわあ!?」

 秋生が今一度溜息を吐こうとし瞬間、保健室の扉が勢いよく開いた。
 そして次の瞬間には、長い間入ることが出来ずに渋っていた保健室の中に強制的に引き込まれていた。


「…っ……」


 自分の周りを覆っているものは瘴気だろうか。
 どす黒く、邪悪なものを感じる。

 振り払いたいのに、振り払うことが出来ない。


「やっと入って来てくれたね…」
「―――――――…」


 恐怖。



 声のした方に視線を向けた瞬間に、秋生のすべてが支配された。



「やっと会えた………」


 そう言って笑うその顔を、秋生は知っている。
 伸びてくるその手を、知っている。



「い――――嫌だ!!!」



 秋生は咄嗟に声を出して、当たりの瘴気を振り払った。

 どん、と背中が何かに当たる。
 扉だったはずの場所が―――壁になっていた。



 再び、恐怖が秋生を支配した。



「どうして拒むのかな」

 目の前の男は、そう言って笑った。
 秋生はその気持ちの悪い笑顔を知っている。


 頭の中が、真っ赤に染まっていく。


 それが恐怖だと、知っている。
 その恐怖を、知っている。

 瘴気に囚われているわけでもないのに、伸びてきた手を振り払うこともできなかった。
 震える体は自分の意志を聞く気がないのか、全く動かない。

 恐怖を掻き立てる笑顔が、伸ばされた手が秋生の頬に触れる。


「せん…ぱい……」


 助けて。

 そこまでは声にならなかったが――呟いた言葉に、男の表情が少しだけ歪んだ。



「また――あいつか」

「ま…た……?」


 男の言っている言葉の意味が分からなかった。
 だが、男は秋生の疑問に答える気はないようだった。するりと、冷たい手が秋生の頬を撫でる。

 逃げ出したいのに、体は一向に動かない。


「君にいいことを教えてあげよう」


 目の前で気色の悪い笑みを浮かべる男の話を、聞きたくはなかった。
 だが、するすると伸びてきた瘴気に両腕を拘束された秋生は、耳を塞ぐことはできない。そうでなくても、その正気に簡単拘束されてしまうような今の秋生では耳を塞ぐほど体は自由に動かなかっただろう。


「君たちが惹かれあっているのは、君たち自身の思いではない」


 何を…言っているのだろう。


「それは君たちの中にいる妖怪たちが惹かれあっているその感情に、感化されているだけだ」


 自分達の中にいる妖怪…良狐と、そして亞希。
 数百年もの間、お互いをずっと思い続けてきた、2人の感情。

 そんな―――そんなことはない。


「ち…が……」

「そう言い切れる根拠はどこにあるのかな?君はともかく、彼はどうかな?」
「…せん…ぱい、は……」

「君はカレン様にそっくりだ。自分からすべてを奪って行った相手にそっくりな君を、彼は自分の意志で慕うことができると思っているのかい?」

 聞きたくない。

「人間という生き物は、そんなにできた生き物じゃない。彼が君を思っているのは、彼の中の妖怪が、君の中の妖怪を強く思っているそれに感化されただけだ」


 それ以上、聞きたくない。


「君もそうだろう?君は元々、この環境に順応するような体質ではなかった。必死でそれを拒んでいただろう」


 違う。


「だが君はこの環境に順応した。それは君の意志ではなくて――君の中の妖怪が、彼の中の妖怪を強く思っているからだ」


 違う、そうじゃない。


「ちが――――…」



 ぶつかった視線は、かろうじて残っていた秋生の意志を全て奪って行った。


 染まる。真っ赤に染まる。


「だから君は、そんな感情に支配されずに―――私のものになればいい」


 支配。

 怖い。支配されるのは怖い。




 怖い。

 怖い。


 逃げ出したい。ここから逃げ出したい。

 それなのに。
 まるで吸い込まれるように、その視線を逸らすことが出来ない。



 ――――無駄だよ。


「無駄だよ」



「あ…あ……」


 秋生は知っている。



 この恐怖を、知っている。

 この支配を、知っている。




「君は私には逆らえない」


 脳裏に幼い頃の自分がちらついた。
 怖くて、怖くて、動けない。


「い、や――――――…」




 その先の記憶は、どんなものだったか。

 分からない。
 目の前の支配は―――その先の記憶までも真っ赤に染める。



 ドカンッ!!
 凄まじい爆発音のようなものが聞こえたような気がした。


 頭の中の全て真っ赤に染まりそうになった瞬間、背後から風が吹いた。



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